ハードオフの青箱は男のロマンと元カノの怨念が眠る墓場
埼玉中央総合大学・6棟裏。
前回の「エコラン選手権」で全財産の千八百円を失い、死刑囚のような顔をしていた一ノ宮雅紀が――なぜか今日は、獲物を狙うスナイパーのような鋭い眼光でコンテナハウスの部室に現れた。
「おい、加賀。工具箱とテスターを持って今すぐ車に乗れ」
「断る」
加賀練斗はセリカのリアタワーバーのボルトをトルクレンチで確認しながら、即答した。
「今日のセリカたんは、午後の大気圧の低下に合わせてスロットル開度の同調を取り直す予定だ。お前のくだらない日常に付き合っている暇はない」
「くだらなくない! 重大ミッションだ!」
雅紀は胸ポケットから、クシャクシャになったチラシを広げた。
「ハードオフ新座店に……入ったんだよ。『青箱』が」
「青箱?」
パイプ椅子で『らき☆すた』のファンブックを読んでいた細田葵人が顔を上げた。
「葵人、知らないのか」
雅紀は眼鏡を光らせる(かけていないがそんな気迫で)と、人差し指をビシッと立てた。
「ハードオフの店舗の片隅に積まれた、あの青いプラスチックコンテナ……通称『ジャンク青箱』。それはな、動作未確認、コード千切れ、ネジ欠品、埃まみれの電化製品たちが、『ジャンク品・保証なし』の札を貼られて投げ売りされている現代の魔境なんだよ!」
「要するにゴミ捨て場ですね」
「ゴミとは失敬な! 誰かに見捨てられた往年の名機たちが、再び電流を流される日を夢見て眠っている保護シェルターなんだよ!」
雅紀は熱っぽく語り出した。
そう、この男は心配性のリアクション芸人であると同時に、休日は朝霞や新座のハードオフを巡り、数百円で転がる壊れたオーディオ機器を直すことに快感を覚える重度の「ジャンカー」であった。
「八〇年代のパイオニアのグラフィックイコライザーがジャンクコーナーに五百円で入荷したっていうタレコミが入ったんだ! スペクトラムアナライザー……あの音の周波数に合わせて、緑やオレンジのLEDインジケーターが激しく上下に踊るあの光景! あれをエイトのインパネに組み込むのが俺の長年の夢なんだよ! 千円札が一枚あれば買える!」
「……先週千八百円失って瀕死だった男の台詞とは思えんな」
加賀は呆れ果てて息を吐いたが、工具箱をカチャリと閉じた。
「まあいい。配線ショートでエイトごと炎上されてはS・H・Bの面汚しだ。監視役として同行してやる」
「よし! 葵人も準もマイケルも行くぞ! ジャンクの深淵を見せてやる!」
――三十分後。ハードオフ新座店、ジャンクコーナー。
「オゥ! ディス・イズ・クレイジーデース!」
店内に響く独特のBGMの中、マイケルが青いコンテナの山を見上げて目を丸くしていた。
「フロア一面、ジャンクの海! アメリカのガレージセールを彷彿とさせるデース!」
「ふむ……」
鈴木準は、埃をかぶった古いカセットデッキを指先でなで、灰色の瞳を細めた。
「かつて誰かの青春のメロディを紡ぎ、そして時代の波に置き去りにされた機械の残骸たち……。まるで群れからはぐれ、荒野で風化した老いた獣の骨のようだね。実に物悲しく、詩的だ」
「あ、準先輩! このカゴ、九〇年代のアニメの短冊CD(8cmCD)が五十円で山積みになってますよ! ああっ、このジャケットのこなたちゃん、超レアです!」
「葵人君、それはアニメイトで買いなさい」
銘々が勝手に散会する中、雅紀は一人、白手袋を装着して青箱の前に跪いていた。
その目つきは完全にプロの目利きである。
ガサゴソとコンテナの底を漁り、目当てのブツを引きずり出した。
「あった……! パイオニアの車載イコライザー、ハイダラーEQ-400! 値札には『通電確認のみ、音出ません、ツマミ一個欠品・八百八十円』……勝った! これなら直せる!」
「おい雅紀」
横から覗き込んだ加賀が、冷徹に基板の隙間を指差した。
「スリットから見える電解コンデンサ、完全に頭部が膨らんで液漏れしているぞ。ハンダクラックも三箇所はあるな。直すにはコンデンサの全交換と基板のパターン修正が必要だ。部品代で千五百円、お前の時給を考えれば大赤字だな」
「直すプロセスそのものがプライスレスなんだよ! ハンダゴテの煙を吸いながら生き返らせる瞬間の脳汁がたまらんのだ!」
「変態だな」
「お前にだけは言われたくないわ!!」
結局、雅紀は八百八十円をレジで支払い、満面の笑みで戦利品を抱えて大学へ戻った。
――午後四時。6棟裏・第2駐車場。
雅紀のRX-8の助手席ドアは全開にされ、インパネ周りのパネルがバラバラに外されていた。
加賀の的確なハンダ付け指導のもと、コンデンサを打ち替え、配線をギボシ端子で処理したイコライザーが、センターコンソールの空きスペースに美しく収まる。
「よし……! ACC電源、イルミ電源、アース接続完了! あとはスピーカーラインの割り込みだが……ん?」
コンソールの奥深くに腕を突っ込んでいた雅紀の手が、何かに引っかかった。
「痛っ……なんだこれ。カーペットの裏の隙間に、何か挟まってるぞ……?」
「前のオーナーが落とした小銭か?」加賀が問う。
「いや、プラスチックの薄いケースだ……よっと!」
ズボッ、と引っ張り出されたのは、年季の入った一枚のCD-Rだった。
経年劣化でプラスチックケースは黄ばんでいる。
しかし――その盤面を見た瞬間、雅紀の顔から血の気がサーッと引いた。
「…………っ!?」
盤面には、細い黒の油性ペンで、文字通り狂気じみた密度で、びっしりと文字が書き殴られていた。
ルーペがなければ読めないような極小の文字で、盤面を埋め尽くす無数の言葉。
『雅紀くんへ♡ ずーっといっしょ。私以外の女を見たら絶対に許さないからね。雅紀くんの爪も髪も全部私の宝物だよ。愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる――』
「ひっ……!!」
雅紀の喉から、蛙が潰れたような悲鳴が漏れた。
ガタガタと両手が震え、CDケースがアスファルトへポロリと落下する。
「……雅紀? どうした、急に幽霊でも見たような顔をして」
加賀が眉をひそめてCDを拾い上げた。
「なんだこの盤面は。フォントサイズ三ポイント相当の微細な手書き文字……。工学的な図面の注記でもここまでの密度は書かんぞ」
「す、捨てろォォォォォッ!!」
雅紀が絶叫した。
「今すぐ新座市の一般燃えるゴミの袋に入れて焼却炉に叩き込め! それか呉さんの工場の万力で粉々に粉砕しろ!!」
「誰の文字だ」
「詩音だよッッ!! 高校のときの元カノだよォォォッ!!」
「「「「元カノ!?」」」」
部室から出てきた準、葵人、マイケルの声が揃った。
「おや……雅紀にも女性と交際していた過去があったのかい?」
準が興味深そうに目を細める。
「雅紀先輩、彼女いたことあるんですか!? すごいじゃないですか!」
「すごくない! 全然すごくない! あの女はヤバいんだ! 高校のとき、俺がRX-7に乗ってるあいつの兄貴(雄星先輩)に憧れて車の話ばっかりしてたら、愛と執着が音速を超えてメンヘラ化して、毎晩のように自作のポエムがLINEで十万文字送られてくるようになって――!!」
「オーウ! ノスタルジック・ラブストーリーデース!」
マイケルが屈託のない笑顔で、加賀の手からCD-Rをひょいと奪い取った。
「ジャパニーズ・ハイスクール・メモリー! レッツ・リスニング・青春のサウンドデース!」
「やめろマイケル入れんなァァァッ!! そいつは呪物だ! 再生したら死人が出るぞォォォッ!!」
カシャン。ウィーーン。
雅紀の必死の制止空しく、CD-Rはエイトの純正スロットへと無慈悲に吸い込まれていった。
――カチッ。
雅紀が修理したばかりのパイオニアのイコライザーに、緑とオレンジのLEDがパッと点灯する。
そして。
車内のスピーカーから、ざらついたノイズとともに、不気味なほど静かなアコースティックギターのアルペジオが流れ始めた。
『……もしもし、雅紀くん?』
スピーカーから響いてきたのは、ウィスパーボイスの、甘く、冷たく、底知れぬ闇を孕んだ少女の声だった。
『今日も私のこと、ちゃんと考えてくれた……? ううん、知ってるよ。雅紀くん、放課後もずっと車の雑誌見てたでしょ? ……お兄ちゃんのRX-7ばっかり見てないで、私を見てよ。私、雅紀くんのためなら何でもするよ。でもね、もし雅紀くんが私を裏切ったら……雅紀くんのその綺麗な手足を切り落として、私の部屋のクマのぬいぐるみに縫い付けるからね……♡』
――ザッ、ザザッ……ピピッ……。
「…………」
沈黙。
秋の夕暮れの第2駐車場に、氷点下の風が吹き抜けた。
その沈黙の中、エイトのインパネでは、雅紀が苦労して直したスペクトラムアナライザーが、
怨念のウィスパーボイスの周波数(六十ヘルツから百二十ヘルツの低音域)に合わせて、
ピコピコピコッ! と実にリズミカルに、軽快にLEDを上下させていた。
「……雅紀」
加賀が厳かに口を開いた。
「お前の修理の腕は見事だ。呪詛の低周波成分が、コンマ五ミリの狂いもなく正確にイコライザーに視覚化されている。完璧な工学の勝利だな」
「スペアナの精度を褒めるなァァァァァッッッ!!」
雅紀は頭を抱えて発狂した。
「イジェクト! イジェクトボタン押せ! 吐き出せこの悪魔のディスクをォォォッ!」
雅紀が爪が折れんばかりの勢いでエジェクトボタンを連打する。
だが――ガガッ、ガリガリッ……ウィーーン……。
エイトのCDスロットは、悲しげなモーターの空回り音を立てるだけで、ディスクを吐き出そうとしなかった。
「……あ」葵人が呟いた。
「八〇年代のCDデッキ特有の、ピックアップローラーのゴムベルト劣化によるメカ詰まりですね」
「このタイミングで壊れるんじゃねえええええええええええッ!!」
『……逃げられないよ、雅紀くん♡ ふふっ、あははははは……』
車内を満たすリピート再生の笑い声。
雅紀は「助けてくれぇぇぇぇ!」と叫びながら、頭から地面に突っ伏して動かなくなった。
「……なんと重厚で湿度の高い情念だろうか」
準がスケッチブックを開き、感極まったように溜息をついた。
「愛が怨念へと昇華し、内燃機関の奥底で永遠のループ再生を刻む……。これは最早、車載型地縛霊の美学だね」
「ポエムにしてる場合かァァァッ!!」
夕闇が迫る6棟裏。
修理されたスペアナの妖しい光と、スピーカーからエンドレスで流れる元カノの呪詛に包まれながら、雅紀の叫び声はいつまでも新座の空に響き渡っていた。
そして――この呪われたCDの発掘が、
さらなる破滅の使者を呼び寄せる引き金になるとは、この時の雅紀はまだ知る由もなかったのである。




