監視依頼(後半)
第7章 監視依頼(後半)
ブラッククラウン号への正式依頼は、皇女随員名義で送られた。
「来た……よ。」
ノアは、いつもの淡々とした声だったが、少しだけ間があった。
ルナが操舵席から身を乗り出す。
「何が?」
「皇女公式訪問行程中の外部監視任務。ブラッククラウン号宛て。正式依頼。」
「正式依頼!?」
ルナは目を丸くした。
「正式に? 本当!?」
ガロンが壁際で腕を組み直す。
「とうとう来たか。」
「とうとうって、ガロン、予想してたの?」
「来てもおかしくねえとは思ってた。だが、本当に来るとはな。」
ノアが、おもしろそうに言う。
「皇女公式訪問の警備計画に、民間船の名前が入る。」
ガロンが低く笑った。
「出世か、厄介事か、どっちだろうな。」
「たぶん、両方。」
リアはすぐには口を開かなかった。
表示された文面を、上から下まで読む。
それから、静かに息を整えた。
「殿下が押し切ったのでしょうね。」
「親衛艦隊、嫌がりそうだよね。」
ルナが言う。
「嫌がるでしょう。」
リアは否定しない。
「ですが、内部協力者の疑いが出た以上、軍だけでは心配な面があります。」
アルクも文面を見ていた。
ガロンと同じで、予想していなかったわけではないが、まさかという思いもあった。
ノアが文面の要点を読み上げる。
「親衛艦隊の指揮下には入らない。これまでどおり、外部からの監視。
緊急時には警備部隊に直接警告を送る権限を与える。」
「警告できるんだ。」
ルナの声が少し変わる。
「少なくとも、今までよりは近い。」
ノアが言う。
「見せてもらえる情報も、かなり広がる。
港湾管制、航路統制、訪問行程、警備計画、警備行動。ただし、極秘事項は除く。」
ルナはノアの話を聞いて、少しだけ頬を膨らませた。
「びっくりしたけど……外から見てるだけよりは、いいよね。」
アルクは短く答える。
「そうだな。」
ルナは横目で見る。
「受けるんでしょ。」
「受ける。」
「心配だったし?」
アルクは少しだけ間を置いた。
「それもある。」
ルナは視線を逸らした。
リアは聞こえないふりをしている。
「ブラッククラウン号、外部監視任務を受諾。これで送っていい?」
ノアが確認する。
「送れ。」
「了解。」
送信表示が点る。
しばらくすると、別の通信が入った。
ノアが報告する。
「皇女専用艦から通信。発信者、皇女殿下。通信種別……私的枠。」
ノアが顔を上げて皆の顔を、おもしろそうに見る。
ルナの肩はぴくりと動いた。
「私的?」
ガロンが口の端を上げる。
「公式の次は私的か。」
艦橋の空気が静かになる。
リアは静かに姿勢を正した。
アルクは一歩前へ出る。
「つなげ。」
「了解。」
ノアが通信を開いた。
画面が切り替わる。
皇女専用艦アウローラの通信室だった。
白い壁面。背後には随員が一人だけ立っている。
画面の端に、護衛官が少しだけ映っていた。
ティオは礼装を着て立っていた。
出発時より少しだけ装いが乱れている。襟元は整っているが、長い上衣の裾に、小さな皺が残っていた。
安全区画へ退避した時のものかもしれない。
ティオは画面越しに、まず船長のアルクを見た。
「アルク船長。正式依頼は届きましたか。」
「届きました。お受けします。」
「ありがとうございます。」
ティオはうなずく。
「今回の件で、親衛艦隊にも現地警備にも規定違反はありませんでした。
ただ、内部協力者の存在が疑われます。」
アルクは黙って聞いている。
「軍の警備の外側から見る目が必要だと、判断しました。」
「分かります。」
短い返事。
ティオは少しだけ目を伏せた。
「それが、公的な理由です。」
ティオはもう一度顔を上げた。
「それとは別に、私から、お願いがあります。」
アルクの表情は大きく変わらない。
けれど、わずかに目を細めた。
ノアもルナも、手を止めた。
リアはティオを鋭い視線で見ている。
「この訪問を、最後まで見届けていただきたいのです。」
ティオの声は大きくない。だが、厳しい声。
「私は、辺境へ行きます。外縁にも、まだ向き合わなければなりません。
途中で止まるわけには、いきません。」
「無理はしないでください。」
アルクは、ティオが旅立つ時に言った言葉を、もう一度繰り返した。
「ですが、無理をしなくては進めない道もあります。」
ティオも、同じ言葉を返した。
アルクは黙って聞いている。
「あなたには、私が進む道を見ていてほしいのです。」
ルナとリアが、アルクを見る。
アルクは画面の向こうのティオから目を離さなかった。
「分かりました。」
一呼吸、置く。
「ブラッククラウンは、あなたの航路を見届けます。」
ほんの一瞬だけ、皇女艦通信室の空気が止まったように感じられた。
ティオは静かにうなずいた。
「お願いします。船長。」
「はい。殿下。」
その呼び方に、ティオは少しだけ、寂しそうな顔をした。
「今は、それでいいです。」
小さな声でつぶやく。
「今は?」
ルナが思わず口走った。
ティオの視線が、ルナへ移る。
ルナはしまったという顔をしたが、もう遅い。
ティオは小さく笑った。
「はい。今は。」
「……ずるい。」
ルナが小声で言った。
ティオは聞こえたようだったが、言い返さなかった。
ガロンが後ろで肩を震わせている。
ノアも表示パネルを見ているふりをして、ルナとリアに注意を向けている。
ティオは最後に、もう一度アルクを見つめた。
「では、これより先は、正式任務として、お願いします。」
「お受けします。」
「私的なお願いも、です。」
アルクは少しだけ間を置く。
「それも、お受けしました。」
ティオはうなずいた。
通信は切れなかった。
短い沈黙。
ティオは、何か言いかけたように見えた。
だが、後ろの随員が合図を出したようだ。
ティオは視線を戻す。
「また連絡します。」
アルクは無言でうなずく。
通信は切れた。
***
「私的通信、終了。」
ノアが確認した。
ガロンが壁にもたれ直す。
「姫さん、強いな。」
「どこが!?」
ルナの声が少し尖っている。
「お願いの仕方がだよ。あれじゃ、逃げ道がねえ。」
「あるでしょ。断ればいいじゃない。」
「お前、断る気あったか?」
ルナは黙った。
ガロンは笑わない。
ただ、アルクを見る。
「船長も、断る気はなかったよな。」
「ああ、ない。」
アルクは短く答えた。
「危険な任務です。」
リアが言った。
「殿下の公式訪問に、ブラッククラウンが組み込まれたことになります。」
リアは少しうつむいて続けた。
「政治的にも難しい任務です。私の感情的にも……。」
ルナがはっとした顔でリアを見る。
「感情的にも、って言った?」
「……言いました。」
リアは否定しない。
ルナは操舵席の上で膝を抱える。
「皇女様って、ずるいよね。」
その声には、いつもの勢いがない。
「お願いまでちゃんと強いんだもん。公式の理由があって、ちゃんと危険があって、だから断れなくて、その上で私的にもお願いしてくる。」
ルナはアルクを見る。
「アルクもさ、ああ言われたら受けるよね。」
「受ける。」
即答する。
「アルクの、そういうところ……」
ルナは顔を伏せて、ため息をついた。
「でも、助けないなんて言ってないからね。」
リアも少しだけ目を伏せる。
「ルナ。」
「何?」
「それは、私も同じです。」
リアは静かに続ける。
「殿下のことを警戒していないと言えば、嘘になります。」
アルクがリアを見た。
リアは視線を逸らさない。
「皇女としての殿下は、アルクを必要としています。少女としての殿下も……。
少し……、嫌です。」
リアはそこで言葉を切った。
アルクは黙って聞いていた。
「それでも、危険があるなら協力します。
今は、そこを間違えたくありません。」
ルナは小さく息を吐く。
「リアって、冷静なこと言ってるのに、ちゃんと悔しそう。」
リアは返事をしなかった。
ガロンが頭をかく。
「お前ら、ほんと面倒くせえな。」
ノアが表示を切り替える。
「皇女様の艦隊、間もなく発進だよ。
そろそろ、真面目に仕事しよう。正式任務が始まる。」
「ノアはほんと、切り替え早いね。」
ルナがあきれて言う。
「失敗したら、辺境の船が皇女様の警備を乱したからだって言われるよ。」
ノアが言い返す。
ルナは苦笑いして、操舵席に座り直した。
「じゃあ、私は位置取りするね?」
「うん。親衛艦隊の護衛圏外。指定された監視範囲の中央。近づきすぎると怒られる。離れすぎると見えない。」
「ほんとに嫌な距離。」
リアは端末を手に取る。
「私は親衛艦隊との通信手順を確認します。間違えると、余計な反発を招きそうです。」
「頼む。」
アルクが言った。
リアはうなずく。
アルクはパネルの表示を見ている。
皇女専用艦アウローラの位置。〈オルディア港〉の管制情報。親衛艦隊の護衛圏。
そして、ブラッククラウン号に許可された監視位置。
ガロンが艦橋後方から言う。
「俺は救助装備をもう一回見てくる。使わねえ方がいいが、こういう時はだいたい面倒事が起きるもんだ。」
「やめてよ、そういうの。」
ルナが顔をしかめる。
「現場の勘だ。」
ガロンは片手を上げて出ていった。
艦橋に、それぞれの操作音が戻る。
けれど、さっきまでと少し違う。
見ているだけでは、済まなくなった。
***
ノアが親衛艦隊との接続窓口を開いた。
「接続、開いた。確認してる。」
ノアが言う。
「思ったとおり、ほとんどはリアルタイムの情報だけど、警備計画や実際の警備行動はチェックが入ってる。加工済みの情報になるね。
もちろん、こちらからは関与できない。」
「警告は送れるのか。」
アルクが尋ねる。
「送れるよ。ただし、緊急時だけ。皇女側随員室と警備班に同時送信できる。」
「今はそれで充分だ。」
ノアは肩をすくめた。
リアは親衛艦隊から届いた追加条件を確認する。
「護衛圏内への無断進入禁止は今までどおりですが……、
緊急警告使用時は通信ログを親衛艦隊にも送信しろと言っています。」
「信用されてないね。」
ルナが言う。
「仕方ありません。」
リアは端末から目を離さず答える。
ルナは操舵桿をわずかに倒した。
近すぎない。でも、離れすぎない。
指定された監視範囲の中央で、船体が安定した。
「位置合わせ完了。指定距離、維持。」
ノアが数値を確認する。
「誤差、許容範囲内。いい位置。」
「当たり前。」
ルナは短く返した。
「こういう嫌な距離、操るの得意だから。」
リアが親衛艦隊へ位置を報告する。
数秒後、返信が来た。
『確認』
それだけ。
ガロンが艦橋へ戻ってきた。
「接舷装備、応急隔壁カッター、救助キット。確認済みだ。使わねえのが一番だがな。」
「使うことがないことを祈りましょう。」
リアが言う。
「そうだな。」
ガロンがうなずく。
ノアは表示パネルを操作して情報を整理した。
「今後は、予定と実際がずれたらここに出る。
管制信号、皇女専用艦内部の動き。拾える範囲だけだけど。」
「危険な動きがあったら止められる?」
ルナが聞く。
ノアは一瞬だけ黙る。
「間に合えばね。」
「そっか。」
ルナは唇に力を込めた。
アルクは、中央のホロ画面に映されたアウローラの簡略構造図を見ている。
ブラッククラウン号に提供するために加工されたものだった。
細かい隔壁番号はない。通路の一部も省かれているようだ。
それでも、皇女区画、通信区画、接続口などは分かる。
ノアがログ保存設定を入力する。
「時刻同期。監視項目の差分検出、開始するね。」
皇女専用艦の予定航路。管制信号。皇女専用艦の内部情報。親衛艦隊の警戒状態。
それぞれが、流れ始めた。
「今のところ正常。」
ルナが言う。
「今のところ……だよね。その言い方、ほんと嫌。」
「でも、それが正しい。」
ガロンが肩をすくめる。
「正常に見える時が一番面倒なこともある。」
リアは、ケードへの報告文を作る。
「ブラッククラウン号、公式に外部監視任務を開始。指定位置維持。異常なし。
これで送ります。」
「頼む。」
アルクが言う。
送信表示が点る。
アルクはもう一度、皇女専用艦の構造図に視線を戻した。
ティオは、その中にいる。
ブラッククラウン号から、見える範囲は狭い。
動ける範囲も限られている。
それでも、前よりは近い。
ルナは操舵席で小さく息を吐いた。
「ほんと、嫌な仕事。」
ガロンは腕を組み直し、正面スクリーンを見る。
「まあ、外から見張る仕事ってのは、この船には似合わねえが、こういう時もある。」
誰も言い返さなかった。
ホロ画面には、皇女専用艦の構造図と、辺境へ伸びる航路線が映っている。
ブラッククラウン号は、白銀の艦隊の外側で速度を合わせた。
その距離は、まだ遠い。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本日で、『黒冠のアルク』第二部・皇女編の第2巻が終了します。
第2巻では、皇女ティオの訪問が本格的に始まりました。
アルク、ルナ、リア、ティオの距離感が少しずつ変わっていく一方で、皇女を狙う襲撃事件も起こり、穏やかだった空気に大きな影が差す巻となりました。
皇女を迎える側。
皇女を守る側。
そして、皇女の存在を快く思わない者たち。
それぞれの思惑が、少しずつ表に出てきています。
次回からは、皇女編第3巻がスタートします。
第3巻では、襲撃事件の余波が残る中、皇女ティオをめぐる危機がさらに深まっていきます。
アルクたちとブラッククラウン号は、その危機の中で何を選ぶのか。
そして、アルク、ルナ、リア、ティオの関係も、少しずつ新しい形へ進んでいきます。
皇女編も、ここからさらに大きく動いていきます。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。
次回からも、月・水・金の20時更新予定です。
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