和解への航路(前半)
黒冠のアルク 皇女編 Ⅱ
―― 白銀の艦列を追って
第5章 和解への航路(前半)
帝都軌道上は、通常航路の半分以上が封鎖されていた。
民間船は軌道港の外周部に移動させられ、航路統制局の表示板には、皇族出発用の白い航路線が浮かんでいる。
中央軌道港の皇族専用発着ドック。
その中央に、皇女専用艦アウローラが係留されていた。
白銀の船体。
艦首には、金色の王冠を思わせる意匠に縁取られた帝国の紋章が、側面には、皇女ティオセフィアーナ・アウレリウムの紋章が刻まれている。
帝国の権威の象徴。そして皇女が、帝国の名を背負って辺境星域へ向かうための艦だった。
アウローラの近くには、通信中継艦と儀礼用随伴艇が係留され、周囲の宇宙空間では護衛艦隊が停止したまま、接近する艦艇を監視している。
さらに外側に、軌道港警備艇が半円を描き、皇女専用艦を中心にした二重の警戒線を作っていた。
砲門は開いていない。しかし、どの艦艇も推進機関を低出力で維持している。
護衛の態勢自体が式典の一部だった。
『帝都航路統制局より皇女専用艦アウローラへ。発着宙域、封鎖完了。周辺航路、迂回措置完了。親衛艦隊各艦、識別確認済み。』
『アウローラより管制局へ。確認しました。皇女殿下乗艦後、最終発進手順へ移行します。』
帝都航路統制局の広域表示には、皇女公式訪問航路が示されていた。
中央星域から外縁星域へ。
そして外縁星域の複数の寄港地を経由し、辺境星域へ。
管制局とアウローラとのやり取りが、規則どおり進む中、ティオは広いドックの中をアウローラに向かい歩いていた。
白を基調とした公式訪問用の礼装。肩口には細い金糸。胸元には皇女徽章。腰には儀礼用の細い飾帯。歩くたびに、長い上衣の裾がわずかに揺れる。
権威を示す、遠目にも皇族と分かる装いだった。
左右には宮廷随員が二名。
半歩後ろに護衛官が二名。
帝国軍将校と軌道港職員が、左右に整列している。
ティオの動きにつれ、敬礼の波が移っていった。
誰も声を上げない。
足音だけが響く。
ティオは歩調を変えずに歩く。
速すぎず、遅すぎず。
皇女として、人々の視線を受け止めるための速度だった。
「皇女殿下。」
随員が一歩前に出て、深く頭を下げた。
「専用艦アウローラ、出航準備は最終段階に入っております。」
ティオは足を止めた。
「護衛艦隊、予定位置に展開済み。帝都航路統制局との調整も完了しております。」
「訪問団の準備は大丈夫ですか?」
「外縁星域担当官、辺境交渉準備室、航路統制局随行員、全員乗艦済みです。
医療班、通信班、儀礼班も配置完了しております。」
ティオは短くうなずく。
「予定どおり進めてください。」
「はっ。」
随員が下がる。
別の随員が端末を差し出す。
「殿下。陛下より、通信文が届いております。」
「読み上げは不要です。目を通します。」
ティオは端末を受け取った。
表示された文章は短い。
『辺境への訪問は、帝国が辺境を従わせるためのものではない。
帝国が辺境と向き合う意思を示すためのものである。
急ぐ必要はない。
ただ、退いてはならない。』
最後に、皇帝の署名があった。
父の言葉ではある。
けれど、家族への手紙ではない。
皇帝から皇女に下す命令だった。
ティオは端末を閉じる。
「『拝受しました。予定どおり出発します』と返信を。」
「承知しました。」
随員が端末を下げる。
「殿下。外縁星域の最初の寄港地より、歓迎文が届いております。」
さらに別の随員が告げる。
「後ほど確認します。
辺境側からは?」
「トマス・ケード氏より、私信扱いの挨拶文が届いております。」
ティオの目が少しだけ動いた。
「私信……ですか。
内容は?」
「辺境星域一同、殿下の来訪をお待ちしております、とのことです。」
私信。公文書ではない。
辺境らしい。
そして、ケードらしい。
中央への不信はまだ消えていない、ということだ。辺境の全員が皇女の来訪を喜んでいるわけでもない。歓迎の意思を公にすれば、反発も強くなる。
だから、私信。
「『お会いするのを楽しみにしています』と返信を。」
「承知しました。」
随員が下がった。
次に、護衛艦隊の指揮官が挨拶に来た。
濃紺の軍服。胸には皇帝直属の親衛艦隊を示す徽章。年齢は四十代半ば。凛とした美しい姿勢。背後には、二名の士官が控えている。
指揮官は深く頭を下げた。
「皇女殿下。親衛艦隊第一護衛隊、配置を完了しております。
専用艦周辺宙域に不審な反応はありません。」
「ご苦労さまです。」
「辺境星域までの航路は、我々が責任を持ってお守りします。」
迷いのない声だった。
その声には、親衛艦隊の誇りが感じられた。
皇族を守るのは自分たちだ。そう言い切れる者の声だった。
ティオは指揮官を見る。
「今回の訪問、多くの者が同行します。現地の者とも会います。
歓迎もあれば、反発もあるでしょう。」
「承知しております。いかなる状況でも、殿下の安全を最優先にお守りします。」
「よろしくお願いします。
ですが、私をただ守るだけでは、この訪問は成り立ちません。」
指揮官は黙って、ティオの言葉を聞いている。
「私は辺境へ行きます。帝国の皇女として、辺境の者たちの前に立ちます。必要以上に壁を作らないよう、お願いします。」
「殿下……。」
「もちろん、危険を軽く見ているわけではありません。警備に関しては、親衛艦隊の判断を信頼しています。」
ティオはそこで少しだけ間を置いた。
「ただし、私が会いに行く相手は、敵ではありません。」
指揮官は深く頭を下げた。
「心得ました。」
「お願いします。」
ティオはそれだけ言って、歩き出した。
今のやり取りで周囲の者に、皇女が今回の訪問をどう見ているかが伝わったはずだ。
ドックを包む透明な防護材の向こうには、首都星の青い大気層が広がっていた。下には都市の光。上には、親衛艦隊の艦影。
ティオは歩きながら、わずかに外へ目を向ける。
ティオは、すぐに見つけた。
皇族専用ドックから離れた一般停泊区画。遠くの方に黒い船体がかすかに見えた。
ブラッククラウン号。
増設された貨物区画。実用重視の船体。飾りのない外部装甲板。皇女専用艦や親衛艦のような整った美しさはない。
アルクは艦橋にいるのか……、ルナとリアはその隣にいるのか……。
足が少しだけ止まりかけた。
「殿下。」
随員が控えめに声をかける。
ティオは視線を戻した。
「何でもありません。」
声は変わらなかった。
アウローラの前で、皇女専用艦の乗員たちが整列していた。
艦長、副艦長、機関長、保安責任者、通信長。全員が礼装に近い勤務服を着ている。
艦長が一歩前に出る。
「皇女殿下。専用艦アウローラ、殿下のご乗艦をお待ちしておりました。」
「お世話になります、艦長。」
「光栄であります。辺境星域まで、全力でお支えいたします。」
ティオはうなずき、艦内へ入った。
乗艦口の両側で、乗員たちが一斉に敬礼する。
ティオはその中央を進む。
自分を見る者たちを、順に見返す。
背後で乗艦口の扉が閉じた。
外の管制音が少し遠くなる。
艦内通路の照明は柔らかい。床には皇族区画へ続く案内光が伸びている。壁面表示には、公式訪問行程が流れていた。
外縁星域の最初の寄港地。灯台管理拠点兼軍補給廠。
視察及び外縁星域関係者との会談。
その後、次の寄港地に向け航路変更。
ティオは歩きながら表示を追う。
今回の目的地は辺境だ。
外縁を軽く見るつもりはない。外縁には外縁の負担があり、中央への不満もある。
それでも、今回の訪問でティオが立つべき場所は、その先だった。
辺境自治の正式承認と新航路協定へ向けた下準備。
帝国と辺境が向き合うための最初の場。
そこに、皇帝ではなく、皇女である自分が立つ。
ティオはブラッククラウン号での出来事を思い出した。
食堂で、ルナがむくれた顔をしていた。
リアが落ち着いた声で場を整えていた。
アルクは困ったように短く返事をしていた。
あの船の中では、皇女としての立場を少しだけ忘れることができた。
「殿下。控室はこちらです。」
随員が前方の扉を示す。
ティオは足を止めた。
「出発前に、ブラッククラウン号へ通信を入れます。」
随員の目に、わずかに戸惑いの色が浮かんだ。
「公式通信として、でよろしいでしょうか?」
「ええ、出発前の挨拶です。」
「承知しました。通信室に手配いたします。」
随員はそれ以上、何も聞かなかった。
ティオは窓の方を見る。
遠くに黒い船がまだ見えた。
ティオはすぐに視線を戻す。
「参りましょう。」
扉が開いた。




