リア(一)
黒冠のアルク 皇女編 Ⅳ
―― 三つの想い、ひとつの航路
第十章 リア(一)
医療班の足音が、格納庫の奥へ遠ざかっていった。
アルクはしばらく、その方向を見ていた。
リアは口を閉じたまま、視線を床へ落とす。
白い床には、ヴァイスナーが手放した拳銃とナイフが残されていた。親衛艦隊の兵が近づき、一つずつ拾い上げていく。
「その拳銃は、ヴァイスナー少佐が自分で外したものです。」
リアが声をかけた。
武器を回収していた兵が顔を上げる。
「交戦後に、ですか?」
「はい。皇女殿下を奪い返すことを断念し、降伏しました。ナイフは交戦の際に使用しています。」
「分かりました。保管します。」
兵は拳銃とナイフを、それぞれ異なる証拠袋に収めた。
格納庫の中央では、ヴァイスナーたちが一列に並ばされている。両手を拘束され、親衛艦隊の兵に囲まれている。
ドック側にいた艦内警備班六名も、すでに武装を解除されていた。
もう抵抗する者はいない。
それでも、警備部隊の銃口は下がっていなかった。
リアは床に落ちていた小銃へ近づいた。
安全装置を確認する。
作動している。
弾倉を外し、薬室を見る。
空になっていることを確認してから、もう一度、安全装置へ指をかけた。
すでに一度、確認している。
それでも、指は同じ場所をなぞっていた。
「リア。」
声をかけられ、手が止まった。
アルクが立っていた。
「こちらは問題ありません。」
リアは小銃を親衛艦隊の兵に渡した。
アルクは、受け取る兵の手元をちらっと見た。
「怪我はないか?」
「ありません。」
「よかった。」
「はい。」
アルクの防護ジャケットには、格納庫の床に触れた汚れが残っていた。袖口の少し上には、細い裂け目ができている。
先ほどまで、ティオの指がつかんでいた場所。
リアはアルクから目を逸らした。
「アルクも、医療班に確認してもらってください。」
リアはアルクの顔を見ずに言う。
「怪我はない。」
「自分では気づかないこともあります。」
「リアも同じだ。」
「私は大丈夫です。」
アルクは何も言わなかった。
少し離れたところで、ガロンがこちらを見ていた。
右肩の防護ジャケットに、ナイフがかすめた傷がある。出血はしていない。
ガロンは何も言わず、視線だけをアルクへ向けた。
アルクも、その視線に気づく。
「ガロンは大丈夫か?」
アルクが尋ねる。
ガロンは肩を一度回した。
「服を切られただけだ。中までは入ってねえ。」
「確認してもらえ。」
「後でな。」
ガロンは拘束されているヴァイスナーへ目を向けた。
親衛艦隊兵が、彼を格納庫の外へ連れ出そうとしている。
ヴァイスナーは抵抗していない。
一度だけ、ティオが運ばれていった通路を見た。
それから、前を向いた。
「あの……。」
リアが呼び止めた。
ヴァイスナーが足を止める。
警備兵が腕を引こうとしたが、リアが手で制した。
「皇女殿下の足の具合を気にして、戦いを止めたのですね?」
ヴァイスナーは振り向いてリアを見た。
だが、言葉は出なかった。
リアはそれ以上、問いかけなかった。
警備兵がヴァイスナーを連れていく。
その背中を見送り、リアは視線を戻した。
アルクが、まだそばにいる。
「どうしましたか?」
アルクは少し間を置いた。
「リアの様子が、いつもと違う。」
リアが動きを止めた。
「戦闘の後ですから。」
「そうか。」
「はい。」
アルクは、それ以上聞かなかった。
リアは、少しだけ息を吐く。
アルクと話をする気には、なれなかった。
けれど、聞かれなければ、それはそれで落ち着かない。
格納庫の照明が切り替わった。
作戦中に落とされていた灯りが、通常の明るさへ戻っていく。
点灯していた警告灯も消えた。
停止していた無人の大型搬送台車が、低い駆動音とともに動き始める。
格納庫の壁際へ戻っていく。
あの陰を使って、アルクたちはティオのところまで進んだ。
リアは台車を見送る。
「ブラッククラウン号の皆さん。」
親衛艦隊の士官が近づいてきた。
「艦長より、救出時の状況確認を行いたいとのことです。こちらへお願いします。」
「今か?」
ガロンが尋ねる。
「簡単な確認だけです。詳しい聴取は後ほど行います。」
アルクはうなずいた。
「分かった。」
アルクが歩き出す。
ガロンも、その後ろへ続いた。
リアは数歩遅れて、無言でその後に続く。
***
事情確認は、簡単に終わった。
最後に親衛艦隊の士官が端末を閉じた。
「詳細については、後ほど改めて確認させていただきます。」
「まだあるのかよ。」
ガロンが眉を寄せた。
「皇女殿下の誘拐未遂ですので。」
「未遂じゃねえだろ。格納庫まで連れていかれてる。」
士官の手が止まった。目を伏せる。
「……その点も含め、正確な記録を作成します。」
ガロンは鼻を鳴らした。
アルクが立ち上がる。
「もう戻っていいか?」
「はい。艦長からも、一度ブラッククラウン号へ戻って待機してほしいとのことです。」
「殿下は?」
「医療区画で検査を受けておられます。終了後、連絡があるはずです。」
アルクは短くうなずいた。
士官が姿勢を正す。
「改めて、皇女殿下の救出に感謝します。」
アルクは、また無言でうなずき、接続区画へ向かった。
ガロンとリアが続く。
少し遅れて、ガロンの部下三名も合流した。
六人が、格納庫側面の通路を進む。
先ほどまで二人の敵兵が待ち伏せていた場所には、親衛艦隊の兵が立っていた。
床に残っていた血痕の処理が始まっている。
『接続区画まで、あと二十メートル。』
ノアの声が通信機から聞こえた。
「見ているのか?」
アルクが尋ねる。
『一応ね。アウローラの管制は正常に戻ってるけど、まだ全部信用しない方がいいでしょ。』
「そうだな。」
『接続部は問題なし。気密も正常。戻ってきていいよ。』
白い通路の先に、接続区画のハッチが見えた。
先頭を歩いていたアルクが、速度を落とす。
ガロンがその横に並んだ。
「向こうに戻ったら、まず着替えだな。」
肩の傷を指で示す。
防護ジャケットの表面が、斜めに切れていた。
「本当に大丈夫か?」
アルクが尋ねる。
「かすり傷だ。」
「気がつかないこともある。」
「お前、リアに同じこと言われてただろ。」
ガロンが後ろへ目を向ける。
リアは二人から離れた位置を歩いていた。
ガロンの部下三名よりも後ろ。
最後尾だった。
アルクが足を止め、振り返る。
「リア。」
「はい。」
「どうした?」
「後方を確認しています。」
アルクはリアの後ろを見た。
通路の奥では、親衛艦隊の兵が二人、こちらを見送っている。
それ以外に人影はない。
「もう敵はいない。」
「まだ、警戒は必要です。」
「警備部隊がいる。」
「任せきりにはできません。」
リアは歩調を変えなかった。
アルクは少しだけ目を細めた。
「そうか。」
それだけ言って、前へ向き直る。
ガロンがアルクの横顔を見た。
何も言わず、口元だけをわずかに曲げた。
接続区画へ入る。
アウローラ側の内側ハッチが開く。
『気密差なし。六人まとめて通って大丈夫。』
ノアが言った。
アルクが先にハッチを抜ける。
ガロンと部下三名が続いた。
リアは最後に、アウローラ側の通路を振り返った。
白い壁。
床に走る誘導線。
角を曲がれば、格納庫がある。
ティオがアルクの腕の中にいた場所。
「リア。」
アルクの声がした。
リアは前を向いた。
「今、行きます。」
ハッチを通過する。
最後の一人が入ったところで、アウローラの内側ハッチが閉じ、外側ハッチが開く。
その先に、ブラッククラウン号の接続筒が続いている。
船内に戻ると、見慣れた灰色の壁が現れた。
白く整えられたアウローラの内部とは違う。
配管の一部は露出し、壁面には修理した跡も残っている。
ガロンが息を吐いた。
「やっぱり、こっちの方が落ち着くな。」
「狭いけどね。」
ノアの声が、今度は通信機ではなく、通路の奥から聞こえた。
操作用の端末を抱えたノアが立っている。
「おかえり。」
ガロンの部下たちが、それぞれ短く返事をする。
ノアは全員を順に見た。
「六人いるね。怪我してない?」
「俺の服が切れただけだ。」
ガロンが肩を示す。
ノアは近づいて、裂け目を覗き込んだ。
「服だけ?」
「たぶんな。」
「たぶんじゃ駄目だよ。あとで医療キットを持ってくる。」
ノアはガロンから離れ、アルクを見る。
「アルクは?」
「ない。」
「リアは?」
「ありません。」
返事が速い。
ノアはリアの顔を見つめた。
それ以上は聞かない。
アルクが通路の奥へ目を向ける。
「ルナは?」
「操舵席。」
ノアが答えた。
「接続固定をずっと見てる。代わろうかって言ったんだけど、もう少し自分でやるって。」
「そうか。」
アルクは歩き出した。
接続区画から艦橋へ向かう。
全員が続く。
ブラッククラウン号の操舵席では、ルナがパネルの表示を見ていた。
接続部の圧力。
船体固定具の負荷。
アウローラとの位置関係。
いくつもの数値が並んでいる。
ルナはアルクたちが入ってきても振り返らなかった。
「戻った。」
アルクが言う。
「お帰り。」
ルナは素っ気なく言う。
「問題は?」
「何も。固定具の負荷も範囲内。このまま維持できる。」
「助かった。」
ルナの指が止まった。
ほんの一瞬だった。
すぐに別の表示を開く。
「私の役目だから。」
「そうか。」
「そう。」
短い返事だった。
ノアが横から操作席へ入る。
「そろそろ代わるよ。」
「解除するまで私が見る。」
ルナは端末から手を離さなかった。
ノアが少し身をかがめ、ルナの顔を覗く。
「ずっと緊張してたでしょ。」
「座ってただけだから。」
ルナはノアの顔を見ない。
ノアは口を閉じた。
数秒後、ルナは両手を端末から離した。
「分かった。任せる。」
席を立つ。
ノアがそのまま座り、接続状態を引き継いだ。
「固定正常。問題ないね。」
「最初からそう言ってるでしょ。」
ルナはアルクの方を見ない。
ガロンが肩の裂け目を指で広げながら、通路へ向かった。
「俺は着替えてくる。お前らも装備を外せ。いつまでも突入する格好してんな。」
部下三名も、その後ろへ続く。
「医療キット、あとで持ってくね。」
ノアが声をかける。
ガロンは片手を上げて答えた。
艦橋には、アルク、ルナ、リア、ノアの四人が残った。
ノアは操舵席の表示を確認している。
ルナはその横に立ったまま、腕を組んでいる。
リアは入口付近で止まっていた。
腰のホルスターも、防護ジャケットも外していない。
アルクがリアを見る。
「装備を外さないのか?」
「後で外します。」
「もう戦闘は終わった。」
「分かってます。」
口調が少しきつい。
ルナが、そこで初めてリアを見た。
視線は一瞬だけ防護ジャケットに止まり、それから顔へ上がる。
「ティオは、医療区画?」
「はい。」
リアが答えた。
「足の状態は、まだ分かりません。」
「歩けないって聞いたけど。」
「痛みが強いようです。正確な診断はこれからです。」
「そう。」
ルナは短く答えた。
アルクが言う。
「命に関わる怪我じゃない。」
「それは見てたから分かる。」
ルナの声は平らだった。感情が読み取れない。
アルクの方へ視線を向ける。
何かを言いたそうに口を開きかけた。
だが、先にノアの端末が鳴った。
表示を確認する。
「アウローラから連絡。」
ノアが言った。
「ティオの検査が終わったから、アルクたちに医療区画へ来てほしいって。」
「全員か?」
「アルク、リア、ガロン。救出時の状況を聞きたいみたい。」
「また行くの?」
ルナの視線が厳しくなる。
「ああ。」
アルクが答える。
「呼ばれたから。」
ティオを助けたとき、ティオに答えた言葉と同じだった。
ルナは腕を組んだまま、目を伏せた。
「そう。」
リアは何も言わなかった。
アルクはルナとリアの顔を交互に見た。




