ここはキノコの楽園か
それにしても、それにしてもだ。ようやくヴィロサと蛹から解放された――二人はなにやら言い合いながら、追いかけっこをしているが――本心をぽつりとつぶやいた。
「ここは、楽園なのか?」
つんとして佇んでいたヴェルナが、帽子からぼふりと息を吐き出した。
「おーおー、そりゃかわいい女の子に囲まれちゃ、パラダイスだわな! おめーも男だもんな!」
「ばっ……そう言う意味じゃない!」
かっとなって透陽が言い返す。
別に女子が山に溢れているからというわけではなく、純粋にキノコが多いからという話をしたかったのに。数だけではなく、種類も。まるでキャンパスに居るかのように、森の中は賑やかっだった。
そんな透陽に、姉の方の蛹は同調する。
「まあ、でも楽園というのは的を得ているわね」
美しく広がる髪から白い光を振りまき、女神のような目で、遠くで走り回る二人を眺める。
「ここなら、必死に生存競争をしなくても、十分に生きていける。程よく人の手が入るし、でも採られ尽されたりすることもない」
「うん。タマゴっちとか……他所じゃよく根絶やしにされるっていうし……」
「誰に?」
「人間。おいしいから」
タマゴタケ、というキノコがある。猛毒であるヴィロサやヴェルナと近しい、アマニタの一族に居ながら、毒を持たないものだ。なおかつ、数ある可食キノコの中でも群を抜いて味が良い。となれば、狩りの対象にするのが人の性というものだろう。
だがキノコたちにしてみれば、採りつくされるのはとんでもない話だ。自分の世代を繋ぐために形成した器官が、軒並み除去されてしまう。人間でいうならば、生殖器を切除されるようなものだろうか。いくら地下には菌糸が残っていると言っても、土壌そのものが踏み荒らされればどうだろう。
毒を持たないキノコたちには、その暴挙に対抗する力は無い。そして、異議を唱える口も。無抵抗なのをいいことに、ひどい話だ。ヴェルナは赤い光を湛えて、静かな怒りを現していた。
そんな彼女の頭を抱擁する様に、蛹がヴェルナの後ろに立った。そして、透陽に笑いかける。
「だけど、ここは守られているから」
「そうですよね。大学のものだから、勝手に採ったりできないですもんね」
「それでも、密猟する馬鹿は居るのよねえ。だけど、無力な私たちの代わりに、ぎゅんぎゅんに絞ってくれる人がいるのよ」
「誰?」
「別に、おめー以外にもこっちの声聞いてくれる人間は居るんだ」
思いつく人は一人しかいない。いつもにこやかに笑っている紀伊教授の姿が、脳裏にありありと浮かんだ。
頼もしいに決まっている。密猟が起こった瞬間に、キノコのネットワークを通じて情報が広まり、キノコ直々から告発が行くのだから。
比較的穏やかな紀伊教授だが、この楽園に被害があれば、それはもう恐ろしい鬼のようになるのだと、蛹たちが教えてくれた。一度山の中で現行犯逮捕されたときには、雷が落ちたような怒号が響き渡ったのだとか。くわばらくわばら、と透陽は変な汗をかいた。
と、戯れていた二人が、透陽のもとに戻ってきた。
「とーひ、どうしたの? 何のはなししてたの?」
「あたしも聞くの!」
「ここにはいろんな仲間が仲良く暮らしています、っていうお話しよ。まるで楽園みたいだって、透陽さんが」
衣紗花の蛹が二人に笑いかける。すると、そろって納得の声を上げた。
「楽園、うん、そうだね。月夜ちゃんに、舞ちゃんに、かほりさんに、スター大集合って感じだよね。でも、シルキーは、ここんとこ最近見かけないなぁ」
「あー、もう! 冬虫夏草だって一杯いるんだよ!」
やっぱり、そうなのだ。何より住んでいる当人たちが、一番それを感じているらしい。
「じゃあ、もしかして、日本中のキノコがここにあるとか」
「……それはちょっと」
「んなわけねーだろ、常識的によ」
「やっぱり、さすがにそうか。ハハハ!」
所変われば、植生が変わる。樹木の分布や気候、土質が変われば、棲むキノコも変わる。何より盛んに移動する生き物でもないのだから、それこそ地域限定種に近しいものだって居るらしい。例えば、ベニテングタケのアマニタ・ムスカリアなどは、寒冷地にあるシラカンバなどの木を好むから、この西方の山では出てこないという。だから実際、キノコの娘同士でも、顔を合わせたことが無い間柄というのは珍しくないのだとか。
ヴィロサが笑った。
「透陽さんが羨ましいです。人間さんは、どこにだって行けますから。引きこもりがちの娘にも、会いに行けますもんね」
「まあね。でも、俺はまだ、この山だって全部回ってないや」
自分が見たのは楽園のほんの一部。まだまだ広い場所だ、まだまだたくさんのキノコが住んでいるに違いない。もっと彼女たちのことを知りたい。そして、もっと彼女たちに近づきたい。
そんな透陽の心をくみ取ったように、ヴィロサが手を取った。
「透陽さん、じゃあ、次はどこにいくですか? 誰に会いたいですか?」
「んー、もっと上の方に……あ、でも結構時間が遅いから――」
その時だった。ざわり、と空気が騒ぐ。
気が付けば、透陽の周りに居るキノコたちは、皆同じ方向を見ていた。
透陽も視線を合わせる。その先の林道には、人間の集団がいた。なおかつ、一人はよく見知った。
「おーい、キノコやろーう!」
木霊する大声に肩を震わせた。間違いない、花野郎だ。何故ここに、もしかしたら部活動の一環だろうか。山野草に興味があると言うくらいだから、休日に登山をしててもおかしくはない。
彼は、集団から抜け出して、不確かな地面をものともせず、大股で単騎行してくる。まるで熊が迫ってくるような迫力があった。
そして、くつくつと笑うキノコ娘は無視のまま、透陽の背中をばしんと叩いた。
「こんな山ん中ででっかい独り言、誰かと思ったらお前かよ。妖怪かと思ったわ」
「あ、え。いや、そのこれは……」
「あれだろ、クマとかイノシシとか、こえーもんなあ。鈴忘れたんだろ、どうせ」
透陽は笑ってごまかした。正直にキノコと話していたなんていうより、そう勘違いしてもらっていた方がずっとありがたい。
「そろそろ降りた方がいいぞ。一緒に行こうぜ?」
「あ、でも……」
当たりを見れば、皆笑顔で手を振っている。どうやら、楽しい菌類探索の時間は、終わりの時が来たらしい。まず衣紗花蛹が、花びらが舞い散るように霧散し、次いで衣紗粉蛹が、頬を膨らませながら名残惜し気にゆっくりと消えた。
「……楽しかった」
消える寸前にヴェルナの声が聞こえた時には、透陽は半ば引きずられるようにして退場しかかっていた。
それでも、ヴィロサだけは最後まで見守っていた。ちらちらと名残惜しげに振り返る透陽に、無邪気な笑顔を向けている。後ろ手に組んで佇む姿の向こうに、一瞬、頭身が高いヴィロサの影が見えた気がした。
「またね、透陽」
最後に聞こえた声には、不思議と重なりがあった。
そう、また。みんな、元気で。次に会うのは、この楽園かもしれないし、どこか別の場所かもしれない。透陽が探しに行けば、きっとまた、笑顔で迎えてくれるだろう。
こうして、透陽の初の梅雨山散策は、上々の喜びのまま幕を閉じたのであった。
第三章終了です




