リア(二)
第十章 リア(二)
ガロンが防護ジャケットを着替え終えるのを待ち、三人は再びアウローラへ渡った。
今度は武器を持っていない。
アルクは腰の拳銃だけを残していたが、弾倉は外してある。リアも防護ジャケットを脱ぎ、いつもの上着に戻っていた。
ガロンの右肩には、薄い保護材が貼られていた。
「服だけじゃなかったのか?」
アルクが尋ねた。
「表面をちょっと切ってた。」
「怪我はないと言ってたな。」
「血も出てねえ。こんなもんは怪我に入らん。」
「入ります。」
リアが横から口を挟む。
ガロンは二人を交互に見た。
「お前ら、そういうところは似てやがるな。」
アルクは返事をしなかった。
リアも前を向いたまま、何も答えない。
***
アウローラの艦内は、先ほどまでとは違っていた。
通路の各所に親衛艦隊の警備兵が立ち、通常の艦内警備員はほとんど見えない。壁面端末には、一部区画の封鎖表示が出ている。
皇女専用艦の内部でありながら、艦の乗員より、外から入った艦隊の警備兵の姿の方が目立っている。
人が通るたびに身分確認が行われた。
医療区画の前にも、四名の兵がいた。
三人の姿を確認すると、形式的なチェックのあと、兵の一人が扉を開く。
「皇女殿下がお待ちです。」
中に入る。
白い医療区画の奥で、ティオは応接椅子に腰かけていた。
右足の膝から下は低い台の上に載せられ、足首は白い固定具で覆われている。
靴は脱いでいた。
腫れは固定具に隠れて見えない。
随員がティオのそばに立ち、医師が端末へ診断結果を入力していた。
アウローラ艦長もいる。
ティオはアルクたちに気づくと、姿勢を正した。
「来てくださったのですね。」
アルクがティオの右足を見る。
「具合は?」
「骨に異常はありません。」
答えたのは医師だった。
「右足首の靱帯を痛めておられます。重度のものではありませんが、かなり腫れています。」
アルクがティオの顔を見る。
「さっき、無理に体重をかけた?」
ティオは視線を少しだけそらした。
ガロンが口の端を上げる。
「あの時だろ。敵兵の手を銃から離させた。」
医師がティオを見る。
「無理をされたのですか?」
「仕方なかったのです。」
ティオは落ち着いて答えた。
医師は何か言おうとしたが、皇女を叱る言葉が見つからなかったらしい。
端末へ視線を戻した。
「数日間は固定が必要です。補助具を使えば短い距離は歩けますが、長時間の立位と移動は避けてください。走るのは、お止めください。」
「公式行事への出席は可能ですか?」
ティオが尋ねる。
医師の手が止まった。
言葉を選んでいる。
「先生。」
随員が硬い声を出した。
医師は姿勢を正す。
「医学的には、安静をお勧めします。」
「分かりました。」
ティオはうなずいた。
その返事を聞いた随員が、わずかに肩の力を抜く。
だが、続いた言葉で、すぐに表情が硬くなる。
「予定をどこまで変更するかは、検討します。」
「殿下。」
随員が一歩前へ出た。
「公式訪問は、いったん中止すべきです。殿下の御身を狙った事件が、アウローラの艦内で発生しました。現在の警備体制では、これ以上、訪問を続けるのは困難です。」
艦長の表情も硬い。
自分の艦で起きた事件だ。
「私も同じ考えです。」
艦長が、喉から絞り出すような声で言った。
「副艦長以下、関係者は拘束しました。しかし、艦内協力者の全容は確認できておりません。大変申し訳ありませんが、アウローラ内での安全を、現時点では保証できません。」
「護衛艦へ移るのは?」
ティオが尋ねる。
「それも選択肢にはなります。」
艦長は答えた。
随員が口を挟む。
「ですが、公式訪問を継続するには、訪問先での移動経路、護衛態勢、連絡網のすべてを組み直す必要があります。」
「どの程度かかりますか?」
「少なくとも数日は。」
「では、数日で組み直してください。」
随員が息を止めた。
「殿下……。」
「予定どおりに続けるとは言っていません。」
ティオは随員を見る。口調が少し厳しい。
「ですが、帝都へ戻ることは認めません。」
「しかし――」
「私を誘拐しようとした者たちの目的は、公式訪問を中止させることでした。」
ティオの声は静かだった。
「ここで中止すれば、誘拐そのものには失敗しても、彼らは目的を達したことになります。」
随員は答えなかった。
ティオは艦長へ厳しい視線を向ける。
「アウローラを、そのまま使用する必要はありません。日程も短縮できます。訪問先を減らすことも考えます。」
「ですが、殿下の御身は――」
「安全を軽く扱うつもりはありません。」
ティオの指が、診察台の縁に触れた。
「だからこそ、安全を確保する方法を検討してください。帰還する理由を探すのではなく。」
艦長は目を伏せた。
「承知いたしました。」
ティオはアルクを見る。
表情が穏やかになる。
「アルクは、どう思いますか?」
アルクはすぐには答えなかった。
ティオの足。
医療区画の外に立つ警備兵。
艦長と随員。
順に見てから、ティオへ視線を戻す。
「今のままでは続けられない。」
「負傷のためですか?」
「警備の問題だ。」
ティオは少しだけ目を細める。
「では、警備を直せば続けられるのですね。」
「簡単には直らない。」
「不可能ではありません。」
「俺が決めることじゃない。」
「ですが、アルクは反対しないのですね。」
「条件が整えば。」
アルクは短く答えた。
ティオの口元が、わずかに緩む。
「分かりました。」
「何がだ?」
「アルクの意見です。」
「続けろとは言っていない。」
アルクが慌てて言う。
「中止しろとも言っていません。」
ティオは穏やかな顔を崩さない。
ガロンが小さく息を吐く。
リアは、二人のやり取りを黙って聞いていた。
ティオのアルクへの距離が、以前よりも近づいている。
アルクが慎重に条件をつけても、その中から自分に都合のよい部分だけを選んでいる。
以前から、そういうところはあった。
だが、今は少し違って見えた。
格納庫でアルクの服をつかんでいたティオの指が、まだリアの目に残っている。
ティオがアルクの服の袖へ目を向けた。
「アルク。」
「何だ?」
「服が破れています。」
アルクが自分の袖を見る。
細い裂け目ができている。
「突入した時だろう。」
「私がつかんだからではありませんか?」
「違う。」
ティオが指先を伸ばしかけた。
だが、アルクとの距離を見て、途中で止める。
「私のせいということにしておきます。」
「何のために?」
「直す理由ができます。」
「服は自分で直せる。」
「そうでしょうね。」
ティオは小さく笑った。
「それでも、私に直させてください。」
アルクは返事をしなかった。
断ったわけでもない。
受け入れたわけでもない。
ティオも、答えを求めなかった。
そのやり取りだけで満足したように、袖口から視線を外す。
リアは目を伏せた。
医療区画へ入る前に外した手袋を、左手に持っていることに気づいた。
両手にはめようとして、途中で手が止まった。
左右が違う。
何をしているのかと苦笑し、すぐにはめ直す。
誰にも見られていない。
そう思っていた。
ふと、顔を上げると、アルクと目が合った。慌てて目を逸らす。
「皆さんには、改めてお礼を申し上げます。」
ティオが三人を順に見て礼を言った。
ガロンが肩をすくめる。
「礼はいい。足を治せ。」
「はい。」
ティオがリアを見る。
「リアさんも、ありがとうございました。」
「私は、自分の役割を果たしただけです。」
「それでもです。」
ティオはリアから視線を外さない。
リアは少し目を伏せて答えた。
「ありがとうございます。」
ティオはうなずいた。
「落ち着いたら、ルナさんとノアさんにも、直接お礼を申し上げたいと思っています。」
「伝えておく。」
アルクが答えた。
医療区画の扉が開き、親衛艦隊の士官が艦長に何かを告げた。
艦長の表情が変わる。
「殿下。副艦長たちの使用していた端末から、外部との通信記録が発見されました。」
「旧強硬派残党とのものですか?」
「その可能性が高いとのことです。」
ティオは診察台の縁をつかんだ。
立ち上がろうとする。
医師がすぐに止めた。
「殿下。動かないでください。」
ティオは一瞬だけ右足を見て、身体を戻した。
「対策会議を開きます。」
「ここで、ですか?」
随員が尋ねる。
「皆さんに、来てもらってください。」
艦長がうなずく。
「準備いたします。」
ティオはアルクたちを見る。
「皆さんにも、出席をお願いします。」
アルクが短く答えた。
「分かった。」
リアも一礼する。
医療区画の中で、人が動き始めた。
端末が運び込まれ、壁面表示が会議用へ切り替わっていく。
ティオは右足を固定されたまま、アルクの方を見ていた。




