白き檻の中の皇女(二)
第8章 白き檻の中の皇女(二)
アウローラの格納庫は、皇女専用艦の中でも広い区画だった。
儀礼用の小艇。緊急脱出艇。医療搬送ポッド。
整備用の作業アームと、予備部品を納めたコンテナ群。
天井は高く、床面には白い誘導線が何本も引かれている。
格納庫中央は明るい。
だが、奥まった区画までは光が届きにくい。
そこに、大型コンテナが一つあった。
外部表示は、儀礼式典用仮設設備。
登録番号も、封印タグも、積載番号もそろっている。
首都星の出発前に積み込まれ、以後、一度も開封されていない。
コンテナの内側で、男が目を開けた。
狭い。
上体を起こすにも、肩をずらす必要がある。
それでも、七人がそこにいた。
寝台は三段。
壁面には酸素循環装置。足元には水パックと栄養剤。
排熱は、外側の冷却材コンテナに紛れさせている。
数週間。
彼らは、この場所で待っていた。
誰も大きな声は出さない。
呼吸音と、循環装置の低い振動だけが、狭いコンテナ内に響く。
「そろそろだな。」
一番奥にいた隊長らしき男が言った。
声はかすれている。
長く声を出していなかった者の声だった。
入口近くの男が、手首の端末を確認する。
「予定時刻まで十八分。」
「副艦長からの信号は?」
「まだです。」
男が答える。
外部通信は使えない。
直接送信すれば、アウローラの監視に拾われる可能性がある。
彼らに届くのは、コンテナの外装管理信号に紛れ込ませた、ごく短い符号だけだった。
赤は待機、黄は準備、白は実行。
符号は、この三種類だけ。
隊長は、壁に固定されたケースを開けた。
中には、自動小銃と艦内作業員用の灰色の制服が人数分。
そして、拘束具と神経抑制剤の注射器。
注射器を見て、少しの間、指を止める。
隊長は、全員に聞こえる声で言った。
「皇女殿下を絶対に傷つけるな。
命令は一時拘束。殺傷ではない。
痣一つ残すな。腕を捻るな。倒すな。引きずるな。
分かったか。」
「了解。」
低い声が重なる。
「抑制剤の使用は最後だ。」
「抵抗された場合は?」
若い男が聞いた。
隊長は、その男を見た。
「それでも最後だ。」
彼らは帝国軍の制服を着ていない。
階級章もない。
だが、動きは軍人のものだった。
薄い防護服の留め具を締める者。
膝の関節をゆっくり曲げ、狭い空間で固まった筋肉を戻す者。
無駄な動作がない。
「殿下が負傷された場合、作戦はどうします?」
隊長は、拘束具を手に取ったまま答えた。
「あってはならんことだが、重大な負傷を負われた場合は中止だ。」
「副艦長側の判断と食い違った場合は?」
「こちらが優先する。」
若い男が口を開きかけた。
隊長が見る。
それだけで、若い男は言葉を飲んだ。
「言え。」
「……皇女殿下を拘束して、帝都が黙っているとは思えません。」
「黙らせる必要はない。」
隊長は答えた。
「公式訪問を止めるだけだ。
止まれば、疑いが残る。帝都と辺境の両方にな。
それで充分だ。」
隊長は全員に向かって続けた。
「我々は反逆者ではない。
皇帝陛下をお守りする。帝国を守る。そのために、殿下を一時的にお預かりする。」
全員がうなずく。
外で、何か重いものが動く音がした。
格納庫の作業アームか、それとも、巡回の整備員か。
全員の動きが止まる。
コンテナ外壁に貼られた偽装温度計が、内部の熱を低く見せ続けている。
酸素循環装置の振動は、予備機材の冷却音に紛れさせている。
外の足音が近づいた。
一人。整備靴の音。
コンテナの前で止まる。
若い男の右手が、腰の拳銃のグリップに近づく。
隊長が目だけで止めた。
外側で端末の確認音が鳴る。
一回。そして二回。
そのあと、足音は遠ざかった。
誰かが細く息を吐く。
隊長は何も言わず、壁の監視表示を確認した。
外部表示は正常。登録番号も、封印タグも、積載番号も正常。
「準備を続けろ。」
隊長が言った。
全員がまた動き出す。
灰色の作業服が配られる。
服の胸元には、アウローラの補給管理班の簡易識別タグが付いていた。
すべて本物だ。
部下の一人が壁面パネルを開け、内部から薄い端末を引き出す。
「格納庫までの誘導線、確認しました。
途中の隔壁は三枚。」
「副艦長側で処理する。」
「はい。予定どおり最後の隔壁前で合流です。」
「護衛は?」
「こちら側の警備兵がつきます。」
男は答えた。
隊長は拘束具を腰のケースに入れた。
金属音は小さい。
それでも、狭い内部では妙にはっきり聞こえた。
そのあと、壁の小さな受信灯が一度だけ黄色く光った。
部下の一人が受信記録を確認する。
「副艦長側より、黄信号。準備段階に移行です。」
隊長は腕時計を見た。
予定より三分早い。
「早いな。」
年長の兵が言った。
だが、彼らに選べることは少ない。
このコンテナの中で待つ。
白信号が来れば出る。来なければ、出ない。
それだけだ。
隊長は最後に、もう一度全員を見た。
「いいか。殿下には敬意を払え。無理に急がせるな。だが、止まらせるな。」
誰も余計な返事をしなかった。
受信灯は黄色のまま、点滅せずに光っている。
***
アウローラの艦橋。
大型ホロ画面には航路図と護衛艦隊の位置情報。
右側の補助表示には、艦内区画の状態が並んでいる。
すべて緑。
異常を示す黄色、赤はない。
艦長は席に座り、通信士からの報告を聞いていた。
「親衛艦隊全艦、定時応答確認。隊列維持。外部脅威なし。
灯台中継点まで、一時間十三分です。」
「中継点までの航路誤差は?」
「規定内です。修正不要。」
「ブラッククラウン号は?」
通信士が一呼吸、置いて、別画面を開く。
「指定監視位置を維持。距離、二万八千三百。定時信号、異常なし。」
艦長はうなずいた。
艦橋の後方、艦内管制席の近くで、副艦長がその会話を聞いていた。
四十代前半。
痩せた顔に、乱れのない制服。
階級章も、襟元の留め具も、少しのずれもなかった。
彼は端末に目を落とす。
表示されているのは、艦内補助反応系の点検記録だった。
異常なし。
副艦長は指を動かし、別の記録を表示した。
艦橋側には出ない、副管制系統の作業枠。
そこに短い文字列が入っていた。
準備段階。
副艦長は目を細める。
「警備主任。」
低く呼ぶと、艦橋後方の通路側に立っていた男が近づいた。
副艦長は声を低くして確認した。
「皇女区画周辺の巡回、第三班への切り替えは?」
「問題ありません。」
主任がうなずいて、小さな声で答える。
「副艦長。」
艦長の声がした。
副艦長は画面を切り替え、顔を上げる。
「はい。艦長。」
「検証報告の提出準備は。」
「警備部、管制部、航路管理班の照合中です。次の定時までに草案をまとめます。」
「皇女殿下へ出す前に、私が見る。」
「承知しております。」
艦長の視線が外れた。
副艦長はわずかに息を吐く。
すぐに端末に注意を戻す。
艦橋から一段下がった副管制室に移動する。
扉が閉じると、艦橋の声は少し遠くなった。
副管制室には、管制担当が二名いた。
二人は、副艦長側の人間だった。
副艦長は、奥の席に座る男に声をかけた。
「信号は送ったか?」
管制担当が管制卓の画面をこちらに向ける。
「黄を送信済みです。格納庫側のコンテナからの受信確認はありません。予定どおり、受信のみです。」
「白は、まだだ。」
「はい。」
副艦長はうなずいた。
「救難艇の方は?」
「何も言ってきません。予定どおり、準備を進めているものと思われます。」
管制担当が続ける。
「医療搬送ポッド起動後に確定信号を送ります。」
「救難艇の接近は、殿下の収容後だ。こちらから確定信号を送るまで、向こうは動かない。」
「承知しています。」
副艦長は画面を確認した。
救難艇を、皇女殿下の回収に使う。
近づけるのは一度だけ。
接近が早すぎれば、護衛艦隊に警戒される。
タイミングが鍵になる。
「最初の寄港地の騒ぎが効いています。」
もう一人の管制担当が言った。
若い男だった。
声が少し低い。
副艦長はそちらを見た。
「警備側は、次も寄港地だと思っています。内部協力者が確保できる場所。
航行中のアウローラ内部とは想定していません。」
副艦長は無言で聞いている。
若い男は続ける。
「乗組員は選抜済み。強硬派のシンパなど混じるはずがない。そう思わせるために、前回は寄港地側で見せた。……そういうことですよね。」
「言葉にする必要はない。」
副艦長は静かに言った。
若い男は口を閉じた。
その時、副管制室に警備主任が入ってきた。
無言で、扉に鍵をかける。
副艦長と顔を合わせ、うなずき合う。
「第一段階を開始する。」
副艦長は全員に伝えた。
管制担当が手元の保護カバーを開け、キーを押した。
管制卓の表示が切り替わる。
『補助反応系、異常発生、確認中。
第七連絡管、注意。再点検の必要。
皇女区画周辺、警備配置変更。
一部通信中継、優先順位変更。』
「対象区画を一時注意表示にします。」
奥の席の管制担当が確認する。
「注意でいい。警報は出すな。」
「了解。」
艦内区画表示の一部が、緑から薄い黄色へ変わった。
警報ではない。
注意表示。
特に珍しいことではない。
警備側も、整備側も、正規手順として受け取る。
副艦長は、端末を開き、艦内整備班への指示を入力する。
『補助反応系にわずかな異常。第七連絡管の再点検。有害粒子漏れ検知器の較正確認。関係区画への一時立入制限。』
皇女区画から安全区画へ向かう正規経路のうち、二本が立入制限区画にかかる。
残る一本は、格納庫側の補助通路を迂回する。
副艦長は送信前に、文面をもう一度見た。
間違いはない。正規手順の範囲に収まっている。
送信。
副艦長は端末から別の指示を出す。
通信中継。隔壁操作。警備巡回経路。
それぞれに、小さな変更を加える。
一つだけなら、ただの調整。
三つ重ねても、まだ非常時の予防措置。
だが、全部を同時に見れば、皇女区画から安全区画へ通じる道が、削られていく。
「皇女区画への通知文は?」
警備主任が答える。
「準備済みです。発令後、警備第三班が向かいます。」
「文面を。」
警備主任が端末を差し出した。
『艦内補助反応系に異常疑い。
安全確認のため、皇女殿下を一時的に安全区画へ誘導。』
「これでいい。」
副艦長は端末を返した。
「殿下が確認を求められた場合は?」
「艦長承認済みと答えろ。」
「実際には?」
「私が代行承認する。」
警備主任がうなずく。
副艦長は、壁面の時刻表示を見た。
予定より三分早い。
だが、許容範囲内。
副艦長は短く言った。
「白信号の準備。」
管制担当が別端末を開く。
格納庫補給区画内、儀礼式典用仮設設備コンテナ。
数秒後、受信枠が白く点灯する準備に入った。
「まだ送るな。」
「はい。」
副艦長は艦橋側の扉を開ける。
扉が開く前に、制服の襟を正した。
扉が開く。
白い光の中で、艦長が振り返った。
「副艦長、なにか?」
「補助反応系に軽微な注意表示が出ました。安全確認のため、関係区画の一部を制限します。」
艦長の眉がわずかに動く。
「警報ではないな?」
「はい。念のためです。」
「皇女殿下への影響は?」
「万が一を考慮して、一時的に安全区画へご案内します。」
艦長は補助パネルを見た。
緑の艦内図に、薄い黄色が一つ増えている。
それだけだった。
「そうしてくれ。」
「了解しました。」
副艦長は頭を下げた。
その姿勢のまま、指先だけで端末に短い確認を入れる。
艦橋の誰にも見えない小さな窓が、画面の端に開いた。
白信号、作成開始。
副艦長は顔を上げた。
大型ホロ画面の端に、ブラッククラウン号を示す小さな緑の光点があった。




