はりオタクは斜め上を行く 〜陰キャ、進化の方向を間違える〜
朝。埼玉中央総合大学の校門。
麻衣が入ってきた。
異変に気づいた。
「……なんか今日、空気重くない?」
「違う。低音が鳴ってる」と奈々。
「スピーカーから"Yo yo yo、埼玉中央のmorning vibe"って流れてるんだけど」と阿部。
「なに?」
構内を見た。
黒マスクだった。
バケットハットだった。
サングラスだった。
DJのスクラッチ音が鳴っていた。
「あの人たち……昨日まで痛車乗り回してたオタクじゃないか」と麻衣。
「全員ラッパー化してる」と奈々。
「なんで」
「原因は一つしかない」
「……私たちか」
「私たちだ」
「私たちロックだし」
「でも音圧が感染した」
「音圧は感染するのか」
「した。これが証拠だ」
麻衣が構内を見回した。
「……思ってたのと違う方向で変わった」
「変えるとは言ったが方向は指定しなかった」と奈々。
「ロックに変わってほしかった」
「音圧は方向を選ばない。強い刺激に感化された結果、一番近い出口に向かった」
「一番近い出口がラップだったのか」
「今の若者にとってはそうかもしれない」
「……どうするんだ」
「観察する」と奈々。
「観察して終わりか」
「次の手を打つために観察する」
「次の手は?」
「まだない」
「……まあ、観察する」
呉自動車。
「ワシの工場にも"Yo修理Yo"とか言ってくる学生が来たぞ。意味がわからん」と呉。
「原因は軽音部です」と加賀。
「お前が言うのか」
「事実を言った」
「……あの軽音の娘たちか。悪くない音だったが、副作用がひどいな」
「副作用を想定していなかったようです」
「音圧は方向を選ばないということか」
「奈々さんが同じことを言っていた」
「賢い子だ」と呉。
「冷静な副部長です」
「暴走するサークル長には冷静な副部長が必要だ」
「走り屋のサークルも同じですね」
「どういう意味だ」
「加賀が冷静で、準が暴走する」
呉が少し間を置いた。
「……まあ、そうかもしれないな」
「否定しないんですね」
「事実だからな」
文学部棟。
細田が立っていた。
「Yo。学問のflow、平安のshow。清少納言はマジlit」
「やめろ、清少納言で韻を踏むな」と準。
「踏む。日本史学部として正しい進化だ」
「日本史学部としての進化の方向を間違えてる」
「間違えてない。日本史とラップは親和性が高い」
「どこが」
「どちらも"伝える"行為だ。清少納言も自分の感情を言葉にした。俺も自分の感情を言葉にする」
「清少納言と細田葵人を同列に置くな」
「置く」
「置くな」
「置く。清少納言はオタクだったと思う。平安時代のオタクだ」
「……それは一つの解釈だな」
「走り屋的に言うと、清少納言は観察眼が鋭い。枕草子は走り屋のドライブレコーダーに近い」
「走り屋で例えるな」
「でも近い」
「近くない」
「近い」
細田がMacBookを開いた。
「GarageBandでビートを量産してる。聴くか」
「聴かない」
「聴け」
「聴かない」
「聴け」
「……5秒だけだ」
細田がビートを流した。
平安っぽい旋律だった。
でもビートが強かった。
「……なんか変なクオリティだな」と準。
「変なんじゃない。独自なんだ」
「独自と変は紙一重だ」
「紙一重でいい。それが俺のスタイルだ」
「……まあ、才能はあるのかもしれない」
「ある」
「あると断言するのか」
「ある。清少納言もそうだった」
「清少納言から離れろ」
「離れない。清少納言は俺のラップの師匠だ」
「師匠は平安の人間なのか」
「時代は関係ない」
S・H・Bにも感染が広がった。
「おい準、お前のノートにサブウーファーを積んだろ」と雅紀。
「ビートを流すなら重低音が命だろ。Yo」
「ノートにサブウーファーを積むのか」と加賀。
「積んだ」
「走行性能に影響する」
「影響しても積む。重低音が重要だ」
「重低音よりエンジン音の方が重要だ」
「Yo、エンジン音もビートの一部だYO」とマイケル。
「エンジン音はビートではない」と加賀。
「でも音デスYO。リズムあルデスYO。2ZZ-GEはDOHCデスから——」
「エンジン音とラップを混ぜるな」
「マジdopeデスYO、埼玉トラップシーン開幕デスYO」
「……」
加賀が額に手を当てた。
「俺は静かに峠を走りたいだけなんだが」
「静かに走れないの?」と準。
「今の状況では静かに走れない。お前のノートからサブウーファーの低音が出てる」
「出てる。でもビートが気持ちいい」
「走り屋として気持ちいいのはエンジン音だ」
「エンジン音もビートも気持ちいい」
「両方は要らない」
「両方欲しい」
「……走り屋の魂はどこに行ったんだ、準」
「走り屋の魂はある。でもラップも好きになった」
「どちらが好きだ」
「……ケモ耳、走り屋、ラップの順だ」
「3番目か」
「3番目だが好きだ」
「……まあ、走り屋を捨てていないなら許容範囲だ」
「許容してくれるのか」
「許容する。でもノートのサブウーファーは外せ。走行性能に影響する」
「わかった。でも部室では流す」
「部室でなら好きにしろ」
「……ありがとな、加賀」
「礼は要らない。走れ」
呉が工場から出てきた。
「静かにしろっつってんだよ、このヒップホップモンキーどもがァ!!」
全員が止まった。
「ヒップホップモンキーという表現は——」と準。
「うるさい。工場でオイル交換の集中力が切れるだろ」
「すみません」と全員。
「ビートを流すなら工場から離れたところでやれ」
「わかりました」
「わかったら静かにしろ」
「静かにします」
「本当に静かにするか」
「静かにします」
「……まあ、工場の外ならいい。静かにしろよ」
「しません」と細田(小声で)。
「聞こえてるぞ」
「します」
「本当に静かにするか」
「……します」
「……まあ、静かにしてくれ」
昼。中央広場。
即席のステージが作られていた。
ターンテーブルが2台あった。
「Yo、ファーストバトルは理学部vs文学部。Ready?」とチャイワット(MC席)。
「また自然にMCになってるな」と雅紀。
「ワタシ、MC向いてるデスYO」とチャイワット(前回も同じことを言った)。
「向いてるかどうかは——」
「向いてるデスYO。今回で3回目デスYO」
「3回MCをやれば向いてると言えるのか」
「向いてると思うデスYO。お客さんが聴くデスから」
「聴く理由があるから聴いてるだけかもしれない」
「でも聴くデスYO」
「……まあ、そうだな」
マイケルが前に出た。
「物理の法則すらbreakするflow」
準が前に出た。
「古典引用で韻を重ねる貴族の魂Yo」
「まさかのハイレベルリリック戦が始まった」と雅紀。
「なんか普通にうまくないか」と観客A。
「準が英語と古典で二言語ラップしてる」と観客B。
「準、文学部だから古典引用が自然なのか」と細田。
「文学部だからな。和歌の素養がある」
「走り屋が古典ラップをやるのか」
「走り屋でもある。でも文学部でもある」
「……走り屋文学部古典ラッパーか」
「そういうことになる」
「カテゴリが複雑だ」
「複雑でいい。俺はそういう人間だ」
舞花が来た。
「この騒音、また軽音のせい?」
「今回は"感染"したんです。文化ウイルス的な」と麻衣。
「文化ウイルスを放ったのは誰だ」
「私たちです」
「自覚があるなら対処しろ」
「対処の方法がわからない」
「止めれば止まる」
「止め方がわからない」
朱音がイヤホンを外した。
「ラップが嫌いなわけじゃない。でも四六時中"Yo"と言われると集中力が切れる」
「集中力が切れると?」と麻衣。
「殺意が湧く」
「殺意は物騒だ」
「物騒なくらい集中できない」
「…わかった、止める」
「仕方ない。DJ破壊任務、開始」と舞花。
「破壊しなくていいんじゃないか」と麻衣。
「止める一番確実な方法だ」
朱音がPAスピーカーを蹴り飛ばした。
バシャン。
ビートが止まった。
全員が沈黙した。
「静音こそ正義」と朱音。
「……それも過激だな」と麻衣。
「効果があった」と奈々。
「あった」
「効果があれば手段は問わないとさっき言ったのは誰だ」
「……まあ、いい」
「記録しておく」と朱音。
「記録するな」と舞花。
「した」
翌日。
SNSのトレンドに「#埼玉中央ラップバトル」と「#大学生MC選手権」が上がっていた。
「終わったと思ったら、YouTubeでバズってる」と細田。
「お前の"清少納言ラップ"が再生数10万を超えてる」と準。
「10万?」
「10万だ」
「……学外に出てしまった」
「出た」
「……どうするんだ」
「どうもしない。走り屋の話に戻る」と加賀。
「走り屋の話に戻れるのか、今から」
「戻る。これ以上広がっても俺には関係ない」
「でも細田の動画が——」
「細田の動画は細田が対処しろ。俺はセリカで走る」
「走るのか」
「走る。走り屋は走ることで正気を保つ」
「今日は走って正気を保わないといけないのか」
「今日は特に必要だ」
「なんで」
「ヒップホップモンキーに囲まれていたから」
「……加賀が呉さんの言葉を使った」
「使いやすかった」
「……まあ、走ってくれ」
「走る」
ヴォォォン。
セリカが駐車場を出た。
朱音がメモ帳に書いた。
「オタクがラッパー化:原因は軽音部の音圧。方向は指定していなかった。細田の清少納言ラップがYouTubeで再生数10万超え——日本史学部の正しくない進化として記録しておく。加賀:"ヒップホップモンキーに囲まれていたから走って正気を保つ必要がある"と言った——呉さんの言葉を使った——記録しておく」




