天使の姉妹と蛹の姉妹
衣紗粉蛹が消えた今のうちに逃げる。ヴェルナからそう提案されたが、二体一で却下された。おそらくヴィロサは何も考えていない。透陽は、期待と、怖いもの見たさとの両方だ。
苛立つ様子のヴェルナを適当に宥めながら、三人は待ちぼうけする。五分、十分と経過するが、なかなか戻って来る気配が無い。潜った枯葉の海には、さざめき一つ立たないのだ。
さらに五分程経った頃、遠方から風に乗って声が聞こえて来た。きいきいと喚くような声は蛹のものに違いない。もう一人、大人びた声が聞こえるから、それが彼女の行っていた「姉さん」のものだろう。
ただの音だった声は、すぐに明瞭な言葉の連なりとなって聞こえる。
「姉さん、ほら、はーやーくー!あいつらが逃げちゃう!行くよ!」
「痛い痛い!こなちゃん、そんなに引っ張らないで、抜けちゃうじゃないの」
遠目に姿も見えた。長髪の「姉さん」の髪を引っ張り、半ば引きずるように連れて来る蛹。抗議を受けたせいで、髪はすぐに話したが。
美しい人だ。「姉さん」の姿を見たとき、透陽はそう言う感想を抱いた。優雅で、気品があって、見惚れるような。初めてヴィロサと相見えた時と似た気持ちだ。
彼女がヴィロサなら、衣紗粉蛹はヴェルナだ、と言いたいところだが、あいにくあまり似てはいない。
蛹は「姉さん」を置き去って、一気に詰め寄ってきた。
透陽たちの前にステップを踏むようにして立つと、びしっと指を突き立てて来る。誇らしげに胸を張って。
「さあ、姉さんが来たからもう負けないぞ!勝負だ!」
血の気の高い宣言が、森の中に響き渡った。驚いた鳥たちの羽ばたきが遠くへと消えていく。
そして辺りは静まり返った。宣戦布告を喰らった三人組は、揃って首をかしげている。ポーズを決めたままフリーズしている蛹の姿は、ただただ滑稽だった。
蛹は目をぱちくりさせてから、後ろを振り返る。自分側であるはずの「姉さん」からも、何もリアクションがないからだ。
「……姉さん?」
リアクションどころか姿が無い。蛹はあたふたと三百六十度を見渡す。
その時、枯れ葉が舞い上がった。ちょうど最初に衣紗粉蛹が埋もれていた場所だ。
蛹が慌てて駆け寄る。
「姉さん何やってるのー!?」
「だって、食べ頃の蛹がいたから……しかも大盛りよ?」
窪地から顔を出した蛹の姉なる人物は、太陽のような笑顔を見せた。
もうっ、と蛹が地団太を踏む。
「そんなことしてる場合じゃないでしょ!?虫草の未来を決める聖戦だよ!?」
「ほんにゃこといっふぁって、はりゃがへったらいふはもへきないひゃない」
腹が減ったら戦は出来ぬ、と言いたいらしい。口をもぐつかせながら喋るからさっぱりだが。
透陽は思わず目を背けた。距離があるからはっきりとブツは見えない。あの美しい女性の舌に乗っているものを想像するのは難くないが、余計な現実を知らなければ、流麗なる美女のままだ。
「うえ……虫なんか食べながら喋るなよ」
ヴェルナが隠すことなく呟いたから、透陽の幻想は瞬く間に砕け散ったが。もやもやとイメージが浮かぶが、透陽は一生懸命振り払った。こんな山の中で吐き気を催してのたうち回るのは、二度と御免だ。
しかし、ヴェルナの――帽子の呟きではあったが、それは透陽にも辛うじて聞こえる様な小さな声だった。だというに、蛹はピクリと反応すると、むすっとした顔で振り返る。
何だか知らないが、ヴェルナのことを相当意識しているらしい。透陽がそう思っていると、鬼の形相で蛹がヴェルナに迫った。
「言ったな!気持ち悪いって言ったな!おまえの帽子のがよっぽど気持ち悪いもん!」
「思ったけど、ヴェルナは言ってないぞ」
「うぐぐ……言ったもん! しゃべるなってことは、気持ち悪いって意味だもん!」
「……被害妄想」
くっ、と蛹が歯を食いしばる。きっとヴェルナを睨むが、続く言葉は無い。一生懸命探しているだろうことは、傍から見てもすぐにわかる。
が、ヴェルナが思わぬ反撃に出た。冷静な仮面を張り付かせたまま、しかし心の中ではニヤニヤと笑っているに違いない。とりあえず、帽子の口が、そんな口調で蛹を挑発し始める。
「てゆーか、お前調子乗ってんな。あれだろ、ヴィロサがあれだからだよな。本物だったら枯葉被ってぶるぶる震えてちびってるだろ、どーせ。『死の天使サマー、お許しをー』って」
「はあ!? それはおまえだろ! あたしの姉さんはすごいんだぞ、お前なんかあっという間に土下座することになるんだぞ! ねっ! 姉さん――」
蛹は救世主を求めて背後を振り返った。しかしそこに見えたのは――
「へぇ、じゃあみんなで仲良くお散歩なんだ。いいよねぇ、天気も良いし」
「そうよ。衣紗花の蛹さんもお散歩してたの?」
「ううん、私は日向ぼっこしたんだけどね、そうしたらこなちゃんが急に飛んできて――ねぇ、勝負ってなあに?」
「さあ。わかんない」
ヴィロサと睦まじげに話している「姉さん」の姿であった。古典的なギャグ漫画かといわんばかりに蛹がずっこけた。土がわずかに舞う。
肩から上を枯葉の海から突き出して、中腰で座るヴィロサと会談する「姉さん」――どうやら衣紗花蛹という名前らしい――に、妹分の蛹は顔を赤くしながら詰め寄った。
「もうっ! ねーえーさーんー!」
「あらこなちゃん、なあに。そう揺さぶらないでよ。粉が落ちちゃうじゃない」
「なんでそんな奴と仲良く喋ってるのさー!」
「いいじゃない、久しぶりに会ったんだもの、ねえ?」
「そうよ。あっ、衣紗粉の蛹ちゃんもお話する? そうだよね、蛹ちゃんだけ仲間外れにされてるもんね!」
どうぞどうぞと姉コンビが蛹を手招きする。
が、衣紗粉蛹は肩を震わせたまま、そっぽを向いて、明後日の方向と走り去ってしまった。
「みんな……きらい……!」
最後に残した声は、嗚咽混じりであった。
不思議そうに顔を見合わせるヴィロサと衣紗花蛹。すっかりかやの外だった透陽。その間に得も言われぬ空気が流れる中、ヴェルナがやれやれとばかりに胞子を吐いた。
「あーあ、どうするんだ、あれ。おーい、衣紗花さんよお、おまえの妹分だろ、何とかしてやれよ」
「大丈夫。こなちゃんにはよくあることだから。その内寂しくなって戻って来るわよ」
「どうするっていうけど、蛹ちゃん泣いちゃったの、ヴェルナがいじめるからじゃないの?」
「……おい、とどめ刺したのはどの口だよ」
ヴェルナにしてみれば、売られた喧嘩を買っただけだ。そもそも、舌戦でこのアマニタの姉妹に勝とうと思ったのが蛹の過ちだったかもしれない。かたや猛毒帽子の主、かたや天然毒舌娘、相手取るには相当心が強くなければ持たないだろう。どう見ても幼女の蛹では、こてんぱんにやられるのも仕方ない。
本当におっかないキノコたちだ。そう再認識しながら、透陽は重い足を動かした。
蛹の幸運は、一歩引いた位置に居る人間の傍観者がいたことだろうか。
衣紗粉蛹の消えた方角へ向かう。すると、すぐに見つかった。ちょうど死角になるシイの木陰で、うずくまっていた。ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、しかし声は出さずに泣いていた。
透陽を見上げると、ぐしぐしと腕で目をこすって、声を上ずらせた。
「なによ! 負けいぬの顔を見に来たの!? あっち行って!」
「いやいや、そんな――」
「みんなひどい! 蛹はただ、ただ――」
「おー、よしよし。俺が聞いてやるから、ね?」
精一杯優しい笑顔を浮かべながら、蛹の頭を抱き寄せた。小さな頭だ、小さな肩だ。ぬいぐるみを抱えるように、優しく抱く。
それで最後の糸が切れたのだろう。衣紗粉蛹は、数度大きくしゃくりあげると、幼児らしく大声を上げて泣き始めたのだった。
キノコ目録
コナサナギタケ/衣紗粉蛹
虫草の一種。落ち葉や地中に埋もれた鱗翅目昆虫の蛹から発生する。
非情に小型のキノコであるが、白い粉を噴いているような姿から、比較的目には入りやすい方。
冬虫夏草と言えば薬用に利用され、本種にも薬効がある…かもしれないが、あまり一般的には利用・研究されていないらしい。
ハナサナギタケ/衣紗花蛹
同じく虫草の一種で、形態、宿主など、コナサナギタケと非常に似ている。こちらは柄が分枝し、コナサナギよりやや大きい。
有性世代と無性世代を持つ菌で、これは無性世代の姿。有性世代の子実体は「ウスキサナギタケ」という別の名がある。
薬効があり、栽培も容易。よって商用利用もされている。




