673話 3人組です
「ぐーう? そんな獣人の種族はないはずだけどな?」
ギルベルトが首を傾げながらそう答えた。
「そんなはずは……。確かに『ぐーう』といっていたんです」
自粛中のある日の午後、学者が助手とダンプティを連れて面会に来てくれた。
面会というよりは、今回の件の事情聴取という方が正しいかもしれないけれど、この面子だ、遊びに来たような感じである。
「息災であったか? 我が主よ」
ダンプティは、いつも通りふんぞり返って少年らしからぬ挨拶をした。
「ほら、ダン。こういう時、君くらいの子ならこんにちはでいいんだよ」
「む! 我は、我が主が達者であったか知りたいのだが?」
戸惑う少年に、助手のザームエルが優しく諭している。
「じゃあ、お元気ですかとか、変わりはありませんかと尋ねればいいんだよ」
そんな2人をお構い無しに、ギルベルトが話し出した。
「やあやあ! お嬢さん。うん、今度は人形じゃないね?」
私の顔を覗き込んで、ジロジロと観察する。
相変わらずのようだ。
「その節は、お世話になりましたわ」
「堅苦しい挨拶は無しで! さあ、鉱山について、いろいろ話したい事があるんだろう? 洗いざらい聞かせてもらうよ」
少々興奮気味の学者を、助手が窘める。
「おい、ギル。もうちょっと言い方と言うものが……」
「主よ! この者らには世話になっておるのだ。良くしてやってくれ」
何とも騒がしい一団だ。
3人はすっかり打ち解けている様子であった。
打ち解けて、というのは語弊があるかもしれない。
学者と子供はその通りなのだけれど、ザームエルはまるで世間知らずな2人の保護者と言った方がいいかもしれなかった。
ザームエル・バウマー。
最初は虚栄心の強い嫌な人だと思っていたけれど、今ではギルベルトの人生に欠かせない存在だ。
彼は社交性と野心を持って学会で足場を固めてきただけあって、視野が広く博識でもある。
専門分野以外の世事には疎いギルベルトにぴったりの人材であった。
語学に強いので他国の文献を読み解く時の頼もしい味方にもなっている。
昔と違い今では学問にも前向きであるし、なにより世話好きだったのが幸いした。
ダンプティはその出自から少々時代錯誤な言動が目立つので、周囲との軋轢を生む事もしばしば起こしている。
かねてから面倒見の良い大人に、そばにいてほしいと思っていたのだ。
保護者のチェルノフ卿も常識人ではあるけれど、少し浮世離れしたところがあるし、何より本人が忙しく精力的に活動しているので子供のことにまでは手が回らないようだ。
本人曰く、痩せた分を早く取り戻さなければとの事である。
豊満で触り心地のいいあのお腹が戻ってくるのは私も賛成なので邪魔をしたくない。
ダンプティはチェルノフ卿が相手だと、口うるさい兄弟を相手にするような態度で、苦言もあまり身につかないようだった。
そういう状況であるので、いい指導者を探していたのだけれど、この態度なのでなかなか難航していたのだ。
その点、一般人の常識を正しく持つザームエルはうってつけであった。
仕事だけでなく食事を楽しみ睡眠をきちんととり、時間に遅れない。
一見簡単な事だが、誰しもが出来るとは限らない。
そしてギルベルトのスケジュールのみならず、生活の管理までしているのだ。
不精者の息子を心配していたヨゼフィーネ夫人の心労は彼のお陰で随分軽くなったといえよう。
それに加えて子供の世話までとなると少々心配になったが、苦でもないようだ。
適材適所というが、彼の才能がこんな形で輝くとは本人も思っていなかっただろう。
なにより、この3人は知識欲の僕、学究の徒である。
象牙の塔の住人という共通点は、3人の精神的な繋がりを強くしてくれているようであった。
神話生物に魅入られ研究するギルベルトの元に、神話の生物であるダンプティが通うのはある意味自然な事かもしれなかった。
ダンプティは成り立てとはいえ、チェルノフ卿の知識の一部も引き継いでいるし、その方面の知識は深い。
元々は私の元で顔を合わせるくらいだったのだけれど、今回の件でギルベルトとダンプティは急速に近付き、そのままザームエルとも親しくなったという訳だ。
何事もパズルのようにピタリと当てはまるところに落ち着くものなのだと、3人を見ていると思えてならなかった。
私は真っ先に鉱山で手助けをしてくれたぐーちゃんの話を切り出した。
アニーとぐーちゃんの足取りを知る為にも、王国見聞隊の力が必要だ。
彼らなら、シュヴァルツ男爵邸を探る事も可能なはずだ。
その顧問であるギルベルトに、協力してもらわなければ。
それにぐーちゃんの仲間の獣人が他にもいて、人里離れたところでひっそりと身を隠して暮らしている可能性もある。
だとしたら獣人の保護も呼び掛けたかった。
それなのにこの学者は「ぐーう」という種族は存在しないというのだ。
そんな事があるはずがない。
彼は頑なに「獣人」とひとまとめにされることを嫌って、「ぐーう」であると主張していたのだもの。




