リア(四)
第十章 リア(四)
「中央へ突入した時、私の動きに問題はありませんでしたか?」
アルクは、すぐに答えた。
「なかった。」
「ヴァイスナー少佐へ向かうべきだったでしょうか?」
「ガロンがいた。」
「ですが、ガロンも、すぐには押さえきれていませんでした。」
「最後は押さえた。」
「私が加われば、早く制圧できたかもしれません。」
「その場合、もう一人が残る。」
リアが制圧した兵。
ヴァイスナーの近くに立ち、小銃を持っていた男だ。
「それは、そうですが。」
「リアの動きでよかった。」
アルクの答えに迷いはない。
リアは手袋の留め具から指を離した。
「アルクが皇女殿下へ向かったことも、予定どおりです。」
「ああ。」
「殿下だけを見ていたのですね。」
「そう決めていた。」
「ガロンがヴァイスナー少佐を、私がもう一人を止める。アルクは、殿下だけを見る。」
「そうだ。」
リアは小さくうなずいた。
すでに確認する必要のない話だった。
作戦は成功した。
ティオは救出された。
誰が何をすべきだったかは、格納庫へ入る前に決めている。
「それを聞くために、ここへ来たのか?」
アルクが怪訝そうな顔で尋ねた。
リアの指が、また留め具へ触れた。
「……いいえ。」
アルクは何も言わなかった。
急かさず、リアの言葉を待った。
アウローラと接続しているため、船体に普段とは異なる振動が伝わってくる。
一定ではない。しばらく静かになり、また低く響く。
リアは足元の貨物箱の角へ視線を落とした。
「殿下の足は、しばらくかかるそうですね。」
「ああ。」
「それでも、公式訪問を続けるおつもりです。」
「そう言っていた。」
「アルクも、護衛を続けるのですか?」
「必要なら。」
リアが顔を上げる。
「殿下が望めば、ですか?」
「違う。」
アルクの返事は短かった。
「俺たちが必要だと判断すれば、引き受ける。
ティオの希望だけで決めることではない。」
「そうですね。」
リアは、また視線を外した。
アルクがティオの求めに応じるから、護衛を続けるのではない。
ブラッククラウンとして必要なら引き受ける。
それは分かっている。
分かっていても、確かめずにはいられなかった。
「リア。」
「はい。」
「話したいのは、そのことか?」
アルクは、先ほどと同じことを尋ねた。
リアは、また手袋の留め具を外す。
少し位置を直し、また留める。
「もう一つ、あります。」
リアはアルクの顔を見た。
「アルクは、殿下のことをどう思っていますか?」
アルクの表情は変わらなかった。
ただ、先ほどまでより少し長い間があった。
「皇女としての話か?」
「違います。」
アルクは、視線を外さなかった。
「殿下は以前、アルクとの結婚を望まれました。」
アルクはうなずいた。
「あの時は、断りましたね。」
「断った。」
「今も、同じですか?」
アルクは、すぐには答えなかった。
壁際に積まれた輸送箱へ、一度目を向ける。
「結婚するつもりはない。」
「殿下を嫌っているからですか?」
「違う。」
「では、なぜです?」
「今の俺は、その気はない。」
リアはアルクの言葉の続きを待った。
だが、それ以上の言葉はなかった。
「今のアルクには……。」
「ああ。」
「この先も、同じでしょうか?」
「分からない。」
アルクは、迷わず答えた。
「分からないのですか?」
「先のことは、決めていない。」
「可能性もあると?」
「……ない、とは言えない。」
リアの指先に、思わず力が入った。
アルクは、その動きを見ていた。
「今は、そのつもりはない。」
言葉を足す。
「ブラッククラウンを離れるつもりもない。」
「それは、今の話ですか?」
「ああ。」
リアは唇をかみしめた。
アルクは、安心させるためだけに、先の分からないことまで約束しようとはしない。
今の自分が考えていることだけを答えている。
それはアルクらしい。
しかし、それはリアの聞きたい答えではなかった。
「殿下が、アルクを特別に思っていることは分かっていますね?」
「分かっている。」
返事に迷いはなかった。
リアは下を向いて、小さく息を吐いた。
「そうですか。」
「ティオを見ていれば分かる。」
アルクは、当たり前のことのように答えた。
リアの手が止まった。
「見ていれば……。」
リアが顔を上げてアルクの目を見つめた。
「では、」
声が少しだけ低くなった。
「私のことは、分かりますか?」
アルクは答えなかった。
リアは視線をそらさない。
低い船体音が、二人の間を通り過ぎていく。
「全部は分からない。」
「全部でなくても構いません。」
「分かっていることはある。」
リアの動きが固まった。
アルクは言葉を続けない。
少し間を置いてリアが尋ねた。
「いつから、分かっていたのですか?」
「前から分かっていたわけじゃない。」
「では、いつからですか?」
「最近……だ。」
「最近?」
「ああ。」
アルクは壁の方に移動し、腕を組んで壁に背を預けた。
「前は、ルナもリアも、仲間として近いだけだと思っていた。」
リアの目がわずかに動く。
「今は……違うのですか?」
ためらいがちに尋ねる。
「それだけじゃないと思ってる。」
「思っている……?」
「決めつけることじゃない。」
アルクの返事は、やはり短かった。
リアは視線を落とした。
ティオの指が、アルクの服をつかんでいた。
その光景が頭から離れない。
「でしたら、私も言っておかなければなりません。」
アルクがリアを見る。
リアは唇を開いた。
「私は、アルクを……。」
その先が出ない。
アルクは動かない。
視線も外さない。
何も言わず、続きを待っている。
リアは息苦しくなってきた。呼吸を整えようとした。
だが、次の言葉が遠い。
ここで言えば、戻れない。
アルクも、答えなければならなくなる。
ティオのこと。
ルナのこと。
ブラッククラウンのこと。
何も決まっていないものを、自分の言葉で動かしてしまう。
リアは視線を落とした。
「ブラッククラウンを、離れてほしくありません。」
そんな言葉しか出てこなかった。
アルクは少しだけ目を伏せた。
言い換えた言葉に、気づいているように見えた。
「離れるつもりはない。
ここが俺の居場所だから。
ルナも、ノアもいる。ガロンたちもいる。」
「はい。」
「リアもいる。」
リアの目が泳いだ。
「私は、その中の一人……ですか?」
「そうだ。」
「仲間の一人?」
「ああ。」
アルクはうなずいた。
リアはうつむいた。
間違いではない。
自分はブラッククラウンの仲間だ。
アルクと同じ船に乗り、同じ場所で生きている。
それでも、その答えだけでは足りない。
求めていた答えではない。
「それで……、すべてですか?」
思い切って言った。
小さな声だった。
アルクの眉が、わずかに動いた。
「違うと思う。」
アルクは、少し言葉を探した。
「リアを、ほかの仲間と同じだとは思っていない。」
リアが顔を上げる。
しかし、すぐに顔を逸らした。
「それは、私にとって難しい答えです。」
「分かってる。」
「本当に分かっていますか?」
今度は、アルクが無言で目を逸らした。
リアは、もう一度アルクを見つめた。
「アルク。」
アルクがリアに視線を戻す。
「私は、あなたのことを……。」
声が、また止まる。
あと一言だった。
アルクの視線が、ほんのわずかに落ちる。
リアの手元。
強く握られた指。
それから、顔へ戻る。
「無理に言わなくていい。」
アルクが静かに言った。
リアは目を見開いた。
「何を言おうとしたか、分かっているのですか?」
「たぶん。」
リアはしばらく、アルクを見ていた。
「……ずるい人。」
責める声ではなかった。
「そうかもしれない。」
アルクも否定しなかった。
「分かっているのですね。」
「ああ。」
今度は、「たぶん」とは言わなかった。
リアの指がゆっくりと開く。
「では、なぜ何も答えてくれないのですか?」
アルクは少しだけ視線を落とした。
「今の俺が答えたら、中途半端になる。」
「中途半端?」
「誰かを選ぶつもりもないのに、分かったような返事はできない。」
リアは黙って聞いていた。
「リアを軽く扱うつもりはない。」
アルクは短く息を吐いた。
「だから、今は答えられない。」
「待たせることになっても、ですか?」
アルクの返事は、少し遅れた。
「……そうなる。」
「やはり、少しずるいです。」
「ああ。」
「そこは認めるのですね。」
「悪い。」
リアは首を横に振った。
「謝ってほしいわけではありません。」
「そうか。」
「アルクも、謝れば済むとは思っていないのでしょう。」
リアは身体の向きを変えた。
アルクとの距離は変わらない。
だが、アルクを正面に見る位置を少し外した。
「ルナのことも、分かっていますか?」
「前よりは。」
「殿下のことは?」
「ティオには、はっきり言われた。」
「私のことも、もう十分に分かっているのでしょう。」
「ああ。」
「では、答えてください。」
アルクは少し考えた。
「リアが俺を特別に思っていることは、分かっている。」
リアの喉が、小さく動いた。
はっきり言われると、想像していたよりも衝撃があった。
「いつからですか?」
アルクはしばらく考えた。
「ティオが来てから、少しずつ。」
「それまでは、何も?」
「仲間として大事にされていると思っていた。」
「今は?」
「それだけじゃない、と思っている。」
リアは手袋の留め具を見た。
何度も触れたため、少し位置がずれている。
それを直す。
リアはアルクの横顔を見る。
爽やかで、まっすぐな人だと思っていた。
今も、それは変わらない。
けれど、女性のことになると少しだけずるい。
誰かをだますわけではない。
期待させる言葉を並べるわけでもない。
ただ、誰も捨てず、誰も選ばない場所に立っている。
それが永遠に続くとは、アルク自身も思っていないのに。
「アルク。」
「何だ。」
「今日は、これ以上、言いません。」
「分かった。」
「ですが、」
リアはアルクの正面へ戻った。
「忘れないでください。」
「何を?」
「私が、ここまで言ったことをです。」
アルクは、すぐにうなずいた。
「忘れない。」
「本当に?」
「忘れない。」
リアは少しだけ肩の力を抜いた。
満足したわけではない。
言うべき言葉も、最後まで言えていない。
アルクの返事も聞いていない。
それでも、何も伝わらなかったわけではない。
アルクが扉へ目を向ける。
「戻るか。」
「はい。」
アルクが歩き出す。
リアも続こうとして、一度止まった。
「アルク。」
アルクが振り返る。
「先ほどのことですが。」
「何だ?」
「無理に言わなくてよい、と言いましたね。」
「ああ。」
「次も同じとは限りません。」
アルクは少しだけ目を細めた。
リアは視線をそらさない。
「次は、最後まで聞いてください。」
数秒の間があった。
「分かった。」
アルクは答えた。
リアは扉へ近づき、開閉部へ手を伸ばす。
扉が左右へ開いた。
通路の向こうに、人が立っていた。




