細田、メイドとして覚醒する ~適性という名の地獄~
「足りない」
榎本麻衣が眉間に深い皺を寄せてカウンターを叩いた。
「客が多すぎる。メイドが足りない」と凛。
二人の視線が、店の隅で椅子に座り「プロデューサー(笑)」を自称してニヤニヤメモを取っていた細田葵人に固定された。
「待ってください。俺は運営です。司令官が戦場に出てどうするんですか」
「地獄へ落ちろ」と準が潤んだ目で言った。
凛が音もなく細田の背後に回り、その首根っこを正確に捕捉した。
「座れ」
「はい」
三十分後。
カーテンが開いた。
加賀たちが、全員トレイを落とした。
そこに立っていたのは——肩まで届く柔らかな茶髪、少し垂れ気味の大きな瞳、華奢なシルエットに完璧に着こなされたフリルの衣装——奇跡的な完成度のヒロインだった。
細田葵人であって、細田葵人ではない何かだった。
「……誰だ、これ」と加賀。
「別人。というか、俺たちの知っている細田はどこの異世界に飛ばされたんだ」と雅紀。
「完敗だ。俺が一生懸命可愛さを追求したのに、無自覚なバカに十馬力以上の差をつけられた」と準。
「BORN FOR THIS!!」とマイケル。
「……適性、バグってる」と凛。
細田は手鏡をゆっくりと顔の前に持ってきた。
三十秒間、瞬き一つせずに自分を見つめ続けた後、目から一筋の涙がこぼれた。
「……可愛い」
自分自身への、恋慕に似た深い感嘆の声だった。
細田は客席へ向かった。ちょうど入店してきた男子学生が、扉の前で石像になった。
「お帰りなさいませ、ご主人様♡」
高く、澄み渡り、脳の奥まで直接届く、完璧な女声だった。
「……あ。俺、昔からアニメキャラの女声を完コピできたんですよ。こなたの声とか、つかさの声とか、ずっと一人で練習してたんで」
伏線回収。
オタクの情熱が、最悪の形で実を結んだ瞬間だった。
客の男子大学生は「萌え萌えキュン」の一撃をまともに喰らい、膝から崩れ落ちて「ありがとう……」と呟きながら息絶えた。
「格が違う」と準。「俺たちが一生懸命一速で走ってるところを、あいつは六速全開でドリフトしながら追い抜いた」
「プロだ」と加賀。「こんな化け物を飼っていたのか」
舞花が電卓を叩く指を止め、細田を一瞥した。
十秒間、完全に静止した後、瞳の奥に巨大な¥マークが浮かび上がった。
「……採用」
「何にですか」と加賀。
「私の経営するスキマバイト・マッチング・エージェンシーの、最優先派遣スタッフよ。細田。うちで働く気ない? 週末の二十四時間を全部売りなさい。時給は言い値でいいわ」
細田は、頬を染めて答えた。
「……はい。喜んで、舞花お姉様」
「待て!! 売られるな細田!! お前の魂はホンダのエンジンと一緒にあったはずだろ!!」
加賀が叫んだ。
「帰って来いよ!! 可愛いけど、お前は俺たちの仲間だろ!!」と準。
だが細田の瞳に宿った光は、もう以前のものとは違った。
「加賀さん。俺、見つけてしまったんです。VTECよりも速く、俺を加速させる何かを。フリルは、俺の新しいエアロパーツなんです」
翌朝。呉自動車。
加賀たちはメイクを落としてもらいに来ていた。
五人の前に、ダブルブリッジの眼鏡を光らせ、手には「大型船舶用・超強力塗装剥離剤」を持った呉福造が現れた。
「やかましいぞ。……だが、そのマイケルの顔面、ワシの工場の照明より明るいのが気に食わん。全員ピットに入れ。今から人間解体ショーの始まりだ」
その後の一時間の詳細は、記録上の理由から省略する。
あとでまとめると——細田は鉄板入りメイド服をプラズマ切断機で分解され、準は眉毛が更地になり(凛の特製墨汁型ナノカーボンインクは通常の洗浄では落ちなかった)、マイケルは三百気圧の高圧洗浄機でアスファルトの染みのように壁に貼り付けられた。
一時間後。全員がズタボロになって座り込んでいた。
「……終わったのか。俺たち、人間に戻れたのか」
加賀が震える指で自分の顔を確認した。
不機嫌な、しかし男臭い、いつもの加賀練斗がそこにいた。
「ああ、戻れたみたいだ。もう二度と、女装という名のニトロは使わない」
「走り屋はな、空腹の方が感覚が研ぎ澄まされるもんだ。行け、バカ共。ガソリンを燃やして、その腐った記憶を洗い流してこい」
呉が不器用な笑顔でシャッターを下ろし始めた。
加賀がセリカのキーを握りしめた。
朝日が、少し汚れたスーパーレッドを照らす。
「行くぞ野郎ども! 目的地は峠だ! 一番遅かった奴が今夜の呉さんへの唐揚げ棒、自腹だからな!!」
「「「「「おっしゃああああああああああ!!!!!!!!!!!!」」」」」
五台のエンジンが咆哮を上げた。
フリルの音ではなく、爆発の音。
彼らはようやく、埼玉中央総合大学の正史へと帰還した。
朱音がメモ帳の「メイドアーク・最終報告」のページに書き込む。
メイド遺産、完全剥離。
マイケル:高圧洗浄により人間へと再起動。肌のキメが逆に整いすぎた。
準:眉毛喪失により平安時代から強制退場。朔夜が額に落書きしようとしていたが保留。
細田:鉄板から脱出。適性は消えていない。
結論:バカは一皮剥けても、中身はバカのままであった。




