皇女救出(四)
第九章 皇女救出(四)
ノアが、制御キーを叩き、一連のプログラムを走らせる。
格納庫の白い作業灯が、一段落ちる。
天井の白色灯が絞られ、床面の誘導灯が黄色く点滅を始める。
警告音とともに、非常警告灯が回った。赤ではない。搬送設備の作動を知らせる、黄色の警告だった。
続いて、低い駆動音が響いた。
床面のレール上で、停止していた大型搬送台車が動き出す。
艦載艇用の補給コンテナや整備機材を運ぶための、低く幅広い台車だった。高さは人の胸ほど。だが、幅はある。姿勢を落とせば、三人が身を隠すには充分だ。
台車の四隅で安全灯が回る。
機械音が、格納庫に広がった。
『搬送台車、起動。そっちの入口前を通すよ。』
ノアの声が入る。
『対人センサー、ノイズ、かぶせた。』
アルクは返事をしない。
目は、搬送台車の向こうにあるティオだけを見ていた。
格納庫中央で、ヴァイスナーが動いた。
突然、動き出した台車を見たのだ。
兵二名も反応する。
片方は台車へ銃口を向けかけた。だが、すぐに止めた。皇女が近い。撃てば跳弾が出る。
「殿下をお守りしろ。」
ヴァイスナーが、もう一人の兵に命じる。
兵がティオに近づく。
ティオを押さえるためだった。
ガロンが低く言った。
「見てるな。」
台車が、側面入口の前を横切る。
「今です。」
リアが言う。
アルクたち三人は、台車の陰に入り込む。
ゆっくりと。音を立てない。
台車の駆動音に紛れるように、低い姿勢で進む。
格納庫の中央は広い。
普通に出れば、必ず見つかる。
敵が中央にいるのは正しい。視界が広く、通路から来る相手を捕捉できる場所だった。
だが今は、中央と側面通路の間を搬送台車が走っている。
視界が遮られる。
ヴァイスナーは端末を握ったまま、注意深く台車の動きを追った。
兵の一人が、ティオの腕に手を近づける。
「殿下、こちらへ。」
ティオは動かなかった。
足が痛んでいる。
右足に体重をかければ、体を支えられない。
それを隠しながら、今まで立っていた。
近づいて来る台車の安全灯が、ティオの横顔を黄色く照らした。
兵の手が近づく。
ティオは、その手が近づくのを待って、わずかに右足へ体重を移した。
痛みが走る。
膝が折れた。
「殿下!」
兵が反射的に手を伸ばし、ティオを支えた。
皇女を床に倒すわけにはいかない。
その一瞬、兵の手が小銃から離れた。
ティオは、短く息を吸った。
「……動けません。」
声は小さかった。
だが、ヴァイスナーたちには届いた。
注意がティオに向く。
そのとき、台車が、アルクたちとヴァイスナーたちの間を抜けた。
ノアの声が、通信の中で静かに落ちた。
『今!』
アルクが動いた。
搬送台車の陰から、三人が飛び出す。
ガロンが、正面へ入る。
狙いはヴァイスナーだった。
リアは、その横にいた兵へ向かった。
アルクは、ティオのそばにいる、もう一人の兵だけを見ていた。
誰も撃たなかった。
ティオが近すぎる。
跳弾でも、破片でも、ティオを傷つける可能性があった。
だから、距離を詰めるしかなかった。
最初にぶつかったのは、ガロンだった。大きな体を低く沈み込ませ、ヴァイスナーに向かう。
ヴァイスナーは腰の拳銃へ手を伸ばしたが、ティオに気を取られていたため、一瞬遅れる。
ガロンはその手首を外へ払い、もう片方の手で肘を押さえる。
だが、ヴァイスナーの動きも速かった。
ただの強硬派残党ではない。艦内で皇女を奪う作戦を任された男だった。判断も、体の動きも、訓練された軍人のものだった。
ガロンの足を蹴って体勢を崩し、肘を外す。
次の瞬間、短い刃が光った。
ナイフだった。
ガロンは肩を引いてかわす。刃先が防護ジャケットの表面をかすめた。
「ちっ。」
ガロンが低く舌を鳴らし、一歩下がる。
ヴァイスナーは追わなかった。
無理に前へ出れば、ティオに近づくアルクの動きを見失う。
一瞬、注意をアルクと皇女に向ける。
その迷いを、ガロンは逃さなかった。
踏み込む。
ヴァイスナーの手首を狙う。
ヴァイスナーは逆に肘を落とし、ガロンの腕を受けた。二人の身体がぶつかる重い音がした。
体格ではガロンが勝る。
だが、ヴァイスナーは崩れなかった。
腰を落とし、足を開き、正面から受けずに力を流す。ナイフを持つ手はまだ生きている。
ガロンは距離を詰めようとする。
ヴァイスナーは刃をすばやく突き出す。
二人の間で、激しい攻防が続いた。
リアは、ヴァイスナーの近くにいた兵に向かった。
この兵もティオに気を取られ、小銃を向けるのが一瞬、遅れる。
リアは、踏み込んで、銃身を横へ押し、同時に自分の身体を射線から外す。相手が銃を引き戻す前に、リアは一歩踏み込み、手首をねじった。
相手は反射的に振り払おうとしたが、リアはその力に逆らわず、受け流す。相手の体が前へ流れた瞬間、リアの膝が相手の腹に食い込んだ。
兵は崩れ落ち、銃が床に落ちる。
リアは視線をガロンの方へ向けた。
ガロンは、まだヴァイスナーを押さえきれていない。
ヴァイスナーの動きは鋭かった。
大振りはしない。
刃を見せすぎない。
一撃で倒そうとせず、ガロンの腕と足を少しずつ削ろうとしている。
ガロンも無理に倒しにいかない。
無理に動けば、ヴァイスナーがティオ側へ抜ける隙ができる。
二人は、ほとんど互角だった。
アルクの手は、その間にティオへ届いていた。
ティオの横にいた兵は、ティオが膝を崩した瞬間、反射的に手を伸ばしていた。
皇女を床に倒させないためだった。
その判断は間違っていない。
しかし、そのために反応が遅れた。
アルクが近づいたとき、兵の両手はティオを支えていた。
何もできないまま、額にアルクの銃口を突き付けられる。
「殿下から、ゆっくりと手を放せ。」
兵は動きが取れないまま、両手を上げて降伏した。
支えを失って傾きかけたティオの身体を、アルクは左腕で受けた。そのままゆっくりと床に寝かせる。
アルクは兵を後ろ手に拘束し、床に転がした。
床に倒れているティオに、アルクが手を伸ばす。
「ティオ。」
優しく声をかける。
ティオが顔を上げた。
目が合った。
「アルク。」
声にならない声だった。
「待っていました。」
アルクはティオの足に注意を向けた。
「歩けるか?」
「……無理です。」
ティオは、ほとんど息だけで答えた。
アルクは短く言った。
「少し揺れる。」
ティオが何か言う前に、アルクは彼女を抱き上げた。
軽い。
そう感じた。
ティオの身体を自分の胸元へ引き寄せ、左腕で背を抱き、右腕で膝裏を支える。足を揺らさないように。
ティオは驚いて目を見張った。
抱き上げられたティオを見て、ヴァイスナーが動いた。
ガロンの隙を突き、ティオの方へ出ようとする。
速い。
だが、リアが銃を構えていた。
銃口が、ヴァイスナーへ向く。
「そこまでです。」
リアの声が、格納庫の警告音の中で通った。
ヴァイスナーは止まった。
銃口だけを見たのではない。
その先の、アルクの腕の中にいる皇女を見た。
アルクと戦い、無理に奪い返せば、皇女の痛めた足をさらに傷つける。
皇女を傷つけてはならない。
その線を、ヴァイスナーは越えられなかった。
ガロンが背後から間合いを詰める。
リアの銃口は揺れない。
ヴァイスナーは、周囲を見た。
ティオのそばにいた部下は床に転がされている。
もう一人の部下は、リアに倒されている。
皇女区画側出口の二名も、側面通路の二名も沈黙している。
そして、アルクの腕の中にいる皇女。
その時、皇女区画側出口から、ガロンの部下三名が姿を見せた。
全員が、ヴァイスナーに銃口を向けている。
ヴァイスナーは、すべてを理解した。
作戦は終わった。
いや、少し前から終わっていた。
それを、今ようやく認めることができた。
ティオが、アルクの腕の中からヴァイスナーを見た。
その視線に、怒りはなかった。
怯えもなかった。
ただ、静かな失望があった。
ヴァイスナーはそれを受け止めた。
言い訳はしない。
ただ、無念の表情だけが、わずかに顔に出た。
リアが静かに言った。
「降伏してください。」
ヴァイスナーは、ゆっくりとナイフを下ろした。
刃が床に落ちる。
続いて、腰の銃も外し、足元へ置いた。
両手を上げる。
無言だった。
ガロンが近づき、静かにヴァイスナーの腕を取った。
リアは銃口を上げたまま、周囲を確認した。
アルクがティオを抱きかかえている。
リアの表情が一瞬、強張った。
その直後、格納庫内に別の警告音が鳴った。
隔壁が上がることを知らせる音だった。
『ドック側六名、制圧確認。隔壁を開けるよ。』
ノアの声と同時に、格納庫中央を塞いでいた二枚の隔壁が上がり始めた。
親衛艦隊の警備部隊が、格納庫中央へ展開してくる。
銃口が上がっている。
だが、発砲はない。
もう勝負はついていた。
ドック側に隔離されていた六名も、親衛艦隊側に押さえられていた。
ヴァイスナーは拘束された。
部下たちも、武装解除され、拘束されていく。
格納庫の中で、搬送台車の警告灯だけが、まだ黄色く回っていた。
警備部隊の隊長がティオに駆け寄る。
「皇女殿下、ご無事ですか?」
隊長は一瞬だけ視線を迷わせ、それから問いかけた。
ティオは、隊長へ顔を向けた。
「大丈夫です。アルクに助けてもらいました。
足を少し痛めています。」
ティオは、アルクの腕の中で少しだけ目を伏せた。
アウローラ艦長の声が、格納庫内に響いた。
『皇女殿下の安全を確認。医療班を向かわせる。親衛艦隊は残存武装者を拘束。格納庫全域を封鎖。』
ノアの声が、通信機から入る。
『制圧確認。搬送台車、停止。ジャミングも切るよ。』
少し遅れて、ルナの声が聞こえた。
『ティオは? 無事?』
アルクは短く答えた。
「無事だ。心配いらない。」
『怪我は?』
ティオが、アルクの腕の中で少しだけ顔を上げた。
「足だけです。ルナさん。」
『そう。よかった。』
返事は短かった。
警備隊員と話をしていたリアが、こちらを見た。
その視線が、アルクの腕の中のティオで止まった。
数秒間。
リアにしては長い。
すぐに表情を整えた。
「医療区画へ行かれたほうがよろしいでしょう。
右足を確認してもらうべきです。」
ティオから目をそらしながら言った。
「今、医療班が来ます。」
ティオは落ち着いて、そう答えた。
アルクは、ティオを降ろそうとした。
警備隊員と医療班が近づいてくる。もう抱えている必要はない。ここから先は、アウローラの医療区画で治療できる。
だが、ティオの指が、アルクの服をつかんだ。
強くはない。
ただ、アルクが自分を降ろすのを止めたいような力の入れ方だった。
アルクは動きを止めた。
ティオは、アルクの腕の中で、その顔を見上げている。
ティオは小さい声で言った。
「来てくださると、思っていました。」
アルクは、少し目を伏せた。
「呼ばれたから。」
ティオは小さく笑った。
これまでの皇女の顔とは違う。
距離が近い。
リアは、それを見ていた。
監視カメラ越しに、ルナも見ていた。
ブラッククラウン号側の表示パネルに映る、アルクとティオの距離を。
格納庫の警告灯が、通常表示へ戻っていく。
非常音が止む。
搬送台車の駆動音も消える。
静かになった格納庫で、医療班がティオを受け取った。
アルクの腕から離れる時、ティオの指が、最後にもう一度、アルクの服の布を滑った。
リアは、その指先の動きを見てしまった。
医療班が、ティオを連れて離れていく。
アルクはその背中を見送っていた。
皇女は救われた。
誘拐作戦は失敗した。
アルクは、間に合った。
これで、よかったはずだった。
リアは、何も言わなかった。
言葉は喉まで来ていた。
ただ、声にならなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本日で、『黒冠のアルク』第二部・皇女編の第3巻が終了します。
第3巻では、皇女ティオをめぐる危機が大きく動き、アルクたちもその渦中へ踏み込んでいくことになりました。
襲撃事件から続く緊張。
そして、その中で少しずつ変わっていくアルク、ルナ、リア、ティオの関係。
皇女編の大きな山場を楽しんでいただけましたら幸いです。
次回からは、皇女編第4巻がスタートします。
第4巻では、三人のヒロインたちの距離感を中心に描いていきます。
激しい事件を越えた後、アルクたちは何を受け止め、どこへ向かうのか。
皇女編も、いよいよ終盤です。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。
次回からも、月・水・金の20時更新予定です。
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