そうだ、服従して隷属になろう 〜こんな部下はいりません。訴えますよ?〜
昼。大学の中庭。
S・H・Bがカップ焼きそばを食べていた。
「で、昨日の夜、駐車場でドリフトごっこしてた奴は誰だ」と加賀。
「俺じゃないっす。オタクは法定速度を守ります」と細田。
「アメリカでもそうするデスYO」とマイケル。
準がモフりながら無言だった。
「準、何をモフってるんだ」と加賀。
「朔夜の尻尾だ」
「なぜ昼間から」
「モフる機会があればモフる。それが俺の生き方だ」
「生き方をモフで定義するな」
「定義する」
「するな」
「する」
いつものカオスだった。
そこに雅紀が現れた。
「……加賀、ちょっと相談していいか」
「車の話か」
「違う」
「却下」
「いや待て。今回マジで命の問題なんだって」
机を叩いた。
「命の問題なら救急車を呼べ」と加賀。
「そういう命じゃない」
「どういう命だ」
「社会的な命だ」
「社会的な命は走れば回復する」
「走っても回復しない種類の問題だ」
加賀が少し間を置いた。
「……話せ」
「聞いてくれるのか」
「聞く。でも車以外の解決策は出せない」
「車で解決できる問題じゃないんだよ」
「なら俺には解決できない」
「加賀という壁が高い」と準。
「壁ではなく走り屋としての誠実さだ」
「誠実さとは言わない」
同時刻。
明治大学和泉キャンパス。
詩音が一人で部屋にいた。
薄暗かった。
壁には雅紀のRX-8の写真が貼られていた。
高校時代のプリクラも貼られていた。
「まーくん、どうして見てくれないの」
詩音が窓の外を見た。
「……そうか。私が対等だからいけないんだ」
少し間を置いた。
「じゃあ、下になればいいんだね、まーくん」
カチッ。
首にチョーカーを装着した。
「今日から私は、まーくんのしもべ……」
まるで恋愛を装った呪いの儀式だった。
詩音がスマホを取り出した。
雅紀に送った。
《今日から私はまーくんの家具です》
送信完了。
《まーくんの食器棚の中に入ってもいいですか》
送信完了。
《まーくんが座るイスになりたいです》
送信完了。
《まーくんの玄関マットになってもいいですか》
送信完了。
詩音がスマホを置いた。
「……伝わるといいな」
伝わった。間違った方向に全力で伝わった。
大学の食堂。
雅紀のスマホが鳴り続けていた。
「……だからさ。詩音が勝手に服従宣言してきて、"今日から私はまーくんの家具です"とか言うんだよ」
「病んでるな」と細田。
「もはやホラーYO」とマイケル。
「俺、車以外の相談は受け付けてません」と加賀。
「お前ほんとに冷たいな」
「冷たくない。専門外だ。俺のエンジンはロータリー問題を処理するように設計されていない」
「俺のエンジンって何だ」
「俺の思考回路だ」
「走り屋が自分を車で例えるな」
「走り屋だから例える」
スマホが鳴った。
《まーくんの車のシートになってもいいですか》
「やばい、シートになろうとしてる」と雅紀。
「シートは重要なパーツだ」と加賀。
「そういうことじゃない」
「シートが合わないと長距離ドライブがつらくなる。詩音さんのシートへの理解は走り屋的には——」
「そういうことでもない」
「じゃあどういうことだ」
「俺が困ってるという話だ」
「なぜ困るのか」
「なぜ困るかわからないのか」
「わからない。シートになりたいという申し出を断る理由が——」
「断る理由がわからないのか、加賀は」
「シートとして機能するかどうかは試してみないとわからない」
「試してみるとかじゃない話だ」
「ではどういう話だ」
雅紀が頭を抱えた。
「……マイケル、お前が一番まともに聞いてくれるな最近」
「ワタシ、恋愛問題はわかるYO」とマイケル。
「アメリカにも似たケースがあるのか」
「アメリカにはもっとヤバイケースがアルYO」
「それは聞きたくない」
「デモ聞ク?」
「聞かない」
「聞く?」
「聞かない」
スマホがまた鳴った。
《まーくんの部屋の壁紙になりたいです》
「壁紙になろうとしてる」と雅紀。
「壁紙は貼り替えが面倒だ」と加賀。
「加賀、お前今日は帰らないのか」
「カップ焼きそばを食べ終わっていない」
「もう食べ終わったじゃないか」
「次のカップ焼きそばを食べている」
「何個食べるんだ」
「詩音さんの問題が解決するまで」
「……まさか心配してるのか」
「心配していない。カップ焼きそばが好きだ」
「そうか」
「そうだ」
「……ありがとな、加賀」
「礼は要らない。カップ焼きそばを食べているだけだ」
治安維持部隊が来た。
「またお前の女関係か、雅紀」と舞花。
「違う。今回は俺、被害者なんだって」
「つまり"勝手に隷属してきた女子"ね」と朱音。
「そうなんだよ。ほんとに呪いレベルで——」
「また後始末する羽目になるのか」と朱音。
「朱音、イヤホンを外した」と準。
「うるさいと言っている」と朱音。
「外したんだから聞いてくれてる」
「聞きたくないが聞こえた。それだけだ」
舞花が雅紀を見た。
「私の弟として、けじめをつけなさい」
「……姉貴、それ一番効く」
「効くとわかってて使ってる」
「使い方が上手いな」
「上手くないと弟は動かない」
「俺、そんなに動かないか」
「動かない。でも車の話をすると動く。だからお前はわかりやすい」
「わかりやすくていいのか悪いのか」
「いい。わかりやすい人間は対処しやすい」
「褒め言葉として受け取れない」
「受け取らなくていい。動けばそれでいい」
詩音が呼び出された。
舞花が真正面に座った。
「望月詩音さん。隷属という言葉の意味、わかってる?」
「はい。まーくんのためなら何でもします」
「それは隷属じゃなくて奉仕だ。隷属はもっと危ない概念だ」
「どう違うんですか」
「隷属は自分を消すことだ。奉仕は自分を保ちながら相手に向けることだ」
「じゃあ私は——」
「どちらも方向性として問題があるが、まあ、そういう話ではなく」
舞花が少し間を置いた。
「詩音さん、雅紀の何が好きなの」
「……まーくんがくれた。昔、チャリで空から降ってきて、私を助けてくれた。あれが好きだ」
「降ってきたのか」
「降ってきた」
「物理的に」
「物理的に」
「それが好きになった理由か」
「あと、ロータリーより私を好きでいてくれた時期があったから」
「今は?」
「今は13Bの次らしい」
「13Bの次か」
「2番目だって言ってた」
舞花が朱音を見た。
「2番目というのは走り屋的にはどういう評価なんだ」と舞花。
「2位は負けだが、0位じゃない」と朱音。
「0位じゃないから諦めないという論理か」
「そういうことになる」
「……詩音さん、家具にはならなくていい。シートにもなれない。壁紙はもっとなれない」
「じゃあ何になればいいんですか」
「普通にしていればいい」
「普通って何ですか」
「明治の文学部の1年生として、普通にしていればいい」
「普通では勝てない気がして——」
「普通で勝てないなら非常手段でも勝てない。雅紀は普通が好きだ」
「普通が好きなんですか」
「走り屋は普通の道を普通じゃない走り方で走る。普通の土台があって初めて走れる」
詩音が少し考えた。
「……わかりました。でも諦めません」
「諦めなくていい。でも家具にはなるな」
「なりません」
「食器棚にも入るな」
「入りません」
「壁紙にも——」
「なりません。全部なりません」
「それでいい」
夜。雅紀のアパート。
疲れ果てて帰ってきた。
「……俺、どうしてこうなったんだろうな」
スマホにLINEが来た。
加賀からだった。
「車にしとけ。車は裏切らない」
雅紀がスマホを置いた。
少し間を置いた。
「……RX-8、明日オイル交換しよう」
それが雅紀なりの「そうする」という返事だった。
ドォロロォォ……
エンジンのイメージが頭の中で鳴った。
13Bの音だった。
「……やっぱこれだな」
朱音がメモ帳に書いた。
「詩音:明治大学文学部1年、和泉キャンパスで一人でバグっていた。家具→シート→壁紙という方向性で服従宣言。舞花に呼び出されて"普通でいい"と言われた——諦めていないと言った。雅紀:加賀からのLINE"車は裏切らない"を受けて翌日のオイル交換を決意した——走り屋としての正しい対処法だと思う——記録しておく」




