SNSの特定班より元カノの執着心の方がだいぶ検索精度が高い
翌日の放課後、埼玉中央総合大学・6棟裏。
コンテナハウスの部室の最も暗い隅っこに、毛布を頭から被ったひとつの「山」があった。
時折、ヒッ、ヒッ、と過呼吸気味の呼吸音が漏れ聞こえてくる。
「……抜いた。ヒューズは抜いたぞ……」
毛布の中から、一ノ宮雅紀のうわ言のような声が響いた。
「エイトのオーディオ用ヒューズを完全に引き抜いた……! これで呪物CDは二度と回らない……詩音の呪詛も……俺の耳には届かないんだ……!」
「雅紀」
加賀練斗がセリカの窓ガラスをマイクロファイバークロスで拭きながら、容赦のない現実を突きつけた。
「オーディオの回路は室内灯およびパワーウィンドウのECUと連動している。ヒューズを引っこ抜いたせいで、お前のエイトは窓が五ミリ開いた状態で固定されているぞ。今夜雨が降れば、助手席のジャンクアンプごと水没だな」
「水没の方が百倍マシだァァァッ!!」
雅紀が毛布を跳ね飛ばして絶叫した。
「水没なら乾かせば直る! だが詩音の怨念は乾かしても直らない! 俺の魂が永遠にカビ生えるんだよォォォッ!」
「落ち着きたまえ、雅紀」
パイプ椅子に優雅に腰掛けた鈴木準が、温かい紅茶の湯気をくゆらせた。
「過去の情念の亡霊に怯える姿、まるで冬の気配に怯えて巣穴の奥で震えるシマリスのようだね。だが、所詮は過去の遺物だ。CDが手元にあるというだけで、彼女本人がここに現れるわけでは――」
ピロン……。
静かな部室に、間の抜けた電子音が響いた。
雅紀のスマホの通知音。
――ピロン。ピロロン。ピロンピロンピロンピロンピロンッ!!
突如として、スマホがマシンガンのような勢いで狂ったように振動し始めた。
机の上でガタガタと激しく踊るスマートフォン。
雅紀の顔から、完全に血の気が引いた。
「ひ……っ!?」
恐る恐る、震える指先で画面をスワイプする雅紀。
ロック画面を埋め尽くしていたのは、緑色のメッセージアプリの通知の嵐だった。
【望月 詩音:雅紀くん】
【望月 詩音:昨日、車の中で私のCD聴いてくれたよね?】
【望月 詩音:懐かしかった? 私の声、ちゃんと届いた?】
【望月 詩音:新座の大学にいるんだね。写真見たよ♡】
【望月 詩音:今もエイトに乗ってくれてるんだ。嬉しいな……嬉しいな嬉しいな嬉しいな】
「ぎゃああああああああああああああッッッ!!」
雅紀の魂の絶叫が6棟裏を引き裂いた。
スマホをまるで熱した鉄板のように宙へ放り投げ、部室の壁に激突して頭を抱える。
「なんでだァァァッ!? なんで知ってんだよ!! 昨日俺たちが新座のハードオフでCD見つけて再生したこと、なんであいつがリアルタイムで把握してんだよォォォッ!!」
「オーウ……」
その時、部室の奥から、マイケルが青い目を激しく泳がせながら手を挙げた。
「ミスター雅紀……ワタシ、もしかしたらスモール・ミスを犯したかもしれないデース……」
「……あ?」
雅紀が、鬼のような形相でマイケルを振り返る。
「オゥ……昨日、ハードオフのパーキングで、雅紀のエイトとワタシのレガシィのツーショット写真を撮って……『JDM最高デース! 新座でヴィンテージCD発掘ナウ!』って、ハッシュタグ付きでX(旧Twitter)にポストしちゃったデース……」
「貴様ァァァァァァァッッッ!!」
「あ、あの雅紀先輩!」
さらに葵人が、おずおずと手を挙げた。
「僕も……マイケル先輩のポストを引用して、『雅紀先輩のRX-8から高校時代の元カノの呪物CDが出てきて大爆笑です! 部室でエンドレス再生中!』ってリツイートしちゃいました……位置情報付きで……」
「戦犯はお前たちかァァァァァァッッッ!!」
雅紀の怒号が炸裂した。
パイプ椅子を蹴倒し、マイケルと葵人の胸ぐらを同時に掴んでガクガクと揺さぶる。
「情報漏洩のレベルが国防上の危機だよ!! なんでよりによって一番知られたくない相手にフルオープンで現在地と実況を配信してんだバカヤロウッ!!」
「ふむ……素晴らしい検索能力だね」
準が感心したように顎に手を当てた。
「わずかなハッシュタグと背景の看板、そして後輩の軽率な投稿から、瞬時に愛する者の居場所を特定する執念……。まるで雪原に残された一滴の血痕から獲物を追跡する飢えた狼の嗅覚だ。まさに現代のサイバー・プレデターだね」
「感心してないで俺の命を救えェェェッ!!」
その時、再びスマホが震えた。
今度は別の相手からの通知。
画面に表示された名前に、雅紀の呼吸が完全に止まった。
【望月 雄星】
「……ゆ、雄星先輩……!?」
恐る恐るメッセージを開く。
『よう雅紀、元気か? なんか詩音が「雅紀くんが私を呼んでる!」って部屋で奇声を上げててさー。ちょうど今度の日曜、仕事で埼玉の方行くから、お前の大学に寄ってやるよ。俺のFD、新しいオリジンのエアロ組んだから見せてやる。じゃあ日曜な』
「兄貴まで来るのかよォォォォォォォッッッ!!」
雅紀はその場に崩れ落ち、アスファルトに頭を擦り付けた。
「終わった……。逃げ場がない……。詩音だけじゃなくて、あの元凶の男までやってくるなんて……!」
「望月雄星……」
加賀が腕を組み、記憶の引き出しを探るように目を細めた。
「工学部ではなく経済学部出身で、今は都内の広告代理店に就職したという、あのOBか。白の後期型RX-7(FD3S)に乗っている」
「そうだよ!」
雅紀は涙目で叫んだ。
「俺が高2のとき、雄星先輩のFDの助手席に乗せられたんだよ! シーケンシャルツインターボが炸裂した瞬間、『雅紀、これがロータリーだ。ピストン運動に囚われた愚民どもには見えない宇宙がここにあるぞ』って悪魔の囁きを吹き込まれたんだ! あの人のせいで俺はロータリー狂いになってこのエイトを買う羽目になったんだよ! そしてそのせいで――!!」
「……詩音さんに、『雅紀くんはお兄ちゃんのエイト(FD)に私を奪われた』と認識されたわけだね」
準が静かに話を継いだ。
「車への嫉妬が、兄への対抗心と混ざり合い、歪んだ愛の執着へと変貌した……実にギリシャ悲劇的な構造だ」
「解説はいいからシェルターを用意しろ!!」
雅紀は猛然と立ち上がると、加賀のセリカのリアゲートに飛びついた。
「加賀! 俺をセリカのトランクに隠せ! 日曜の夕方までここから一歩も出ない!」
「断る」
加賀は雅紀の鳩尾に正確な前蹴りを叩き込み、セリカから引き剥がした。
「セリカたんのラゲッジスペース(容量二百四十七リッター)に、脂ぎった男の生体バラストを積むなど言語道断。サスペンションのスプリングがヘタる。今すぐ離れろ」
「命よりスプリングが大事かァァァッ!?」
「あ、あの雅紀先輩!」
葵人が申し訳なさそうに提案する。
「僕の実家の離れなら、畑のど真ん中なので誰も見つけられませんよ! 日曜日はそこで身を隠しますか!?」
「お、おおっ! 葵人、お前……!」
雅紀の瞳に一筋の希望の光が宿る。
「ただし、日曜日は母が一日中母屋で演歌の練習をしてますし、僕も離れのモニターで『らき☆すた』のキャラソン全曲耐久配信を爆音で流す予定ですけど大丈夫ですか?」
「精神が壊れるわ!!」
逃げ場はない。
その事実を証明するかのように、雅紀のスマホに、詩音からのトドメのメッセージが着信した。
【望月 詩音:日曜日の午後二時。そっちの駐車場に行く】
【望月 詩音:逃げたら……雅紀くんの実家のベランダに登るから】
「実家のベランダまで把握されてるぅぅぅぅぅぅッ!!」
雅紀は白目を剥いて卒倒した。
「……フッ。観念しろ雅紀」
加賀は工具箱を片付け、冷徹な瞳で見下ろした。
「男ならば、自らが引き起こした因縁……ロータリーへの信仰と、女の執着には正面から決着をつけろ。セリカたんの前で無様な逃走劇は見苦しい」
「お前らは他人事だからそんなカッコいいこと言えんだよォォォォォッ!!」
夕暮れの埼玉中央総合大学。
逃げ場を失った哀れなロータリー乗りと、彼を沼に引きずり込んだ元凶の兄、そして狂気の愛を燃やす元カノ。
運命の日曜日まで――残された時間は、あと四十八時間だった。




