退潮
第11章 退潮
中央星域のある工業惑星。
工場の半分が操業時間を短縮している。
「物流が止まってる。」
ある工場の責任者が吐き捨てるように言う。
「辺境から原料が届かない。」
作業員の男が言った。
「全部、軍に回ってるらしいですよ。」
作業員の女が低く言う。
「その軍も負けてるらしいです。」
別の工員が言った。
「遠征なんてやめればいいのに。」
周囲が静まりかえる。
「そんなこと言うもんじゃない。聞かれたらどうする。」
責任者が叱りつける。
工員は下を向いて黙った。
しかし、小さな声でつぶやいた。
「何のための戦争だ。」
***
ブラッククラウンを取り逃がした後も、帝国遠征艦隊は作戦を続行した。
作戦開始から三か月が経過しようとしていた。
灯台制圧は続いている。
補給拠点も確保されている。
航路の統制権も少しずつ帝国側に戻る。
作戦は進んだが、進行速度は大きく落ちていた。
補給路が何度も襲撃される。
輸送艦が沈む。
灯台の航路観測装置が故障する。
各地で発生するサボタージュ。
そして現れる黒い船。
旗艦グラウス戦術会議室。
参謀が報告する。
「補給船団三号、航路変更。」
「灯台補給、七日遅延。」
別の参謀が続ける。
「第四攻撃群、補給不足により進撃停止。」
レイグナーは静かに聞いていた。
彼は言った。
「損害は。」
「大きくはありません。
ですが、相変わらず補給遅延が頻発しています。」
レイグナーはうなずいた。
ブラッククラウンの襲撃はあの作戦以来、少なくなってはいた。
大きな損害は受けていない。
だが少しずつだが確実に作戦を遅らせている。
参謀が言う。
「辺境側の抵抗は頑強です。」
スクリーンに報告が並ぶ。
武装商船の襲撃。
補給基地への破壊工作。
灯台周辺での小規模戦闘。
組織化された軍ではない。
だが数が多い。
そして止まらない。
参謀が言う。
「辺境自治ネットワークの指示と思われます。」
レイグナーは短く言った。
「トマス・ケードか。」
参謀がうなずく。
「はい。」
レイグナーは少し考えて言った。
「敵ながら、よくやっている。
統制されてはいないが、有効だ。」
彼は航路図を見た。
灯台制圧は進んでいる。
だが予定より遅い。
かなり遅い。
参謀が言う。
「現在制圧している灯台は八十四基です。」
主要航路帯の灯台は全部で百二十基。
本来の計画では、すでに制圧は完了しているはずだった。
レイグナーは小さなため息をついた。
***
帝国中央星域。
帝国首都星アウレリウム。
巨大な会議室の中央に円卓が置かれている。
諮問会議の場である。
三度目の戦況報告会議だった。
七人の議員が席についていた。
円卓の中央には辺境星域の航路図がホロ画面に投影されていた。
ドライゼンが口を開いた。
「遠征艦隊の作戦は予定より遅れているが、依然として成功可能である。」
彼は航路図を指した。
「灯台制圧は進んでいる。
作戦を継続すれば、灯台管理権は必ず回復できる。」
しかしセレノスは静かに言った。
「もうやめるべきだ。」
会議室の空気がわずかに変わる。
セレノスは続けた。
「作戦は間もなく四か月目に入る。
当初の想定は三ヶ月。
皇帝陛下のご裁断も三ヶ月までだった。
しかし現実には終わる見通しもたっていない。」
ドライゼンが即座に反論する。
「成果は出ている。
灯台は確実に制圧されている。」
財務総監が口を挟んだ。
「財政状況を申し上げたい。」
書類を開きながら言う。
「今回の遠征作戦による支出は、年度当初の軍関係予算を大幅に超過しています。
すでに当初予算の四倍近くです。
このまま作戦を続ければ、帝国財政への影響は極めて大きいものとなります。」
内務総監も続けた。
「国内状況も問題です。
遠征作戦の影響で各植民惑星の経済活動に悪影響が出ています。
交易の混乱も大きい。
治安の悪化も確認されています。
これ以上、見過ごすことはできません。」
セレノスが静かに言う。
「帝国の統治は軍だけでは成り立たない。」
ドライゼンは腕を組んだ。
「辺境を放置すれば帝国統治そのものが崩れる。」
艦隊副総司令官が同意する。
「作戦は継続すべきです。」
議論は続いた。
だが流れは徐々に決まっていく。
やがて帝国宰相が口を開いた。
「……撤退も検討すべきではないでしょうか。」
沈黙が落ちた。
採決が行われる。
作戦継続 二票。
撤退支持 五票。
ドライゼンを含む軍関係議員二名のみが作戦継続を主張。
諮問会議の結論は決まった。
遠征作戦は打ち切り。
艦隊は撤退。
***
皇帝の私室。
帝国宰相が報告していた。
「諮問会議の結論は撤退支持多数です。」
皇帝は黙って聞いている。
宰相が続けた。
「遠征艦隊は依然、戦闘能力を保持しております。
しかし政治、財政状況を考えれば、作戦継続は困難と判断されます。」
皇帝はしばらく沈黙した。
そして静かにうなずいた。
「……そうか。
分かった。」
皇帝は続けて言った。
「ドライゼンを呼べ。」
宰相は頭を下げた。
「承知しました。」
しばらくして、軍務総監ドライゼンが部屋に入っていく。
厳しい表情だった。
皇帝の前で立ち止まる。
皇帝は静かに言った。
「話は分かるな。」
ドライゼンは答える。
「はい。」
部屋の空気は硬かった。
***
その頃。
辺境星域。
旗艦グラウス。
艦橋に通信が届いた。
参謀が言う。
「中央からです。」
レイグナーは通信を受け取る。
文書は短かった。
「遠征作戦終了。撤退せよ。」
レイグナーはしばらく黙っていた。
そして小さく息を吐いた。
「……やはりこうなったか。」
参謀が驚く。
「予想されていたのですか。」
レイグナーは答えた。
「政治だな。」
彼は航路図を見た。
灯台。
そして補給路。
軍事的にはまだ戦える。
作戦も継続可能だった。
だが帝国は国家である。
軍だけで戦争は決まらない。
レイグナーは静かに命じた。
「撤退準備。」
参謀が敬礼する。
「了解。」
命令が辺境に散った各艦隊に送られる。
「帝国遠征艦隊。撤退開始。」
辺境星域での帝国の軍事行動は、ここに終わった。
***
その少し前。
辺境星域、コロニー〈カルディア〉。
港の酒場は、いつもより騒がしかった。
「聞いたか?」
「帝国艦隊の動きが止まったらしいぞ。」
酒の入ったグラスがテーブルに叩きつけられる。
「また黒い船だ。」
誰かが笑った。
「ブラッククラウン。」
その名前は、今では辺境のあちこちで聞かれるようになっていた。
輸送船の船員。
採掘コロニーの作業員。
小さな交易港の商人。
彼らは皆、同じ噂を語る。
帝国の補給艦が燃えた。
弾薬輸送艦が消えた。
航路が混乱している。
そしてその原因は――
黒い船。
酒場の端で年老いた船乗りが言う。
「帝国だって無敵じゃない。補給が止まれば動けない。」
別の男が笑う。
「ざまあみろだ。」
だが若い船員が首を振った。
「いや、まだ終わっちゃいない。帝国はまだいる。」
その言葉に、酒場は少し静かになった。
確かに帝国艦隊は撤退していない。
だが――
「それでも」
誰かが言った。
「奴ら、前より遅い。」
その通りだった。
帝国艦隊の進撃は止まっていた。
灯台制圧も遅れ、
補給船団は遠回りを強いられ、
航路のあちこちで小さな戦闘が起きている。
そしてそのたびに噂が広がる。
ブラッククラウン。
黒い船。
航路を読む男。
酒場の女主人が笑った。
「英雄ね。」
年老いた船乗りが言う。
「英雄なんて呼ぶと怒るぞ。」
「ただの運び屋だ。」
***
同じ頃。
辺境自治ネットワークの臨時通信会議。
小さな会議室に、複数のホロ画面が浮かんでいる。
コロニー代表たち。
鉱山管理者。
交易ステーションの責任者。
そして中央にトマス・ケードがいた。
彼は腕を組み、報告を聞いていた。
「帝国補給船団の航行頻度が三割低下。」
「制圧された灯台は約七割。」
「いくつかの前線部隊は補給不足で撤退。」
ケードはゆっくり息を吐いた。
「……効いてるな。」
誰かが言う。
「ブラッククラウンのおかげだな。」
会議室に小さな笑いが起きた。
ケードは笑う気になれなかった。
彼は静かに言った。
「まだ勝ったわけではない。油断はできない。」
出席者の一人が言う。
「ですが、帝国艦隊は明らかに動きが鈍っています。」
別の代表が続ける。
「このまま続けば、遠征は失敗するかもしれない。」
ケードは首を振る。
「帝国はそんなに甘くない。」
彼はスクリーンに表示された航路図を見る。
帝国遠征艦隊。
依然として巨大な戦力。
「奴らが本気で押してきたら……、
辺境は耐えられない。」
沈黙が流れる。
それは皆わかっていた。
辺境には艦隊がない。
統一された軍もない。
あるのは小さな抵抗と、ばらばらのコロニーだけだ。
ケードが言う。
「だから時間を稼ぐ。それが俺たちの戦争だ。」
「しかし……、
帝国内の改革派、当てにしていいのだろうか?
当てにするしかないのは分かっているが。」
何人かの出席者がその発言に同意するようにうなずいた。
ケードは無言だった。
同じ気持ちだったからだ。
辺境は改革派の動きを信じるしかない。
耐えて持ちこたえること。
それ以外に、この戦いに勝つ道はない。
誰かが尋ねる。
「ところで、ブラッククラウンは?」
ケードは肩をすくめた。
「好きにやってる。」
小さな笑いが起きる。
ブラッククラウンは自治ネットワークの船ではない。
指揮系統にも入っていない。
たが、同志だ。
帝国を攻撃している。
ケードは航路図を見つめる。
帝国艦隊。
辺境コロニー。
そして航路。
ケードが最後に言う。
「もう少しだ。
もう少し時間を稼げば……。」
その言葉は途中で止まった。
誰もその先を言わない。
全員が同じことを考えている。
帝国が撤退するまで耐えるしかないと。
***
ブラッククラウン号の艦橋は静かだった。
ルナが椅子を回しながら言う。
「なんかさ。
最近、帝国おとなしくない?」
リアが端末を見ながら答える。
「補給が滞っています。動きづらいのでしょう。」
ルナが笑う。
「つまり私たちのせい?」
リアは淡く微笑んだ。
「そうかもしれません。」
「でも助かるわ。」
ルナが続ける。
「あの無茶以来、この船、あまり調子よくないし。」
ガロンも言う。
「この戦いが終わったら、全面オーバーホールが必要だな。
無茶をさせ過ぎた。」
アルクは何も言わない。
ただ前方の航路図を見ていた。
航路。
星間流。
灯台。
そのすべてが静かに動いている。
ノアが言う。
「噂、聞いた?
ブラッククラウンは英雄だって。」
ルナが吹き出す。
「英雄!
アルクが?」
「アルクだけじゃないよ。みんなだよ。
ルナもだよ。」
ノアが答える。
「私も!」
ルナが腹を押さえて笑う。
リアも小さく笑った。
アルクは肩をすくめる。
「関係ない。」
短い言葉だった。
リアは知っている。
アルクは噂など気にしない。
彼が見ているのはただ一つ。
航路だ。
リアが静かに言う。
「帝国の動きが変わってきました。」
アルクが答える。
「……そうだな。」
彼の視線は航路図の一点に止まっていた。
遠い場所。
帝国艦隊。
そしてその背後。
中央星域。
アルクは小さくつぶやいた。
「そろそろ……、
終わるのかな?」
ブラッククラウンは静かに航路を進んでいた。
辺境では、まだ誰も知らない。
帝国の決断が、すぐそこまで来ていることを。
第12章 潮の引くとき
帝国遠征艦隊の撤退は、静かに始まった。
辺境星域の各地に配置されていた艦隊に、順次命令が送られる。
遠征作戦終了。
全艦、撤退準備。
命令は簡潔だった。
旗艦グラウスの戦術会議では、参謀たちが忙しく動いている。
「第三攻撃群、撤退開始。」
「灯台守備部隊、撤収準備進行。」
「補給船団、集合地点に移動。」
スクリーンの戦域図が変化していく。
帝国艦隊はゆっくりと後退し始めていた。
レイグナーはその様子を黙って見ていた。
参謀が言う。
「灯台守備隊の撤収には時間がかかります。」
「一部は現地駐留を希望していますが、どうされますか?」
レイグナーは首を振った。
「残すな。全員撤収だ。」
参謀がうなずく。
「了解。」
レイグナーは戦域図を見た。
四か月近い作戦だった。
多くの灯台を制圧した。
多くの補給拠点も確保した。
航路も抑えた。
だが結局、帝国は辺境を支配できなかった。
彼は静かにつぶやいた。
「悔いの残る戦い……だった。」
参謀が聞き返す。
「閣下?」
レイグナーは答えなかった。
スクリーンに映る戦域図を見つめている。
そしてまた小さくつぶやいた。
「次の機会があれば……、
ブラッククラウン。」
***
その頃。
辺境星域のある宙域。
ブラッククラウン号は静かに航行していた。
リアが端末を見て言う。
「帝国艦隊、後退しています。」
ルナが椅子の背にもたれた。
「本当?」
リアがうなずく。
「複数の戦域で同時に後退が確認されています。」
ノアが言う。
「補給船団も撤収してるらしいよ。」
ルナが笑った。
「じゃあ……。」
リアが言った。
「戦いは終わったようです。」
「そうか。終わったか。」
ガロンはほっと息をついた。
「終わったね。」
ノアも微笑んだ。
アルクは航路図を見ていた。
帝国艦隊の位置。
灯台。
星間流。
すべてが静かに動いている。
ルナが言う。
「勝ったってことでいいの?」
リアは少し考えて言った。
「……帝国は撤退しています。
私たちの目的は達しました。」
ルナは肩をすくめた。
「じゃあ勝ちだね。」
アルクは短く言った。
「終わったな。」
その言葉は静かだった。
だが確かな重みがあった。
***
航路の彼方で、巨大な艦隊がゆっくりと後退していく。
ルナがスクリーンを見ながら言う。
「すごい数だね。
全部帰るのかな。」
リアが答える。
「そのようです。」
ノアが言う。
「戦争、本当に終わったね。」
ルナは笑った。
「終わったというより、追い返したっていう感じよね。」
リアが言う。
「でも帝国はまた来ます。」
それは事実だった。
帝国は諦めない。
この程度で辺境を放棄する国家ではない。
ルナがアルクに尋ねる。
「そのときはまた戦うの?」
アルクが静かに言った。
「そのとき考える。」
ルナが笑う。
「アルクらしいね。」
***
遠くで帝国艦隊の光がゆっくりと小さくなっていく。
辺境星域の戦争は終わった。
少なくとも今は。
そして、この宙域には、すでに新しい噂が広がり始めていた。
帝国艦隊を翻弄した船。
どこからともなく現れ、帝国と戦う船。
黒い王冠の船。
ブラッククラウン。
その名は、辺境星域に静かに広がっていった。
エピローグ 黒冠の噂
辺境星域では、戦争の終わりは静かに訪れた。
公式な宣言などない。
ある日、帝国艦隊の光が消える。
補給船団の航跡が途絶える。
それだけだ。
だが人々は知る。
帝国が帰ったのだと。
***
辺境星域、コロニー〈カルディア〉の酒場では、その夜も酒が飲まれていた。
鉱夫。
運び屋。
船乗り。
誰もが同じ話をしている。
帝国艦隊の撤退だ。
「聞いたか?」
「帝国艦隊、全部引き上げたらしい。」
「戦争は終わった。」
しばらくして誰かが言う。
「結局さ、帝国艦隊を追い返したのは、あの船なんだろ。」
酒場が少し静かになる。
誰かが小さく言う。
「黒い船。」
別の男がうなずく。
「ああ。」
「ブラッククラウン。」
その名前は、もう多くの人が知っていた。
補給船団を沈めた船。
帝国艦隊を翻弄した船。
どこからか現れ、帝国と戦う船。
ある男が言う。
「見たって奴がいる。
航路の外から、いきなり出てきたって。」
別の男が笑う。
「嘘だろ。そんな船あるかよ。」
最初の男が言った。
「あるんだよ。」
ジョッキの酒を一気に飲み干して言う。
「帝国艦隊が捕まえられなかったんだからな。」
反論できる者は誰もいなかった。
***
しばらく後。
ブラッククラウン号は静かに航行していた。
辺境星域の星間流を滑るように進む。
戦争は終わった。
だが仕事はなくならない。
リアが端末を見ながら言う。
「航路情報更新。
次の輸送依頼です。」
ルナが椅子を回した。
「もう仕事?」
リアは答える。
「戦争が終われば、輸送は増えます。」
ルナは笑った。
「それもそうか。」
アルクは前方の星を見ていた。
静かな宙域だった。
戦闘の痕跡もない。
ただ星間流だけがゆっくり流れている。
ノアが言う。
「平和だね。」
ルナが肩をすくめる。
「辺境に平和なんてないよ。」
リアが言った。
「ですが今は静かです。」
アルクは短く言った。
「それでいい。」
ブラッククラウン号は航路を進む。
星間流が船体を包む。
黒い船は再び、宙域の彼方へ消えていった。
そして辺境では、また新しい噂が生まれる。
帝国艦隊を追い返した船。
黒い王冠の船。
どこからか現れ、帝国と戦う船。
その名は静かに広がる。
ブラッククラウン。
そしてその船を操る男の名前も、少しずつ語られ始めていた。
アルク。
黒冠の船長。
今回で第4巻が終了し、次回から第5巻に入ります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第4巻までで、アルクたちとブラッククラウン号は、辺境の小さな船から、帝国全体の流れに関わる存在へと少しずつ踏み込んできました。
第5巻以降は、物語の局面がさらに大きく動いていきます。
黒冠航路をめぐる戦いは、辺境だけの問題ではなくなり、帝国軍、中央、皇帝、そしてそれぞれの思惑を抱えた人々を巻き込んでいきます。
アルクたちが選んできた航路が、どこへつながっていくのか。
ブラッククラウン号が、ただの船ではなくなっていく過程も含めて、見守っていただければうれしいです。
続きも毎日20時過ぎに更新予定です。
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引続き、よろしくお願いします。




