676話 名も無き末裔です
あの蜘蛛の神アトラクナクアは名前が広がった結果、織物の神として隅に追いやられ細々とした信仰のみが残るだけだ。
悪徳の神は噛みつき男を世界に放ったけれど、その存在は見世物となり、劇や歌にされ、あまつさえ遊戯に使われてその恐怖を拭われた。
ではグールは?
私でも知る妖怪のような存在だ。
昔話では死体を盗もうとして失敗し、石持て追われ悲嘆にくれる存在。
人目を忍んで夜の墓場で、死体を啜る哀れな生き物。
力あるモノが人の手によって、なんてことのない幻想に成り下がったのだ。
なんて罪深い所業だろう。
でも、そうしなければ人は繁栄出来なかったのだ。
なんて利己主義な生き物だろう。
神にも匹敵する存在を、ここまで貶めてしまったのだ。
だけれど、私達は脆弱で愚昧な生き物だから。
だからこそ未来を信じて他者を貶めてでも、足掻いて進んできたのかもしれなかった。
グールの支配を恐れて、その真の名を探るのに幾多の命を犠牲にしたのだろう。
そして口伝で広めながらその力を削いだ結果が、ぐーちゃんだったのだ。
自身の名も無くして鉱山妖精と自身を同一に捉える曖昧な存在に成り果てた、かつての神話の生き物。
それは悲しい事だけれど、憐れんではいけないのだ。
彼は優しく頼りになる人で、決して不幸ではないのだもの。
「そう、名前が広がっただけでなく、物語を通して哀れな生き物だと定義して浸透した結果、彼らを崇める人々は、ほんのひと握りとなって大幅に力を減らしたんだ」
それでも屍食鬼の存在に触れた人は、その神秘を知り信者となるのだろう。
「大昔に交わった彼奴等の血筋は只人となり、今では人と全く変わらない存在になったものの、その子孫は『グール』と近付き時を共にすれば、眠っていた力が目覚めてまた『グール』になると言うわけなのだよ」
人類の何パーセントに「グール」の因子が潜在しているのかは誰にもわからない。
1パーセントかもしれないし、もしかしたら80パーセントかも。
「グール」がなりふり構わずその眠れる因子を起こそうとすれば、人の世は終わる可能性だってあるのだ。
だけれど彼らはそうしなかったのだ。
人として生きて「グール」となっても、きっと人であった記憶がそうさせなかったのだと信じたい。
「では、『グール』を探して保護をという事は難しいのでしょうか」
獣人だと思っていたぐーちゃんや、その仲間が不遇であるのならなんとかしなければという気持ちは失せてはいなかった。
だけれど、ギルベルトの返事はその難しさを私に示した。
「うーん、例えばだよ? 君はその『グール』なる者達を保護して、まあ彼らが保護させる気があるかは別だけれどね。そう、保護したとして、人の死体を彼らに提供出来るのかい? それとも君は死体を食べてはいけないと、彼らの文化を取り上げるのかい?」
言葉に詰まってしまった。
そんな事、私は出来なかった。
自分の家族が死んだとして、その死体を食事として与えられるか。
答えは否だ。
そんな事は耐えられない。
では、身元の分からない死体ならば?
裏町の悪漢達ならば?
引き取り手のない死刑囚は?
どれもこれも否である。
よしんば自分が死んだら、必要ならばこの体を差し出す事はしてもいいと思う。
ただ、それを私の家族や友人を悲しませることになるのならば、撤回してしまうだろう。
偽善的で傲慢な自分が浮き彫りになる。
簡単に保護をと言ったものの、私には覚悟がなかったのだ。
人とは違う生き物であることを実感する。
そもそも、保護だなんて思い上がりもいいところだ。
「これ、ギルよ。あまり主を虐めるでない」
ダンプティが私の背中をぽんぽんっと叩いて慰めてくれた。
力無く笑う私をみてギルベルトは少しバツが悪そうな顔をしたけれど、そもそもこれは私が悪いのだ。
「まあ、彼らは彼らで人の世を渡る術を持っているし、助けを必要としていないと思うんだよ」
「そうですね。私が浅はかでした」
「まあ友人について知見を得たことはいいことではないかい?」
「そう言う事にしておきますわ」
「ほら! お茶を入れ直してもらいましたよ! この菓子は私も好きなんですよ」
ザームエルが気をきかせて、お茶を勧めてくれた。
この人、そこほど甘い物は好きじゃないのに。
一時、館に滞在していたのだから好みくらいは知っているけれど、それを口に出すのは野暮というものだった。
「冷める前にいただきましょうか?」
そう水を向けると、一旦話題は打ちきってザームエルの当たり障りのない最近の流行の話が始まった。
ここにいる彼以外、ギルベルトもダンプティも私も、流行を気にする人間ではないのに。
それでも大人しく聞いているのが、なんだかおかしかった。
ぐーちゃんの正体がわかったのだものね。
悪い事ではないのだ。
彼が何であっても友人、そう家族同然なのだもの。
ふと、あの洞窟を抜けた先の林の中で、人の頭皮のようなものを見た事を思い出していた。
ぐーちゃんはあれを「ぐーうのごはん」と呼んでいた。
そういうことだったのだ。
あの時言っていた「こぼうと」も、今思えば鉱山にすむ妖精のコボルトの事だろう。
彼は自分をコボルトでもあると思っていたのね。
良い性質を持つという妖精のコボルトであると。
するすると彼の取ってきた不可解な言動が解けていくようだ。
知らないよりも知った方がいい。
こうして理解できるのだもの。




