680話 成長です
「カトリン!」
救貧院の院長室で再会した私は、作法など関係なしに彼女に駆け寄って抱きしめた。
今はもう子供の身なので、彼女の胸が顔に当たる。
締まらないけれど、最後に会った時はあんな状態だったのだ。
朧水晶に侵食されて、青い血の気の失せた顔を今でも忘れない。
駆けよらずにはいられなかった。
久しぶりに見るカトリンは傷跡が痛々しいものの、それをのぞけば変わらず美しかった。
夜職の時とは違い少し日に焼けて健康的な肌色をしている。
甘ったるい香りをさせていたのが、今では石鹸の匂いに変わっていた。
酸化した安物の石鹸の匂いは、男を誘う香りよりも今の彼女に似合っている。
「シャルロッテ様、カトリンが驚いていますよ。まずはソファにお座りになって落ち着かれては?」
目を白黒させているカトリンを見て、ヨゼフィーネ夫人が助け舟を出した。
まだ私がロッテ・シャルルヴィルだとは思えていないのだろう。
戸惑いしかない表情だ。
「そうね。カトリン、こちらに座って」
私はカトリンを先に座らせて前に立った。
これなら鉱山にいた時のように、彼女を撫でられる。
「よく顔を見せてちょうだい。傷は痛む? お見舞いに行けなくてごめんなさい。私は王都を離れられなくて、こんな遠くまで連れてきてしまったけれど、不自由はしていないかしら?」
ここの仕事を斡旋したのは、彼女を売った家族から引き離す目的もあったが、一番は私が問題なく面会できるようにすることだった。
同じ王国内といえど馬車で何日も移動にかかるので、教会や王子の婚約者としての公務がある私は正当な理由がない限り軽々しく会いに行くことが出来ない。
その点、王都に移ってもらえれば庇護も出来るしこうやって面会も可能なのだ。
あのまま生まれた街に置いていては、世間ずれしていない無邪気なカトリンは実家に戻ってしまったことだろう。
そして早かれ遅かれどちらにしても身を切って稼いだ金は親に取り上げられ、どこかの娼館か下働きか、男やもめの後添いに売られることになっていたのだ。
彼女には申し訳ないが、療養中に両親の事を人をやって調べさせた。
残念なことに、本人の口から聞いた通り彼女は食うに困って売られたのではなかった。
彼らは彼女を金に換えて、随分と贅沢をしたようだ。
庶民にとっては降って湧いた大金で、何年かは好き勝手に暮らせたようだが、それも続くものではない。
金を使い切ると、次はカトリンのいる娼館を探し始めたそうだ。
更に借金を背負わせる為に。
幸か不幸か、金も伝手も知恵もない両親は自分の子供がどこに売られたか突き止める事は出来なかった。
そうして元の暮らしに戻ったが、贅沢を忘れられる訳はない。
彼らはことある事に、周囲の人にカトリンがどれだけ金になったかを自慢し、戻ってきた時はどこに売るのがいいだろうかと皮算用を洩らしていたという。
そんなところに美しさを損ねた彼女が戻れば、どんな目に会うかは火を見るより明らかだ。
期待外れになったことを散々なじって二束三文で売りに出されたことだろう。
その報告を受けた私は怒り、彼女の人生に介入する覚悟を決めた。
私は神様ではないし、人ひとりの人生を左右することが如何に傲慢であるかも理解している。
可哀想だからと知り合った全ての人間を助けることが出来ないことも。
だけれどひとりくらい、子供を金としか見ない親を持つ悲しいこの子の味方であってもいいではないか。
エゴだ贔屓だと言われるかもしれないけれど、それでいい。
私は私のわがままで、ヨゼフィーネ夫人に頼んで彼女を王都へと移したのだ。
そんな強行に及んだのは、アニーを黒い雄牛様に取り上げられてしまった事に対する怒りも手伝っていたのだと今ならわかる。
だけれど後悔はしていない。
私は彼女の頭と顔を撫でながら、カトリンに今の生活を質問する。
「……。本当に……、ロッテ婆なのね」
すりりと猫のように彼女は私の手に顔を押し付けた。
いつもの甘える時の仕草だ。
この撫でる手が、その動きが、私を彼女のロッテ婆なのだと証明したようだ。
カトリンは、震えながらしばし嗚咽した後、堰を切ったように泣き出した。
怪異との遭遇、自身の怪我や新しい生活に馴染むための努力、それらいろいろな事が降りかかり耐え抜いていた緊張の糸が今切れたのかもしれない。
ヨゼフィーネ夫人が静かに退室する音が聞こえる。
2人きりにしてくれたのだ。
こういう夫人のさり気ない気遣いがうれしい。
「ロッテ婆、助けてくれてありがとう。あの時ロッテ婆がいなかったら、私もあの男みたいになってたのよね? 本当にありがとう。あのね、あの後、何もかも変わったの。もう体を売らなくてもいいの。私、今ではひとりで買い物にいけるのよ。文字も少しずつ覚えてるの」
そのまま、新しい生活の報告と知らない土地でひとりでいる不安、そしてそれを上回る高揚を教えてくれる。
自分の成長を知って欲しいと、息をつく間もなく語ってくれた。




