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闇夜に浮かぶ静かなる光

「まあ、くだらない話にうつつを抜かすのもここまでにしましょうか。ほら、夜が降りて来る」


 月夜が言う通り、薄闇が森を包み始めていた。空の色が暗くなり、木立が闇に同化する。もともと黒味の強いツキヨタケを肉眼で視認するのも難しくなってきた。先ほどまでは風に乗って聞こえて来た他のキノコたちの声も、今やすっかり静まり返っている。


「しまった、まだ何もセッティングしてないんだけど!」


 紀伊教授があわあわとライトをつけた。白い光が地面を照らす。透陽もならって辺りを照らせば、歩くためには十分だ。

 足元に注意を払いながら、崖下の観察地点へと移動する。


「……まだ夜になり切っていないのに、もうこんなに暗いんですね」

「街灯も電気も何もない山の中だからさ。太陽が完全に沈んだら、本当に真っ暗闇になるよ」


 はははと教授は軽快に笑うが、透陽には一抹の不安があった。いや、元々抱いていたものが、大きくなったというべきか。


「やっぱり、すごく危険なことしてますよね、今って」

「うん。ま、そんなに遅くまで張り込む気はないし、大丈夫大丈夫。……不安かい?」

「そりゃそうですよ! 何にも見えないし、ほら、ヘビとか、クマとか、イノシシとか出るんじゃ……」

「まあ、出るかもねえ。でも恐れてばっかりじゃ何もできないしさ。それに、僕たちにはキノコたちがついてるから、大丈夫」

「そうよ。先生なんて、一人でテント張って夜通し私の傍に居たことあるのよ。でも、あれはさすがに正気を疑った、真似しないことね。下手すれば死ぬもの」


 当然の言だと、透陽はぶんぶん頭を振った。やはり、全然大丈夫ではないらしい。裏を返せば、ツキヨタケにはそうまでさせるほどの魅力があるということなのだろうが。

 

 三脚を立てカメラの準備をする教授を横目に、透陽は手元のライトの光を月夜に向けた。

 せり出す倒木の隣、崖に足を組んで座す月夜は、ライトの光からさらに浮いて明るく見える。まるで、不思議な光の層に包まれているように。

 彼女は網タイツに覆われた太ももを見せつけるように、片膝を立てて見せる。得も言われぬ表情をしている青年を、かわいいと言って笑った。


「ほら、奥羽透陽。あなたが名前をあげた連中とは違う、唯一無二のこの私の姿、とくと目につけなさい」

「もちろんです。そのために来たんですから!」

「いい返事ね」


 意気込む透陽をからかうように、月夜は何度も足を組み替える。そうちらちらとスカートが揺れては、見たいものも見難い。悩まし気に透陽は声を漏らす。


「よし! 準備オッケー!」


 教授が手を叩いた。辺りはすっかり闇の帳に覆われている。ただ、人間たちの周りだけが、不自然に明るい。

 声を合図に、月夜が倒木の先端に跳び上がった。まるで妖精が舞い降りるように、ふわりと着地する。そして、彼女は高らかに宣言した。


「さあ、ライトを消して、私を見なさい。本物の月なんかより、ずっと美しいこの光をね!」


 一つ二つと電灯を消す。瞬く間に、漆黒の闇が透陽の視界を支配した。

 一瞬何も見えなかったが、時の経過とともに目が慣れて来る。そして、透陽は息を飲んだ。

 

 光。倒木から湧き上がる、ツキヨタケのひだが放つ柔らかい光。青白い半月が、暗い闇の中に浮かぶ。これが自然の創り出す、幻想的な光の魔法か。

 そして静峰月夜だ。彼女は全身に淡い光を纏って、倒木の上に立っていた。月が地上に舞い降りて来たかと錯覚させられる。

 なおかつ、無重力空間のように広がる彼女の髪とスカートの裏側が、一際明るく光っていた。それは翡翠の輝きのようで、見ていると吸い込まれてしまいそうになる魅力があった。


 はあ、と嘆息するしかない。これがあのツキヨタケの発光か。ただ、気になる点も一つある。透陽は紀伊教授に尋ねた。


「綺麗なんですけど……もう少し明るく光るのかと思ってました。図鑑だと、結構強い緑色じゃないですか」

「写真じゃ長時間露光するから、くっきり映るって仕組みさ。でも実際はこんな風。いやはや、実学って大事だよねえ」

「ちょっとー、何か文句ある?」

「いえ、ないです」


 美しいことには変わりない。何より、自分の目で本物を見られたことが嬉しいのだ。

 透陽は幻惑されたようにツキヨタケを眺めていた。注目に気を良くした月夜が、何度も何度もスカートをたくし上げて見せつけて来るのには参ったが。



 カメラのシャッターを開けたまま、教授は地面に座り込む。透陽も隣にお邪魔した。

 聞こえるのは風と虫の音、見えるのはツキヨタケの光のみ。夜の森とは、ここまで静寂なものなのか。一人でなかったら、恐怖で身動き一つ取れなくなるだろう。

 だが、一人ではない。教授が隣に居るし、何より心の通うキノコたちがいることもわかっている。自分は一人ではない、そう思うだけで、恐れがなくなるから不思議だ。

 教授の静かな声がする。


「透陽君。夏休みはどうするんだ? 実家に帰るのかい?」

「あー……その、実家はどうでもいいんですけど、俺、会わなきゃいけない相手が居るので」

「ああ、そうか。そうだったね」


 紀伊教授の温かい笑い声が聞こえた。彼も承知している、透陽の原点たる存在。白き死の天使、アマニタ・ヴィロサそのひとだ。

 静峰月夜が夜の山に輝く月ならば、ヴィロサはさしずめ太陽だろうか。曇天を裂いて光をもたらし、手の届かないような高みにあって、透陽の心を惹きつけてやまない、彼にとっての唯一無二たる太陽のようなキノコ。昨秋に別れてから、再会できるこの時をどれほど待ち望んだことだろう。

 

 それにしても、と教授が言葉を続けた。


「羨ましい、北の方だもんなあ。またがらりと顔ぶれが変わるからねえ」

「やっぱりそんな風なんですね」

「当り前だよ。樹種が変われば、住み着くキノコたちも変わる。狭い地域にしか生息していないキノコも居るし。本当は、君みたいに時間があるうちに、各地を旅してまわるのがいいんだろうけどねえ」


 大学生には時間があるし、元気も体力も充実する時期だ。これを逃す手は無いと、紀伊教授はしみじみと語った。

 そして、いくつか示唆をする。ツキヨタケと同じく光るキノコのシイノトモシビタケ、名はと毒成分は先駆けれど未だに謎の多いミカワクロアミアシイグチ、亜高山帯に住み「幻のイグチ」と評されるアカネアミアシイグチ。他にも他にも、限られた地域にしかいないキノコ、発生が稀なキノコの名前が数々あがる。透陽よりもずっと先を歩く紀伊教授でも、お目にかかったことが無い種は多いという。


 珍菌、稀菌、たしかに魅惑的だ。まだ見ぬ出会いにひかれるものもある。

 それでも今の透陽には、それ以上に惹きつけてやまない姿があるのだ。


「でも、今の俺は、彼女のことしか考えられないんです」

「それもまたいいことだよ。目標があるのは、活動の糧になる。珍しいものを追う、ひたすら数を蒐集する。あるいは、好きなものをつきつめる。どんな風にやろうとも、キノコを愛していることには変わりないと僕は思うよ」

「……はい! ありがとうございます」


 よき出会いを願って。紀伊教授は笑った。


「でも、単位はちゃんととるようにね? 誘っておいて言うのもなんだけど、大丈夫かい、試験は。僕が大学生の時は、キノコにかまけて勉強しなかったからなあ。留年もしたし――」

「お、俺は大丈夫です。多分」


 どうやら、このキノコ狂の教授は、色々な意味で透陽の良い教師になるようだ。今のところ試験に自信はあるものの、同じ轍を踏まないように気を付けよう。透陽は心に誓った。

 男同士の雑談を裂く様に、月夜の声が響いた。


「ちょっと! 喋ってないでちゃんと見なさいよ! ホラホラ! もっとありがたがりなさいよ!」


 そう言ってバサバサとスカートを振ってみせる。蛍光をバックに黒いパンツがくっきりと浮かぶが、ああも盛んに見せつけられては、ありがたみが落ちてしまうというものだ。もう慣れたという風に、透陽は温かい目を送っていた。



 月を前に、太陽を思う。彼女は待っていてくれるだろうか、いや、そうに違いない。そう思うだけで心が熱くなってくる。

 まもなく、透陽は帰郷するのだ。あのヴィロサの腕《かいな》の中へ。

  

キノコ目録

ツキヨタケ/静峰月夜

広葉樹、特にブナの枯木や倒木に発生する茶褐色の毒キノコ。

キノコ食中毒御三家の一角に数えられる程度に、誤食による中毒事故が後を絶えない。

有名な特徴は発光すること。だがそれほど強く光るわけではなく、若すぎる菌や老菌も光らないので注意は必要。

他には割ると柄の基部に黒い染みがある、つばがあるなども、類似キノコとの区別に役立つ特徴だ。

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