ロータリー頂上決戦 ―13Bの系譜―〜燃えろピストンレスの魂〜
夜。呉自動車のピット。
雅紀がRX-8のボンネットを開けていた。
黙々とオイルを交換していた。
呉がタバコをくわえながらレンチを回していた。
「おい雅紀、聞いとけ」
「……なんすか、福造さん」
「同じ13Bっちゅうても、RX-7とRX-8は別モンや」
「……知ってますよ」
「わかってるのと聞いとくのは違う。聞け」
「……聞きます」
呉がタバコを一口吸った。
「7の13B-REWは戦闘用エンジンや。ツインターボでブーストをかけて、命を削るタイプ。あれは速さを求めて生まれた。最初から戦闘のために設計されとる」
「……」
「対して8の13B-MSPは哲学用や。走るより"回す意味"を考えさせる。NAやから限界まで自分で回す。誤魔化しがきかない。全部自分の腕と車の会話だ」
「……」
「わかるか、違いが」
「……わかります。でも——」
「でも?」
「俺は雄星先輩のFDに勝ちたいんす」
呉がタバコの煙を吐いた。
「戦闘用に哲学用で勝つつもりか」
「そうです」
「無茶だな」
「無茶でも走ります」
呉がレンチを置いた。
「……言うようになったな、お前も。ほな行け、ロータリー馬鹿二号」
準が横から言った。
「一号は雄星先輩ですか」
「いや、一号は俺や」
全員が止まった。
「呉さんがロータリー馬鹿一号なのか」と準。
「ワタシ知ッテタYO」とチャイワット(工場の隅でYBR125を磨いていた)。
「チャイワット、なんでここにいるんだ」と雅紀。
「タイムカードの打刻ミスデス。まだ勤務中デス」
「ちゃんと帰れ」
「ハイ。デモ今夜ハ面白イコトアリソウデス」
「面白いことはない」
「アリマスヨ」
「ない」
「アリマス」
「……」
「ワタシ、見届けマス」
深夜2時。荒川沿い。
白いFDと黒いRX-8が、並んで信号待ちをしていた。
ヘッドライトが荒川を照らしていた。
アイドリング音が2つ、重なっていた。
「……あのRX-8、まだ動くんだな」と雄星。
「整備士と仲がいいので。ロータリーに祈りは欠かせません」と雅紀。
「言うじゃないか。信者が立派な僧侶になったか」
「まだ修行中っす」
「修行中の僧侶が俺に挑む、か」
「挑みます」
「なんで」
「俺のロータリーがまだ生きてることを——誰かに見せたいんじゃなくて、自分で確認したいんです」
「自分で確認したい?」
「13Bと俺がちゃんと繋がってるか。走りで確認する。それだけです」
雄星が少し間を置いた。
「……詩音の件は関係ないのか」
「関係ない。詩音さんは関係ない。ロータリーの問題です」
「そうか」
「そうです」
「わかった」
「はい」
信号が青になった。
「じゃあ行くか」と雄星。
「行きます」
ドォォォン。
13B-REWが唸った。
キュィィィン。
13B-MSPが吠えた。
二つのロータリーが、荒川沿いを走り始めた。
遠くの橋の上。
S・H・Bが並んでいた。
「ロータリー二重奏、耳が幸せで死ぬ」と準。
「聖歌だよこれ、マジで聖歌」と細田。
「エイト、姿勢が安定してるYO。FRバランスで勝負してるYO」とマイケル。
「加賀、どっちが速いと思う」と準。
「REWとMSPの比較か」
「そうだ」
「条件による。ストレートはREWが速い。コーナーはMSPが粘る。結局は乗り手だ」
「乗り手ならどっちが」
「わからない。でも——雅紀は今本気だ。本気の走り屋がどこまでやれるかは走らないとわからない」
「それが答えか」
「走り屋の答えは走りだ。見てればわかる」
そのとき。
チャリが来た。
「ワタシ実況するYOォォ」とチャイワット。
「チャリで並走するな」と加賀。
「並走シテナイデス。並走ハ車線同士デス。ワタシハ歩道デス」
「歩道でも深夜に自転車で荒川沿いを走るな」
「ダイジョウブデス。YBR125より速イカモシレナイデス」
「遅い」
「デモ実況シマス」
「するな」
「シマス」
チャイワットが走り続けた。
「FDがストレートで引き離したYO。でもエイトが食らいついてるYO。コーナーでブレーキング、ドリフト入れたYO。マサキィ、やるじゃないカァァァ」
「実況してるじゃないか」と加賀。
「シテマス」
「するなと言った」
「デモ面白イデスYO。聴キタクナイデスカ?」
「……まあ、聴く」
「デスYO。ワタシノ実況、悪クナイデスYO」
「悪くないとは言っていない」
「デモ聴イテルデスYO」
「……聴いてる」
荒川の橋。
エンジン音が止んだ。
FDとRX-8が、橋の上で並んでいた。
「……っはぁ」と雅紀。
「……やるじゃないか」と雄星。
二人とも、しばらく息を整えた。
「負けたと思ってないんですか」と雅紀。
「負けてない。でも——お前のエイトに追われた。ちゃんと追われた」
「引き離されましたけど」
「ストレートはな。コーナーは別だ。お前のブレーキングドリフト、綺麗だったぞ」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。聞かせろ、何があった」
「何が、とは」
「走り方が変わった。前会ったときより重さがある」
雅紀が荒川を見た。
夜の荒川は、暗かった。
水の音だけがした。
「……ロータリーの本質は、回転じゃなくて、執念だと思うんです」
「執念?」
「壊れるたびに直して、焼けるたびにオイルを足して——それでも回し続ける。その執念がロータリーの本質だと思う」
雄星が少し間を置いた。
「……いい答えだな」
「高校のときは答えられなかったです」
「今は答えられる」
「今は答えられます。それだけ走ったんで」
「そうか」
「そうです」
雄星が夜空を見た。
「……お前、ロータリー狂だわ。詩音が惚れるのも無理ないな」
「やめてください、それ」
「なんで」
「詩音さんの話はもう終わってます。今はロータリーの話だけしたい」
「わかった。じゃあロータリーの話をする」
「聞きます」
「引き分けだ」
「……引き分けですか」
「そうだ。勝ちでも負けでもない。今日はそれだけだ」
「……わかりました」
「でも——また走ろう」
「また走りますか」
「もちろんだ。引き分けは決着じゃない」
雅紀がRX-8のステアリングを握った。
「……また走ります」
「そうしろ」
ドォロロォォ……
FDが動き出した。
キュィィィン……
RX-8が動き出した。
二つのロータリーが、深夜の荒川を離れた。
チャイワットが橋の欄干にもたれて言った。
「……イイハナシデスネ」
「実況しながらいい話と言うな」と加賀。
「デモイイハナシデスYO」
「それは認める」
「走り屋って、イイデスYO。ワタシ、バイク乗リデスケド——同じ気持チアリマス」
「バイクも同じか」
「同じデスYO。壊れるタビに直して、走り続けルノハ——バイクモ車モ同ジデスYO」
加賀が少し間を置いた。
「……そうだな」
「ワタシ、チャリデモ同ジデスYO」
「チャリは違う」
「同ジデスYO」
「エンジンがない」
「脚力がエンジンデスYO」
「……まあ、そうかもしれない」
「デスYO」
翌朝。呉自動車前。
「で、結果は」と呉。
「引き分けっす」と雅紀。
「そうか。まあ——勝ち負けより、回し切ったかどうかがロータリーの本質や」
「……回し切りました」
「そうか」
「REWに追いつけませんでしたけど」
「追いついたら終わりやな」
「え?」
「追いついたら、もう走る理由がなくなる。追いかけ続けるから走れる。それがロータリーの本質や」
雅紀が少し間を置いた。
「……呉さん、哲学者ですね」
「整備士や」
「整備士の言葉が毎回哲学なんですが」
「車を見てると人間がわかる。それだけや」
準が横から言った。
「呉さん、一号はホントに呉さんなんですか、ロータリー馬鹿」
「当然や。俺のFCは今でも動く」
「FCも持ってるのか」と細田。
「持ってる。表には出さんがな」
「なんで出さないんですか」
「出すと面倒なことになる。お前らがうるさくなる」
「確かにうるさくなります」と細田。
「だから出さない。でも——走るぞ、たまにな。深夜に一人で」
加賀が呉を見た。
「……呉さんも走り屋なんですね」
「当然や。整備士が走り屋じゃなくてどうする」
「そうですね」
「お前らに負けんぞ、まだ」
「負けません」
「そうやな。じゃあまた走りに来い。いつでもな」
雅紀がRX-8を見た。
朝日が、黒いボディに当たっていた。
マフラーから、かすかに白煙が上がっていた。
「……ありがとな、エイト。昨日はよく走ってくれた」
「セリカに話しかけるな、と言ったが——エイトには話しかけていいのか」と加賀。
「走り屋は自分の車に話しかける、って言ったのは加賀だぞ」
「……そうだな」
「加賀もセリカに話しかけてるんだろ」
「……話しかける。深夜に一人のときだけだ」
「俺は昼間でも話しかける」
「それは多い」
「多くていい。ロータリーはそういうものだ」
「そうか」
「そうだ」
朱音がメモ帳に書いた。
「ロータリー頂上決戦:引き分け。雅紀:"ロータリーの本質は執念"と言った。雄星先輩に認められた。呉:"ロータリー馬鹿一号は俺だ"と言った——FCが今でも動くと言った。深夜に一人で走ると言った——呉福造、走り屋として記録しておく」
「チャイワット:チャリで実況した。"バイクも車も壊れるたびに直して走り続けるのは同じ"と言った——走り屋の定義に近いことを言ったタイ人として記録しておく」




