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黒冠のアルク ― 第一部完結/第二部・皇女編連載中 ―  作者: 久遠 恒 


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最上位キー

黒冠のアルク IV

――航路戦争


プロローグ

帝国軍は、静かに動いていた。

それは戦争の準備としては、あまりに静かな動きであった。

艦隊はまだ出撃していない。

砲声もない。

公式の発表もない。

しかし帝国軍の内部では確実に歯車が回り始めていた。

最初に起きたのは人事である。

辺境方面艦隊の司令官が何人か交代した。

続いて外縁星域艦隊でも参謀長が更迭される。

さらに中央星域のいくつかの機動艦隊でも、司令官の配置換えが続いた。

表向きは“通常の人事”である。

だが軍の内部にいる者なら、誰でも気付く。

これは粛清であった。

辺境への大規模軍事行動に慎重な司令官。

政治的な影響を懸念する参謀。

そうした人物が次々と配置転換されていく。

代わりに登用されたのは、命令に従い作戦遂行を重視する将官たちであった。

その変化は、やがて艦隊の動きにも現れる。

辺境方面艦隊の一部が集結を開始する。

それに続き、外縁星域艦隊の機動部隊が動いた。

さらに中央星域からも艦隊が派遣される。

まだ公式な命令は出ていない。

だが軍の内部ではすでに理解されていた。

辺境星域に対する大規模作戦が、準備されている。

その遠征軍の規模は、およそ五百隻。

巡洋艦、駆逐艦、輸送艦。そして戦艦。

帝国軍の艦隊が、ゆっくりと集まり始めていた。

そして、その遠征軍の作戦指揮官として任命を予定された人物がいる。

帝国軍中将レイグナー。

航路戦に精通し、冷静な分析で知られる指揮官である。

彼は命令書を読み終え、静かに端末を閉じた。

「辺境航路か。」

つぶやく声は低い。

辺境ではすでに、帝国の統制の及ばない航路が広がり始めていた。

黒冠航路と呼ばれる航路。

帝国にとって、見過ごすことのできない問題である。

レイグナーは航路図を表示させた。

辺境星域。

約四百基の航路灯台。

そのうち百二十基が集中する主要航路帯。

この百二十基を押さえれば航路統制権の七割は回復する。

そこが戦場の中心となる。

レイグナーは静かに言った。

「厳しい戦いになりそうだ。」

帝国艦隊はまだ出撃していない。

だが戦争はすでに始まっていた。


第1章 辺境の会談

辺境星域、コルベック造船所。

小さな会議室で、二人の男が向かい合っていた。

トマス・ケード。

マティアス・コルベック。

二人は長い付き合いだった。

辺境星域で何度も一緒に仕事をしてきた仲である。

窓の外では輸送船がゆっくりと港へ入ってくる。

採掘船の編隊も見える。

いつもの辺境の光景だった。

だが会議室の空気は重い。

コルベックが先に口を開いた。

「帝国軍、動いてるな。」

ケードはうなずいた。

「ああ。」

テーブルの上には航路図が投影されている。

いくつもの地点に赤い印が付いていた。

帝国艦隊の配置である。

ケードが表示を拡大する。

「外縁艦隊から三個艦隊。中央星域からも一個艦隊が動いてる。

 辺境方面艦隊も再編されてる。」

コルベックは航路図を眺めた。

「そのようだな。」

ケードは腕を組む。

「問題は……」

少し間を置いた。

「情報があまり入ってこない。」

コルベックは小さく息を吐いた。

「だろうな。」

これまで帝国軍内部には、ドライゼンの強硬策に反対する将官がいた。

そうした人物から、断片的ながら情報が流れていたのである。

だが最近、その流れが細くなった。

司令官の交代。

参謀部の再編。

帝国軍の内部で何かが起きているのは明らかだった。

ケードが言う。

「艦隊司令官が、かなり入れ替わってる。」

コルベックがうなづく。

「反対派を外したんだろう。」

ケードは淡々と言った。

「作戦準備というわけだ。」

コルベックは航路図を見つめる。

「何をやると思う?」

ケードは少し考えた。

それから航路図を拡大する。

辺境星域の灯台網が表示された。

「灯台だな。」

コルベックも同じ意見だった。

「航路灯台の奪還か。」

「そうだ。」

コルベックはため息をついた。

「前の作戦から半年、いよいよだな。」

ケードが続ける。

「辺境には灯台が約四百基ある。」

航路図の光点が広がる。

「そのうち百二十基が主要航路帯にある。」

コルベックが低く言う。

「そこを押さえれば航路は帝国のものになる。」

「逆に言えば、」

ケードは静かに続ける。

「そこを守ればいいわけだ。」

しばらく沈黙が続いた。

「ともかく時間を稼ごう。

 帝国軍の作戦を遅らせ、帝国の経済に打撃を与える。

 そうすれば帝国内の改革派が動く。

 戦争は終わる。」

窓の外では輸送船がゆっくりと離港していく。

コルベックが顔をしかめて言った。

「結局、改革派頼みか……。

 他に方法もない。

 俺たちには、艦隊も陸戦隊もないからな。

 帝国上層部の動きか……。

 お前の情勢分析を信じるよ。」

「ところで、アルクたちには知らせるか?」

ケードは即座に答える。

「もちろんだ。」

そして少しだけ笑う。

「ブラッククラウンがいれば戦い方が変わる。

 “航路そのもの”を武器にできるのは、あいつらだけだ。」

コルベックも小さく笑った。

「だろうな。」

ケードは窓の外の宇宙を見た。

「航路を読む能力……」

静かな声で続ける。

「ひょっとすると、今回の戦争の決め手になるかもしれん。」

ブラッククラウン。

帝国管理の及ばない辺境の不安定な非公式航路を、黒冠航路として再編した海賊団。

艦隊も陸戦隊も持たない辺境社会で、帝国艦隊に対抗できるかもしれない唯一の存在。

ケードは航路図を閉じた。

「準備を始めよう。」

コルベックもうなずく。

「戦争になるな。」

ケードは短く答えた。

「ああ。」

そして静かに言った。

「航路をめぐる戦い。

航路戦争だな。」

その頃、帝国艦隊はすでに動き始めていた。


第2章 最上位キー

帝国首都星アウレリウム。

中央星域の中心に位置するこの惑星には、帝国の統治機構の大半が集まっている。

その中でも、帝国の最重要政策を決定する場が諮問会議であった。

巨大な会議室の中央の円卓。

その円卓を囲むように、諮問会議構成員が席に着いていた。

帝国の軍、植民星、行政を代表する七人。

軍務総監ドライゼン。

帝国艦隊副司令官。

執行官会議議長セレノス。

同副議長。

帝国宰相。

内務総監。

財務総監。

彼らの周囲には、軍、行政の高官たちが控えている。

諮問会議は形式上、出席者全員が対等の権限を持っている。

円卓の一角に座るドライゼンの正面には、セレノスが座っていた。

会議室は静まりかえっていた。

やがてドライゼンが口を開く。

「諸君。」

低い声が会議室に広がる。

「現在、辺境星域では帝国の航路灯台網が事実上機能していない。」

ホロ画面が円卓の上に展開された。

辺境星域の航路図である。

そこに点在する灯台の光点が表示される。

ドライゼンは続けた。

「理由は明確だ。」

航路図の一部が赤く変わる。

「航路統制キーが奪われた。」

航路灯台の管理には多層の認証体系がある。

その統制キーを辺境側が奪取したことで、帝国は灯台ネットワークの制御権を失っていた。

結果として、帝国航路は辺境星域では正常に機能しなくなっている。

ドライゼンは言う。

「それだけではない。」

ホロ画面がさらに変化する。

帝国航路とは別の線が現れた。

黒冠航路である。

「統制を失った航路網の隙を突き、辺境では新しい航路網が形成されている。」

ドライゼンは淡々と続ける。

「黒冠航路と呼ばれるものだ。」

数名の議員が顔をしかめた。

帝国の管理外で航路が作られるなど、本来あり得ないことである。

ドライゼンの声は変わらない。

「この状態を放置すれば、帝国航路そのものが崩壊する。」

短い沈黙が落ちた。

ドライゼンは円卓を見回す。

「灯台管理権は、どうしても回復する必要がある。」

ホロ画面が切り替わる。

今度は軍事作戦図だった。

「帝国軍は遠征艦隊を編成する。」

辺境星域の灯台群が表示される。

「航路灯台を段階的に制圧し、最上位キーを使用して灯台制御系を再調整する。」

最上位キーの使用。

会議室の空気がわずかに変わった。

航路灯台の制御体系の頂点にあるもの。

それが最上位キーである。

このキーを用いれば、灯台ネットワーク全体の統制権を回復できる。

だが、それは通常、戦場で使用されるものではない。

円卓の向こう側で、セレノスが口を開いた。

「軍務総監。」

落ち着いた声だった。

ドライゼンが視線を向ける。

セレノスは静かに言う。

「その作戦は、辺境全域を戦場にする。」

ドライゼンは即座に答える。

「そうなるだろう。」

セレノスは続ける。

「辺境星域は帝国の資源供給源だ。

 そこが戦場になれば、帝国経済にも影響が出る。」

ドライゼンは少しも表情を変えない。

「影響は出る。

 だが灯台を失えば、それ以上の損失になる。」

短い沈黙。

セレノスは円卓を見回した。

「つまり」

ゆっくり言う。

「辺境との全面衝突を覚悟するということか。」

ドライゼンはうなずいた。

「その通りだ。」

会議室は静まり返る。

セレノスはしばらく黙っていた。

そして言った。

「私は反対だ。」

その声は静かだったが、はっきりしていた。

「灯台奪還は理解する。

 だがその方法が問題だ。」

ドライゼンは視線を外さない。

セレノスは続ける。

「この作戦は、帝国と辺境の関係を決定的に変える。

 その覚悟が本当にあるのか。

 灯台を一つずつ奪還し、最上位キーで制御系を再調整していく。

 作戦完了まで、かなり時間がかかるのではないか?

 辺境星域からの物資が届かなくなると植民星の経済が回らなくなる。」

ドライゼンは答える。

「作戦は、多方面で同時進行させる。

 作戦規模も最小限。時間もかけない。」

セレノスは尋ねる。

「作戦予定期間は?」

「三か月。」

ドライゼンは即答する。

「三か月で確実に作戦が成功する保証はあるのか?」

セレノスは納得しない。

ドライゼンは少しだけ間を置いた。

それから静かに言った。

「この件については」

円卓を見回す。

「皇帝陛下の裁断を仰ぐべきだ。」

会議室がわずかにざわめいた。

軍務総監が自ら皇帝裁断を求める。

それは異例である。

だが同時に、それは自信の表れでもあった。

ドライゼンは静かに続ける。

「帝国航路の存続に関わる問題だ。

 最終判断は陛下にお願いする。」

セレノスはドライゼンを見つめた。

そして何も言わなかった。

辺境での戦争。

それは帝国の中心で決まりつつあった。


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