関越ナイトラン 〜合法と違法のはざまで〜
金曜の夜。
時計の針が23時を指したとき、E塔裏の地獄コンテナには、珍しい空気が漂っていた。静かな緊張感、とでも言うものだ。
「……よし。準備できたな」
加賀練斗が立ち上がり、キーを握った。雅紀、細田、準、マイケルが順に頷く。
「今日の目的は一つ。合法の範囲で、最速を味わう」
「"合法の範囲"って、どこまでだ?」
「安全運転。だが――踏む時は踏む」
「つまりグレーゾーン全開じゃねぇか」
ドアの前で舞花が腕を組んでいた。
「……あんたら、警察呼ばれる前に帰ってきなさいよ」
「もちろん。高速道路を法定速度で走るだけです」
「嘘をつくな目が泳いでる」
朱音が棒つき飴を口から外して言った。
「車壊したら、自腹ですからね。保険、深夜走行の自損はグレーですよ」
「うっ……」
「命あれば問題ナッシング!!」とマイケル。
「命なくなるパターンが一番怖いんだわ!!!」
集合場所:関越自動車道・三芳PA。
到着したのは23時45分。秋の夜のPAは、トラックの低いアイドリング音と自販機のモーター音だけが響いていた。外灯のオレンジ色の光の中に、5台が並んだ。
赤いセリカ。黒いRX-8。銀のノートNISMO。白いフィットGD3。ネイビーのレガシィBH5。走り屋漫画のワンシーンのような5台――のはずが。
「……なぁ」と加賀。
「痛車のまま来るのやめねぇか?」
よく見ると全員、文化祭の痛車ステッカーが残っていた。
「今さらだろ。俺の"こなた"が剥がれないんだよ。フィットのボンネットに永遠に住んでる」
「俺の"初音ミク"は闇夜に映えてる。これはこれで戦略だ」
「俺の**"狐耳天使号"、光るんだよ**」
「それ一番やべぇよ!!!」
準のノートNISMOの狐耳ステッカーが、PAの照明に反射してうっすら光っていた。なんの技術かわからない。
AM0:10。
「……いくぞ」
加賀がキーを回した。ヴォン……ヴォォォン。
5ZIGENのPro Racerが夜のPAに低く響く。冷えた空気の中で音がよく通る。
雅紀がRX-8のエンジンをかけた。ギュルルルルン……。ロータリー独特の高い回転音が、他の4台の低音と混ざる。
マイケルのレガシィが続いた。ドォン……シュポンッ!!
「マイケル、いきなり煽るな」
「ウォームアップ・セレモニー!!」
「そんなセレモニーはない!!!」
加賀がギアを1速に入れ、静かにクラッチを繋いだ。セリカが動き出す。5台が、一列になって関越道の本線へ流れ込んだ。
深夜の関越自動車道。交通量はほとんどない。路面は銀色に光っている。加賀はステアリングを握りながら、スピードを上げた。
ヴォォォォン――。
5ZIGENの排気音が伸びる。6速に入れるとエンジンが少し落ち着き、ロードノイズが前に出てくる。
アスファルトの微妙な起伏、橋の継ぎ目を越えるときの一瞬の浮遊感。
「……やっぱ夜の高速、最高だな」
雅紀の声がトランシーバーに流れた。
「トンネル入る!!」と細田。
「うわVTECの音やっっば!!!」
関越のトンネルはよく響く。5台のエキゾーストが壁に反射して、音が重なって戻ってくる。
(このスピードの中で、何かが研ぎ澄まされる。日常の雑音が全部、後ろに置いていかれる)
三芳を過ぎ、川越、鶴ヶ島。5台の列は乱れなかった。同じ方向へ流れていく列は、まるで連なった流星みたいだ。
「こういうのを"走り屋らしい"って言うんだよな」と準。
「ケモ的には?」
「ケモ的にも、群れで走るのは本能」
「俺たちをケモ扱いすんな!!!」
そのとき。雅紀の声が、少しだけ硬くなった。
「……おい。後ろ。なんか速ぇの来てる」
加賀がルームミラーを見た。ヘッドライトが二つ。距離の詰め方が、普通じゃない。
「Z34だ。ノーマルじゃない。車高落ちてる」
フェアレディZが、ぐんぐん近づいてきた。そして――バンパーギリギリの距離でパッシングした。
「煽ってる!!」
「挑戦状カ!?!?」とマイケル。
「バカやめろ!! 今日は走行会じゃない!!!」
Zが右車線に出て、並んだ。20代後半くらいの男が、ニヤッと笑ってアクセルを煽った。ドォォォン!!
雅紀が笑った。
「……ちょっと踏んでもいいっすか?」
「ダメだ」
「はい」
5秒後。RX-8が、吠えた。
ギュィィィィィン――!!!!
13Bの音が夜の関越に解き放たれた。三角形のローターが高速で回転する、鋭い金属音。RX-8がZと並んだ。
「雅紀! 抜くな!!」
「抜いてない!! 並んでるだけ!!!」
「その言い訳が一番危ねぇんだよ!!!!」
マイケルのレガシィが右に寄った。
「ワタシも並ビタイ!!」
「並ぶな!!! 台数増やすな!!!!」
Zのドライバーがさらに笑い、アクセルを深く踏み込む。Zが前に出た。雅紀が一瞬だけ、右足に力を込めた――。
「全員!! 次のPAで止まれェェェ!!!!」
加賀の怒鳴り声が、トランシーバーに炸裂した。
嵐山PA。
5台が順番に滑り込んで、エンジンを切った。ボンネットから熱気が立ち上る。
「……バカが。ほんとに踏みやがって」
加賀がため息をついた。
「いや、あのZに煽られたら……ついテンション上がって……」
「上がるな!!」
「VTEC我慢した俺を褒めて」と細田。
「よく我慢した」
準がノートNISMOのドアに寄りかかって言った。
「……Zのドライバー、最後どうなった?」
マイケルが親指を立てた。
「去り際にサムズアップして行った! 仲間!!!」
「仲間じゃねぇよ。ただの煽り運転だろ」
そこへ、加賀のスマホが光った。呉福造からLINEだ。
『夜の関越走ってるバカども、誰だか知ってるか。お前らだよ。寝ろ』
「……バレてる」
「なんで知ってんだ!!!」
「聞かない方がいいな」
帰り道。練馬方面へ。
5台が、今度はゆっくりと流れていく。準がトランシーバーに言った。
「……なんかさ。こうして走ってると、現実忘れるよな」
誰も笑わなかった。
「就活とか」
「課題とか」
「単位とか」
「燃費とか」
「最後それかよ!!」
加賀はステアリングを握りながら、東京の夜景を見ていた。
(今が、たぶん、一番楽しいんだろうな)
卒業したら、こんな夜は来なくなる。社会人になったら、深夜に5台で高速を走ることはできない。
加賀はアクセルを、少しだけ踏み込んだ。セリカが、夜を切り裂いた。
深夜2時半。E塔裏帰着。
5台が一列に並んで停まった。冷えていくエンジンが、ピキピキと鳴いている。
誰も車から降りようとしなかった。しばらく全員が、ドアを開けたまま夜空を見上げていた。
「……今日、誰も壊れなかったな」
「奇跡だ」
「青春だったな」
「ノープロブレム!!」
笑い声がE塔裏に響いた。加賀は最後に車を降りながら、セリカのルーフに手を置いた。まだ少し温かかった。
(また走ろう。もっと遠くまで)
翌朝。グループLINEにメッセージが一件。
送信者:一ノ宮雅紀。
『夜中の走行後、RX-8のオイル量確認したら若干やばいかも』
加賀が返信した。
『何回目だ』
雅紀が返信した。
『4回目』
『呉さんに連絡しろ今すぐ』




