白き檻の中の皇女(一)
黒冠のアルク 皇女編 Ⅲ
―― 黒き船、白き檻へ
第8章 白き檻の中の皇女(一)
皇女専用艦アウローラは、外縁星域の暗い航路帯を進んでいる。
艦橋中央の大型ホロ画面には、航路線と護衛艦を示す青い光点が光っていた。
アウローラを中心に、親衛艦隊の護衛艦が六隻。
前方一隻、上下左右に各一隻、後方に一隻。
その外側、護衛艦隊の定めた警戒線の少しだけ内側に、小さな光点が一つあった。
ブラッククラウン号。
正規の護衛艦ではない。
艦隊編成にも組み込まれていない。
それでも、今の航行隊列の中で位置を与えられていた。
「次の灯台中継点まで、標準航行で三時間二十二分です。」
航海士が報告した。
「星間流の乱れは軽微。針路修正の必要はありません。」
「護衛艦隊との同期は?」
ティオセフィアーナ・アウレリウムは、艦長席の横に立ったまま尋ねた。
座るよう勧められていた。
けれど、座る気にはなれなかった。
公式訪問中の皇女が艦橋にいる必要はない。
それは分かっている。
だが、前の寄港地で襲撃未遂が起きた後で、客室にこもって報告だけを待つ気にはなれなかった。
「全艦、同期正常。前方警戒艦より、外部脅威なしとの報告です。」
艦長が答えた。
五十代半ばの男だった。
白髪交じりの短い髪。姿勢は崩れない。
皇女専用艦を預かる者として、慎重すぎるほど慎重だった。
「アウローラ、護衛艦隊、随伴監視船、すべて異常ありません。」
随伴監視船。
艦長はそう言った。
ブラッククラウン号のことだった。
正規の名称ではない。
だが、今回の航行隊列の中では、そう呼ぶしかない役割だった。
ティオはホロ画面の端にある小さな光点を見た。
ブラッククラウン号は、護衛艦よりずっと小さい。
アウローラと比べれば、艦影としても頼りない。
武装も、装甲も、格式も違う。
それでも、あの船にはアルクがいる。
ティオは、その考えが表情に出る前に、視線を外した。
「艦長。」
「はい。」
「ブラッククラウン号に関する非常時権限の通達は、親衛艦隊にも届いていますね。」
艦長の目が、わずかに細くなった。
姿勢を正す。
「はい。親衛艦隊各艦、およびアウローラの主要部署に通達済みです。」
「条件も?」
「皇女殿下の生命、身体に直接関わる危険が生じた場合。あるいは、アウローラの指揮命令系統への不正干渉が疑われる場合。その二点に限り、ブラッククラウン号による限定支援を認める。そう通達しております。」
艦橋の空気が、ほんの少し硬くなった。
何人かの士官が、手元の端末から顔を上げた。
すぐに視線を戻し、聞いていないふりをする。
ティオはそれを責める気はなかった。
正規軍の艦橋で、辺境の民間船に非常時権限を与える話をしている。
普通なら、あり得ない。
皇女を守るためとはいえ、正規軍の手順へ割り込む権限を持つ。
不快に思う者がいて当然だ。
「反対は出ましたか?」
艦長は一呼吸、置いた。
「親衛艦隊からは、条件の確認がありました。」
「反対ではなく?」
「確認です。」
ティオは艦長を見た。
艦長は視線を逸らさなかった。
「皇女殿下の正式命令であれば、親衛艦隊は従います。ただし、実際に使用される場合、現場確認は行われます。」
「当然です。」
ティオはうなずいた。
「私も、あの船に無制限の権限を与えたつもりはありません。」
「承知しております。」
「使わずに済むのが一番です。」
艦長は短く頭を下げた。
その言葉に、艦橋の誰も反応しなかった。
外縁星域の最初の寄港地で起きた襲撃未遂事件は、まだ調査が続いていた。
港湾管制、航路統制区画、補給廠、崩落した地下通路、安全区画。
いくつもの部署に、敵の手が入っていた可能性がある。
ティオは手袋をはめた指で、艦橋中央の手すりに触れた。
冷たい金属だった。
「前寄港地の検証結果は、次の到着前に提出させてください。」
「副艦長へ指示しております。警備部、管制部、航路管理班の三系統で照合中です。」
「分かりました。」
そこで会話は切れた。
航海士が低い声で別の報告を入れる。
「後方護衛艦より、隊列間隔の微修正要請。標準範囲内です。」
「許可する。」
艦長が即答した。
ホロ画面上で、後方の青い光点がほんのわずかに位置を変えた。
それに合わせて、アウローラの船体が針路を微修正する。
床に揺れはない。
人工重力も乱れない。
ただ、艦橋の大型窓に映る光の角度が、かすかに変わった。
ティオはもう一度、小さな光点を見た。
ブラッククラウン号は、動いていなかった。
定められた距離を守り、護衛艦隊の外側にいる。
近すぎず、遠すぎず。
まるで、そこにいるだけでよいと言われているような位置だった。
「皇女殿下。」
艦長の声で、ティオは視線を戻した。
「客室へ戻られますか?」
「もう少しだけ、ここにいます。」
「承知しました。」
艦長はそれ以上、言わなかった。
ティオは手すりから指を離した。
公式訪問は続く。
次の寄港地で会う相手の名前が、端末の予定表に並んでいる。
行政府の代表。外縁星域軍の高級将校。辺境側の使節。
一人一人の顔を見て、握手をし、言葉を交わす。
一つずつ進めていくしかない。
艦橋の端で、通信士が小さく報告した。
「ブラッククラウン号より、定時連絡。異常なし。」
艦長が応じる。
「受信確認。規定どおり記録。」
ティオは何も言わなかった。
ホロ画面の端で、小さな光点が変わらずそこにあった。
***
ブラッククラウン号の艦橋は、いつもより静かだった。
警報は鳴っていない。
航路図に赤い表示もない。
それでも、誰も気を抜いていなかった。
操舵席にはルナ。
右手を操舵桿に置き、左手で補助推進の補正値を入れている。
アウローラとの距離は、親衛艦隊から指定された範囲内。
近づきすぎれば警告が来る。
離れすぎれば外部監視役として意味がない。
その間を保つのが、今のルナの仕事だった。
「相対距離、二万八千。速度差、許容範囲内。
……ちょっとだけ前に出てもいいと思うんだけど。」
ルナが小さく言った。
誰に言ったというより、操舵席に向かってこぼした声だった。
ノアは通信監視席で端末を三枚開いている。
一つはアウローラの定時信号。
一つは護衛艦隊から提供される情報。
もう一つは、アウローラから共有されている限定ログ。
見えているのは、船内状況の一部だけ。
それでも、何もないよりはずっとましだった。
「前に出たら、護衛艦から警告が来るよ。」
ノアは画面から目を離さずに言った。
「来るかな?」
「必ず来る。
今も向こうの監視レーダー、こっちをずっと見てる。」
「見すぎだよね。」
ルナは唇を尖らせた。
「向こうの仕事だからね。」
ノアが返す。
アルクは艦長席に座っていた。
前方パネルには、アウローラを中心にした簡易航行図が表示されている。
青い光点が護衛艦。
白い光点がアウローラ。
そして、ブラッククラウン号は外側の小さな緑の点で表示されていた。
アルクはその表示を見ている。
姿勢は崩れていない。
リアはノアの後ろに立ち、ノアが開いたログを確認していた。
「アウローラからの定時信号は、予定どおりですか?」
「うん。時刻、署名、信号強度、全部正常。護衛艦隊の応答もそろってる。」
ノアが一本ずつ指でなぞる。
「外部から見る限りは平穏。」
「外部から見る限り、ですか。」
リアが静かに言った。
ノアは少しだけ肩をすくめた。
「中まで全部、見えてるわけじゃないから。」
「そうですよね。」
リアはうなずく。
ガロンは後部席で腕を組んでいる。
普段なら椅子の背にもたれ、退屈そうに足を投げ出しているところだが、今日は違った。
両足を床につけ、すぐ立てる姿勢で座っている。
「外から見て何もねえ時が、一番面倒なんだよな。」
ガロンが言った。
「心配?」
ルナが振り返る。
「まあな。何もねえに越したことはねえんだが。」
「だよね。」
ルナは、また前を向いた。
操舵桿を握る指の力が、少しだけ強くなる。
ブラッククラウン号は、護衛艦隊の外側を並走している。
前方スクリーンに映るアウローラは大きい。
船体表面には皇女専用艦らしい白と金の装甲帯が走っている。
戦闘艦ほど武骨ではない。
けれど、ただの儀礼船でもなかった。
艦腹には格納庫。後部には大型推進器。
外周には親衛艦隊との連携用アンテナ群。
その周囲を、六隻の護衛艦が囲んでいる。
「アルク。」
ルナが横目で見た。
「ん。」
「さっきから、ずっとアウローラ見てる。」
「監視役だ。」
「それは分かってるけど。」
ルナは言葉を止めた。
モニターに視線を戻す。
すぐにまた、ちらりとアルクを見た。
「ティオ、艦橋にいるのかな。」
「たぶん。」
「たぶんって、分かるの?」
「定時信号の発信時、皇女区画から艦橋系統に認証が移ってる。」
ノアが代わりに答えた。
「ティオ本人か、端末が艦橋にある。たぶん本人。」
「ノアに聞いたんじゃないんだけど。」
「ごめん。」
ノアは謝ったが、顔は端末を向いたままだった。
ルナは頬を膨らませかけて、止めた。
「……艦橋に出てるんだ、ティオ。」
リアが端末から視線を上げる。
「前の寄港地での件がありますから。報告だけ待つ気にはなれないのでしょう。」
「リアには分かるんだ。」
「推測です。」
「ふうん。」
ルナは前を向いた。
口元だけが、少し尖っている。
アルクは黙っていた。
投影パネルの中で、アウローラの光点が進む。
その前方に灯台中継点の表示がある。
そこまで三時間を切っていた。
リアが端末を閉じる。
「今のところ、異常はありません。アウローラも、護衛艦隊も、外部航路も規定値内です。」
「了解。」
アルクが答える。
「ルナ。距離はそのまま。」
「分かってる。近づきすぎない、離れすぎない、でしょ。
アルクが言うと簡単そうなんだけど。」
ルナは小さく息を吐いた。
操舵席の前に、距離表示がある。
二万八千二百九十から二万八千三百十。
その間で、細かく揺れている。
アウローラは大型艦。護衛艦は軍用推進。
ブラッククラウン号は、寄せ集めの船体をルナが押さえ込んでいる。
操舵桿を握る手に、船体の癖が返ってくる。
ルナは表示を見て、推進器の出力を一段落とした。
ブラッククラウン号が、ほんのわずか後ろへ沈む。
指定距離の中心に戻る。
「よし。」
ルナが短く言った。
アルクは操舵表示を見てうなずいた。
ルナはそれを見て、少しだけ口元を緩めた。
後部席でガロンが首を回す。
「しかしまあ、皇女専用艦ってのは面倒だな。近寄るにも許可、離れるにも許可、見てるだけでも気を使う。」
「皇女殿下が乗っておられますから。」
リアが言った。
「分かってるよ。分かってるけど、うちの船にゃ合わねえな。」
「うちが皇女専用艦に馴染んだら、別の問題が起きるよ。」
ノアが言う。
「違いねえ。」
ガロンが笑う。
通信席の小さな表示が、一度だけ点滅する。
ノアが目を向ける。
「アウローラから定時監視応答。異常なし。」
「間隔は?」
アルクが聞く。
「規定どおり。遅延なし。署名も一致。」
「護衛艦は?」
「全艦応答。問題なし。」
ノアはそこまで言って、記録に印をつけた。
端末の画面上には、正常を示す青い印が並ぶ。
アルクは投影パネルを見たまま、短く言った。
「監視を続ける。」
「了解。」
ノアが答える。
ルナが操舵桿を握り直す。
リアは艦内記録用の端末に、現在時刻を入力した。
ガロンは席を立ち、後部の装備ロッカーへ歩いた。
扉を開け、中の固定具を一つずつ確認する。
「まだ早いですよ。」
リアが言う。
「分かってる。早いから見るんだよ。」
ガロンはそう返して、ロッカーを閉じた。




