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黒冠のアルク ― 第一部完結/第二部・皇女編連載中 ―  作者: 久遠 恒 


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離脱の選択

第11章 残された側


宙域に静寂が戻った。

艦隊はまだ残っている。

このコロニーから住民は去った。

基地内は静まり返っていた。

誰もいない居住区は、空気の流れさえ軽く感じられる。

作業音がない。

話し声がない。

人の気配が、薄れている。

副官が静かに報告する。

「艦隊司令部より状況照会。

 作戦経過の報告を求めています。」

リアは端末を受け取る。

標準書式。

簡潔な事実記載欄。

非戦闘員混在確認。

交戦規定第七条適用。

発砲不可。

それで足りる。

それ以上は、必要とされていない。

だが通信は続いた。

『規定違反は確認されない。

しかし作戦目的は達成されなかった。

現地監督官の判断の妥当性について再評価を行う。』

短い文面。

責任は明示されない。

だが、消えることはない。

続いて、艦隊からの通信に添付されていた航行解析ログが自動表示される。

ブラッククラウンの離脱軌道。

予測不能な航路補正。

航路接続域での加速挙動。

『当該船長の航行挙動は、既知の航法体系との一致率が低い。

既存記録との照合を要する。』

副官が画面を見つめたまま言う。

「……こんな軌道、教範にはありません。」

リアは端末を閉じた。

「ええ。確かに。」

***

リアは整備区画に向かった。

航路ビーコンは安定した発光を続け、航路を維持していた。

航路は保たれている。

だが、ここに戻る船はもうない。

ハルトがやって来た。

「どうにか、終わったな。」

「……あなたは、行かなかったのですか?」

「いろいろ面倒を見なきゃならん設備があるからな。」

短い会話だった。

彼の背後には、使われなくなった工具棚と、空になった資材ラックが見える。

生活の痕跡だけが残っていた。

「灯台はどうなる?」

ハルトが問う。

「当面は維持運用されます。封鎖解除後の通過船舶のために。」

生活が去っても、航路は必要だ。

ハルトはうなづき、視線を宙へ向けた。

「航路は残る。人は残らねぇ。」

リアは答えなかった。

帝国兵区画へ戻る途中、彼女は居住ドームを見渡した。

空の寝台。

消えた生活音。

壁に残る日常の擦れ跡。

ここに確かに人が生きていた証だけが残っている。

制御室に戻ると、新たな通知が届いていた。

『監察面談予定。

 判断経緯報告要求。

 心理適性再評価。』

リアは表示を閉じた。

帝国に残れば、秩序の中で生きられる。

だが、本当に守るべきものは、そこにあるのか。

灯台のビーコンが淡く明滅する。

「少尉あてに秘匿回線で通信が入っています。」

副官がリアに通信を回す。

リアは端末を見た。

『味方してくれてありがとう。

 行く場所がないなら、迎えに行く。

 黒冠。』

リアはしばらく画面を見つめたまま動かなかった。

道は示されている。

選ぶのは自分だ。


第12章 離脱

艦隊は宙域を監視する無人監視艇だけを残し、宙域から退いていった。

宙域は、何事もなかったかのように静けさを取り戻す。

***

数日後、リアは静かに歩いていた。

帝国兵区画を抜け、中央通路を通り、外部デッキに出る。

デッキからは、着陸している一隻の小型船影が見える。

ブラッククラウン号。

帝国艦隊の撤退後、ブラッククラウン号は〈ラグナ・セクターE-17〉に戻ってきていた。

無人監視艇の数は少なく、死角となるタイミングを選んで接近が可能だった。

リアはブラッククラウン号に向かった。

近づくと、船のハッチが開いた。

ゆっくりとタラップを上がる。

エアロックで、ルナが最初に彼女に気づいた。

リアを見た瞬間、ルナの胸の奥で何かが静かに軋んだ。

「監督官。」

その呼び方には距離があった。

アルクたちがハッチの奥に立っている。

「戻る場所は決まったのか。」

アルクの言葉。

問いではない。

確認だった。

リアはしばらく答えなかった。

帝国に残れば、軍人として生きられる。

秩序の中で役割を果たせる。

だが――

従うことで守れるものと、従う限り守れないものがある。

その違いを、彼女はもう見てしまった。

「私は、見てしまったのです。」

静かな声だった。

辺境の現実を。

帝国の限界を。

守るべきものの形を。

ルナが視線を落とす。

その言葉の意味を理解している。

簡単な決断ではないことも。

ガロンが短く言う。

「戻る場所がある奴は、迷わねぇ。」

ノアは端末を閉じた。

「航路は開いています。」

アルクは手を差し出した。

リアがその手を握る。

アルクは言う。

「これに乗れば、帝国には戻れないよ。」

リアは振り返る。

居住ドーム。

外部フレーム。

灯台観測センサー群。

生活の痕跡が残る場所。

帝国の管理下にある拠点。

彼女が去る場所。

「帰る場所は、命令ではなく自分で決めます。

帝国では守れないものを、守るために。」

船内に一歩を踏み出す。

ブラッククラウンのハッチが静かに閉じる。

推進機関が点火する。

加速。

追跡不能の軌道。

航路を読む者の飛翔。

灯台ビーコンが淡く明滅する。

航路は示されている。

そこを進む者がいる限り、道は消えない。

小惑星は遠ざかる。

帝国の宙域が背後へ流れる。

未知の宙域が前方に広がる。

ブラッククラウンは闇に溶ける。

帝国は彼らを犯罪者と呼ぶ。

辺境では――

「航路をひらく黒冠。」と呼ばれている。

***

船内照明が夜間モードに落ちた。

推進機関の振動だけが静かに伝わる。

リアは船室のの簡易ベッドに腰掛け、手にした工具を静かに磨いていた。

使い慣れたものではない。

新しい生活の道具だ。

通路に足音。

ルナが顔を出す。

「慣れた?」

「まだ。」

短い答え。

沈黙。

ルナは壁にもたれ、少し視線を逸らす。

「アルクは…ああいう人だから。」

擁護でも、説明でもない。

リアは小さくうなづく。

「知っています。」

幼い頃、星を見て帰路を知った夜のことを思い出す。

ルナは少し笑う。

「でもね、無茶する。」

「ええ。」

「止められない。」

リアは静かに言う。

「だから、守る人が必要なのでしょう。」

ルナは視線を上げる。

わずかな驚き。

そして、小さく息を吐く。

「……そうかもしれない。」

敵意ではない。

だが、距離は残る。

共有された沈黙が、二人の間に静かに落ちた。

通路の先で足音が止まる。

アルクが立っている。

何も言わない。

ただ、二人の存在を確認して去る。

ルナが小さくつぶやく。

「鈍いのよね。」

リアは微かに微笑んだ。

「ええ。」

互いに視線を外したまま、同じ人の背中を思い浮かべていた。

推進機関の振動は静かに続く。

航路は伸びていく。

三人の距離もまた、まだ定まらない。


エピローグ 灯りの残る座標

灯台ユニットは、変わらず周回を続けていた。

小惑星〈ラグナ・セクターE-17〉は静まり返っている。

居住ドームの内部に灯りはない。

生活音も、もう戻らない。

だが航路ビーコンは安定した発光を保ち、航路の座標を宇宙へ送り続けていた。

航路は残されている。

人が去っても、道は消えない。

数日後、無登録の小型輸送艇が航路の外縁に現れた。

灯台ビーコンの同期信号を受け、慎重に航路へ進入する。

辺境間を行き来する独立輸送船だった。

航路は、使われ続けている。

***

遠く離れた宙域。

ブラッククラウン号は減速し、新たな座標を確認していた。

ノアが航路予測を表示する。

「次の中継コロニーまで、問題なし。」

ルナが操縦席越しに言う。

「……本当に道になってる。」

アルクは答えない。

ただ宙域を見つめている。

後部区画で、リアは小さな端末画面を見ていた。

帝国回線は沈黙している。

彼女は端末を閉じる。

静かな宇宙が広がる。

ここには命令はない。

選択だけがある。

***

灯台ビーコンの座標が更新される。

辺境の宙域に、新しい道が刻まれていく。

航路は管理されるものではない。

生きる者によって、つながれていく。

遠く、宙域の闇に微かな光が瞬いた。

それは灯台の発光ではない。

航路を渡る船の推進光だった。

航路は続く。

人が進む限り。

***

同じ頃――

未登録の小型船が、帝国航路座標にない宙域を進んでいた。

「黒冠航路、か……」

半信半疑のまま進路を変える。

次の瞬間、船は抵抗を失ったように滑り出した。

「……本当に、あるんだ。」

誰が作ったのかも分からない航路。

だが、それは確かに存在していた。

***

辺境再編を巡る方針は、中央でもまだ定まっていない。

強硬策を求める者もいれば、統治の在り方そのものを見直すべきだという声もある。

その結論が、やがて銀河の形を変えることになる。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第2巻『離脱の選択』は、これで完結です。


帝国の航路から外れた星域で、アルクたちは新たな出会いと危険を経験しました。

そしてリアもまた、帝国士官としての立場を越え、ブラッククラウン号の航路に深く関わっていくことになりました。


次回からは第3巻『灯台制圧作戦』に入ります。


星々をつなぐ航路を支える航路灯台。

それは同時に、帝国が航路を支配するための要でもあります。


アルクたちは、帝国の管理下にある灯台をめぐる作戦へ踏み込んでいきます。

ブラッククラウン号の航路は、ここからさらに危険な場所へ向かいます。


毎日20時ごろ更新しています。

ブックマークしていただくと、更新を追いやすくなります。

少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。


引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。


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