脱出
第3章 弾圧
帝都の朝は、いつもと変わらなかった。
交通は動いていた。
官庁も商店も開いていた。
報道機関も止まっていなかった。
だが未明に帝国軍広報局から声明が出されていた。
『皇帝陛下は現在、健康上の理由によりご静養中である。
当面の間、統治安定維持のため、帝国軍が国家運営を補佐する。』
短い発表だった。
だが意味は明確だった。
帝国の統治主体の変更。
中央行政区内の執行官会議事務局。
セレノス・ヴァルティアはその声明を三度読み返した。
内容は簡潔だった。
皇帝静養、軍による補佐。
「とうとう、やったか……。」
小さい声でつぶやいた。
皇帝は命令を出せない。
軍が統治を代行している。
つまり――
クーデターだった。
***
同じ頃。
内務省本庁でも緊急会議が開かれていた。
出席者は内務総監と各局長。
机上には一通の文書が置かれている。
軍務省から届けられたものだった。
文面は簡潔だった。
『協力要請。
統治安定維持のため、反対勢力の動向監視を強化すること。
必要に応じて拘束措置を実施すること。』
命令とは書かれていない。
だが実質的には命令だった。
室内は静まり返っている。
内務総監が口を開いた。
「軍が動いた。」
誰も否定しない。
宮廷は封鎖。
皇帝は外部との連絡が取れない。
通信は軍の管理下。
警察局長が尋ねた。
「これは拘束命令でしょうか?」
内務総監はゆっくりと首を振った。
「あくまで協力要請だ。」
誰も納得はしていない。
しかし反論する者もいなかった。
総務局長が尋ねる。
「協力するのですか?」
内務総監はしばらく沈黙した。
そして言った。
「今、あえて軍に逆らう理由はあるか?」
誰も答えなかった。
逆らう理由はある。
だが現実は別だ。
軍はすでに皇帝と宮廷を押さえている。
そして艦隊と陸戦隊という圧倒的な武力を有している。
内務省が有する警察軍と各惑星の警察機構で対抗できるものではない。
内務総監は言った。
「当面は様子を見る。」
それが結論だった。
消極的だが、現実的だった。
「軍への反対勢力の動向を監視する。」
局長たちがうなずいた。
***
各惑星の警察機構が動き始めた。
対象者は明確だった。
改革派。
自治権拡大論者。
辺境政策修正論者。
内務省は以前から、これらの人物のリストを作成している。
呼び出し、事情聴取、説明要求。
状況によっては拘束。
執行官会議事務局の自室で、セレノスは端末を開いて状況の推移を追っている。
特に警察の動き。
執行官会議事務局、他の惑星の執行官、そして自分の支持者たちから情報が集まってくる。
議長室に秘書官が入ってきた。
「議長。」
セレノスは顔を上げた。
「内務省の方が。」
予想していた。
セレノスは立ち上がった。
「何人だ?」
「二人です。」
少ない。
いきなり拘束するつもりではないようだ。
応接室に入る。
内務省の警察官が立ち上がった。
「確認したい事項があります。」
セレノスは答えた。
「質問をどうぞ。」
事情聴取は長く続かなかった。
最後に警察官が言った。
「当面、帝都を離れないようお願いします。」
形式的には要請だが、実質的には命令だ。
セレノスは答えた。
「了承しました。
私も仕事がありますので帝都を離れることはできません。」
警察官は退出した。
応接室に静寂が戻る。
秘書官が心配そうにセレノスを顔を見る。
セレノスは小さく笑ったる。
「心配するな。
すぐに拘束されるわけではない。」
“すぐ”ではない。
時間は残っている。
多くはないだろうが。
第4章 脱出
執行官会議事務局の廊下は静かだった。
普段と変わらないように見える。
だが職員の様子は変わっている。
皆、不安そうに小さな声で話している。
誰もがクーデーの発生を察していた。
表向きは皇帝静養。
実態は軍の統治。
そしてその意味も理解していた。
セレノス・ヴァルティアは議長室の窓から、中央行政区を見下ろしていた。
交通は動いている。
官庁も開いている。
秩序は保たれている。
秘書官が入って来た。
「議長。」
セレノスは振り向かなかった。
「内務省から追加連絡です。」
予想はしていた。
「内容は?」
「移動制限の再確認です。」
短い言葉だった。
だが意味は重かった。
帝都から出るなという意味だ。
秘書官は一通の文書を差し出した。
内務省警察局名義だった。
『当面の間、帝都外への移動は控えること。
必要な場合は事前申請すること。』
「期限はいつまでだ?」
セレノスが言った。
「記載はありません。」
秘書官が答える。
セレノスは机に戻った。
端末を開いて執行官会議の連絡事項を確認する。
まだ通信はできるが、まちがいなく監視されている。
自由な通信はもう無理だ。
「議長。」
秘書官がセレノスに呼びかける。
「各植民星の執行官から、いろいろと照会が増えています。」
当然だった。
帝国軍による統治。
それは植民星にも影響する。
「行政運営は問題なく継続中、とだけ答えておくように。」
セレノスは指示した。
通信が監視されている中、それ以上の回答は無理だった。
決断の時が迫っていた。
首都星に残るか、脱出するか。
残れば拘束される。
脱出すれば追跡される。
どちらも安全ではない。
だが、もう選択肢が残っていなかった。
「首都星を離れる。」
秘書官がうなづく。
「それがよろしいと思います。」
「軍の監察局と連絡を取って、脱出の手筈を整えるよう頼んでくれ。
通信は駄目だ。直接、君が監察局に出向いて欲しい。
目的地は、中央星域の植民惑星コルノトだ。」
「なぜ監察局に?」
秘書官が尋ねる。
「君も知っていると思うが、監察局は陛下の直属だ。
今回のような事態に備えて、話は付いている。
私の名前を出せば、援助してくれるはずだ。」
「分かりました。
すぐに行ってきます。」
秘書官は部屋を飛び出していく。
それから三時間。
セレノスは時計を何度も見ながら、不安な気持ちを押さえて秘書の帰りを待った。
「議長!」
秘書官が部屋に飛び込んでくる。
「準備できました!」
監察局は動いてくれた。
セレノスは静かにうなづく。
「すぐに移動する。」
秘書官が言った。
「移動手段は確保されています。」
「どこまでだ?」
「帝都外縁港です。」
そこまで出られれば首都星を離れられる。
「地下駐車場から。車は用意してあります。」
セレノスは上着を取った。
議長章を外し、机に置いた。
大事なものだったが持ってはいけない。
扉の前で立ち止まる。
一度だけ振り返る。
「時間がありません。」
秘書官が言った。
「分かっている。」
短く答えた。
「行こう。」
静かな声だった。
二人は廊下を歩いた。
誰も声をかけてこない。
だが、皆が見ているようだった。
地下駐車場に車両が待っていた。
「ここは監視されていません。確認済です。」
セレノスは黙ってうなずいた。
行政文書の輸送車に乗り込む。
運転手はすぐに車を発進させた。
中央行政区を抜ける。
検問が三回あったが、すべて通過できた。
監察局の通行証は強力だった。
帝都外縁港が見えて来た。
巨大な施設。
軍用、民間を問わず、旅客船、輸送船が多数、駐機している。
車は停まらずに、そのまま一隻の輸送船の下に走り込む。
セレノスはそこで車両を降りた。
秘書官が言った。
「ここから先は単独行動になります。」
セレノスはうなずいた。
「ありがとう。
私の不在は、なるべく長く隠してくれ。」
秘書官はうなずいた。
「ご無事で。」
セレノスはタラップを昇る。
首都星を離れる。
これは逃亡ではない。
戦場の変更だった。
もはや帝国の内側から改革することはできない。
ならば外から変えるしかない。
第5章 軍政
帝都は静かだった。
秩序は保たれている。
軍の検問所が多数、設けられた。
警備に当たる警察官の数も増えた。
上空を軍監視艇が巡回している。
帝都は今、軍の管理下にあった。
***
中央行政区。
諮問会議の間。
臨時会議が開かれている。
出席者は通常より少なかった。
軍務総監と艦隊司令長官は欠席。
二人とも拘束されている。
代理として、軍務局長と副司令長官が出席していた。
そして帝国宰相、内務総監、財務総監。
関係省庁の官僚たちは背後に控えている。
軍務局長が言った。
「陛下は静養中だ。」
皆、無言だった。反応する者はいない。
この説明を信じている者はいないが、あえて反論する者もいない。
それが今の帝都だった。
内務総監が言った。
「治安は維持されています。」
軍務局長がうなずいた。
「通信統制はどうなっている?」
内務総監が答える。
「首都星と植民惑星、植民惑星間の通信は監視しています。」
軍務局長がうなずく。
「必要な措置だ。」
財務総監が言った。
「補正予算案を提出します。」
軍関連予算が増額されている。
軍用艦の建造、輸送、通信網の増強、監視などに当てられる予算。
例外処理として承認された。
反対意見は出なかった。
会議は短時間で終わった。
異論も反対もなかった。
それが今の帝都だった。
***
同じ日の、しばらく後。
軍務省内部でも会議が開かれた。
出席者は限られていた。
クーデターの中心となった帝国艦隊副司令長官、参謀総長。
そして軍務局長、作戦局長、兵站局長、編成局長、人事局長。
参謀総長が会議の口火を切る。
「今のところ、状況は安定している。
宮廷警備隊の武装解除は完了した。」
人事局長が発言する。
「中央星域艦隊の再編は進んでる。」
穏健派の将官、佐官は罷免され、代わりに強硬派の将校がその地位に就いた。
「完了次第、次は外縁宙域艦隊の再編を進める。」
指揮系統は整理されつつある。
参謀総長は続けた。
「内務省に依頼した反対派の拘束も順調だ。」
改革派の執行官、行政官、学者、報道関係者の拘束が進んでいる。
「辺境の入口は監視を強化している。反対派が逃げ込むと面倒だからな。」
副司令長官が最後に言う。
「一段落ついたら、いよいよ辺境だな。」
全員がうなずいた。
辺境政策。
そもそもクーデターの発端はそこにある。
***
その頃。
首都星から離れた宙域。
一隻の目立たない輸送船が静かに航行していた。
その船室の一つにセレノスがいた。
軍監察局から指示が出ているのか、船長はセレノスにいろいろと配慮をしてくれた。
お陰で居心地は良い。
首都星を離れて数日後、セレノスは船長に依頼し、ある植民惑星と通信した。
あらかじめ取り決められていた文章を送る。
これで受け入れ態勢を取ってくれるはずだった。
首都星には戻れない。
まずはその惑星に身を隠す。
そこから始めるしかなかった。




