056 再戦
――甘い匂いが、俺の鼻腔を擽る。
壁に寄りかかって座っていた俺が立ち上がると、未練があるように白い手が俺の身体を掴んだ。
俺はそのまま立ち上がり、無言で自分の装備を確認していく。
その側で、ふぅ――と小さな溜息をついた美女が、仕方なさそうに衣服の乱れを正した。
「陽が傾いている。
――護符まで行くぞ」
俺がそう声を掛けると、少し気怠そうな赤毛の美女――シルヴィアが、ゆっくりと立ち上がった。
彼女は床に敷いていたローブを手に取り、埃を払いながら身に纏う。
「――ケイ」
俺の名を呼んだシルヴィアは、俺の腕を抱え込んで頬に唇を寄せる。
「あと少し――頑張るわ」
俺は微笑みを返すと、シルヴィアと共に次の階層を目指して歩き始めた。
二階層分ほどある階段を上ると、そこは大きな広間になっており、傾いた外光が眩しいぐらいに入り込んでいる。
部屋の正面中央には、祭壇らしきものが作られていた。
俺はその祭壇に近づくと、祭壇の上に置かれた箱を慎重に開ける。
「――指輪?」
「――みたいね」
そう言えば豹男からは、護符がどのような形状のものなのかを、具体的に聞けていなかった。
勝手にお守りのようなものを想像していたのだが、祭壇の上に置かれた銀製の指輪以外に、それらしきものは見あたらない。
「取りあえず、これを持ち帰るか」
「そうね。
折角だから、一個ずつ持って行く?」
そう言ったシルヴィアの顔は、妙ににこやかだ。
何が“折角だから”なのかは、考えないようにしておこう――。
俺は指輪を二つとも手に取ると、若干不満げなシルヴィアに帰還の魔法陣を用意するように伝えた。
「沢山、話さないといけないことがあるわね」
シルヴィアの言葉に、俺は闘いの後の出来事を思い起こして、少し困った表情をした。
それを見たシルヴィアが笑いながら言う。
「心配しないで。グレイスとセレスに、そんなこと言えるわけないじゃない。
でも――クルトを倒したことは報告しなきゃね?」
「――そうだな。
じゃあ、さっさとこの試練とやらを片付けて、シルヴィアの活躍を伝えることにしよう」
俺は内心ホッとしながら笑いかけると、シルヴィアと共に帰還の魔法陣を発動させた。
帰還の魔法陣によって、俺とシルヴィアは一瞬で試練の塔の入り口まで転移する。
既に陽は傾いている時間だ。
試練の塔の庭園は、赤く色づき始め、朝とは全く違った表情を見せていた。
「――おや、戻ってこられたようですね」
正面から、豹男の声が聞こえてくる。
豹男は塔の正面に留めた馬車に寄りかかり、審判の双斧の手入れをしていたようだ。
「すまない、みんな待たせたな」
俺がそう声を掛けると、馬車から離れたところにいたグレイスとセレスティアが、少し小走りに近づいてきた。
俺はそのまま豹男の方へ歩いて行くと、彼に二つの指輪を差し出す。
豹男は手入れ中だった審判の双斧を資産にしまうと、俺の手から指輪を受け取った。
「これで間違いないか?」
俺の声に、豹男は指輪をつまみ上げる。
「――確かに、護符で間違いありません。
ご無事に戻って来られて、何よりでした」
にこやかに豹男が回答した。
すると、その指輪を横から見ていたグレイスが、微妙なツッコミを入れる。
「指輪が護符なのですか?」
それに豹男はニヤリと笑いながら答えた。
「ええ。
元々試練の塔は、この国の貴族が結婚相手に対して勇気を示し、結婚を認めて貰うための“証”を取ってくる場所ですから。
なので、単に魔物が出てくるだけではなく、様々趣向を凝らした試練になっていたはずです。いかがでしたか?」
その答えに何故かグレイスが、若干ムッとした表情になった。一方のシルヴィアは終始笑顔だ。
何となく思い返してみると、試練というよりは、何かのアトラクションのような場所だった気がする。
ただ、容易に進める場所と、難所とのバランスは最悪ではあったのだが――。
俺はそれを踏まえて、豹男に若干吐き捨てるように言った。
「魔石像や迷路はいいとしても、名前付きはやり過ぎだ。
それに、走り幅跳びまでさせられたしな。
あんなのでこの国の貴族は、ちゃんと護符まで到達できるのかい?」
ところが俺の言葉に、豹頭は訝しげな表情になった。
「名前付き? 走り幅跳び――?
何のことでしょうか?」
「――え?」
顔を見合わせた俺とシルヴィアに、豹頭が詳しく説明してくれた。
それによると、帯状に床が無い場所――つまり、俺が行動加速を掛けてジャンプした場所は、部屋の隅の魔法陣を破壊すれば魔法が使え、簡単に進むことができたらしい。
名前付きの呪魔人形に至っては、本来は攻撃を防御しながらそのまま次の階層に向かうもので、倒すことは想定していなかったようだ。
「は、ははは――」
「あらら――。
あたしたちが、勝手に難易度を上げてただけなのね」
俺もシルヴィアも、さすがにこれには苦笑する。
「――そうそう、忘れちゃいけない“大事なこと”が一つあった」
俺が気を取り直してそう言うと、豹男は素直に反応を返してきた。
「おや、何かございましたか――?」
変わらず笑みを絶やさない豹男を見ながら、俺は彼の目の前に右手の拳を突き出す。
「さて――。
あんた、殴られるのは右頬がいいか左頬がいいか、どっちだ?」
その不穏な発言に、豹男が一瞬固まる。
だが、それを聞いていたグレイスは、俺の発言が意味しているところを即座に理解したようだ。
驚きで目を見開いたまま、俺にそれを確かめようとする。
「ケイ、まさか“魔人”が――」
俺はそれに応えるように言った。
「その、まさかさ。
試練の塔に“魔人”がいたら、あんたを一発殴る約束だっただろう?」
豹男は、それを聞いて、再び笑みを浮かべながら口を開く。
「塔の中で本当に魔人に遭遇されたのですか。
ですが、無事に戻られたということは、その魔人は――?」
俺はシルヴィアの方を見て、彼女の発言を促した。
シルヴィアは、セレスティアとグレイスの顔を見てから発言する。
「現れた魔人は、あいつ――クルトだった。
厳しい闘いだったけど、何とかケイとあたしで倒せたわ。
ここまでずっと追いかけて来たけど――やっとクライブの仇を討つことができた」
その発言に、セレスティアとグレイスの顔が再び驚きに染まる。
「あのクルトを――」
セレスティアの言葉を引き継ぐように、グレイスは優しい笑顔でシルヴィアに言った。
「とうとう、成し遂げたのですね」
「――ええ」
それに応えたシルヴィアの顔は、ある種の感慨に満ちている。そして――その目は、少し潤んでいるようだった。
グレイスは、緩やかにシルヴィアの身体を抱きしめると、シルヴィアの耳元でそっと呟く。
「こう言って良いのかどうか、判りませんが――。
――おめでとう、シルヴィア」
夕焼け空を背景に、重なる美女の影が、長く長く、美しい庭園に伸びていた。
豹男は抱き合うグレイスとシルヴィアを見届けながら、仕方なく観念したように俺に言う。
「さてと――。
お約束した以上は、それを守らない訳にはいきませんね。
私は、右でも左でも構いません。お好きな方をどうぞ」
俺はそれを聞いて、そのまま殴りつけるような仕草を取ったが、豹男の頬に触れることなく腕を降ろす。
俺はニヤリと笑って、豹男に言った。
「折角の権利なんだが、俺はその権利をセレスティアに委任することにした」
そう言われて、それまで完全に話を聞く側に回っていたセレスティアがハッとする。
俺は顎を動かして、セレスティアに発言するよう促した。
彼女は決意を秘めて、口を開く。
「ケイ――機会をくれて、感謝する。
元騎士である私は、無抵抗の人を殴るのには抵抗がある。
なので、私は再び勝負を挑み、その中であなたを正々堂々倒してみせる。
レンツどの――認められていないのは、あと私ひとりなのだ。
改めて闘って、この力を証明してみせたい。
受けてくれるだろうか?」
セレスティアの真剣な眼差しに、豹男は無言になる。
暫くの沈黙が流れた後、豹男は笑みを浮かべて話し出した。
「――判りました。
首都に戻り、セレスティアどのと勝負いたしましょう。
ヴァイスさまには私からお伝えします」
その回答を聞いて、パッと表情に花を咲かせたセレスティアに、俺は微笑みで応えるのだった。
俺たち四人と豹男は首都に戻り、早速竜人に報告を行うことになった。
既に陽が落ちて夜になっていたのだが、竜人は俺たちが休む控え室まで足を運んで来る。
俺は、出来るだけ掻い摘んで、重要なポイントだけを伝えていった。
試練の塔で、俺とシルヴィアが間違いなく護符に到達したこと。
塔の中で俺たちが捜していた魔人クルトと遭遇し、倒したこと。
セレスティアが再び豹男に闘いを挑んだこと。
竜人は護符のところはあっさりと聞き流したが、俺たちがクルトを倒したというところで表情を変え、次にセレスティアが豹男に勝負を挑んだというところで、声を出して笑い出した。
その笑い方が若干嘲笑じみた調子だったため、俺は少々心配になったのだが、竜人はあっさりセレスティアと豹男の勝負を執り行うことを認めた。
「今日は疲れただろう。
明日は休息を取り、勝負は明後日とする」
セレスティアは竜人の発言を聞いて、神妙に頷く。
「言っておくが、レンツは聖騎士が思っている以上に手強いぞ。
折角の機会だ。せいぜい足下を掬われぬようにな」
竜人はそう言い残すと、俺たちの控え室から退出していく。
――明日一日の猶予があるのはありがたい。
俺はセレスティアと共に、その短い期間で、必勝の体勢を整える必要があった。
翌日、俺たちは闘技場に籠もることになった。
シルヴィアはちゃっかり寝坊しているが、俺たち四人で豹男との闘いを優位に進める方法を、編み出さなければならない。
今、セレスティアはグレイスと向き合い、模擬戦を行っている。
どんな攻撃も避けているグレイスと、どんな攻撃も受け止めているセレスティアの勝負は、傍目に見ていても、なかなか決着がつく気配がない。
ふと、俺はセレスティアを凝視し、彼女の状態を確認してみることにした。
**********
【名前】
セレスティア・パスカリス
【年齢】
20
【クラス】
重装騎士
【レベル】
41
【ステータス】
H P:5892/6046
S P:1810/1810
筋 力:861
耐久力:1702
精神力:1113
魔法力:940
敏捷性:776
器用さ:563
回避力:712
運 勢:1193
攻撃力:1374(+513)
防御力:2763(+1061)
【属性】
光
【スキル】
光属性魔法4、回復魔法4、挑発9、シールドバッシュ、シールドブロウ、串刺し(スキュア)、生活魔法、魔力制御2、体術3、剣術5、槍術7、棒術2、突術4、精神集中3、属性耐性6、精神耐性9、状態異常耐性★、睡眠耐性5、苦痛耐性6、病気耐性4、自動体力回復4、自動魔力回復1、ハーランド語
【装備スキル】
衝撃吸収2、痛感吸収
【称号】
白銀の戦乙女、聖騎士、蛮族狩り、獣人狩り、魔法剣士、治癒術士、美人騎士、クランシー信者
【装備】
聖乙女の長剣(攻撃力+513、防御力+44):セット効果
聖乙女の盾(防御力+214):セット効果
聖乙女の鎧(防御力+803):セット効果
【状態】
クランシーの加護LV8
**********
――セレスティアの状態を見て、いくつか気づいたことがある。
まず、ひとつ目は今回のロアール式の対決方法が、彼女に向いていないということだ。
ロアール式の対決方法は、鎧を脱いで闘うことになる。
セレスティアの鎧は、ユニーク装備の“聖乙女の鎧”だ。
状態を見たら判る通り、彼女の防御力の中で、この“聖乙女の鎧”に対する依存度はかなり高い。
しかも“聖乙女の鎧”を外すと、セット効果がなくなる。セレスティアは、更に攻撃力も防御力も低下することになる。
攻撃偏重の獣人らしい対決方法ではあるのだが、そもそも対決方法が不利であるということを頭に置いておかなければならない。
――ふと、セレスティアの状態を見つめていた俺は、状態の中の一つのパラメータに目を留めた。
そのまま暫く考え、思考をまとめる。
「――セレス、ちょっといいか?」
俺は模擬戦を行っていたセレスティアに声を掛けると、闘いを中断した彼女に改めて話し続けた。
「ひとつ試して欲しいことがあるんだが――」
そうして、セレスティアは汗を拭いながら、俺の言葉に耳を傾けるのだった。