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黒冠のアルク ― 第一部完結/第二部・皇女編連載中 ―  作者: 久遠 恒 


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座る位置の戦争(前半)

第3章 座る位置の戦争(前半)


「で、飯にするなら席どうすんだ?」

ガロンの何気ない一言で、食堂の空気が止まった。

ブラッククラウン号の食堂は、宮殿の晩餐室とは違う。

長いテーブルもなければ、席次を示す札もない。

誰が上座で、誰が下座か。

誰が先に座り、誰が最後に座るか。

そんな決まりは、ここには存在しない。

ただ、何となく、それぞれの席は決まっていた。

アルクがよく座る席。

その隣に、ルナがいつの間にか座るようになった席。

リアがアルクの向かいの席。

ノアが端末を置きやすい端の席。

ガロンが身体をぶつけずに座れる出入口側の席。

誰かが決めたわけではない。

だが、長く同じ船で過ごすうちに、自然とそうなっていた。

そして今、その自然な秩序の中に、皇女ティオセフィアーナが加わっている。

「空いているところでいい。」

アルクは当然のように言った。

その答えを聞いた瞬間、ルナとリアとティオは、同時に思った。

それが一番難しいのだ、と。

「そうだね。空いているところでいいよね。」

ルナは明るく言った。

明るすぎた。

そして、何気ない足取りを装って、いつもの席へ向かった。

アルクの隣。

ごく自然に。あまりにも自然に。

そのせいで、かえって不自然だった。

リアは、それを見て息を整えた。

「殿下には、こちらの席がよろしいかと。」

リアが示したのは、テーブルの中央寄りの席だった。

客人を迎えるには自然な位置。

会話もしやすく、全員の顔も見える。

ただし、アルクの席からも近い。

ルナの眉が、ほんの少し動いた。

ティオは、その席を見た。

アルクの隣ではない。向かいでもない。

少し斜め。

話しかけるには十分近い。

「ありがとうございます、リア。」

ティオは微笑んだ。

結局、席はこうなった。

アルクがいつもの席。

ルナがその隣。

ティオがアルクの斜め向かい。

リアがティオの隣、かつアルクの向かい。

ノアは端。

ガロンは出入口側。

一応、平和的に収まった。

「まあ、落ち着くところに落ち着いたな。」

ガロンが言う。

「何も起きてません。」

リアが即座に答えた。

「そうそう。何も起きてない。」

ルナもうなずく。

ティオは微笑んだ。

「はい。何も。」

料理は宮殿の食卓とは比べようもない。

温め直した保存食。

ルナが簡単に整えたスープ。

ガロンが大雑把に焼いた肉。

リアが皿の配置を整え、ノアが栄養バランスを確認している。

皇女を迎える食事としては質素だ。

だが、ブラッククラウン号らしい食卓だった。

「殿下、本当にこちらでよろしいのですか。」

リアが確認する。

「はい。皆さんと同じものをいただきたいです。」

ティオは迷わず答えた。

「無理しなくていいよ。皇女殿下の食事って、もっとちゃんとしてるでしょ。」

ルナが言う。

少しだけ意地悪に聞こえたかもしれない。

だが声の奥には本気の心配もあった。

ティオはそれを感じ取り、穏やかに微笑んだ。

「確かに宮殿の食事とは違います。

 ですが、今日は宮殿の食事をいただきに来たのではありません。」

「じゃあ、何をしに来たの。」

ルナが無邪気に尋ねる。

ティオはテーブルの上の皿を見た。

「皆さんがいつも見ているものを、少しでも見に来ました。」

ティオは続ける。

「同じ船で、同じ食卓を囲むことが、どういうことなのか。

 私は、たぶん、まだ分かっていません。ですから、知りたいのです。」

ルナが、アルクの前に皿を置いた。

「はい、アルク。いつもの量でいいよね。」

いつもの量。

その言葉は、何気ないようで、はっきりとアルクとの距離の近さを示していた。

ティオの目が、ほんの少し揺れた。

「あと、スープは熱いから気をつけて。」

「分かった。」

「前に急いで飲んで、顔しかめてたでしょ。」

「そうだったかな。」

「そうだった。」

ルナは少し得意げだった。

それは、アルクの日常を知っている者の声だった。

ティオは、それを静かに聞いていた。

羨ましい。

そして知りたい。

「アルクは熱いものが苦手なのですか?」

ティオが尋ねる。

アルクは短く答えた。

「急ぐときは。」

リアが穏やかに補足する。

「アルクは、航行前や作戦前ですと食事を急ぎがちです。熱いものは、あまり向きません。」

ティオはリアを見た。

「リアも、よくご存じなのですね。」

「長く一緒にいますから。」

リアは静かに答えた。

ティオは微笑みを崩さなかった。

「では、今日は私もアルクと同じ量でいただいてもよろしいですか。」

「えっ、同じ量?」

ルナの声が跳ねた。

「いや、アルクの量って……、多いよ。」

「今日は普通だ。」

アルクが言った。

「そういう問題じゃなくて。」

ルナが言いかける。

ティオは小さく首を傾げた。

「無理でしょうか。」

その顔に、悪意はなかった。

本当に、そうしたいと思っている顔だった。

ルナは、少しだけ困った。

「……無理じゃないけど。」

「では、お願いします。」

「分かった。」

ルナは、ティオの皿にアルクと同じ量を盛った。

ただしスープは少し冷ました。

ティオはそれに気づいた。

「ありがとうございます。」

「熱いと危ないから。」

「はい。」

「皇女殿下に火傷させたら大変だし。」

「ティオで構いません。」

「……ティオに火傷させたら大変だし。」

言い直してから、ルナは自分で少し照れた。

ティオは嬉しそうに微笑んだ。

食事が始まった。

ティオは、最初の一口を丁寧に口に運んだ。

ルナがちらちらと見ている。

ガロンもそっと見ている。

ノアは端末を見ながら目だけを向けている。

リアは様子をうかがっている。

アルクは普通に食べている。

「……おいしいです。」

ティオが言った。

食堂の空気が緩んだ。

「本当に?」

ルナが思わず聞く。

「はい。温かくて、ほっとします。」

「宮殿の料理とは、だいぶ違うだろ。」

ガロンが言う。

「違います。ですが、比べるものではないと思います。」

ティオはスープの器を見た。

「誰かと同じ食卓で、同じものをいただくことが、こんなに素敵なことだとは思いませんでした。」

ルナは、どう返せばいいか分からなかった。

皇女は遠い存在だと思っていたのに、目の前のティオは、本当にブラッククラウン号の生活に触れようとしている。

「毎日だと、そんなに特別でもないよ。」

ルナは少しだけ声を落として言った。

「アルクは、いつも皆さんとこの席で食事をされるのですか。」

ティオが尋ねた。

「だいたい。」

アルクは短く答えた。

「では、今日はその一部を見られたのですね。」

ティオは声を弾ませた。

その声が、ルナの胸に小さく刺さった。

「一部っていうか、今日は特別だから!」

思わずルナは言っていた。

声が少し大きかった。

言ってから、しまったという顔になる。

ティオは怒らなかった。

驚きもしなかった。

ただ柔らかく受け止めた。

「はい。特別に招いていただけて嬉しいです。」

「そういう意味じゃ……。」

ルナは言いかけて、言葉を飲み込んだ。

ティオは逃げない。

ぶつけても、柔らかく受け止める。

「ルナ。」

アルクが言った。

「何!?」

「今日は、よく喋るな。」

ルナの頬が一気に赤くなった。

「誰のせいだと思ってるの!」

「俺か?」

「そういうところ!」

アルクは首を傾げた。

「どういうところだ?」

「それが分からないところ!」

ガロンが腹を抱えて笑い出した。

「船長、今日も絶好調だな。」

「何がだ?」

「いや、何でもねえ。お前はそのままでいろ。」

ティオは、そのやり取りを見ながら、静かに笑った。

楽しい。けれど少しだけ苦い。

この食卓には、すでに積み重なった時間がある。

自分は今日、その端に座っているだけだ。

それでも端に座れた。

それは確かな一歩だった。


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