それでもプロボックスは抜かせません〜商用車に宿る、最強の走り屋魂〜
深夜2時。
大黒PA。
横浜の夜景が、湾岸線の向こうに広がっていた。
工場の炎が海面に揺れていた。
加賀がセリカのドアを開けた。
「さて、今日は平和だったな。珍しく誰も爆発してない」
「フラグを立てるな」と雅紀。
「朔夜と瑞羽が来ていたが今日は静かだった……最高の日だった」と準。
「お前の平和の基準がおかしい」と細田。
「モフれた日が平和な日だ」
「それが人間の言う平和なのか」
「俺の言う平和だ」
「マジで首都高帰りの深夜ドライブ、テンションMAXYO」とマイケル。
全員が車に乗った。
大黒PAを出た。
湾岸線を西向きに走り始めた。
疲労と満足感のちょうど中間にいた。
走り出してから5分。
生麦JCTを抜けた。
横羽線に入った。
川崎の工場夜景が右手に流れた。
5台が縦一列で走っていた。
先頭が加賀のセリカ。
2ZZ-GEのエンジン音が、首都高のコンクリートに響いていた。
「……今日は空いてるな」と加賀。
「深夜2時だからな」と雅紀。
「深夜の首都高は別物だ」
「そうだ。信号がない。一定のリズムで走れる」
「走り屋の時間だ」
加賀がバックミラーを確認した。
後方に4台。全員ついてきていた。
「……今日はちゃんと走れた」
セリカのエンジンが、言葉に応えるように音を変えた。
ヴォォォン。
大師JCTを通過した。
羽田方面の高架が右に分かれた。
そのまま横羽線を北上した。
東品川。
芝浦。
汐留。
夜の東京湾岸が、窓の外を流れた。
「……綺麗だな」と準。
「首都高は夜が本番だ」と加賀。
「どこが好きですか、首都高で」とマイケル(無線で)。
「C1の江戸橋JCT前後だ」と加賀。
「なんで」
「左右に流れるS字が続く。タイヤの限界を探しながら走る。セリカとの会話が一番濃い場所だ」
「詩的デスYO」とマイケル。
「詩的じゃない。物理だ」
銀座の出口が見えてきた。
そのまま通過した。
C1の都心環状線に乗る。
浜崎橋JCTを左に取った。
江戸橋JCTへ向かった。
江戸橋JCT手前。
左カーブ。
加賀がステアリングをわずかに修正した。
セリカの車体が路面を読んだ。
「……ここだ」
微妙な上り勾配と左カーブの組み合わせ。
首都高特有の、複雑な線形。
加賀がアクセルを踏んだ。
ヴォォォン。
2ZZ-GEが答えた。
「……いいな」
そのとき。
バックミラーに白い影が見えた。
「……ん」
白だった。
バンの形をしていた。
速かった。
「あれ、営業車じゃないか」と細田(無線で)。
「プロボックスか」と雅紀(無線で)。
加賀が目を細めた。
「……違う。あれは走ってる」
次の瞬間。
ドオォォォン。
白いバンが抜いていった。
音がした。
エンジン音ではなかった。
風切り音だった。
タイヤが路面を蹴る音だった。
残ったのは、ゴムの焦げる匂いだけだった。
「抜かれた、俺たち全員まとめて」と準。
「ワタシのレガシィ、ターボ付いてるYO」とマイケル。
「あいつ、トルクで押してやがる」と加賀。
「営業バンが首都高を走り屋的に走るとは」と雅紀。
「加賀、追うか」と細田。
加賀がアクセルを踏んだ。
ヴォォォン。
セリカが加速した。
江戸橋JCTを通過した。
神田橋。
竹橋。
白いバンは遠くなっていた。
「追いつけない」と加賀。
「シフトを落としても追いつけない」と雅紀。
「踏んでも踏んでも距離が離れる」と細田。
「なんで商用車に負けてるんだ」と準。
「重心が低いのか。違うだろ」
「積載ゼロ仕様だYO。軽量化済みだYO」とマイケル。
「積み荷を全部降ろして軽くした商用バンか」と加賀。
「それだけじゃない」と雅紀。
「何が違う」
「あの走り方——ドライバーが首都高を知り尽くしてる。どのコーナーで踏むか、どこでブレーキを離すか、全部わかってる走りだ」
加賀がバックミラーを見た。
白いバンはもう見えなかった。
「……やべぇな」
「やばいですYO」とマイケル。
「俺たちは埼玉の走り屋だ。首都高は川越街道じゃない」
「川越街道より複雑だからか」
「複雑というより——首都高には首都高の走り方がある。あのプロボックスはそれを知ってる」
熊野町JCTを通過した。
5号池袋線に入った。
板橋JCTが近づいた。
白いバンはまだ遠かった。
「……リアバンパーが見える。追いついてはいる」と加賀。
「でも縮まらない」と雅紀。
「TRDのステッカーがある」と細田(目を細めて)。
「TRD?」
「トヨタのモータースポーツブランドだ。あとにもう一個ステッカーがある」
「何と書いてある」
「……農協」
全員が沈黙した。
「農協?」と準。
「農協だ。TRDと農協が並んでる」
「……農業とモータースポーツの融合体だ」と加賀。
「農協の営業バンがTRDのチューニングを入れて首都高を走ってるのか」と雅紀。
「そういうことになる」
「……日本文化、深いですYO」とマイケル。
「深い」と加賀。
戸田南の出口が近づいた。
白いバンが、そこで首都高を降りた。
あっという間だった。
料金所のゲートを抜けた。
そのまま一般道に消えた。
加賀が速度を落とした。
「……降りた」
「追うか」と雅紀。
「降りない。俺たちは川越に帰る」
「……」
「あれは首都高の住人だ。俺たちの場所じゃない」
5台が、そのまま首都高を北上した。
外環道との接続を過ぎた。
首都高を降りた。
国道17号に出た。
「……負けたな」と雅紀。
「負けた」と加賀。
「認めるのか」
「事実だから認める」
「悔しくないか」
「悔しい。でも——あれが本物の"働くクルマ"だ」
「働くクルマ?」
「毎日走る。荷物を積んで走る。首都高を知り尽くして走る。俺たちはまだ遊びの域を出ていない」
「加賀も遊びなのか」と細田。
「俺も遊びだ」
「走り屋は遊びなのか」
「走り屋は趣味だ。あのプロボックスは仕事だ。仕事で鍛えた腕は趣味で鍛えた腕より厚い場合がある」
「……認めたくないが、そうかもしれない」と雅紀。
「認めていい。負けを認めた走り屋は次に勝てる」
「次に勝てるのか、プロボックスに」
「わからない。でも——追いかける理由ができた」
「農協の配送ドライバーを追いかける走り屋か」と準。
「そういうことになる」
「……面白い話だ」
「走り屋の話はだいたい面白い」
「そうだな」
川越に入った。
川越街道を走った。
加賀のセリカが先頭だった。
「……今日はよかった」と加賀。
「何がよかったんだ」と雅紀。
「首都高を走った。プロボックスに抜かれた。悔しかった。それがよかった」
「悔しいことがよかったのか」
「悔しいということは、まだ上があるということだ。上があるということは、まだ走れるということだ」
「……走り屋の論理だ」
「走り屋だから」
「そうだな」
ヴォォォン。
2ZZ-GEが、川越の夜に響いた。
E塔裏の駐車場に戻った。
5台が並んで止まった。
エンジンを切った。
静寂が来た。
「……帰ってきたな」と加賀。
「帰ってきた」と雅紀。
「プロボックスはどこを走ってるんだろ」と準。
「首都高を走ってる。今もたぶん走ってる」と加賀。
「仕事で走ってるのか」
「仕事で走ってる。深夜も走ってる。農協の荷物を積んで、首都高を走ってる」
「……かっこいいな」と細田。
「かっこいい」と加賀。
「俺たちよりかっこいいか」
「今夜の俺たちより、かっこいい。でも——明日また走れば追いつける」
「明日また走るのか」
「走る。走り屋だから」
「そうだな」
朱音がメモ帳に書いた。
「プロボックス事件:大黒PA発、横羽線→C1→5号池袋線のルートで走っていた白いプロボックスに全員まとめて抜かれた。TRDと農協のステッカー。積載ゼロ仕様・軽量化済みと推測。加賀:"あれが本物の働くクルマだ。俺たちはまだ遊びの域を出ていない"と言った——走り屋として認めた発言として記録しておく」
「首都高ルート記録:大黒PA→生麦JCT→横羽線→銀座→C1→江戸橋JCT→神田橋→熊野町JCT→5号池袋線→戸田南(プロボックス降りた)→外環道付近→国道17号→川越——正確なルートを記録しておく」




