冬虫夏草の主義主張
おいおいと泣き声を荒げる衣紗粉蛹をあやすように頭をなでる。
やがて、彼女は濁点の混ざった声で、思いのたけをぶちまけ始めた。
「あたしぃ、冬虫夏草なの!」
「うん、知ってる」
「だから、すごいんだよお! それなのにぃ……だのにい……!」
えぐえぐとしゃくりあげる蛹を宥めつつ、透陽は考える。どうにも冬虫夏草には疎い。そもそも、キノコ全般、まだ初心者だと言うのに。
ぼんやりと浮かぶのは、イモムシのミイラからにょろりと生えた物体。健康食品とうたわれる写真でよく見るあれだ。冬虫夏草がすごい面と言えば、これくらいしか思い当らない。
「それは薬になるから?」
「そうなの!」
ぱっと蛹の泣き顔が明るくなる。透陽の服の裾を掴んで、縋り付く様に訴え始めた。
「あたしたちのほうがあ、役に立つの! すごいの! あいつらみたいなキノコと違うの!」
「まあ、ねえ」
「それに、生きてる虫だってやっつけちゃうんだよ! すごいんだよ!」
「それはすごいね」
広い意味での冬虫夏草とは、生きた昆虫に寄生し、そこから栄養を得て成長する菌類の総称だ。宿主となった昆虫は、体内を菌糸に冒されて死ぬ。中には、宿主を操って移動させるものもあると言われているから侮れない。
一方で大半のキノコたちは、分解者とも呼ばれる通り、既に死んだ生物の残渣を糧にしたり、あるいは生きた植物と共生関係を結んで暮らす。そういう意味では、冬虫夏草はキノコの中でも一線を画した存在だ。
だからと言って、どっちがすごいとは言い切れない。どちらも、自然の中で巧みに生き残る術であるからして。
それでも蛹は、冬虫夏草一門の優位性を主張する。それは、なかなか脚光が当たらないことへの不満と、悔しさ。それと、寂しさが入り混じったものだ。
「なのにい、人間はあいつらみたいなキノコばっかりキレイキレイって言ってえ!」
「まあ、綺麗なのと役に立つのは違うからね」
「猛毒なのにい!」
「うん、そうだね。でも、食べなきゃ平気だから……」
「じゃあ、あたしたちを食べてよ! 体にいいんだよ!」
「薬と食べ物は違うからなあ」
透陽は目を細める。冬虫夏草、漢方薬、苦い、まずい。そんな連想ゲームが繰り広げられた。それだけでなく、あの見た目からして、口にするのには少々はばかられるだろう。
そしてもう一つ。透陽も帰宅後に図鑑で知ることになるのだが、別に全ての冬虫夏草に薬効があるわけではない。
本来漢方薬として用いられる「トウチュウカソウ」とは、コウモリガという特定の蛾の幼虫に発生するキノコを差している。そして生憎日本には生息していない。
だが薬用成分が認められる冬虫夏草類は確かに存在する。それが衣紗粉蛹ことコナサナギタケや、彼女が姉のように慕う衣紗花蛹ことハナサナギタケらだ。特に後者は、人の手で培養して商業利用もされている。
ゆえに蛹の主張は間違っていない。生きた虫を殺し、薬用成分を体にもつスーパーキノコ、冬虫夏草。もっと褒めよ注目せよと言いたくなる気持ちはわからないでもない。
だが、根本的な問題がある。蛹はそれに気づかず、透陽に訴えかけ続ける。
「それなのにい、あたしたちなんかまともに見てもくれやしないしい!」
「んーまあ、そりゃ……。え、そうなの!?」
「そだよ! 眼の前で手え振ってるのに、みんなみんな無視して行っちゃうじゃん!」
涙目になりながら蛹は叫ぶ。だが、透陽のような特殊な人間でもなければ、彼女の声は聞こえない。そして、姿も見えない。それは人の形だけではなく、キノコとしての姿もだ。
小さいのだ、冬虫夏草と言う物は。種にもよるが、蛹姉妹に関しては、それこそ吹けば飛ぶような。例えば地面に綿くずが落ちていたとして、それに気づける人間が何人いるだろうか。気づいたとしても、それもキノコだとはいかほどの人間が思うだろうか。
余程熱心なマニアでなければ、スルーしてしまうのも仕方ない。
だが、蛹には受け入れがたいことだった。同じキノコなのに、その中でも冬虫夏草という異彩を放つ種族なのに、どうして。思えば思うほどに、悲しくなってくる。
唇を食いしばれども、嗚咽は漏れる。しゃくりあげれば、髪の先から粉がはらはらと崩れていく。
そんな頭に、優しい手が置かれた。
「おーい、あんまり泣くなよ」
「だってえ、だってえ……」
「ほら、粉が流れちゃうだろ?」
髪からこぼれる真っ白の分生子。それこそが蛹の大事なアイデンティティーだ。それがあるからこそ、茶褐色の大地に、彼女の存在を見いだせるのだから。
「俺はちゃんと見てるよ。君だって、誰にも負けないくらい、可愛らしいじゃないか」
透陽はしゃがみこんで、蛹と視線を合わせ、にかっと笑った。
ふるふると震えていた冬虫夏草の娘は、真っ赤に腫らせた目を、ぷいと背ける。
おや、機嫌を損ねてしまったのだろうか。変なことを言っただろうか。透陽が顔を曇らせていると、蛹がもそもそと何かつぶやく。
「……ねえ人間、名前は?」
「俺は透陽だ」
「とうひ」
その音を何度も小声で反芻する。
かと思えば、蛹は急に透陽を振り向いて、びしっと指を立てて宣言した。
「よーし、とうひ! あたしがとうひを冬虫夏草色に染めてやるんだから!」
高らかな声は森に響き渡る。それは先ほどまで泣きぐずっていたものとは全く違う、明るく軽快な耳心地であった。
きらきらと輝く蛹の黄色の眼差しを浴びながら、透陽は胸をなでおろした。キノコ対冬虫夏草の戦いは、ひとまずお流れになったから。
ただ気になるのは、急に蛹がベタベタとまとわりついてくるところだろうか。透陽の服を掴んで離さない。分生子の粉が、服にバックパックに降りかかる。
まるで兄に甘える妹のようだ。そう思っていると、悠然とした足音が聞こえる。
振り向けば、衣紗花蛹の姿があった。長い髪から白粉をきらめかせつつ歩み寄って来る姿は、ただただ優雅である。
彼女は女神のような笑みを浮かべながら、透陽に尋ねた。
「話はまとまったかしら……って、あらあら。ずいぶん気に居られたのねえ。こなちゃんは惚れっぽいから」
「そうみたいですね……」
掴んで離さないどころか、顔をうずめて抱き付く始末。挙句の果てには、姉に向かってこう言い放つ。
「あのね姉さん、あたし、とうひと一生一緒に居るの!」
それはそれは無邪気で穢れない声音だった。だが、透陽はぎょっとした。まさか、本当に付きまとうつもりじゃないか。この服につけた髪の粉も、いつでも隣に出てくるための準備ではないのか。
別に嫌というわけではない。だが、透陽の心には、既に高潔なる純白の天使が棲んでいるし、何より、行く先々でキノコ相手に小競り合いを繰り広げられては面倒だ。
どうにかしてくれ。思わずそんな目線を姉貴分の女性に向けた。
衣紗花蛹は見事に彼の心を読みくすくすと笑うと、次いで妹分に視線を向けた。
「あらそう。それじゃ、私はもう要らないわねえ。じゃあね、こなちゃん。どうぞお幸せに」
「あー、待ってえ! 姉さんいなくなっちゃヤダあ! 一緒だもん。あたしと姉さんはずーっと仲良しだもん。姉さんのことも大好きだもん!」
と、衣紗粉蛹は慌てて姉に駆け寄り、ひしと抱き付いた。さすがは姉妹、扱いに長けている。見事な転身のさせっぷりに、透陽は感心しつつも、少しだけ、ほんの少しだけ寂しさも覚えた。
さて、衣紗花蛹は妹をあやすように撫で、微笑みを絶やさないまま語り掛けた。
「うふふ。私もこなちゃんのこと大好きよ。だから――他のキノコたちとも仲良くできるよね?」
そういって、衣紗花蛹は自分の視線を追わせた。その途端、まるで石になったかのように、衣紗粉蛹の顔がこわばる。
彼女の視線を透陽も追えば、そこには並んで佇むヴィロサとヴェルナの姿があった。
しばらく沈黙して、衣紗粉蛹はとげとげしく叫ぶ。
「やだ、嫌い!」
「えー? 私は好きですよ? 冬虫夏草のみなさんって、変な子が多くて……むぐ」
「……姉さん、もう喋らない方がいいよ」
ヴェルナがヴィロサの口を必死で押さえる。もごもご言いながらヴィロサが引きはがそうとしているが、少々劣勢らしい。
確かに、今は毒舌は収めていてくれた方がありがたい。もう少し頑張ってくれとヴェルナにエールを送りながら、透陽は妹蛹に向き合った。
「なあ、蛹。俺からも頼むよ。みんなが仲良くしていた方が、俺も嬉しいから」
「……なんで?」
「だって、結局は仲間なんだろう? そりゃ時には喧嘩もするだろうけど、でも、同じ山の住人同士でいがみ合っててもしょうがないじゃないか。俺は、ぎすぎすした森には来たくないよ」
「むう」
口を尖らせるも、蛹は真摯に透陽を見据えて来る。もう一押しだ。
「ヴィロサたちには毒があって、蛹たちは薬になって。それでいいじゃないか、それぞれ得意な分野があるってことでさ」
何も全てが役に立つてばいいものではない。何も全てが食べられればいいものでもない。透陽も色々なキノコに出会って来た。そして思うのは、誰も彼もがユニークであるから、キノコは魅力的だと言うこと。だから飽きずに新しい出会いを探し歩けるのだ。
そしてもちろん、その個性に優劣はない。毒キノコだから駄目だ、役に立つから優れている。そんなことはあり得ない。
蛹には、伝わっただろうか。
透陽は答えを待っていた。そして。
「やっぱりヤダ! 毒キノコより、冬虫夏草の方が偉いもん!」
駄目だった。蛹の言い切る声が耳に痛い。
だが、少し調子が違う。むすっとした声から一転、蛹はくつくつと笑い始めた。
「でも、とうひが言うから、あんたたちのことは許してあげる! とうひが悲しむのは嫌だもん!」
ね、と蛹は透陽の腕を取った。握りしめる小さな手は、意外なほどに力強く、今度こそ離してもらえないと、顔に縦線が入るには十分であった。
その様をヴェルナが冷めた目で見据えた。
「偉そうに……」
「ま、まあ。とにかく、これで一件落着だ」
慌てて手打ちにする。そも、衣紗粉蛹の暴走で始まったもめ事、彼女が満足すればそれで終わるはずだから。
が、面白くなさそうな顔をしているのがもう一人いた。ヴィロサだ。赤い目をらんらんと光らせて、半ば睨みつけるように蛹を見ている。全く、先ほどとは逆ではないか。
透陽は焦った。だが、下手に刺激しても仕方がない。恐る恐る声をかける。
「……ヴィロサ?」
「ずるいずるい! 私も透陽さんのこと、ぎゅーってしたいです! いや、するもん!」
「あーっ! だめだめ! とうひはあたしのふぃあんせなの!」
「そんなの、許しませーん!」
ヴィロサが小さな羽をはためかせながら、透陽の胸にダイブしてくる。それを見て、負けじと蛹が背中にしがみつく。
「わあ! やめろ! 待て! ストップ!」
両腕を引っ張られ、肩にしがみつかれ、もみくちゃだ。おまけに言い合いまで始まる。
せっかく争いは終わったと思ったのに、何てざまだ。どうにかしてくれ。お手上げ状態の透陽は、安全圏から見ている二人に救援を求めた。
が、帰ってきたのは、衣紗花蛹の母親のようなまなざしと、ヴェルナの生温かい目線。
これはダメだ。透陽は二人分の白い胞子にまみれながら、諦めという名の白旗を振ったのであった。




