決起
第2章 決起
軍の人事異動そのものは珍しいものではない。
定期異動もあれば、戦略変更などに伴う特別な異動もある。
まず内示が出され、移動、引継ぎを行う。
それらに十分に時間を取ってから正式発令と辞令交付に進む。
そうしなければ、中央星域だけでも直径約七百光年に及ぶ帝国の軍事機構は動かない。
問題は、その内容だった。
帝国艦隊副司令長官は端末に表示された異動一覧を見て、しばらく言葉を失った。
隣に立つ帝国艦隊参謀総長も同じだった。
“排除”されている。
それが最初の印象だった。
今回の異動には、軍務総監と艦隊司令長官は含まれていない。
二人はドライゼンの更迭に伴い着任したばかりだ。
異動の対象になっているのは、その下の実務を担ってきた層だった。
帝国艦隊副司令長官。
同参謀総長。
軍務省の局長級高官。
方面艦隊の司令官、参謀クラス。
異動対象となった顔ぶれを並べれば、いずれも旧ドライゼン体制を支えてきた中枢実務層だった。
ドライゼン系が切られている。
その意味は誰の目にも明白だった。
“強硬派の排除”
「……ここまでやるか。」
副司令長官が低く言った。
参謀総長は答えなかった。
二人とも理解していた。
これは普通の人事異動ではない。
軍の主な指揮系統に連なる者がのきなみ交代している。
目的は軍主導権の奪取。
参謀総長がようやく言った。
「後任は、いずれも穏健派だ。少なくとも、こちらの側ではない。」
副司令長官はゆっくりと息を吐いた。
すでに軍務総監と艦隊司令長官のポストは穏健派に奪われている。
今回の異動で、その下のポストまで奪われれば、軍の主導権は完全に穏健派に移る。
帝国は軍によって維持されてきた。
中央星域の治安、外縁星域の航路防衛、辺境星域の拠点維持。
それらは政治によって成立しているのではない。
軍によって成立している。
灯台航路網、植民星。
すべて軍が守っている。
軍には帝国を守る責任がある。
その軍の中枢が同時に動かされる。
それは単なる人事ではない。
統治構造の変更だった。
「正式発令まで、三週間……。」
副司令長官がつぶやく。
「座して待てば終わる。」
「同感だ。」
参謀総長が答える。
副司令長官は目を閉じた。
三週間。
抵抗する側にとっては短い。
「急ごう。」
二人は手分けして強硬派の主要メンバーに連絡を取った。
***
その日のうちに、会合は開かれた。
場所は軍務省外局庁舎の奥にある緊急対策室だった。
名目は戦略運用会議。
だが集まった顔ぶれを見れば意味は明白だった。
帝国艦隊副司令長官。
同参謀総長。
中央星域艦隊司令官及び参謀長級数名。
軍務省軍務局長。
同作戦局長。
同兵站局長。
同編成局長。
同人事局長。
全員が旧ドライゼン体制の実務中枢だった。
室内の空気は重かった。
皆、理解していたからだ。
この会議が何を決める会議なのかを。
最初に口を開いたのは軍務局長だった。
「確認しておくが、これは通常の人事異動ではない。」
誰も反論しない。
「軍の主流を政治判断で切り崩す人事だ。」
人事局長が皆を見回して言う。
「今回の異動、人事局長である私にまったく話が無かった。
陛下とその周辺だけで決定した人事だ。」
そして端末を操作し、対象一覧を壁面に投影する。
一目で分かる。
更迭される側と昇格する側が明確すぎる。
兵站局長が苦い顔をした。
「陛下は軍を信用しなくなったということか。」
「正確には、我々をだ。」
作戦局長が言った。
「これが正式発令され、辞令が交付されれば終わりだ。
軍務省は完全に組み替えられる。中央星域艦隊の上層部も入れ替えられる。
編成も戦略計画も主導権はすべて向こうに移る。」
沈黙が広がる。
その沈黙を破ったのは副司令長官だった。
「つまり、今、決めるべきことは一つだけだ。」
全員の視線が彼に集まる。
副司令長官は淡々と言った。
「従って退くか、先に動くかだ。」
それは会議の場にいる全員が、すでに胸の中で考えていたことだった。
だが、言葉にされた瞬間、意味が変わる。
選択になる。
兵站局長が険しい顔で言った。
「反逆になる。」
「違う。」
副司令長官は即座に否定した。
「これは反逆ではない。軍の統制を守るための措置だ。」
「陛下を……拘束してか。」
人事局長の声にはわずかな迷いがあった。
副司令長官はその迷いを正面から受け止めた。
「正式発令と辞令交付が完了すれば、我々は軍を失う。
指揮権も、作戦決定権もだ。そうなれば、帝国の統治機構はすべて不安定化する。
辺境対応も、中央防衛も。」
それはクーデターを正当化する一つの理屈だった。
詭弁ではない。
少なくとも彼ら自身はそう信じていた。
軍務局長が低く言う。
「陛下を排除するつもりはない。」
「当然だ。」
副司令長官はうなずいた。
「陛下には傷一つ付けてはならない。しばらくご休養いただくだけだ。」
参謀総長が補足する。
「宮廷警備隊を排除し、通信を遮断し、宮殿を押さえる。
陛下にはしばらくご休養いただき、その間、我々が統治権を一時的に代行する。」
その言葉に全員がうなづく。
兵站局長が問う。
「戦力は?」
参謀総長が即答する。
「陸戦隊を投入する。四個旅団。」
「四個旅団か……。」
編成局長が顔をしかめた。
「多すぎるか?」
「いや、妥当だろう。」
副司令長官が言った。
「宮廷警備隊は皇帝直属だ。忠誠心が高い。しかも宮殿防衛に特化している。
中途半端な戦力では長引く。
長引けば穏健派指揮下の部隊が出てくるかもしれん。
そうなれば内戦になる。」
軍務局長がうなずく。
「短時間制圧が絶対条件だ。」
「そうだ。
宮殿の損害を最小に抑え、陛下の安全を確保する。それでいて短時間で終わらせる。
そのためには、圧倒的な戦力差が必要だ。」
皆がうなずいた。
「軍務総監、艦隊司令長官など拘束が必要な者のリストだ。」
副司令長官がリストを皆に見せる。
「拘束には憲兵隊を向かわせる。」
また皆がうなずいた。
軍務局長が尋ねた。
「親衛艦隊への根回しはどうする?」
参謀総長が答える。
「事後報告だな。
親衛艦隊は皇帝への忠誠心が厚い。事前に計画を明かせば必ず反対する。
彼らは陸戦隊を持たないから、我々が宮殿を押さえてしまえば何もできん。
もともと我々と考え方は近い。
陛下の身の安全さえ確保されれば、ことを荒立てることはないだろう。」
皆がうなずき同意する。
最後に人事局長がためらいがちに尋ねた。
「ドライゼン閣下へは?」
しばしの沈黙。
副司令長官が皆の顔を見回してから言った。
「報告はする。」
またも沈黙が広がる。
副司令長官は続けた。
「ドライゼン閣下には、いずれ帝国と軍を率いていただかなければならない。」
誰も口を挟まない。
「陛下の拘束という事態に巻き込むべきではない。」
静かな声だった。
「それに……、あの方は皇帝への忠義が厚い。」
わずかな間。
「宮殿攻撃には賛成されないだろう。」
誰も異論を言わなかった。
***
その夜のうちに、命令は下った。
表向きの名目は、皇帝宮殿防衛体制の一時的増強。
最近の内部不穏分子摘発に伴う警備支援。
帝国軍陸戦隊四個旅団、総計約一万六千が動き出した。
装甲車の列が夜の宮廷区画へ向かう。
上空では降下艇が無灯火で待機する。
通信統制車両が先行し、宮殿周辺の回線網に割り込む準備を進める。
現場指揮を執る陸戦隊少将は、出動前に以下を厳命されていた。
陛下は丁重に保護し、そのまま宮殿内で安全を確保すること。
重火器の使用は禁止。
制圧は迅速に。
少将は部下たちに強く言った。
「目的は殲滅ではない。制圧だ。
皇帝陛下に傷一つあってはならん。
宮廷警備隊にも必要以上の損害を出すな。だが、抵抗するならやむを得ない。」
作戦開始は未明だった。
まず、宮殿外周が完全に包囲された。
四個旅団の兵力が、皇帝宮殿と周辺施設を円形に取り囲む。
正門前には装甲車列。側面通路には歩兵大隊が展開し、裏手の庭園区域には狙撃班と制圧班が配置される。
上空には降下艇が待機したまま、静かに軌道を調整していた。
宮廷警備隊もすぐに異常を察知した。
警報が鳴る。
防衛隔壁が下りる。
内郭門が閉鎖される。
約一千五百の警備隊員が、正装に近い儀礼装備から実戦装備に切り替え、持ち場に散っていく。
彼らは皇帝直属だった。
帝国軍とは命令系統が異なる。
軍の命令には従わない。
外部回線が遮断される直前、宮廷警備総監のもとに通信が入った。
『武装解除せよ。
皇帝宮殿は帝国軍陸戦隊が保護下に置く。』
宮廷警備総監は即答した。
「拒否する。」
総監はさらに言った。
「皇帝陛下の安全は我々が守る。軍が立ち入ることではない。」
陸戦隊少将は返答を受けると、数秒だけ沈黙した。
彼も宮廷警備隊の立場は理解していた。
彼らは義務に従っているだけ。
陛下に忠誠を尽くしているだけだ。
だが、作戦を止めるわけにはいかない。
「最終勧告を。」
少将は命じた。
「門を開け。抵抗を中止せよ。
皇帝陛下には一切、危害を加えない。
宮廷警備隊の任務解除後の退去も保障する。」
返答はなかった。
代わりに、宮殿外周の防壁上に宮廷警備隊の隊員たちが姿を見せ、銃を構えた。
少将は小さく息を吐いた。
「止むを得ん。」
命令が飛ぶ。
「突入開始。」
次の瞬間、正門前の制圧部隊が一斉に前進した。
遮蔽物展開装置が起動し、可動式防盾が横に広がる。
ロケット弾が連続して防壁に叩き込まれ、閃光と衝撃音が夜気を震わせた。
宮廷警備隊も即座に応戦を開始した。
青白い光跡が交錯し、外周通路で最初の交戦が始まった。
宮廷警備隊は強かった。
人数では圧倒的に劣るが地形を熟知している。
門、回廊、狭い通路。
すべてが防衛側に有利だった。
狙撃も正確で、突入しようとした陸戦隊の兵士が次々と倒れる。
だが、戦力差が大きすぎた。
正面攻撃は陽動だった。
少将は通信を開く。
「空挺隊、突入。」
上空で待機していた降下艇群のハッチが開いた。
次々と空挺兵が降下する。
宮殿本棟の屋上。
側翼棟の中庭。
儀典広場の後背部。
さらには宮殿外周内の警備兵舎付近にまで、一斉に降下が始まる。
宮廷警備隊にとって最悪の展開だった。
正面から陸戦隊本隊を食い止めている間に、背後と上空を取られた。
防衛線が分断される。
「屋上に敵!」
「中庭にも降下した!」
「後方通路、突破された!」
怒号が飛び交う。
宮廷警備総監はなおも退かなかった。
「内郭を守れ! 陛下の居住区へ近づけるな!」
警備隊は最後まで踏みとどまった。
内郭門前では白兵戦に近い近接戦闘が起こり、短銃と衝撃槍が交差する。
宮廷の白い壁面に火花が散り、赤い警報灯が石床を不気味に照らしていた。
しかし、包囲された一千五百が、一万六千を相手に持ちこたえ続けることはできない。
十分。
そして二十分。
その頃には、宮殿外周は完全に陸戦隊の手に落ちていた。
三十分後には内郭も突破された。
残るのは皇帝居住区周辺だけだった。
陸戦隊少将はここで改めて命じた。
「火器の使用を最小限にしろ。皇帝陛下の近辺では発砲は禁止。
繰り返す。
皇帝陛下に傷を負わせるな。」
最後の扉が開かれた時、皇帝は威厳をもって立っていた。
居住区に残った少数の宮廷警備隊員が、武器を構えて皇帝を守っていた。
その周囲はすでに陸戦隊が取り囲んでいる。
少将はヘルメットを外し、深く一礼した。
「陛下」
皇帝は静かに彼を見た。
「これはどういうことか。」
少将は表情を変えずに答えた。
「御身をお守りに参りました。」
それが詭弁であることを、彼自身が一番分かっていた。
だが、それ以外の言葉は許されていなかった。
「通信を開け。」
皇帝は言った。
少将は何も答えなかった。
皇帝はすべてを理解した。
命令は出せず、連絡もできない。
宮殿の外へ意思を届ける術はない。
生活そのものは変わらないだろう。
食事も、居室も、侍従も残されるはずだ。
だがそれは丁重な拘束だった。
少将は再び一礼する。
「ご不便はおかけしません。
ですが、本日より宮殿外との連絡は制限されていただきます。」
皇帝は何も答えなかった。
居住区の外では、なおも断続的な戦闘音が響いている。
忠義を尽くす宮廷警備隊は、最後まで抵抗しているのだろう。
少将はその音を聞きながら、胸の奥に重く沈むものを感じていた。
作戦は完了した。
皇帝宮殿は制圧された。
皇帝は宮殿内に留め置かれる。
外部との連絡は遮断。
クーデターは成功した。
数時間後、軍務省、中央星域艦隊司令部、通信統制局には同一文面の通達が送られた。
『皇帝陛下は現在、宮廷内において保護下にある。
帝国の秩序維持のため、当面の政治運営は軍部が代行する。』
その意味は明白だった。
***
ドライゼンへの報告には、副司令長官が直接、帝都郊外にあるドライゼンの私邸に出向いた。
副司令長官は応接室に通された。
「皇帝宮殿は制圧しました。
皇帝陛下は宮殿内にて、ご無事です。」
沈黙。
「通信は遮断されています。」
沈黙。
「軍内部の反対派の主だったメンバーも拘束しました。
軍の統制は維持されています。」
少し間を置いて続ける。
「事前にお知らせせず、申し訳ありませんでした。
帝国と軍を率いていただくお立場の方を、陛下の拘束という事態に巻き込むべきではないと判断しました。」
ドライゼンは最後まで黙して何も言わなかった。
沈黙の意味するものを理解する者はいなかった。




