細田の実家に凸ろう ~農道の王者と、黒ニットの魔女~
「おい細田。さっきからステアリングを握る手が小刻みに震えているぞ。そんなに俺たちを実家に連れて行くのが嫌なのか」
国道を逸れ、街灯よりカカシの方が多い農道を走りながら、加賀練斗がセリカの運転席から隣の細田を見た。バックミラーには、雅紀のRX-8、準のノートNISMO、マイケルのレガシィが連なっている。
「嫌に決まってますよ。俺の実家は、この大学のどんなカオスよりも理解不能な場所なんです。特にお袋は、俺のVTECへの情熱をゴミ出しのルールと同じレベルでしか考えていない」
その後ろを走るノートの車内では、準が田んぼを見て目を輝かせていた。
「素晴らしい大自然……。野生の狐耳っ娘が稲穂の陰で待っているかもしれない。俺のケモナー・センサーが反応してるよ。今すぐ車を止めてくれ」
準がドアノブに手をかけた瞬間、無線機から加賀の怒声が響いた。
「降りるな準! ただの不審者として地元の広報誌に載るだけだぞ!」
やけに手入れの行き届いた、築五十年は経過している巨大な農家の屋敷に到着した。
庭の隅には錆びついた耕運機や用途不明の鉄クズが山積みされている。
「着きました。家の中では絶対にオーバーレブしないでください。特にマイケルさん、英語禁止です。お袋の脳がショートします」
玄関の引き戸が静かに開いた。
「葵人、おかえりなさい。急にどうしたの?」
現れた女性を見て、加賀、雅紀、準、マイケルの四人は呼吸をするのを忘れた。
そこに立っていたのは、身体のラインが強調されるタイトな黒のVネックニット。四十歳という実年齢を完全に無視した瑞々しい肌と艶やかな黒髪。腰の位置が異様に高く、しなやかな曲線を描くスタイルは二十代後半と言われても疑いようがない。
細田の母、細田常子である。
「またそんな格好して」と細田が露骨に嫌そうな顔をした。「もっと年相応の地味な格好はできないのかよ。近所の人が勘違いするだろ」
「あら、葵人。せっかくお友達を連れてきたのに冷たいのね」
常子は不敵な笑みを浮かべ、加賀たちの方へ歩み寄ってきた。ニットの隙間から漂う高級な石鹸のような香りが、男たちの理性をじわじわと削っていく。
「初めまして。葵人の母、常子です。この子の飼い主の方々はどなたかしら?」
加賀は慌てて背筋を伸ばした。
「あ、初めまして。工学部の加賀練斗です。葵人くんには、いつも大学で、その、お世話をされています」
「あら、やっぱり飼い主さんだったのね。手がかかるでしょう? 昔から一人じゃ何もできない、可愛いだけのぬいぐるみみたいな子だから」
「やめろよお袋! 変なことを言うな!!」
「OH... BEAUTIFUL!! ユーの美貌、マジでハイオク級デス! 日本の農家には女神が住んでいるんですか!?」
マイケルが常子の手を取ろうとすると、細田が間に割って入った。
「マイケルさん騙されるな! この人は見た目だけだ! 息子のプライバシーを粉砕する破壊神なんだから!!」
細田の部屋に案内された一行は、再び言葉を失った。
壁一面の「らき☆すた」に「デ・ジ・キャラット」に「SPOON SPORTS」のポスター。山になった「ドリフト天国」「option」「オーバーレブ」。机下のの半分を占拠する自作パソコン(Core i9 と GeForce RTX 3060搭載のSSD 1TB)と、なぜかデスクチェアーとして置かれたシビックEK9の純正シートだった。
「ここが俺の聖域、VTEC・メモリアル・ルームです」
雅紀が部屋の隅に置かれた卒業アルバムを発見し、不敵な笑みを浮かべた。
「細田葵人、十五歳……なんだこれ。髪型がキノコみたいだぞ。しかも持っているのは自作の段ボール製ウィング? お前、中学の頃から空力特性に悩んでたのか」
「見ないでください雅紀さん! それは俺の暗黒のダウンフォース時代なんです!!」
そこへ、お盆に乗せたお茶を持った常子が音もなく現れた。
「あら懐かしいわね。ね、加賀くん。加賀くんは葵人の趣味について、どう思う?」
常子が加賀の隣に、黒ニットの甘い香りを振りまきながら滑り込むように座った。
加賀は肩に当たる常子の柔らかい感触に心拍数を跳ね上がらせながら、畳の目を数えた。
「は。はあ……」
「ほら、葵人。お友達が来てくれたのよ。アルバムをみんなに見せてあげなさい。ねえ、あの写真も一緒に見せてあげれば? 修学旅行の」
細田の動きが、エンジンブローしたように完全に停止した。
「やめろお袋!! それを出していいのは家庭裁判所の中だけだ!!」
階下から、重厚なディーゼルエンジンの音が響いてきた。
巨大なコンバインに乗った男が現れた。日焼けした顔に白髪混じりの短髪。細田の父、細田鉄造である。
彼はコンバインを降りると、加賀のセリカの前に立ち、腕を組んでボディを凝視した。一周してから、タイヤを軽く蹴った。
「おい、葵人。この赤い車、どこのだ」
「加賀さんのセリカですよ、親父」
「ふん。二ZZか。ヤマハのヘッドだな。高回転まで回るいいエンジンだ。だが——」
鉄造が断言した。
「キャンバー角が甘い。これじゃあ泥濘地のコーナーでトラクションが逃げるぞ。俺のコンバインを見ろ。クローラ式の接地圧はアスファルトの理論を超越しているんだ」
「コンバインとセリカを比べるな親父! 走る土俵が違いすぎるだろ!!」
鉄造は息子を完全に無視して、コンバインのエンジンカウルを開けた。
農機具とは思えないほど磨き上げられた、不気味な輝きを放つディーゼルエンジンが鎮座していた。
「見ろ。これが俺の自慢の農業用・可変バルブタイミング機構だ。いわば、稲刈り界のVTECだよ」
「農業用VTECなんて言葉、クボタのカタログにも載ってないよ!!」
加賀が食い入るようにエンジンを覗き込んだ。
「これ、燃料フィルターを二重にしてますね。さらに冷却ラインにアルミのフィンを追加している。おじさん、自分でやったんですか」
鉄造の目が、一瞬だけ鋭く光った。
「ほう。気づいたか。埼玉の猛暑の下で十時間連続の稲刈りには純正では耐えられんからな。加賀と言ったか。今夜、俺のトラクターとお前のセリカで、あそこの直線、勝負するか?」
「するなと言っているだろ!! 加賀さんも身を乗り出さないでください!!」
細田の制止も虚しく、二人の男は熱い握手を交わした。
夜。細田家の居間で、全員が大皿の煮物を囲んだ。
宴は深夜まで続き、結局、鉄造が「コンバインのオイル交換を手伝え」と全員を夜中のガレージに連行した。S・H・Bの面々は懐中電灯を片手に、巨大な農機具のメンテナンスを強制的に手伝わされることになった。
翌朝。加賀たちは泥だらけの顔でセリカとレガシィに乗り込んだ。
「葵人、またいつでも帰ってきなさい」
常子がタイトなデニムで眩しい美脚を晒しながら、ビニール袋いっぱいの野菜をトランクに押し込んで言った。
「次は、青い髪の女の子(泉こなた のことである)のコスプレをして帰ってくるのよ。お父さんも私も、意外と楽しみにしてるんだから」
「二度と着ないし、二度と帰ってこないからな!!」
川越への帰り道。
「加賀くん。細田くんの家、最高だったね。常子さんのあの黒ニットの破壊力を思い出すだけで、今日一日の講義を耐え抜けそうだよ」と準が無線で言った。
「俺は二度と行かん。鉄造さんのトラクター・ターボ化計画の設計図を三時間も書かされた。あの人、農機具にブースト圧二・〇をかけようとしてるぞ。呉さんに止めるように言っておかないと、埼玉の農業が物理的に爆発する」
トランクから、常子がくれた大根が揺れるたびにゴトゴトと音を立てていた。
朱音がメモ帳に書き込む。
細田実家凸:戦果報告。
母・常子:超絶美魔女。黒ニットの破壊力、測定不能。息子からは嫌われているが本人は楽しんでいる。
加賀:細田の父と意気投合し、危うくトラクターのセットアップ担当にされかける。
準:柴犬に「尊い……」と囁いて不審者認定を受ける。
結論:細田の完成度の高い女装は、母・常子の歪んだ英才教育の賜物である可能性が百パーセントに達した。
追記:トランクの野菜は舞花先輩に千五百円で売却予定。




