白き檻の中の皇女(六)
第8章 白き檻の中の皇女(六)
親衛艦隊からの返答は、すぐには来なかった。
ブラッククラウン号は、アウローラに向かって進んでいる。
速度は抑えている。
ルナは操舵席で、相対距離を見ていた。
二万六千。
二万五千八百。
二万五千五百。
ゆっくりだ。
親衛艦隊もまだ介入してこない。
ノアが言った。
「後方の護衛艦、こっちを見てる。照準レーダーはまだ作動してない。」
「まだって言わないで。」
ルナが返す。
リアは通信席で、親衛艦隊からの返答を待っていた。
その端末に、ようやく応答が入る。
『ブラッククラウン号。こちら前方第一護衛艦。貴船からの異常報告を受信した。
現時点で、アウローラからは外部支援不要との指示を受けている。
接近理由を再度、説明せよ。』
リアが応答する。
「こちらブラッククラウン号。
アウローラから受信した限定ログでは、皇女殿下の安全区画への移動を確認できません。
隔壁開閉、通信制限範囲、第二安全区画の受け入れ状態に不一致があります。」
『当該情報は確認中である。貴船は現在位置を維持せよ。』
リアはアルクを見る。
アルクは首を横に振った。
リアは短く息を吸う。
「現在位置の維持はできません。」
通信の向こうが、わずかに沈黙した。
『理由を述べよ。』
「現在位置では、緊急事態発生時に対応距離へ到達できません。
ブラッククラウン号は、非常時限定接近コードを提示し、アウローラ後方右舷側の待機位置へ移動します。艦内進入は行いません。」
『許可された待機位置ではない。』
「承知しています。」
『ならば、現在位置を維持せよ。』
リアは返答を止める。
アルクが通信席の横へ来た。
「代われ。」
リアは席を半歩引く。
アルクはマイクに向かって言った。
「ブラッククラウン号、アルクだ。」
『確認している。貴船は現在位置を維持せよ。』
「無理だ。」
『命令に従わないのか。』
「間に合わない。」
『何にだ?』
「何か起きた時に。」
通信の向こうで、沈黙が続く。
アルクは自分からは話を続けない。
『貴船の報告は、アウローラに照会する。非常時限定接近コードの有効性も確認する。
照合完了まで速度を落とせ。』
「了解。」
アルクはルナを見る。
「落とせ。」
ルナが少し目を開いた。
「止まる?」
「止まらない。」
「了解。」
ルナは補助推進器の出力を一段下げた。
ブラッククラウン号の進路はそのまま。
速度だけ、少し落とす。
ノアが表示を確認する。
「相対距離、二万。接近継続。親衛艦隊、警告段階維持。」
ガロンが後ろで言った。
「首の皮一枚ってとこか。」
「まだ切れてはいません。」
リアが答える。
「切れたら?」
「その時は、かなり困ります。」
「正直でいいな。」
ガロンは笑わなかった。
ノアの画面に、新しい通信記録が出た。
護衛艦隊からアウローラへの照会。
非常時限定接近コード確認。
ブラッククラウン号の接近申請。
皇女殿下の安全区画移動状況。
限定ログ不一致の照合要請。
ノアが眉を寄せた。
「親衛艦隊がアウローラに確認を投げた。」
リアが画面を見る。
「当然の手順ですね。」
「うん。」
「艦長まで届くでしょうか?」
ノアは答えなかった。
全員が、同じことを考えていた。
もし、アウローラの指揮命令系統に不正干渉があるなら、その確認は、途中で止められる。
ルナが前方を見たまま言う。
「届くかな?」
アルクは短く答えた。
「分からない。」
「分からないの、嫌だね。」
「そうだな。」
「接近を続けるね。」
ルナが操舵桿を握り直した。
ブラッククラウン号は、ゆっくり近づいていく。
***
アウローラの副管制室で、管制担当の男が画面をもう一度、確認した。
親衛艦隊からの照会が、主系統に流れる前に止まっている。
非常時限定接近コード確認。
ブラッククラウン号接近申請。
皇女殿下の安全区画移動状況の照合。
そして、限定ログ不一致の照合要請。
管制担当は副艦長を見た。
「前方第一護衛艦から照会です。
艦長の確認を求められています。」
副艦長は艦内図を見ていた。
黄色表示は増えている。
だが、艦橋側の大型ホロ画面には、その一部しか表示されていない。
「内容は?」
「ブラッククラウン号が、接近コードを提示。アウローラ後方右舷側へ接近中。皇女殿下の移動経路に不一致があると主張しています。」
副艦長の表情が固まった。
「接近中?」
「はい。速度は抑えていますが、こちらに向かってきています。」
副艦長は表示パネルに近づいた。
ブラッククラウン号の緑の光点が、護衛艦隊の外側から内側へ少しずつ寄ってきている。
まだ遠い。だが、近づいている。
「照会は艦長へ回すな。」
「はい。」
「前方第一護衛艦には、『確認に時間を要する』と返せ。」
「皇女殿下の安全区画移動については?」
「『正規手順に従い移動中。外部支援不要。』」
「接近コードの件は?」
副艦長は一瞬、口を閉じた。
それは本物のコードだ。
皇女がブラッククラウン号へ渡したもの。
存在は艦長も護衛艦隊も知っている。
無効とは言えない。
「それも『有効性確認中』と返せ。」
「はい。」
副艦長は別回線を開いた。
格納庫へつながる細い通信回線。
自分の心臓の鼓動を感じる。
落ち着くために、ゆっくり息を吸う。
呼び出し音は一度で止まった。
『ヴァイスナー。』
短い返答。
副艦長は声を低くした。
「ブラッククラウン号が接近している。」
数秒、向こうが黙った。
『距離は?』
「すでに、警戒線の内側に入ってきている。
接近コードを提示したようだ。護衛艦隊から照会が入った。」
『艦長は?』
「通していない。」
『どれだけ持つ?』
「長くはない。」
副艦長は表示を見る。
ブラッククラウン号の光点が、また少し内側へ寄った。
「アウローラのセンサーもブラッククラウン号の接近は探知している。艦長に報告が入るはずだ。さすがに、もうごまかし切れない。
殿下を急がせろ。」
『殿下は足を痛めておられる。乱暴には扱えん。』
「分かっている。だが、時間がない。間に合わなくなるぞ。
医療搬送ポッドを起動して射出準備を進めろ。殿下を早く収容するんだ。
収容後に汚染隔離搬送として正式に救難艇を呼ぶ。救難手順になれば、親衛艦隊も止めにくくなる。
手続きは、こちらでどうにかする。」
『了解。』
通信が切れた。
副艦長は端末から手を離した。
管制担当に命じる。
「ブラッククラウン号の接近情報は、艦橋表示に上げるな。護衛艦隊との連絡は副管制室で処理だ。」
「はい。」
副艦長は、いつの間にか自分の手が汗ばんでいることに気づいた。
***
格納庫手前の補給区画で、ヴァイスナーは通信を切った。
副艦長たちの偽装工作が露見し、護衛艦が警戒態勢に入れば、救難艇は接近できない。
時間がない。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。
ヴァイスナーは歯を噛みしめた。
作戦を成功させるには、もう無理を通すしかなかった。
ティオは壁際に立っている。
足首を痛めている。
それでも、頑として担架には乗らない。
その周りを兵が取り囲んでいる。
ヴァイスナーは短く息を吐いた。
一人の兵に命じる。
「予定を早める。
医療搬送ポッドを起動しろ。汚染隔離名目だ。
殿下の収容と同時にポッドを射出できるよう準備。
急げ。」
「しかし、まだ汚染者発生報告、隔離申請、医療搬送ポッドの使用申請などの手順が済んでいません。」
兵が確認する。
「やむを得ん。状況が変わった。時間がない。
手続きは副艦長側で対応してもらう。」
ティオは話を聞いていた。
「何か、起きたのですね。」
ヴァイスナーは答えない。
兵が端末を操作する。
格納庫の医療搬送ポッドが起動した。側面の表示灯が白く点灯する。
通常待機から、搬送準備へ。
低い駆動音が響く。
固定レールが短く動き、ポッドの側面カバーが開く。
ティオはそれを見た。
「私を、あれに入れるつもりですね。」
ヴァイスナーがティオに近づく。
ティオがヴァイスナーをにらむ。
「医療搬送ポッド、起動しました。
ただし、医療班からの要請、未入力。艦長承認、未入力です。」
兵が報告する。
「そのままでいい。」
ヴァイスナーが言う。
「艦長承認は副艦長に代行承認させる。そうすれば射出は可能だ。」
ティオはそのやり取りを聞いていた。
医療班からの要請がない。
艦長の承認もない。
もう、正規手順を踏む余裕がなくなっている。
「あなたたちは、失敗しかけていますね。」
ヴァイスナーの表情が硬くなる。
「いいえ。」
「ならば、なぜ急ぐのですか。」
「殿下を危険から遠ざけるためです。」
「その危険とは、ブラッククラウン号ですね。」
ヴァイスナーは答えない。
ティオは小さくうなずいた。
「そうですか。」
確かな根拠はない。
それでも、ティオには分かっていた。
今まで、誰も救出に来ないのは、アウローラの中に協力者がいるから。それも、かなりの高官。
命令系統がまともに機能していないなら、一番に駆けつけてくれるのは、アルクたちに違いない。
医療搬送ポッドの内部が見える。
入れば逃げられない。
ヴァイスナーが言う。
「殿下を担架へ。ポッドにお移しする。」
二人が前に出る。
ティオは退かない。
退けば足がもたない。倒れれば、担架に乗せられてしまう。
だから、正面を向く。
「触れるなら、名を名乗りなさい。」
近づく二人の兵をにらむ。
二人の足が止まる。
顔を見合わせる。
「名乗れないようなことをするのですか。」
ティオの言葉に、二人の手が震える。
ヴァイスナーは一歩前へ出た。
「ご無礼を。」
「許しません!」
その時、通信機が鳴った。
ヴァイスナーは急いで回線を開く。
副艦長からだった。
『ブラッククラウン号が急速接近している。到着まで数分だ。
艦長が護衛艦から直接照会を受けた。こちらで止めきれなかった。
我々は副管制室に立てこもっている。間もなく逮捕されるだろう。それまで、できる限りの支援はする。
作戦の成功を祈る。』
通信は一方的に切れた。
ヴァイスナーは通信機を見つめ、一瞬、沈黙した。
そして目をつぶり、深く息をついた。
「ポッド射出中止。
作戦を変更する。」




