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黒冠のアルク ― 第一部完結/第二部・皇女編連載中 ―  作者: 久遠 恒 


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白き檻の中の皇女(三)

第8章 白き檻の中の皇女(三) 


皇女区画の廊下は、艦橋よりも静かだった。

壁は白。

床には薄い金線。

来賓用の通路として整えられているが、飾りは少ない。

アウローラは皇女専用艦であると同時に、軍艦でもある。

歩けば、靴音が短く返る。

ティオは前寄港地での事件の報告書を受け取り、端末上に表示された文字を目で追っていた。

艦橋から皇女控室に戻って、まだ二十分ほどしか経っていない。

周囲では、控室付きの女性士官二名が護衛に当たっている。

窓の外に、星は見えない。

代わりに、壁面のパネルに航行状況が表示されていた。

次の灯台中継点まで、約五十分。

護衛艦隊との同期、正常。

随伴監視船、定位置。

ブラッククラウン号という名前は表示されていない。

ただの監視船だった。

パネルから視線を外したところで、扉脇の通信灯が点いた。

一人の女性士官が動いて、壁面端末を開く。

表示されたのは、艦内警備部からの優先連絡だった。

女性士官の顔が少し硬くなる。

「殿下。艦内で補助反応系の注意表示が出ています。」

「警報ですか?」

「いいえ。現時点では注意表示です。ただ、安全確認のため、一部区画に立入制限がかかるとのことです。」

ティオは立ち上がった。

「艦長からですか?」

女性士官は画面を確認する。

「発信元は警備部。承認欄は副艦長の代行です。」

非常対応時、艦長が艦橋全体を見ている場合、副艦長が一部手順を代行する。

珍しくはない。

扉の外で足音が止まった。

「皇女殿下。警備第三班です。」

女性士官がティオを見る。

ティオはうなずいた。

「入れてください。」

扉が開く。

警備兵が四名。

装備は通常警備用。過剰ではない。

先頭の班長らしき兵が、深く頭を下げた。

「皇女殿下。補助反応系に異常が出ております。安全確認が終わるまで、一時的に安全区画へご移動をお願いします。」

声は落ち着いている。

慌ててはいない。

訓練された警備兵の声だった。

ティオは男の肩章を見た。

警備第三班。

「異常が発生した区画は?」

「第七連絡管周辺です。」

「この区画に影響はありますか?」

「現時点では確認されておりません。ただし、今後の遮断手順により、こちらの区画が一時的に孤立する可能性があります。」

班長はすぐ答えた。

「安全区画はどこです?」

「第二安全区画にご案内します。」

ティオは壁面の航行表示を見た。

第二安全区画。

皇女区画からなら、中央通路を抜けて艦橋下層へ降りるのが通常経路だった。

「艦長への確認は?」

「艦橋は現在、外部対応中です。副艦長の代行承認を受けています。」

女性士官が少しだけ眉を動かした。

ティオはそれを見た。

警備兵の説明に、大きな穴はない。

だが、艦長から直接一言あってもよい状況ではあった。

皇女を移動させるのだから。

「艦長に通信を開いてください。」

ティオが言った。

女性士官が壁面端末を操作する。

艦橋への呼び出し。

数秒。

応答なし。

もう一度。

今度は、応答があった。

『皇女区画、こちら艦橋。

 艦長は現在、艦内安全対応中です。

 皇女殿下には警備部の誘導でご移動いただくよう、艦長より指示が出ています。』

声は艦長のものではない。

「艦長は?」

ティオが問う。

『艦長は護衛艦隊と通信中です。警備部の誘導に従って、ご移動ください。』

通信が切れた。

女性士官が端末から手を離す。

警備兵は姿勢を崩していない。

「殿下。念のため、ご移動を。」

ティオは数秒、黙った。

艦長から直接、話がないことに、わずかな違和感はあったが、拒むほどの理由はない。

「分かりました。

 案内をお願いします。」

「補助反応系の遮断手順に伴い、一部通信が警備部の管理下に入ります。

 殿下の端末も警備部で管理させていただきます。」

ティオは端末を警備兵に渡し、班長に続いて扉に向かった。

三名が周囲を囲む。

廊下に出ると、照明が通常より少し暗かった。

完全な非常灯ではないが、注意表示時の省電力照明になっている。

床の誘導線が、薄い黄色に光っていた。

「こちらです。」

先頭の班長が歩き出す。

ティオはその後ろに続いた。

皇女区画を出て、最初の交差路。

本来なら右。

第二安全区画へ向かう中央通路は、右手にある。

だが、班長は左に曲がった。

ティオは足を止めずについていく。

「中央通路は使わないのですか?」

「第七連絡管の遮断に伴い、迂回経路を使用します。」

「左は格納庫側では?」

「格納庫寄りの補助通路へ入ります。」

ティオは歩きながら、壁面表示を見る。

第七連絡管、注意。

補助反応系、確認中。

通信優先制御、部分実施。

警備兵はゆっくりと歩く。

ティオの歩幅に合わせている。

隔壁が見えてきた。

通常なら開いている隔壁だった。

今は閉じて、認証を要求している。

班長が端末をかざした。

隔壁の表示灯が緑に変わる。

隔壁が開く。

奥の通路は、さらに照明が落ちていた。

「進みます。」

班長が言った。

ティオはうなずいた。

背後で隔壁が閉じる。

靴音が変わった。

来賓区画の柔らかい床材から、軍用区画の硬い床へ。

壁の金線が消えた。

かわりに、配管点検用の小さな扉が並ぶ。

ここは普段は皇女が通るような通路ではない。

ティオは背筋を伸ばしたまま歩いた。

その時、左側の補助扉が開いた。

中から別の警備兵が二人出てくる。

警備の列に加わる。

「殿下、進みます。」

「安全区画は、こちらの方向なのですか?」

ティオは尋ねた。

「迂回経路です。」

どうも、おかしい。

ティオの足がわずかに遅れる。

明白な理由はない……。でも……。

手袋の中で、ティオの指がこわばる。

「艦長に連絡を。」

ティオが命じた。

「申し訳ありません。

 現在、この区画の通信は警備部の優先通信となっています。」

「皇女ティオセフィアーナ・アウレリウムが、直接説明を求めています。」

ティオはもう一度、命じた。

班長は他の警備兵たちと顔を見合わせた。

班長は頭を深々と下げ、丁寧に言った。

「殿下に、お怪我をさせるわけにはまいりません。

 どうか、私についてきてください。」

その言葉で、ティオは理解した。思わず半歩、後ろへ下がる。

背後には閉じた隔壁。

左右には壁。

周囲には六人の警備兵。

***

隔壁が閉じる音が、艦内のあちこちで少しずつ重なった。

一枚。また一枚。

通路を塞ぐ低い駆動音が、アウローラの船体に伝わる。

黄色い表示が増えていく。

第七連絡管、注意。

補助反応系、確認中。

通信中継、優先制御。

安全区画への誘導経路変更。

艦橋の大型ホロ画面では、それらが小さな黄色の点として表示されていた。

艦長は中央席の横に立ち、艦内図を見ていた。

「黄色表示が増えているな。」

「はい。補助反応系の安全確認に伴うものです。」

副艦長が答えた。

声に乱れはない。

「警報へ移行する可能性は?」

「現時点では低いと思われます。予防的な区画制限です。」

「皇女殿下は?」

「警備第三班が第二安全区画へ誘導中です。」

副艦長は端末を操作し、皇女の誘導経路を艦長席の画面へ送った。

皇女区画から第七連絡管を避け、補助通路へ。そこから、艦橋下層に入り、第二安全区画へ。線はつながっている。

艦長は数秒、画面を見た。

「護衛は?」

「四名同行しています。」

「皇女殿下に通信をつなげ。」

通信士がすぐに動いた。

「皇女殿下への直通、呼び出します。」

数秒。

返答なし。

通信士の眉が動く。

「通信優先制御の影響があります。中継を切り替えます。」

「急げ。」

「はい。」

通信士が手元の端末で別経路を選ぶ。

一度、つながりかけた。

しかし、すぐに不安定になる。

「安定しません。」

「理由は?」

通信士が画面を読む。

「通信混雑回避のため、警備部側が殿下の誘導経路周辺の通信を制限しています。」

艦長が副艦長を見た。

副艦長は一礼する。

「安全対応の一環です。

 汚染疑い区画の誤報拡散を避けるため、周辺の通信を制限しています。

 つながりにくいのは、そのためと思われます。

 既に殿下へは、警備部の誘導に従っていただくよう伝達済みです。」

「皇女殿下の現在位置を出せ。」

艦長が命じる。

副艦長が端末を操作した。

艦長席のパネル表示が切り替わる。

皇女殿下随行端末。警備第三班。

二つの表示が、艦内図に重なる。

「第七連絡管周辺を避ける迂回経路です。」

副艦長が説明する。

艦長は目を細めた。

「第二安全区画まで、何分だ。」

「六分以内です。」

艦長は、少し考え込んで命じた。

「逐次報告するように。」

「はっ。」

副艦長は頭を下げた。

艦橋の後方では、通信士が護衛艦隊への送信文を整えていた。

「護衛艦隊へ艦内注意表示の内容を連絡します。」

「文面を読め。」

艦長が言った。

通信士は背筋を伸ばす。

「アウローラ艦内補助反応系に軽微な注意表示。安全確認のため一部区画を制限中。皇女殿下は安全区画へ移動中。外部脅威なし。護衛艦隊は現隊列を維持し、外周警戒を継続されたし。」

艦長は副艦長を見る。

副艦長は、表情を変えずにうなずいた。

「送れ。」

「送信します。」

通信士が送信キーを押す。

大型ホロ画面の護衛艦を示す青い光点が、一つずつ応答を返した。

六隻の護衛艦。

最後に、随伴監視船。

通信士が報告する。

「全艦、受信確認。」

通信士が続けて報告する。

「右舷護衛艦から応援の確認がきています。必要であれば、警備班を派遣可能とのことです。」

「不要だ。」

副艦長が言った。

艦長がそちらを見る。

副艦長はすぐに言葉を補った。

「現段階で外部から人員を受け入れれば、かえって混乱します。注意表示の段階で、他の艦の部隊を入れる必要はありません。」

艦長はしばらく黙っていた。

そして言った。

「『現時点では応援不要。待機せよ』と回答を。」

「はい。」

通信士が打ち込む。

副艦長は表情を動かさなかった。

艦橋の表示は、まだ黄色だけ。

赤はない。警報は鳴らない。

護衛艦隊の青い光点も、隊列を崩さない。

***

右舷護衛艦の艦橋では、通信士官がアウローラからの通信を確認していた。

「『現時点では応援不要。待機せよ』とのことです。」

「襲撃未遂後にしては、軽いな。」

艦長は顔をしかめた。

「向こうの表示は、注意扱いです。」

副官が答える。

「ブラッククラウン号は?」

「指定位置。動きなし。」

「監視を続けろ。アウローラからの信号に変化があれば即時報告。」

「了解。」

艦橋のホロ画面には、ブラッククラウン号を示す小さな点が表示されている。

***

アウローラ艦内。

副管制室。

副艦長が艦橋から戻ってきた。

奥の端末では、管制担当が隔壁の状態を見ている。

「第一、閉鎖。第二、閉鎖。第三、誘導開放。皇女殿下側の動線、格納庫に向かう通路へ接続。」

「正規の表示は?」

「正規の迂回経路のままです。」

「艦長側も大丈夫だな?」

「艦長席のパネルを含め、すべて正規の迂回経路を表示しています。」

副艦長はうなずいた。

「白信号、送りますか?」

管制担当が尋ねる。

「まだだ。」

副艦長は時計を見た。

予定より遅れている。

艦内図では、殿下を示す表示は、まだ格納庫へ向かう通路上にある。

まだ早い。

白信号は、潜伏部隊を出す合図。

出せば、やり直しは効かない。

「殿下が第三隔壁を越えてからだ。」

「了解。」

副艦長は視線を戻した。

「通信制限を強化しろ。」

「はい。」

管制担当がキーを押す。

皇女移動経路周辺の個別通信がさらに絞られる。

「第三隔壁、通過まで、あとどのくらいだ?」

副艦長が尋ねる。

「約三十秒といったところです。」

「白信号、準備。」

管制担当がカバーを開ける。

小さな送信キーが現れる。

副艦長は、艦内図の一点を見た。

皇女殿下を示す光が、ゆっくりと動く。

光点が、第三隔壁を越えた。

管制担当の指が、送信キーの上に乗る。

「送信します。」

指が押し込まれる。

白信号が、格納庫補給区画へ向けて流れた。

画面上では、儀礼式典用仮設設備として記録されているコンテナ。

その内側で、受信灯が白く点いた。


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