死者の指
果たして死神が現れたのか。不意をついて登場した黒装束のものを、透陽は畏れひるむ目で見据える。
相手は声を発さない。代わりにマントの下から右手をもたげ、顔を覆うマスクに手をかける。
長いくちばしが付いた仮面。ガスマスクのようだが、そうではない。そして何かで見たことがあるような気がするが、いまいち思いつかない。さしずめ西洋の仮面舞踏会を描いた何かだろうか。
小さな手を目一杯伸ばして、目の前の人物はマスクを外した。
下から現れたのは、仰々しい仮面とは裏腹の、大人しそうな娘の顔であった。漆黒の双眸が透陽を見据えている。夜闇のように深い黒だが、恐ろしさは感じない。
「ごめんよ。驚かせたね。ケガはないかい?」
「あ、いや……その……大丈夫です」
「なら良かった」
そして少女はうっすらと微笑んだ。
目線が低くなることで気づくものもある。例えば、小さなキノコの存在だ。
透陽が跨ごうとしていた倒木。腐朽の進んだその材上に、黒い物体が背比べをするように並んでいる。マットな色合いで、背景と同化してしまうような地味さだ。ただの棒状ともとれるキノコらしからぬ形だが、そんなものいくらでもある。
そんな黒いキノコ娘は、上体を捻って後ろを向いた。目線は前方のヴェルナに向いている。
そして彼女は真っ白の娘を手招きした。
まるで許しを得たかのように、その途端、ヴェルナが足を出した。彼女はコートに腕を隠したまま、てくてくと歩いてくる。まるでこけしが動いてくるようだ、と透陽は思った。
「ヴェルナの友だち?」
黒い少女が透陽に問いかける。
果たしてどうだろうか。透陽の方は親しき仲だと思っていたが、先ほどのリアクション、そして諸々のひどい言い草、向こうは友だなどと思っていないのではないだろうか。
だが他人の心を計る術はない。自分にとっては友人だ。それだけでいいのではないか。
透陽は問いかけに黙って頷いた。
そうか、と黒い少女は答えた。
「友の友なら、自分の友だな」
少女はすっと腕を突き出す。温和な表情が心に沁みた。迷わず彼女の手を取った。
ようやくヴェルナが合流した。白黒同士で軽く挨拶を交わすと、彼女は透陽に向き直る。無表情の本体に代わって、帽子が愉悦の色を滲ませていた。
「おうおう、チキン野郎。ヘタレ野郎。ビビリ野郎!」
「急に出てきたら誰だってびっくりするって!」
「死人っぽいしね」
黒い少女が淡々と己を評した。
慌ててとりつくろう。
「いや、俺そこまで言って無いよっ! 確かにちょっと怖かったですけど……はい……」
「……褒め言葉、だね」
「そうだね」
黒い娘は微かに笑みを浮かべた。ヴェルナ程ではないが、どうにも表情の乏しい相手だ。そして何だか妙な雰囲気も感じる。
だが、透陽は未だ、相手の性質を計りかねていた。なんせ、まだ名前も知らないのだから。
「えーと……」
「フィンゲル。クロズ・デッド・フィンゲル」
「おおお……ミドルネーム……!」
「……そこ?」
ヴェルナの突っ込みに、透陽は首を縦に振った。
横文字が何となくかっこよく聞こえる、そして、ミドルネームというものに不思議な憧れすら感じる。理由はわからないが、とにかくそう思うのだから仕方ない。
漆黒のマントを風に靡かせ、クールに佇むフィンゲルが、透陽の中に妙な羨望感を産み出していた。
わからなくもないけど、とヴェルナの帽子が息を吐いた。ふわふわと漂う胞子が楽しげだ。
「フィンゲルはそんじょそこらのキノコとは格が違うぜ。『死者の指』なんていわれてんだからな!」
「デッドマンズ? 死んだ男?」
「の指。……フィンゲルの通称。かっこいい」
「ヴェルナほどじゃないよ。『猛毒三羽烏』のほうが圧倒的」
「……私だけじゃないから、それ」
「いいじゃない。魔王の重鎮っぽいもの。強そう」
透陽はクエスチョンマークを浮かべていた。確かに二つ名がついていることには感心する部分もあるが、「強そう」とか「圧倒的」とかの違いまではわからない。
ただの地味娘かと思いきや、どうやら不思議な感性をお持ちのようだ。透陽の中で、フィンゲルの印象が変わった。
ところで、何故「死者の指」なのだろうか。たしかにキノコの形状は指のようにも見えるが、死んでもああは黒くならないだろう。余程腐ったとか、ミイラになったとかは別の話として。
透陽がそれを問いかけると、フィンゲルは黙って両手を突き出した。
開いて見せられた手のひら。指が、そして手のひらから手首にかけても所々、真っ黒になっている。墨で染めたような、いや、むしろ皮膚そのものが炭になったのではないか。一見ぎょっとするが、一応、人間の器官の形は留めている。
そんなフィンゲルの隣でヴェルナがジャンプする。ファスナーの間から突き出した左手を目一杯伸ばし、フィンゲルの前髪をはねた。なるほど、髪の影になっていた部分も、真っ黒の皮膚になっている。
「……大丈夫なの、それ」
「問題ない。……黒死病って知ってる?」
「ペストのこと、ですよね」
「黒死病」
「……はい、一応は」
ペスト、致死率の高い恐ろしい病気だ。中世のヨーロッパでは大流行し、その総人口の三分の一から二を死に至らしめた。歴史を少しでも習った人間ならば、一度くらい耳にしたことがあるだろう。
そしてペストという病気の症状の一つに、組織の壊疽がある。皮膚と組織を破壊し黒く変え、そして患者を殺す。黒死病たるゆえんだ。
なるほど、と透陽は納得した。眼の前の倒木から生えているキノコ。その形が、ペストにより倒れた死者が伸ばした指先に見えたのだろう。
それにしても恐ろしい。人を死に至らしめる死病から名を由来するとは。死神のような出で立ちも、もしやそれに倣ったものなのだろうか。
ざわり、と透陽の胸が騒いだ。フィンゲルは無害そうだ。だが、それは見た目だけかもしれない。実は、ペストに負けず劣らずの殺人性の高いキノコなのではないか。
実際に触っただけでも危険なキノコはある。カエンタケがそうだ。透陽の記憶の中にも、煉獄の炎のごとき恐ろしい力は深く刻まれている。
そういえば、カエンタケも指先みたいな形のキノコだ。色合いこそ違うが。
透陽ははっとした。そういえば、先ほどフィンゲルと握手をした。何気ない流れで気づかなかったが、あの時に間違いなく黒い手に触れている。
青年は慌てて自分の手のひらを眺めた。今のところ変化はない。だが、病徴など遅れて出るものだ。そして、症状が出るころには手遅れとなることも多い。
蒼白な顔をしていると、ヴェルナが透陽の肩を叩いた。
「……大丈夫」
「へ?」
「おめーの考えてることなんて大体わかるんだよ! そう心配しなくても、フィンゲルは悪いヤツじゃねーよ。だいたい、触っただけでどうかなるわけねぇだろうが」
「で、でも……ほら、カエンさんとか……!」
「……あれは別格だから」
「地上の魔王と地獄の閻魔みたいなもの。自分はただの村人その二」
「……ごめん、よくわかんない」
フィンゲルのたとえ話はさて置き、とりあえず危険はないと言うことでいいのだろうか。ひとまず、透陽は胸を撫で下ろした。
「なんか、ごめんなさいフィンゲルさん」
「いいよ。自分は別に良い奴とも思っていないし。いうなれば、善でも悪でもない、境界上に佇む死者」
「……はぁ」
「それでも……少なくとも私よりは、いい子」
それは違いない。いくらヴェルナが可愛らしくて、小さくて、美しいと言っても、その本性は筆舌に難いのは、帽子の語り口調を聞いていれば火を見るより明らかだ。あのがっちり着込んだコートの下がどうなっているのか、一度見て見たいほどに。
そう、キノコは見た目によらない。派手でも毒が無かったり、地味でおいしそうでも一口食べたら大暴れを始めたり。いかにも危ない名前でも、性質とはなんら関係が無かったり。
なおかつ、地味で目立たないキノコでも、よくよく耳を傾けて、よくよく調べてみれば、意外とユニークなヤツだったりするのだ。そう言う意味では、透陽にとってフィンゲルとの出会いは色々新鮮であった。
そう言えば、とフィンゲルは手を叩く。気のせいだろうか、黒い靄が瘴気のように舞ったがするが。
「もしかして二人、デート中だった? 邪魔したね」
「デ、デ、デ、デート!?」
「……違う。姉さんの所に案内するだけ」
「そうだったんだ。そりゃ、時間を奪って申し訳ない」
「……一緒に来る? 楽しいから」
「遠慮しておくよ。あの方はなんたって『死の天使』だ。自分とはまるで格が違う。あの方が皆の羨望を受ける太陽なら、自分は地底に埋もれ忘れられた死人の骨。顔を合わせるのもはばかられる」
そう言って、フィンゲルは黒いマントを大げさに翻した。
「じゃあ、また」
まるで吸血鬼か何かのようにかっこつけたポーズを取ると、フィンゲルは消えた。
うーんと透陽はうなる。
「なんか、変わった子だね」
「……でも、いい子」
それは違いないだろう、少なくとも害はない。が、どこか一般の感性とはずれている。人間とキノコの違いではなく、もっと性格的な意味合いで。
思わぬ邂逅に時間を取られたが、透陽が目指しているのは太陽。出会いを楽しみこそすれ、ここで立ち止まっていられもしない。
彼の水先を示すのは、黒き死者の指ではなく、白きヴェルナの姿だ。
こっちだと導く胞子の煙を追って、透陽は散策を再開した。
キノコ目録
マメザヤタケ/クロズ・デッド・フィンゲル
腐朽材やその周りに発生する子嚢菌類のキノコ。
「死者の指」は欧米での愛称。和名は形が豆の鞘に似ていることから。
黒くて硬い。食べられない。また、形状は変異に富む。
内部は白い。




