失脚と焦燥
黒冠のアルク V
―― 帝国の影
第1章 失脚と残影
帝都中枢は静かだった。
だが、平穏……というわけではない。
灯台制圧作戦の失敗の後、
ヴァルケン・ドライゼンは、
軍務総監の職を解かれ、兼務していた宇宙艦隊総司令官の職も解かれた。
解職は一枚の人事通達だけだった。
解職の理由を示す文書は添えられていない。
責任を問う文言はどこにもなかった。
形式上は、作戦失敗の責任を取るという形はとられていない。
代わって示されたのは、新たな役職への任命だった。
皇帝諮問官。
皇帝の求めに応じて意見を述べる職。
帝国でも数えるほどしか存在しない高位の席。
形式上は昇進だった。
しかし誰もが理解していた。
これは棚上げ人事だった。
皇帝はドライゼンを罰しなかった。
辺境侵攻の失敗について責任を問わなかった。
それは皇帝の配慮だった。
ドライゼンのこれまでの貢献。
軍内での影響力。
そして何より、皇帝自身が彼に寄せていた信頼。
それらすべてを踏まえた決定だった。
表向き、ドライゼンの立場は守られた。
名誉は損なわれていない。
だが実権は失われた。
軍務総監でも宇宙艦隊総司令官でもない。
軍を動かす権限は完全に消えていた。
形式上は排除ではない。
だが軍の命令系統からは外された。
それでも彼の軍籍は維持されていた。
階級も失われてはいない。
軍人としての立場そのものが消えたわけではなかった。
***
皇帝の執務室。
華やかな内装と豪華な調度品。
その机の上には、三つの報告書が並んでいた。
軍監察局の報告。
軍情報部の報告。
そして中央情報局の報告。
内容は一致していた。
軍は揺れている。
揺れているだけではない。
割れる可能性がある。
皇帝は軍強硬派の動きに危惧の念を感じていた。
これ以上の辺境星域との敵対は、帝国の統治に深刻な影響を与えるのではないかと。
強硬派の排除を命じることはできる。
だが強硬派がおとなしく従うだろうか。
穏健派が強硬派を押さえることができるのか。
軍監察局の報告書には、強硬派の一部が不穏な動きをしていることが記載されていた。
皇帝の命令一つで、軍が二つに割れかねない。
中央星域艦隊と外縁星域艦隊では、すでに指揮系統に乱れが生じている。
軍が割れれば、外縁星域、辺境星域の治安維持に支障が出る。
皇帝は報告書を閉じた。
決断が難しい。
無能だからではない。
有能ゆえに自らの命令の影響を見通せるからだ。
ドライゼンの人事は名誉職への棚上げで問題を先送りした。
ドライゼンを排除すれば、強硬派が暴発しかねない。
しかし指揮権を残せば、辺境星域への強硬策は止まらない。
軍穏健派に軍を任せるには不安が残る。
だから棚上げを選んだ。
まだ、その時ではない。
***
軍務省庁舎の廊下は長かった。
帝国軍の行政と統制を担う中枢。
その中心を歩いてきた男が、今、ここを去る。
ヴァルケン・ドライゼンは歩いていた。
歩調は変わらない。
速くも遅くもない。
彼に声をかける者はいなかった。
だが視線はあった。
敬意。
警戒。
困惑。
期待。
すべてが混じっていた。
軍務総監だった男。
そして宇宙艦隊総司令官だった男。
今は皇帝諮問官。
彼は立ち止まらない。
振り返らない。
ただ歩いた。
やがて庁舎の出口に至る。
扉が開き、外光が差し込む。
彼は外へ出た。
専用車が待機していた。
諮問官の執務場所である皇帝宮殿に向かう。
宮殿は静かだった。
帝都の中心にありながら、外界とは切り離された空間だった。
諮問官室はその奥にあった。
広い部屋。
豪華な内装と調度品。
大きな机と椅子、そして本棚。
必要以上に広かった。
彼は室内を見渡した。
椅子に座り、端末を起動した。
決裁事項も連絡事項も入っていない……。
軍は動き続けている。
その中心にいた男が中心から外れた。
だが消えたわけではない。
軍籍も階級も残されている。
軍強硬派と穏健派、その間に立つ皇帝。
三者の関係は不安定な均衡を保っていた。
第2章 焦燥
会議は非公式だった。
議事録は残さない。
記録端末も起動していない。
参加者も限定されていた。
帝国軍本部の参謀クラス、そして中央星域の各艦隊の司令官クラスの将官。
参加者は六名。
召集したのは中央星域艦隊司令官級の一人。
全員が、これは通常の会議ではないと理解していた。
最初に口を開いたのは最年長の将官だった。
「辺境が自ら航路を握るようなことがあれば帝国の危機だ。」
誰も否定しなかった。
沈黙が同意だった。
黒冠航路はすでに局地的な輸送路ではない。
複数の辺境拠点を接続し、補給を成立させ、情報の流れを変え始めている。
帝国を経由しない移動、物流、連絡が成立する。
それが意味するものは明確だった。
「航路は帝国の生命線だ。」
別の将官が言った。
皆がうなずく。
黒冠航路はすでに線ではない。
航路網という網になろうとしていた。
一度、完成すれば容易に破壊はできない。
網は一部を切断しても迂回して再接続できる。
全面封鎖が困難なことは、これまでの遠征作戦の失敗で証明されている。
そして、いずれ辺境に生きる人々は気付く。
“帝国なしでも生きていける”と。
将官は続けた。
「放置はできない。」
短い言葉だった。
全員が理解している。
独立は宣言で起きるものではない。
必要がなくなった時に起きる。
帝国からの補給が不要になるとき、それが始まる。
「まだ初期段階だ」
別の将官が言った。
「まだ間に合う。」
それも事実だった。
黒冠航路は完成していない。
辺境全域を覆う網にはなっていない。
「だが皇帝の承認は頂けないだろう。」
全員がうなずいた。
それはドライゼンの処遇から明らかだ。
強硬派を率いていたドライゼンは皇帝諮問官に“左遷”され、指揮権を奪われた。
いまや正規の命令で軍を動かすのは難しい。
沈黙が続いた。
「時間がない」
誰かが言った。
反論はなかった。
黒冠航路により辺境は接続され始めている。
帝国の統制を離れ、人と情報と物資の移動が勝手に行われる、
そんな変化が進みつつある。
止めるなら今しかない。
彼らが恐れていたのは辺境の動揺ではなかった。
それが連鎖し、帝国の統制そのものが回復不能になる事態だった。
「どうする?」
方法は一つしかないことは全員が分かっていた。
正規の命令で軍を動かせない以上、非公式に動く。
「情報部で実施してもらいたい。」
最年長の将官が言う。
その言葉に一人の将官がうなずく。
「思うに、当面の問題は二つだ。
一つは辺境星域の政治指導者トマス・ケード。
そして、もう一つは、黒冠航路成立の中心、そして帝国に対する辺境の抵抗の象徴と成りつつあるブラッククラウン。」
全員が理解していた。
トマス・ケード。
そして、ブラッククラウン。
この二つの存在が消えれば、辺境の抵抗勢力の勢いは止まる。
辺境に秩序が戻る。
これは正式の作戦ではない。
公式記録には残らない。
だが帝国を守るためには必要だった。
「作戦の完遂を期待する。」
意思は共有された。
会議は終わった。




