帰郷と悲報
世界は夏色、快速列車の車窓の向こうに流れる風景を、透陽はぼんやりと眺めていた。青い空に白い雲がぷかぷかと浮いている。遠景に連なる山々は、深く濃い緑色を呈している。あの山には、一体どんなキノコが生きているのだろうか。近場にある人の社会になど目もくれず、そんなことを考えるばかりだ。
たった今小さな駅を通過した。もうじきトンネルに入って、それを抜けたら透陽の生まれ育った町だ。ついに帰ってきた、そう思えば感慨も深い。たった半年離れていただけなのに、だ。
減速する列車の中、大荷物を携えて透陽は席を立った。ドアが開くと同時に、プラットフォームに降り立った。乗車する人波をかき分け、改札をくぐる。裏口からひとたび足を出せば、アスファルトの不快な熱気が顔を打ち付けた。
透陽は足早に道を行く。再開発の手の薄い駅裏から、混み入った町の中へ向かって十数分ほど歩く。こちらに居るころにも歩いたことはあるはずなのに、心をくすぐるような思い出は何も無かった。同級生の家、床屋、ラーメン屋、うろつく野良ネコ。そんなものよりも、もっと郷愁をあおるものが彼にはあるのだから。
やがて、人が盛んに出入りする建物が眼前に現れた。病院だ。地元では昔から愛される病院。大きな建物の隣に、これまた大きな家がある。そう、こここそが、紛れもなく透陽の生家だ。
はあ、と息を一つついてから、透陽は門扉を引いたのであった。
ただいま、そして行ってきます。大学一年生はじめての帰省は、そんなどうしようもない勢いであった。
何しろ実家に戻ってきたとて、一体何をすればよいのやらわからない。家族間は元々明るく会話が弾むという柄でもないし、特に父とは、進路のことで大きく揉めた過去がある。診療時間中で家に居ないのが幸いだった。
それでも自分の部屋に入った時、ものはそのままなのに、埃一つなくきれいに掃除されていたのには、さすがに沁みるものを感じたが。
弾丸のように家を飛び出して来た透陽。着の身着のまま、照り付ける太陽をものともせず、汗を垂らして道を行く。キノコ野郎が余暇にやることなどたった一つに決まっているではないか。もちろん、キノコ探しだ。
そして、第一の目標は始めから決まっていた。ドクツルタケの天使、アマニタ・ヴィロサの待つ、約束の場所。あそこに行かなければ話が始まらない。
透陽は無我夢中で、図書館へのルートを邁進するのだった。
透陽の街の図書館は、都市公園と併設されていた。その公園というものが、もともとその地にあった雑木林を残しつつ整備してあったのだ。
だから自然が切り取られて町の中に残っていた。木も、草も、鳥も、キノコも。
そしてヴィロサは、図書館の裏手側の窓から、人間の姿を眺めるのが好きだったのだという。昔からそうしてきて、たまたま窓辺を定位置にしていた奥羽透陽少年を、幼いころから女神のように見守ってくれていたらしい。
図書館裏の聖地。透陽が目指すのは、そこである。
だが、いざ公園に辿り着いて愕然とした。
「え、ええええ!?」
森が無い。図書館裏の雑木林がなくなっている。一切の木々が刈り取られ、大地をならすべく重機が行きかう。芝生広場の傍らで、遠景からそれをさとり、透陽は呆然と立ち尽くしていた。
図書館の改装をするらしい。なおかつ、敷地はあるのだから拡張もしてしまおうという寸断で、大切に守られていたはずの林は、一切の情なく消し飛ばされたのであった。なぜだと拡張を決めた役人たちに問い詰めても「雑木林はまだ残っているから問題ないでしょう」と笑われるだけだろう。彼らはきっと、それくらいの単純な考えしか持っていないから。
大問題だ。とりわけ、透陽にとっては。自然には、そのピンポイントな場所にしか生きていない生き物だっているというのに。たとえば、長年透陽を見守っていた彼女とか。
透陽の顔から色が消えた。心に輝いていた太陽が潰えて、永遠の夜がやってきた。そんな気分だったのである。
そんな青年の傍らから、誰かが何かをすする音がした。そしてその主は、透陽の棒のような足をはたきながら声をかける。
「これ、何を真っ暗なオーラを纏っておるのじゃ、青年よ」
「あ、お久しぶりです……」
「元気ないのう。茶が不味くなるわい」
そう糸のような目をさらに細めて笑うのは、ホコリタケの挨原茶狐。どうやら芝に住み着いていたらしい。緑の芝生に目を向ければ、頭に穴の開いた球体がころころと点在していた。
茶狐とはすっかり顔馴染みだ。キノコが盛んな時期になってからは、少々他の顔ぶれに埋もれていた感はあるが、しかしこうしてみると安心感が抜群の相手である。いつでもどこにでもいるという距離感だけではなく、茶狐というものの老獪した物言いがそうさせるのだろうか。
そして透陽は、思わず助けを求めるように涙ぐんだ。話を聞いてほしいと。
そして返事も待たずにいきさつを語りだす。が、茶狐が静止をかけた。
「待たれよ。そのままでは傍から見たらお主は狂人じゃて。ここは山とは違う、ほれ、人が多いじゃろう?」
「あ……そうだった……」
「お主はあれもっておらんのか、ほれ、何と言ったか……そう『もしもし』じゃ!」
「携帯電話?」
一応持っていると言って、あまり使い込んではいない通信機器をポケットから取り出した。ちなみに透陽が持っている者は、世間一般ではスマートフォンと呼ばれるタイプである。
何はともあれ、茶狐はそれを見て耳を立てた。
「それじゃそれじゃ。それを耳に当てておれば、独り言を言っても無視してもらえるのであろう?」
「えっ……あー、そうかあ!」
きっとキノコたちに電話の概念などあるまい。彼女からみたら、通話している人間は全て独り言を叫んでいる奇妙な存在に見えるだろう。同じ人間ですら、時にはぎょっとするというのだから。
だが使える。透陽は早速、電話をしているふりをして、それからこれまでの経緯を語って聞かせた。
ヴィロサのこと、あの場所の意味、自分の事情。自分で話していて、心がきりきり痛む。
ところが、聞き終わった茶狐はそんなことかと爆笑し始めたではないか。それに応じて、絶好調だとばかりに頭の上から煙が立ち昇る。なるほど、芝に生えているホコリタケたちも、頭頂部に穴をあけて、まさに胞子をまき散らす形態に入っている。
だが、けむい。思わず透陽は咳き込んだ。心なしか目もしばしばする。
そして、色々な不満に顔を歪める様子には全く構わない様子で、茶狐はしみじみ語ってみせた。
「青年よ。我らが西でも東でも出会ったように、あのお嬢にも別所であえるものじゃ。なにをそう気を落とすことがあるか。しゃきっとせい」
「でも、ここは約束の、思い出の場所なんです。ここでまた会うって、約束したから……」
「ほほう……ほうほう!」
耳を立て、肩を揺らし、茶狐は興奮した様子で茶をごくごくと飲み干す。
「甘酸っぱい! 甘酸っぱいのう! はー、煎茶がうまいわい!」
からかわれた思春期の少年のように、透陽の顔がぼっと赤くなった。
「いや……その……俺はっ」
「よいぞよいぞ。お主は若いしのう。さて、ならばなおのこと、早く探しにいっておやり。今頃向こうも涙を流して待っておるかもしれないのう。早い方がいい、もっと暑く乾けば、さすがに出てくるのはつらくなる」
「……はい!」
「良い返事じゃ。だが、心当たりはあるのかね?」
「ええ。きっと、あそこに行けば」
ここがだめなら、もう一か所。もう一か所だけ、確信めいた場所がある。
それは、そう。この図書館裏より先に、初めて彼女を認識した場所。なおかつ己が死地に選んだ場所。そして奇跡が起こった場所。
森林公園の森の中。
あそここそが、奥羽透陽がキノコで記し始めたマイルストーンの起点、全ての始まりの地だ。




