皇女、船に馴染む(後半)
第2章 皇女、船に馴染む(後半)
ブリッジは、皇女専用艦の指揮区画に比べれば、とても小さかった。
だが、設備や装置の密度は高い。
壁面には航路表示用の大型パネル。
中央には艦の状態を示すホロ画面。
前方には正面スクリーンと操舵席。
その横に、解析端末と通信系統。
補助席のシートには、使い込まれた跡があり、誰かが頻繁に座っていることが分かる。
ティオは、一歩足を踏み入れただけで、そこがブラッククラウン号の心臓部なのだと理解した。
「ここがブリッジです。」
リアが説明する。
「航行も、戦闘時の指揮も、基本はここです。通信と解析も、この区画で見ます。」
ティオは、操舵席を見た。
「ここがルナの席ですね。」
「うん。」
ルナは少しだけ得意そうだった。
操舵席の前に立つと彼女の雰囲気が変わる。
食堂で焼き餅を隠せずにいた少女ではなく、ブラッククラウン号を動かす操舵手の顔になる。
「アルクが航路を読む。ノアが解析する。リアが周囲の状況を見てくれる。ガロンが現場を守る。で、私が船を動かす。」
ルナは操舵席の背に手を置いた。
「ここは私の場所。」
その言葉からは、はっきりとした誇りが感じられた。
ティオは静かに、その言葉を受け止めた。
「素敵です。」
「え?」
「自分の場所だと、迷わず言えるのは素敵だと思います。」
ルナは一瞬、返す言葉を失った。
皮肉ではない。
まっすぐ褒められると、どう返していいか分からない。
「……ありがと。」
小さくそう言うのが精一杯だった。
ノアが横から端末を示した。
「こっちは解析端末。
航路灯台からの情報、星間流の変動、船体への負荷、敵性反応、通信ログをまとめて見る。」
「ノアの席ですね。」
「うん。あと、ガロンのいびき記録もここにある。」
「消せ!」
ガロンが後ろから叫んだ。
ティオは笑いをこらえきれなかった。
リアも目元を緩めている。
アルクは正面スクリーンの前に立っていた。
何もしていないように見える。
けれど、ティオには分かった。
そこがアルクの場所なのだ。
椅子でも、端末でもない。
船長席でもない。
正面スクリーンの前。
星間流を見て、見えない道を読む位置。
「アルクは、いつもそこに立つのですね。」
ティオが言う。
アルクは少しだけ振り向いた。
「ここが見やすい。」
リアが補足する。
「アルクは、必要な時にこの位置に立つことが多いのです。
星間流を見るには、ここが一番、都合がよいので。」
「そうですか。」
ティオはアルクを見る。
彼は英雄のように高い場所に座っているわけではない。
偉そうに命令しているわけでもない。
ただ必要な場所に立っている。
それがアルクらしいと思った。
そして、そう思えてしまう自分に、少しだけ嬉しさを覚えた。
「リアの場所は?」
ティオが尋ねると、リアは一瞬だけ答えに迷った。
「私は状況によります。」
「状況?」
「通信補助に入ることもあります。戦術確認をすることもあります。帝国軍の手順や敵の行動意図を読む必要があるときは、アルクの判断を補足します。」
ノアが横から言った。
「つまり、リアは固定席じゃなくて、全体の隙間を埋める役。」
リアは少し考えた。
「言い方はともかく、近いかもしれません。」
ティオはリアを見た。
固定された場所ではない。
けれど、だからこそどこにでも入れる。
アルクの隣にも。
ノアの解析の補佐にも。
ガロンの現場判断にも。
リアは、この船の中で静かに多くの隙間を支えている。
それもまた、確かな場所と言える。
「皆さん、それぞれの場所があるのですね。」
ティオは言った。
では、私は……。
ティオは自分に小さく問いかけた。
この船の中に、自分の場所はあるのだろうか。
今は、まだない。
客人として迎えられている。皇女として敬意を払われている。
だがブラッククラウン号の一員ではない。
それは当然のことだ。
まだ、二度、船内に入っただけなのだから。
それでも、その事実は少しだけ胸に痛かった。
「ティオ?」
ルナの声で、ティオは顔を上げた。
「大丈夫?」
言ってから、ルナは自分でも少し驚いた。心配する気持ちが自然に声に出ていた。
ティオは微笑んだ。
「はい。少し、考えていただけです。」
「考えてた?」
「この船には、皆さんの場所があるのだと思って。」
ルナは操舵席に手を置いたまま、表情を緩めた。
「まあ、そうかもね。」
「私には、まだありません。」
その言葉に、ルナとリアが同時にティオを見た。
ティオは寂しそうではなかった。
ただ、事実を確認するように言ったように見えた。
「でも、それは当然です。私は、まだ客人ですから。」
「殿下……。」
リアが何かを言いかけた。
ティオは首を横に振った。
「いいのです。むしろ、分かってよかったと思っています。」
彼女は、ブリッジを見回した。
使い込まれた操舵席。
端末の光。
航路表示。
補修跡のある床。
そして、そこに立つ人たち。
「まだ私の席はありません。けれど、ないなら見つければいい。」
それは誰かに聞かせるためというより、自分に言い聞かせる言葉。
アルクはティオを見た。
そして短く言った。
「見つかるよ。」
ティオの目が見開いた。
「見つかりますか?」
「探すなら……、
見つかる。」
それだけだった。
だが、ティオには十分だった。
心が温かくなる。
「はい。
探します。」
ルナが小さく息を吐いた。
面白くない。
少しだけ面白くない。いや、かなり面白くない。
けれど今の言葉を否定する気にはなれなかった。
リアもまた、同じように感じていた。
ティオは本気だ。
皇女として船を見に来ただけではない。
アルクに近づくために、この船を知ろうとしている。
だから、怖い。
***
船内案内は、その後もしばらく続いた。
機関区画の入口では、ガロンが得意げに説明した。
「奥は危ねえから、ここまでで勘弁してください。足場も悪いし、油も飛ぶ。」
「実際に見てみたい気持ちはありますが、今日は無理をしません。」
「そいつは助かります。皇女殿下に油汚れつけたとなっちゃ、俺の首が今度こそ危ねえ。」
「飛ばしません。」
「分かってても怖いんですよ、こっちは。」
貨物区画では、ノアが積載管理の端末を見せた。
「物資の種類ごとに、優先度と搬送先を管理してる。帝国軍施設向けの物資と、民生向けの物資は識別して扱う。」
ティオは、その説明に真剣に耳を傾けた。
「海賊船だったころ、民生向けには手を出さなかった、と聞いています。」
「基本方針だね。」
ノアは短く言った。
「アルクの考えですか?」
「アルクと全員の考え。必要なら奪うけど、奪う先は選んでたよ。」
ティオはうなずいた。
ブラッククラウン号は、ただ帝国に反抗した船ではない。
奪う相手と運ぶ先を、選んできた船だ。
その選択の積み重ねが、今の信頼を作っている。
居住区画の入口では、リアが少し説明を抑えた。
「ここから先は、各自の私的区画になります。今日は入口までにいたしましょう。」
「もちろんです。」
ティオは納得はしたが、少しだけ気になった。
アルクの部屋。ルナの部屋。リアの部屋。
彼らがこの船で眠り、目覚め、日々を過ごす場所。
そこまでは、まだ踏み込めない。
そう理解しながらも、ティオは興味を隠しきれなかった。
ルナがそれに気づいたのか、少し早口で言う。
「居住区は、ほんと普通だから。見ても面白くないよ。」
「そうなのですか。」
「そう、普通。」
ノアが横から言った。
「とくにアルクの部屋は物が少ない。」
ティオが反応した。
「少ないのですか?」
「うん。必要最低限。」
「アルクらしいですね。」
ティオが微笑む。
アルクは少しだけ首を傾げた。
「物が少ないと問題か?」
ガロンが笑う。
「船長は相変わらずだな。」
ティオは、そのやり取りを見ながら思った。
誰がどこで笑い、誰が誰に突っ込み、誰がどの言葉に反応するか。
それが船の形を作っている。
報告書には絶対に載らないもの。
自分が本当に見に来たかったもの。
それを今、少しずつ見ている。
***
一通りの案内を終えた頃には、船内の空気も最初より柔らかくなっていた。
もちろん完全に馴染んだわけではない。
ティオが歩けば、リアは自然に礼儀を保つ。
ルナは時々、アルクとの距離を気にする。
ノアは余計な記録を取り、ガロンは面白がる。
アルクは、だいたい気づいていない。
それでも最初の硬さは薄れていた。
ティオはブリッジの入口付近でもう一度、立ち止まった。
「今日は本当にありがとうございます。」
「せっかく来たんだし、もう少しいるんでしょ?」
言ってから、ルナはしまったという顔をした。
引き止めるつもりではなかった。
だが言葉が出てしまった。
ティオは、少し声を弾ませた。
「よろしいのですか。」
「べ、別に。お客さんをすぐ帰すのも変だし。」
「ありがとうございます、ルナ。」
名前を呼ばれて、ルナは少しだけ視線を逸らした。
リアはそのやり取りを見て静かに微笑む。
ただ、まだ小さな警戒心は残る。
ティオは人の懐に入るのが上手い。
しかも、それを計算しているわけではない。
本心で感謝し、本心で興味を持ち、本心で近づいてくる。
だから拒みにくい。
リアは、それを危険だと思う。
アルクに近づく者として。
「では、そろそろ食堂へ戻りましょうか。」
リアが言った。
「少し休憩を取った方がよろしいでしょう。」
「賛成。」
ガロンが即座に言う。
「歩き回ったら腹が減った。」
「じゃあ、そろそろご飯にする?」
ルナが提案した。
食堂に戻ると、ガロンが何の悪気もなく言った。
「で、飯にするなら席どうすんだ?」
ルナの手が、ぴたりと止まった。そして、アルクの隣の席を見た。
リアも見た。
ティオも見てしまった。
アルクだけが何も分かっていない顔で言った。
「空いているところでいい。」
それが一番難しいのだと、三人は同時に思った。




