和解への航路(後半)
第5章 和解への航路(後半)
帝都軌道港の一般停泊区画。
その端に、貨物船や航路支援船が並ぶ一角があり、ブラッククラウン号はそこに係留されていた。
皇女専用艦アウローラまでは距離がある。
肉眼で見れば、白銀の艦影が小さく見える程度。艦橋の大型表示パネルに拡大映像を出して、ようやく周囲の動きが分かる。
ルナは操舵席の背もたれに寄りかかり、表示パネルを見上げていた。
「うわ! すごい数。」
表示パネルには、皇女専用艦の周囲に展開する親衛艦隊が映っている。
白銀の艦列。
前後、左右、上下に展開する護衛艦。
さらにその外側を、軌道港警備艇が一定間隔で囲んでいた。
ルナは口を尖らせる。
「あれ、近づいたら怒られるやつだよね。」
「怒られる前に、撃たれるぞ。」
ガロンが艦橋後方の壁にもたれて、笑いながら返した。
アルクは艦長席に座り、表示パネルをじっと見ている。
視線が動かない。
ルナは横目でそれを見る。
「アルク、さっきからずっと見てる。」
「出発前だからな。」
「それだけ?」
アルクは少し黙った。
「大事な訪問だ。」
「ふうん。」
ルナは操舵席に腰を落とした。少しだけ乱暴だった。
リアは端末に表示された公開情報を確認していた。
「帝都航路統制局の発表では、出発手順は予定どおりです。
皇女専用艦、親衛艦隊、随行文官団と航路統制局員の乗艦。
すべて確認済みとなっています。」
「ずいぶん大がかりだな。」
ガロンが言った。
腕を組み、作業用ジャケットの袖をまくっている。
式典映像には、あまり興味がなさそうだったが、護衛艦隊の配置だけは見ていた。
「皇女様一人を運ぶにしちゃ、船が多い。」
「皇女殿下だけではありません。」
リアが返す。
「行政官僚、航路統制局、辺境交渉準備室の係官も乗っています。
辺境自治承認へ向けた下準備も兼ねていますから。
殿下は、帝国の姿勢を示す象徴です。」
「象徴ねえ。」
ガロンは鼻を鳴らした。
「弾は象徴を避けて飛んでくれねえぞ。」
リアは否定しなかった。
「ですから、親衛艦隊があの配置なのだと思います。」
ノアは椅子の上で片膝を抱え、指先だけを動かして端末の表示を確認している。
「公開されている範囲では、異常なし。
航路封鎖、護衛艦の識別、式典通信、全部予定どおり。」
「外縁側の情報は?」
アルクが聞いた。
「一般公開分だけなら見られる。
寄港地の受け入れ準備、管制枠、通信予定、歓迎式典の時間。
今のところ変なところはないよ。」
「細かい中身は?」
「無理無理だよ。親衛艦隊と皇女専用艦の内部手順は見えない。見えたら問題。」
ノアは淡々と言った。
「見えるのは外側だけ。」
ルナが表示を覗き込む。
「じゃあ、ほんとに何もないの?」
「公開情報では……ね。」
ノアはそう言って、画面を閉じた。
表示パネルの中で、アウローラの周囲が拡大されている。
皇女専用艦へ向かう列が見えた。
白い礼装。
遠目でも、ティオだと分かる。
ルナは少しだけ黙った。
「……やっぱり、皇女様なんだね。」
誰に向けた言葉でもなかった。
アルクはパネルを見たまま答える。
「そうだな。」
「ブラッククラウン号にいたときは、もうちょっと普通だったのに。」
「普通ではなかっただろ。」
「普通だったよ。少なくとも、食堂でお茶飲んで、席の取り合いして、アルクを困らせてたときは。」
アルクは返事に詰まった。
ガロンが小さく笑う。
「そりゃ普通じゃねえな。
皇女様が船の食堂で席取り合戦してる時点で、だいぶおかしい。」
「ガロン、そこ笑うところじゃない。」
ルナが振り向いてにらむ。
ガロンは肩をすくめた。
表示パネルの中で、ティオは親衛艦隊の護衛指揮官と向き合っている。音声はない。だが、指揮官が深く頭を下げ、ティオが何か話しているのが見える。
リアはその映像から目を離さない。
「殿下は、皇女として振る舞うことに慣れておられますね。当たり前ですが。」
ルナが横目で見る。
「リア、そういうの分かるの?」
「元帝国士官ですから。
式典での立ち方、視線の配り方、相手に発言を許す間の置き方。
訓練だけでは身につきません。」
「ふうん。」
ルナは不満そうに返した。
「なんか、ずるい。」
「ずるい……、ですか?」
「だって、あんなふうに立たれたら、ただの女の子じゃないって分かっちゃうじゃない。」
リアは、一瞬、答えを返せなかった。
アルクはまだ表示パネルを見ていた。
ティオが、ふと顔を動かし、こちらを見たように見えた。
ルナはそれを見逃さなかった。
「今、こっち見た?」
「分からない。」
アルクは言った。
「でも、見たかもって思ったでしょ。」
アルクは返事をしない。
ルナは不満そうに頬を膨らませて、椅子の背もたれに寄りかかった。
表示パネルの中で、ティオは皇女専用艦へ乗り込んでいく。乗艦口の両側で、乗員たちが一斉に敬礼する。扉が閉じ、白い船体の側面灯が順に点灯した。
ノアが指先を動かす。
「アウローラ、乗艦確認。
親衛艦隊、発進前陣形に移行中。軌道港警備艇は外周警戒を維持。」
ガロンが目を細める。
「隙がねえな。」
「隙がないように見せるのも、仕事です。」
リアが言う。
「見せる、か。」
ガロンは顎を撫でた。
「ああいうのは、外から見ると立派だが、中にいる連中は大変だぜ。ちょっとしたミスでも、皇女様の名前に傷がつく。」
ルナは小さく息を吐いた。
「それ、ティオも分かってるのかな。」
「分かっていると思います。」
リアは即答した。
「リアが言うと、ほんとにそうなんだろうね。」
ルナは画面を見る。
「……じゃあ、なおさら大変じゃん。」
艦橋が少し静かになった。
皇女専用艦の発進灯が一つずつ変わっていく。
アルクはその光を追っていた。
ティオが危険な場所へ行く。
戦場ではない。
それでも、親衛艦隊があれだけの備えをする場所だ。
白い礼装で立っていた十八歳の少女が、今は艦隊の中心にいる。
ブラッククラウン号の食堂で、少し勝ち誇った顔をしていた彼女を思い出す。
ルナと並んで、自分の隣の席をめぐって緊張していた姿。
リアに柔らかく返していた声。
同じ人が、今は帝都軌道上の艦列の中心にいる。
リアは、アルクの横顔を見た。
「アルク。」
「何だ?」
「心配ですか?」
ルナがぴくりと反応した。
アルクは表示から目を離さず答えた。
「危ない任務だ。」
短い答えだった。
リアは静かにうなずく。
「そうですね。」
それ以上は聞かなかった。
ルナは操舵席で膝を抱えるように座り直した。
「……まあ、危ないよね。皇女様だし。行く場所も辺境だし。」
「そうだ。」
「だから心配なんだよね。」
「そうだ。」
「ティオだから、じゃなくて?」
アルクは少しだけ黙った。
ルナは目を逸らさない。
リアも何も言わない。
ノアは端末の表示を見ているふりをして、様子をうかがっている。
ガロンは黙って天井を見ている。
アルクはようやく答えた。
「それもある。」
ルナの指が、操舵席の端を軽く叩いた。
一度だけ。
「そっか。」
声は軽くなかった。
リアは目を伏せた。ほんの短い間だけ。
「通信、来たよ!
皇女様から。」
ノアが驚いた声を出す。
「発信元、皇女専用艦アウローラ。
通信種別、公式扱い。」
ルナが小さく息を吸った。
「つなげ。」
アルクは艦長席の前に立ち上がり、言った。
「了解。」
ノアが通信を開いた。
画面が切り替わり、ティオの姿が現れる。
背後には白い壁面と、帝国旗を示す小さな表示。
ティオは中央に立っていた。公式訪問用の礼装のまま、姿勢を正している。
左右には、皇女随員が二名。さらに少し後ろに通信士と護衛官が控えていた。
ブラッククラウン号の食堂で見せていた顔とは違う。
ルナは操舵席で立ち上がった。
リアは副操舵席の横で姿勢を整える。
ガロンも壁際から一歩前に出ていた。
ノアは通信状態を確認してから、小さくうなずく。
「回線、安定。公開式典通信とは別系統。記録は公式扱い。」
「分かった。」
アルクは一歩前に出た。
艦長席の前。
通信画面に正対する位置。
「こちらブラッククラウン号。船長アルクです。」
画面の向こうで、ティオが静かにうなずいた。
「皇女ティオセフィアーナ・アウレリウムです。
出発前に、ブラッククラウン号の皆さまへご挨拶を。」
皇女としての声。
聞いている者が誰であっても皇族の権威を感じる声だった。
ルナが小さく息を吐く。
「ほんとに公式だ。」
声はかなり小さかった。
ティオの視線が、ほんの一瞬だけルナへ向いたように見えた。
すぐにアルクに戻る。
「先日の滞在では、大変お世話になりました。
ブラッククラウン号で過ごした時間は、今回の公式訪問に向かううえで、私にとって貴重なものでした。」
「こちらこそ、殿下をお迎えできて光栄でした。」
アルクの返答は短い。
いつもより少し硬い。
ティオはそれを聞いて、表情を変えなかった。
ただ、指先が礼装の袖口に一度だけ触れた。
通信画面の中で、二人の視線が交差する。
周囲に人がいる。
ティオの側にも。
アルクの側にも。
だから、言えることは多くない。
「船長。」
「はい。」
「今回の公式訪問は、辺境自治承認に向けた準備の一つです。
ですが、それだけではありません。」
ティオは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「私は、帝国の皇女として辺境へ向かいます。そこで会う方々の中には、私を歓迎しない者もいるでしょう。」
アルクは黙って聞いている。
「それでも、行きます。」
ティオの声に迷いはない。
「その前に、ブラッククラウン号の皆さまへ直接お礼を伝えたかったのです。」
「無理はしないでください。」
アルクは短く言った。
随員の一人が、少しだけ顔を上げた。
皇女に対して、民間船の船長が言うには、少し近過ぎる言葉だった。
ティオはアルクの視線を正面から受け止めた。
「ありがとうございます。
でも、無理をしないで済む訪問ではありません。」
アルクは答えない。
ティオは続ける。
「ですが、無謀なことはしません。」
「それならいい。」
ルナが、操舵席でわずかに口を尖らせた。
「アルク、言い方。」
アルクは少しだけルナを見る。
「駄目だったか?」
「駄目っていうか、皇女様にそれはちょっと短すぎ。」
ティオが小さく笑った。ほんのわずか。
「私は、アルク船長のそういうところに慣れてきました。」
アルクは軽く息を吐いた。
「すみません、殿下。」
「構いません。ブラッククラウン号らしいと思います。」
ティオはそう言ったあと、また少し笑った。
笑顔の間だけ、ブラッククラウン号にいたときのティオに戻っていた。
「殿下……。
無事な航路を。」
アルクが言う。
ティオの表情が、一瞬だけ止まる。
「……はい。
ありがとうございます、船長。」
アルクはうなずいた。
「ブラッククラウン号の皆さま。改めて感謝を。
次にお会いするときは、辺境での良い報告をお聞かせできるようにします。」
「待っています。」
アルクは言った。
ティオは一瞬だけ目を細める。
「ええ。」
通信室の後方で、随員が小さく合図を出した。出発の時間が近いのだろう。
ティオはそれを確認し、再び画面へ向き直る。
「それでは、出発します。」
「お気をつけて。」
リアが言った。
「ほんとに、ちゃんと帰ってきてくださいね。」
ルナの声は、さっきより少し小さい。
「はい、ルナさん。」
「……約束ですよ。」
「約束します。」
ティオはそう答えた。
公式通信の中で交わすには、少しだけ私的な言葉だった。
アルクは最後に短く言う。
「無事に。」
ティオはうなずいた。
「行ってまいります。」
通信が切れた。
画面が、帝都軌道上の外部映像に戻る。
白銀の皇女専用艦アウローラが映る。
ルナは操舵席で黙っている。
リアは表示パネルから目を離さない。
アルクも、しばらく動かなかった。
ノアが通信記録を閉じる。
「通信終了。記録保存済み。」
ガロンが低く言った。
「姫さん、腹据わってんな。」
誰もすぐには返事をしなかった。
***
大型表示パネルの中央に、皇女専用艦アウローラが映っていた。
白銀の船体。
その周囲に、親衛艦隊の護衛艦。
発進許可、係留解除、護衛隊列確認。
発進手順が一つずつ進んでいく。
ノアが短く報告する。
「発進手順は予定どおり。」
「異常は?」
アルクが尋ねる。
「特にない。親衛艦隊の配置も、航路封鎖も正常。」
「分かった。」
ルナがアルクを横目で見る。
小さく息を吐いて、また表示パネルに視線を戻した。
画面の中では、アウローラがゆっくりとデッキを離れていく。
前方護衛艦が先導し、上下左右の護衛艦が距離を保ったまま続く。
「……本当に行っちゃうんだ。」
ルナが言った。
「そうだな。」
アルクが答える。
「辺境へ行く。」
「分かってるよ。」
ルナは少しだけ唇を尖らせた。
「分かってるけど、そういう話じゃないでしょ。」
リアが静かに口を開く。
「殿下は、危険を承知で行かれたのだと思います。」
「撃たれるとか……?」
ルナの視線が揺れる。
「撃たれる可能性も、ないとは言えません。」
リアの声は平静だった。
「外縁にも、辺境にも、中央を快く思わない者はいます。」
「そんなの、ティオだって分かってるよね。」
「分かっていると思います。」
リアは画面を見たまま答えた。
「だからこそ、行かれるのでしょう。」
ルナは黙った。
納得した顔ではない。
けれど、言い返す言葉も見つからないようだった。
ガロンが低く言う。
「大したもんだな、あの姫さん。あの年で、あの艦隊の真ん中に乗ってる。」
「ティオは強いよ。」
ルナがぼそっと言った。
「強いけど……危ないところに行くのは、強いから平気ってことじゃないでしょ。」
ガロンは少し目を細めた。
「まあな。」
ノアが端末から顔を上げる。
「今見えてる範囲では安全。でも、見えてない範囲が多い。
皇女専用艦の内部手順も、親衛艦隊の細かい配置も、僕たちには見えない。」
「見えないって、嫌だね。」
ルナが言う。
「うん。嫌だよ。」
ノアはあっさり認めた。
アウローラは星間流に進入する航路を進んでいる。
白銀の船体は、表示パネルの中で少しずつ小さくなる。
ルナは、アルクの横顔を見た。
ずっとパネルを見ている。
ティオが映っているわけではない。
もう、通信画面でもない。
ただの艦隊映像だ。
それでも、アルクは見続けていた。
「アルク。」
「何だ?」
「ティオのこと、前より気にしてるよね。」
リアの指が、端末の縁で止まった。
アルクはすぐには答えなかった。
アウローラの後方灯が、小さく光っている。
「そうだな。」
短い答えだった。
ルナは、少しだけ目を見開いた。
「否定しないんだ。」
「する理由がない。」
「……そっか。」
ルナは前を向いた。
操舵席の端に指を置いたまま、しばらく動かなかった。
「ティオ、強いし。皇女様だし。すごいし。
心配するのは、まあ、分かるけど。」
そこで言葉が止まる。
続きが出てこない。
リアが静かに言う。
「心配すること自体は、自然なことです。」
「リアは平気なの?」
ルナが聞く。
リアはすぐには答えなかった。
画面の中の艦隊を見ている。
「平気……ではありません。」
「ティオのこと?」
「殿下のことも。アルクのことも。」
リアの表情は崩れていない。
だが、声が少しだけ固い。
「アルクを?」
ルナが少し不思議そうに聞く。
アルクが振り向く。
リアはアルクを見て言った。
「殿下が危険な任務へ向かわれることを、あなたが見過ごせるとは思えません。」
アルクは黙った。
ルナが小さく言う。
「それ、分かる。」
ガロンがそこで咳払いをした。
「お前ら、姫さんの心配してんのか、アルクの心配してんのか、どっちなんだ。」
「両方。」
ノアが即答した。
ガロンが笑う。
「だよな。」
ルナが少し頬を赤くする。
「面白がらないでよ、ガロン。」
「いや、悪い。だがまあ、分かりやすくて助かる。」
「何が。」
「全員、落ち着かねえってことがだ。」
その言葉に、艦橋の空気が少しだけ緩んだ。
ノアは画面を操作する。
「皇女艦隊、星間流進入。公開映像、もうすぐ終了。」
表示の中で、前方護衛艦が淡い光に包まれる。
次に上下左右の護衛艦。
中央のアウローラが、星間流の中に入っていく。
白銀の船体が一瞬揺らぎ、光の奥へ消えた。
後方護衛艦と通信中継艦も続く。
大型表示パネルには、もう何も映っていない。
ノアが顔を上げて言った。
「公開映像、終了。」
艦橋にブラッククラウン号の機関音が戻ってくる。
ルナはしばらく画面を見ていた。
「行っちゃったね。」
アルクはまだ、消えた艦影の先を見ている。
ルナはその横顔を見て、何か言いかける。
でも、言わなかった。
リアもアルクを見ている。
ガロンは腕を組み直し、低くつぶやく。
「こりゃ、しばらく落ち着かねえな。」
ノアの端末には、中央星域から外縁へ伸びる公式訪問航路が表示されている。
その先に、辺境星域の表示が小さく浮かんでいた。




