加賀の従姉妹と加賀ハウスの危機
「いいか。今日は重大な私用がある。俺の家に来るな。もし玄関のチャイムを一回でも鳴らしてみろ。翌朝のミーティングで、お前らの車のECUをファミコン並みの低スペックに書き換えて、最高時速十五キロの動く粗大ゴミにしてやる。これは比喩ではない」
月曜日の放課後。E塔裏の駐車場で、加賀練斗はこれまでにない切迫した表情で仲間たちに釘を刺していた。
「加賀くん、そんなに鼻の穴を広げなくてもいいじゃないか。隠し事は良くないよ。新しいケモ耳ゲームでも買ったのかい」
「違う。とにかく帰る」
加賀は逃げるようにセリカに飛び乗り、タイヤを空転させながらキャンパスを後にした。
残った四人の目が、獲物を見つけたハイエナのようにギラリと光ったことに、彼は気づかなかった。
加賀の自宅、埼玉県朝霞市の平凡な一軒家。
玄関を開けると、そこには避けることのできない災害が待機していた。
「あ。加賀くん。お、おかえりなさい」
玄関マットの端に、申し訳なさそうに爪先を揃えて立っていたのは、従姉妹の百合川りりだった。
黒髪のふわふわとしたショートボブが、控えめな動きに合わせて小さく揺れる。大きな水色の瞳は、加賀の姿を見た瞬間にパッと明るくなったが、一秒後には激しい羞恥心に負けて俯いた。フリルがあしらわれた古風なブラウスの袖が、小さな手を半分ほど隠していた。
「ああ、リリか。久しぶりだな。夏休みか」
「うん。お母さんに、挨拶してきなさいって。ごめんなさい。邪魔、だよね。りり、すぐ帰るから」
「邪魔なわけないだろ。くつろいでろ。俺はガレージでセリカのタペット調整をやってくる」
「セリカ。かっこいいよね。……りり、見てても、いいかな」
リリは小刻みに頷き、捨てられた子犬のような足取りで加賀の後ろについてきた。
ガレージ。
加賀が2ZZ-GEエンジンのヘッドカバーを開け、作業に没頭し始めた。
リリは古タイヤの上にちょこんと座り、息を殺してその様子を見つめていた。
加賀がレンチを回すたびに、リリの瞳がキラキラと輝いた。
しかし平和は長くは続かなかった。
門扉が物理的な衝撃と共に吹き飛び、不吉な爆音が響いた。
「お邪魔するデーーーース!! USA!! 加賀の隠し子、査定しに来たヨ!!」
「加賀ァ!! 抜け駆けは許さんぞ!! 女子の柔軟剤の匂いを俺の13B型嗅覚センサーが感知したんだよ!!」
マイケル、雅紀、準、細田。
S・H・Bの四騎士が、ガレージに雪崩れ込んできた。
リリの全身の毛穴が収縮した。ヒッという短い悲鳴を上げると、加賀の背中にダイブし、ツナギの裾を力一杯握りしめて震え出した。
「なっ、お前ら!! 来るなと言っただろ!!」
「おい。なんだこれ。清楚。可憐。何より、この絶望的な表情。加賀くん、二次元からヒロインを召喚する禁忌の術を完成させたのかい」
準が眼鏡の位置をずらしながらリリを凝視する。
「違うわ!! 従姉妹のリリだ!! やめろ準、その変態の目を彼女に向けるな!!」
「OH... LITTLE PRINCESS!!」
マイケルが、高圧洗浄でも落ちきらなかった微かな光沢を放つ顔面を近づけた。
「ハーーイ!! リリ・チャン!! 仲良くするデス!!」
リリは、マイケルの光り輝く顔面を見て、ついに目から涙を零した。
「ごめんなさい。太陽が、喋った。加賀くん、助けて。太陽が、りりを食べに来たの」
「太陽じゃねぇよ!! 浄化に失敗したアメリカ人だ!! 離れろマイケル!!」
その頃、ガレージに放置していたセリカの5ZIGENマフラーが不完全燃焼のガスを吹き飛ばした。
「ひゃっっっ!!!!」
リリが飛び上がり、加賀の首に思い切りしがみついた。
「加賀くん、セリカさんが、怒ってる。りりが邪魔したから」
「違う! 燃調の狂いだ!!」
加賀は、自分の首に細い腕が回っている感覚に、初めてエンジンオイルの粘度以外のことに意識を奪われた。
顔がみるみるスーパーレッドに変色していく。
「ヘーーイ、カガ!! 顔が赤いデス!! 恋のブースト圧が一・五キロを超えたデスネ!!」
「うるさい!! 全員、明日タイヤの空気を抜いてバルブコアを側溝に捨ててやる!!」
結局、舞花に不法侵入の隠蔽費用として五千円をカツアゲされ、準にリリの泣き顔を和歌にしたいと粘着され、夜の二十時になってようやく嵐は去った。
夜、加賀の部屋。
布団に入ろうとした時、ドアがトントンと、アリの足音のような繊細な音でノックされた。
開けると、枕を抱えたリリが立っていた。パジャマはフリル付きの淡いピンク色だった。
「加賀くん。ひとりじゃ、こわい、んです。さっきの光るお猿さんが窓から入ってきそうで」
「マイケルは入ってこない。あいつ、見た目は不審者だが中身はただの物理学徒だ」
「でも、ここに、いてもいいかな?」
リリはスルスルと加賀の布団の端に潜り込んできた。
「狭いぞ、リリ」
「加賀くん、あったかい。セリカさんのエンジンの音みたい。安心する。りり、加賀くんが、すきだよ。セリカさんの、次に」
最後の一言は、寝息に混じって消えそうだった。
リリはそのまま一瞬で眠りに落ちた。
加賀は天井を見上げた。
明日、朱音や準にバレたら、自分の人生は全損扱いになる。
だが今の腕の中に伝わる小さな鼓動を、加賀は——悪くないセッティングだ、と感じてしまっていた。
翌朝、午前六時。
加賀の家の前で、朱音が無表情で呟いた。
「加賀くんの寝室のカーテンが五センチだけ開いています。室温の上昇を確認。純愛という名の、最大級の不祥事ですね」
隣で舞花が新しい電卓を叩く。
「加賀への口止め料、セリカの車検代三回分で手を打ってあげようかしら」
朱音がメモ帳に書き込む。
リリ:加賀の従姉妹。加賀の心臓の鼓動をエンジンの回転数として評価。
加賀:セリカの次に好かれた。完全に動揺している。
準:翌朝、加賀家のポストに麻呂眉の和歌を投函。リリを新たな恐怖に陥れた。
結論:加賀練斗の聖域は、フリルの付いた小さな手によって完全にオーバーホールされた。




