682話 彼女の望みです
「ここでの生活で足りないことはない?」
「ううん。食べる物も着るものも十分よくしてもらってるわ」
そこまで言ってから、何かに気付いたように口を噤んだ。
「どうしたの?」
私がしつこく聞くと、やっと話す。
「あのね、ロッテ婆が前に薬草のことを話したの覚えてる?」
カトリンが怪我をした時の事だろうか。
薫衣草の湿布を用意したっけ。
あの時も殴られた後が痛々しかった。
彼女の顔を撫でながら、こくりと首を縦に振る。
「あのね、少し……。ほんの少しよ? 本草家のことを知りたいなって……」
まるで好きな人の事を告白するかのように頬を赤らめている。
「まあ! カトリン。薬草の勉強をしたいのね?」
「うん。薬草ってお世話になった街の診療所でも、ここでも使っているの。ちゃんと知っておいたら、何かの時に便利かなって」
私は、少し感動していた。
目の前にいるこの女性は、自身の不遇に身を委ねて世を恨むでもなく嫉むこともなく前を見据えているのだ。
このままでも日々を過ごしていけるのに、学びたいなんて素晴らしい。
私の頭に1つの提案が浮かんでいた。
「ここでの生活に慣れたところだとは思うけど、他で働く気はない?」
「えっ?」
カトリンは戸惑っていた。
娼館しか知らなかった彼女がここに馴染むのも苦労したことだろう。
先程あんなに嬉しそうにここでの生活を語ってくれたのに、それを捨てろというのは酷である。
それは分かっているけれど、彼女に意欲があるのならば近道を示したい。
「ロッテ婆、どういうこと?」
「私くらいの知識でいいなら、本を読んで街の薬師に出入りすればすぐに身につくと思うわ。それならここで働きながらでも出来る。それでいいならすぐに手配しましょう。でも……」
「でも?」
「あなたが本格的な本草家を目指すと言うなら、その手伝いもできるわ」
飛躍しすぎかしらと心配したけれど、私の言葉にカトリンの瞳がキラキラと光った。
彼女は真白な雪なのだ。
「あたしが、本草家に……?」
鉱山で前に勉強を進めた時も、彼女の反応は悪くなかった。
学校へ行ってはなくとも、彼女には学習意欲があるのだ。
「修道女見習いとして薬草園で草花の世話をしながら勉強することも出来るの」
私は彼女の目を見て説明した。
「修道女見習いをしながら、薬草の勉強……」
「見習いなら何時でも俗世に戻れるのよ。辞める時は見習いだった期間の生活費を教会に納めなければいけないけれど、それは心配しないで。教会の戒律を守って暮らさなければならないから少し窮屈かもしれないけれど、薬草と共に季節を過ごして学ぶには一番の環境だと思うの」
通常、薬草園に配置されるまでに色々な手順を踏まねばならないけれど、それは絶対ではない。
貴族が気に入った修道士の為に教会内の融通をきかせるのありがちな話だ。
どの家門も教会との付き合いを考えて、一族の者を出家させていたりもする。
よくあるのは爵位を継げない末子や婚外子だろうか。
爵位を与えられなくとも、平民にするには忍びない親心や後暗い理由がそうさせる。
そんな時も、寄付さえ払えば一般的な段取りを飛ばして教会内で不自由ないように取り図られるのだ。
宗教に政治や私的事情が絡むのは褒められた話ではないが、どちらも人の営みなのだからそういうものだと割り切るしかない。
そして私は曲がりなりにも地母神教の聖女なのだから、カトリンがその気ならどれだけでもその地位を利用出来る。
「そのまま修道女になったらどうなるの?」
「生活費を払う必要はないし、普通の修道女と違って教会の本草学者として活動出来るわ」
「あのね。私……、実は本草家もだけど修道女になりたかったの」
私は驚いた。
娼婦が修道女になるのは、たまに聞く話だ。
年季が明けて自由になっても、行き場がない女達は沢山いる。
その中で教会の門戸を叩く者がいても不思議ではない。
でもそれは歳をとったり、街で仕事がない時だろう。
給金も出ず派手な生活も出来ないのだから、余程の事情がない限り選ぶ道ではない。
ましてやカトリンは若く、その美貌に傷はついてしまったけれどその肢体は豊かで健康である。
教会に入るのは勿体ないというものだ。
修道女と修道女見習いには大きな差がある。
これとそれとは話が別なのだ。
「悪い選択ではないけれど、まだあなたは若いのよ?」
「小さい子供のロッテ婆に若いなんて言われるの変な感じ」
笑いのツボに入ったのかカトリンはクスクスと笑っている。
「それは今関係ないでしょう? そうだ、あなたいい人はいないの?」
地元の交友関係や彼女の客から離して王都に連れてきたというのに、いい人はいないかなんて聞くなんて、少し支離滅裂かもしれない。
けれどそれほど私は焦ったのだ。
結婚も出産も機会があるかもしれないのに、それを無視して教会に入るのは勿体ないと思ってしまった。
それにしても先ほどの質問は、デリカシーも無くて世のおばちゃんそのものね。
反省しなければ。
自分の中のおばちゃん要素に苦笑するしかなかった。




