白き檻の中の皇女(四)
第8章 白き檻の中の皇女(四)
ブラッククラウン号の艦橋に、短い受信音が鳴った。
ノアが最初に反応した。
「アウローラから通信。艦内注意表示。」
ルナの指が操舵桿の上で止まる。
「注意表示?」
「警報じゃない。補助反応系の安全確認。区画制限あり。皇女殿下は安全区画へ移動中。外部脅威なし。護衛艦隊は外周警戒を継続。」
ノアは読み上げながら、通信を別画面に展開した。
形式は正しい。
署名も正しい。
アウローラの正規通信系から出ている。
アルクは艦長席から正面スクリーンを見ていた。
白い艦影のアウローラ。
その周囲を固める親衛艦隊六隻。
ブラッククラウン号は、その輪の外側にいる。
距離、二万八千。
今の位置からでは、何か起きてもすぐには届かない。
「状況は?」
「異常なし。護衛艦も配置変更なし。」
ノアが答えた。
リアが通信席の横へ移動し、表示を覗き込む。
「艦内注意表示だけ……ですか。」
「護衛艦に出てるのは、たぶんそれだけ。」
「こちらの限定ログは?」
「今出す。」
ノアは三枚の画面を開いた。
皇女移動予定。
隔壁状態通知。
通信優先制御範囲。
ブラッククラウン号に渡されているのは、艦内を操作する権限ではない。
見える範囲も限られている。
それでも、通常の護衛艦より少し深い。
内通者対策として、ティオが渡した監視用の細い窓だった。
ノアの指が、皇女移動予定の線をなぞる。
「予定では、第二安全区画。」
「問題ないんじゃないの?」
ルナが言う。
「予定ではね。」
ノアは隔壁状態通知を重ねた。
小さな白線が、艦内簡略図の上でずれる。
「実際に開いてる隔壁が違う。第二安全区画へ行くなら、ここで右。中央通路側。でも、開いてるのは左側の補助通路。」
リアが目を細める。
「迂回では?」
「あり得る。第七連絡管を避けるなら。ただ、次も左。さらに次も左。」
ノアが画面を拡大する。
皇女移動予定の白線は、第二安全区画へ向かっている。
だが、開いている隔壁は、格納庫側へ寄っている。
ルナが顔をしかめた。
「それ、変じゃないの?」
「変、とまでは言えない。」
ノアは即答した。
「危険な区画を迂回していると考えるのが普通。」
ノアは別画面を出す。
通信制限範囲。
黄色い制限範囲が、艦内簡略図の一部にかかっていた。
皇女区画、中央通路、格納庫側補助通路。
リアの手が端末の縁に触れる。
「ずいぶん広いですね。」
「確かに広いね。
補助反応系の注意表示にしては、皇女殿下の移動経路と艦長直通を巻き込みすぎてる。」
ノアが首を傾げる。
「皇女区画から艦橋への通信は?」
ノアが通信ログを探る。
「失敗してる。艦長直通は不安定。警備部中継に回されてる。」
ルナが低く言った。
「それ、おかしくない?」
「これも、おかしいとまでは言えない。」
ノアは答えた。
「非常時の通信混雑回避。誤報拡散防止。正規手順の中にある処理だから。」
ルナは納得できない顔で引き下がる。
艦橋に、わずかな沈黙が落ちた。
警報は鳴っていない。
外部脅威もない。
親衛艦隊も隊列を崩していない。
ノアが三つ目の画面を出した。
「第二安全区画側の受け入れログを見てみる。」
リアが反応する。
「受け入れログ?」
「皇女殿下を入れるなら、第二安全区画側も準備するはず。
気密確認、警備、通信。最低でもその三つ。」
「それは見えるのですか?」
「一部だけ。」
ノアは指を動かした。
第二安全区画。
区画状態、通常。
受け入れ準備……。
ノアの指が止まる。
「ない。」
ルナが振り返る。
「何が?」
「第二安全区画側が、皇女殿下を受け入れる準備をしている記録がない。」
リアが画面を見る。
「安全区画へ移動中、という通信と合いませんね。」
「合わない。」
ノアは短く言った。
「でも、これも決定的じゃない。準備が遅れてるだけっていうこともあり得る。」
ガロンが舌打ちした。
「全部、言い訳はできるってわけか。」
「一つずつならね。」
ノアは三枚の画面を並べた。
隔壁ログのずれ。
通信制限範囲の広さ。
第二安全区画の受け入れ準備なし。
「でも、三つ重なると変。」
「変ですね。」
リアが言った。
声は静かだった。
「ただし、決定的な証拠にはならない……。」
「うん。」
ノアがうなずく。
ルナが操舵桿を握り直す。
「じゃあ、どうするの?」
誰もすぐには答えなかった。
前方のアウローラは変わらず進んでいる。
白い艦体。
崩れない隊列。
警報は出ていない。
何も起きていないようにも見える。
けれど、ログだけが少しずつ噛み合わなくなっていた。
アルクが尋ねた。
「接近するとしたら?」
ノアが即答する。
「今の位置から、普通に近づけば九分から十分。戦闘速度で突っ込めば五分を切るけど、親衛艦隊に止められる。」
「戦闘速度は無理です。」
リアが言った。
「親衛艦隊の警戒圏に、無許可で高速接近することになります。」
「分かってる。」
アルクは前方スクリーンを見たまま答える。
ルナが小さく言う。
「でも、ここにいたら、何かあってからじゃ間に合わないかも。」
全員の動きが一瞬、止まった。
ガロンが後ろで腕を組む。
「近づくだけならどうだ。突っ込むんじゃなくてよ。何かあった時に、届く位置まで詰める。」
リアが画面から目を離さない。
「親衛艦隊には説明が必要です。」
「説明すりゃいい。」
「疑いだけで接近します、と言うのですか。」
「言い方は任せる。」
リアはほんの一瞬、困った顔をしてガロンを見た。
すぐにアルクへ視線を移す。
「アルク、接近すれば、親衛艦隊は警戒します。」
「する。」
「アウローラ側にも伝わります。」
「伝わる。」
リアは口を閉じた。
ルナが前を見たまま言う。
「近づこう! 何もなければ、後で怒られればいいよ。」
「怒られるだけで済めばいいですが。」
リアの声は硬い。
ルナは少しだけ横目でリアを見る。
「でも、ティオが何かされてからじゃ遅いでしょ。」
リアは言い返さなかった。
アルクは静かに言った。
「近づく。」
ノアが顔を上げる。
「確定じゃないよ。」
「分かってる。
親衛艦隊には、危険確定じゃなくて異常疑いで連絡する。」
「それがいいね。」
ノアがうなずく。
「緊急コード、使うの?
指揮命令系統への不正干渉が疑われる場合、条件には該当するけど。」
「使う。」
リアが息を整える。
「非常時限定接近コードを、接近の根拠として提示します。ただし、現時点では艦内進入ではなく、緊急対応可能距離への移動。そう連絡します。」
「任せる。」
ガロンはアルクの決断を確認すると、手を振って艦橋を出ていった。
後部区画では、ガロンの部下三名が待機していた。
ガロンが短く合図すると、それだけで状況を察する。
三人は無言で立ち上がり、装備ロッカーへ向かった。
艦橋では、ノアが通信文を組み始める。
「送る内容。アウローラ艦内ログに複数の不一致。皇女殿下の安全区画移動が確認できない。緊急時対応のため、ブラッククラウン号はアウローラへ接近する。艦内進入は行わない。非常時限定接近コードを提示。」
ルナが推進器の待機出力を上げる。
「アルク。」
「何だ?」
「近づくだけでいいんだよね?」
「今は。」
「今は、ね。」
ルナは前を向いた。
ノアが最後にアルクを見る。
「送る?」
「送れ。」
通信文が、親衛艦隊へ向けて送信された。
ブラッククラウン号は、進路を変え始めた。




