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第8話

名刺に書かれていた名前の人、アンドレさんが首を傾げる。


「警察署に?」


「はい。」


「タイプライターのお礼を言いたくて。」


そう言って頭を下げた。


「ありがとうございました。」


すると横にいた警察官が、にやりと笑った。


「こいつ、わざわざお嬢さんのために自分の金でタイプライター買ったんだよ。」


「ちょっと。」


アンドレが困った顔をする。


「余計なこと言わなくていいですよ。」


「本当のことだろ。」


警察官は肩をすくめた。


私は驚いてアンドレさんを見た。


「アンドレさん、本当ですか?」


アンドレは少し視線を逸らした。


「いや……。」


照れくさそうに頭をかいた。


「何も使うことないし。」


それだけ言って笑った。


私はしばらく何も言えなかった。


胸の奥が温かくなる。


昨日まで名前も知らなかった人だ。


それなのに。


こんなにも親切にしてくれる。


私はもう一度深く頭を下げた。


「ありがとうございます。」


そして小さく微笑んだ。


「おかげで今日もお母さんに手紙を出せました。」


アンドレも笑顔になった。


「それなら良かったです。」


その言葉に嘘はなかった。


私は再び頭を下げた。


するとアンドレさんが言った。


「あ、それから。」


私が顔を上げる。


「警察署には来なくていいですよ。」


「え?」


「今、お礼の言葉は聞きましたから。」


そう言って軽く手を振った。


「では。」


二人の警察官は警察署の方へ歩いていく。


私はその後ろ姿を見送った。


やがて見えなくなる。


それでもしばらく立ったままだった。


そしてもう一度、小さく頭を下げる。


ありがとう。


心の中でそう呟いた。


それから私は家へ戻っていった。


その後――。


警察署の取調室では。


「アンドレさんでしたっけ?」


アランが静かに言った。


「ひとつだけ訂正して良いですか?」


アンドレは黙っていた。


「彼女は自分の意思で打ったんですよ。」


アランはそう言った。


「母親に会いたい一心でね。」


その瞬間だった。


アンドレは立ち上がっていた。


椅子が後ろへ大きな音を立てる。


そしてアランの胸ぐらを掴んだ。


取調室の空気が一瞬で凍りつく。


「自分の意思だと?」


低い声だった。


だが怒りで震えていた。


「宛先が必要だということも教えずにか!」


アランは何も答えない。


アンドレの手にさらに力が入る。


「彼女は十年間だぞ!」


「十年間、届くことのない手紙を毎日毎日書いていたんだ!」


「母親に会いたい一心で!」


「おまえは彼女がどんな思いで手紙を書いていたか分かっているのか!」


取調室に声が響く。


それでもアランは反論しなかった。


言い訳もしなかった。


ただ――。


一筋の涙が頬を伝った。


アンドレははっとした。


怒りが一瞬で止まる。


握っていた胸ぐらから力が抜けた。


ゆっくりと手を離す。


アランはそのまま椅子へ崩れ落ちるように座った。


どさり、と鈍い音がした。


「アンドレさん。」


アランが静かに言った。


「もう良いでしょう。」


疲れ切った声だった。


「全部話したんだから。」


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