シロタマゴテングタケのヴェルナ
ヴェルナは赤い目をぱちくりさせて、透陽をぼんやり眺めている。表情がうかがい知れないのは、蒸し暑い梅雨の日だと言うのに、襟元にファーのついたコートを着込んでいるからだ。口元はすっかり隠れてしまっている。
透陽は思わぬ再会にわなわなと震えていた。初めて出会った時のことが走馬灯のように駆け抜ける。そう、己を罵り、挑発し、無感情に迫って来る彼女が恐ろしかった。無知だったあの頃は。
「ヴェルナ! ああっ、ヴェルナじゃん! 久しぶり、元気だったか!?」
透陽の顔に太陽が舞い降りた。
跳ね上がるように立ち、ヴェルナに飛びかかる。そしてそのまま、己の体にすっぽり収まってしまう小さな少女を、ぎゅっと抱きしめた。ヴェルナがびくりと肩を震わせたのがありありと伝わってくる。
全く、何であれほどに怖かったのか理解できない。雪のように真っ白で、頼りないくらい細くて、こんなに愛らしいというのに。
確かにあの帽子はおどろおどろしい。だが、その口が語るのもヴェルナの心だと言うのなら、甘んじて受け入れるべきじゃないか。人と人とのやりとりは、美辞麗句のみで済む者ではない。いやむしろ、本心をぶつけてくれるということは、親しく思われているということだ。何を恐れる必要があるだろうか。
喜びが天蓋を突破した透陽は、心の向くまま気の向くまま、ヴェルナに頬ずりする。腕の中で、ヴェルナがもぞもぞと身もだえしていたのにはお構いなしだ。
「えっ、ちょ……」
「ああ、もう。会いたかったよ! 知ってる顔がいないかなぁって、探してたんだ! ヴィロサ――お姉さんは元気か? ヴェルナは? ははっ、お前も相変わらず口が悪いな!」
透陽は夏の青空のように爽やかな笑顔を、ヴェルナの頭上に向けた。
白い球帽子に裂けた大きな口は、ぴくぴくと口角を痙攣させている。
「お、おう……なんだおまえ……」
「ああ、もう。そんなおどおどしなくても。ほんと、かわいいなぁ、ヴェルナ」
感情のたかぶりが天蓋を突破している透陽は、周りの微細な変化になど気づけるはずもない。もともと、他人の情緒に疎い部分もあるからなおさらだ。
ヴェルナは顔を引きつらせていた。嫌悪感すら交えた目で、透陽を見ていた。無論、本音を語る上の口も、げんなりしたような風に形どられている。
「気持ちわる……」
その言葉は、二つの口から同時に漏れ出た。
「な、何で!? だって、秋以来だよ!? そこは喜ぶところだよ!」
透陽は叫んだ。己の行動が嫌がられているとは、微塵も考えようとしていない。「久しぶりね」と笑って受け入れてくれるはずだと思い込んでいた。
ヴェルナは神妙な顔のまま、透陽をじっと眺めている。
「……いや。なんというか――」
「おまえ、そんなキャラだったか!? 違うだろ! もっとこう、陰気で面倒臭そうなヤツだったじゃねぇか!」
「いやいや。人間は変わるんだよ。そう、俺は変わったんだ! いや、目が覚めたっていうべきかな? それはもちろん、君たちのおかげで!」
彼のいう事は間違っていない。ヴェルナもそれは重々承知だった。人生の舵を新しい方向に切る瞬間には、ヴィロサと共にヴェルナも立ち会っていたからだ。
それから現在に至るまでには、半年近くの時が流れている。性格にも変化が訪れていて、何ら不思議ではない。
しかし、なんというか、少々はっちゃけすぎではないか。極端から極端に変わったと言うか、これまためんどくさい男だ。ヴェルナの本音はそんなところだが、彼女は口をつぐんだ。下手なことを言えば、また心が折れてしまう可能性が無きにしも非ず。そうなったらそれこそ厄介極まりない。彼自身の相手をするのもそうだが、彼を母のように気に掛ける存在の方が鬱陶しい。一体あの天使様にどんな毒を吐かれるか、想像するだに気が重くなる。
そう、天使だ。透陽が真に再会したいのはヴィロサだ。ヴェルナにも、それを察することは難くなかった。
思っていた通りの言葉が、透陽の口からつむがれる。
「なあ、ヴェルナが居るってことは、当然、ヴィロサも居るんだよな!?」
うきうきとした口調だ。もはやゴールにたどり着いたかのように。
「姉さんは居るけど……」
「会わせてくれ」
「でも……やめた方が……いいと思う」
「なんで? 夏が来たら会おうと約束したんだ」
「だけど……その姉さんは――」
ヴェルナがわざとらしく顎を引いた。口元はコートに隠れてしまう。
上目づかいのまま、透陽を見据える。彼の目は期待に輝いていた。全く、濁りない美しい光に満ちている。多少の嵐では吹き消えぬような強い意志の輝きだ。
結局、ヴェルナは抗えなかった。はぁ、と小さく溜息を吐く。
「わかった。案内する。ただ……」
「知らんぞ。ヴェルナは止めたからな。どうなっても知らんからな」
帽子が吐き捨てるように言い放つと、それっきり口をつぐんでしまった。
さすがに透陽も首を傾げた。紀伊教授にしろ、ヴェルナにしろ、どうしてヴィロサのことになると、こうも含みを持たせた物言いをするのか。自分に会わせたくない理由でもあるのだろうか。
だが考えても思いつかない。それに本当に会わせたくないのなら、居るなどと期待を持たせるようなことは言わないはずだ。
わからない。わからないならば、自分の目で見て確かめればよい。嫌々なれどヴェルナは案内してくれると言ったのだ。だったら、自分で結末を確認した方が早いじゃないか。
「じゃあ、早速頼むよ」
そう言って、透陽は地面に生えているシロタマゴテングタケに手を伸ばした。よくやるように、これを依代にヴェルナを導くためにだ。
が、はっとして手を引っ込めた。
この山には掟がある。「無許可での動植物・昆虫類・土壌・その他生物の採取を禁ずる」というものだ。と言うのも、ここは大学の研究用の土地。即ち、ここで研究を行っている人がいるということだ。勝手に資源を持ち出せば、その調査に影響が出てしまう恐れがある。
もちろん、透陽は許可をもらっていない。そもそも趣味のキノコ観察に許可が下りるとも思えない。
たかがキノコ一本、しかも山の外に持ち出すわけでもないし。そう悪魔の声が聞こえたが、透陽は首を横に振って掻き消した。良識が勝った瞬間だ。
「……どうしたの?」
「この場所採取できないんだ。だけど案内って、どうする? ヴェルナ、遠くまでいけるのか?」
「……飛び飛びなら」
彼女の話を聞くには、点在する他のポイントを辿るようにすれば、どうにかヴィロサの居る場所まで実体を保ったままたどり着けると言う。
キノコの娘たちの移動条件はよくわかっていないのだが、どうやら、自分に近いもののシロならば比較的楽に踏み込めるが、違う仲間のテリトリーに足を突っ込むことは、その相手に歓迎されない限り難しいという。目には見えない菌事情があるようだ。
歩いて行っても何とかなる距離だが、毎度毎度出会うキノコに許可を取ったりするのも時間を取って面倒だ。ことさら、数が多い時期なのだから。
「……見失っても、誰かしら助けてくれるよ」
「違いないな」
「じゃ、行ってる。まずは、向こうに真っ直ぐ」
ヴェルナの帽子から、矢印を描く様に白い煙が放たれた。
斜め前方を差す胞子の霞を残して、ヴェルナは消えた。この先に在るシロにワープしたのだ。
真っ直ぐ、真っ直ぐ。そう唱えながら、透陽も後を追って歩き出した。
山の地面と言う物は、不慣れな人間には歩き難い。特に道から外れたような場所は、平らでない、堆積物が多い、木の根や実生が多いなど、足元を不確かにさせる要素が揃っている。時間がかかるのは致し方ない。
「おおーい! ヴェルナはこっちだぞ!」
「ああ! 今いく!」
ようやく前方にヴェルナの姿が見えた。白い煙を噴き上げて、居場所をわかりやすくしてくれる。
それを笑って見ながら、目の前に転がっていた倒木をまたいだ。透陽は思い切り足を上げて、まず右足を地面につける。
その瞬間、眼の前に漆黒の影が生えて来た。びくりと肩を震わせて、凍り付いた。
背丈はヴェルナ程。だが、真っ黒のマントに身を包み、その顔は、無機質な仮面に覆われていた。長いくちばしのようなものが生えた黒いマスクは、表情無く透陽を見据えている。
「お、お化けだぁっ!?」
声を裏返しながら、透陽はのけ反った。バランスを崩して、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「……おい、あいつ、変わってねーぞ、ヴィロサ。玉ついてんのかわかんねぇ、ビビり野郎のままだわ」
ヴェルナが呆れたような独り言を唱えた。
※作中で時折出てくる過去の話については、拙作「マイ・マイセリアル・マイルストン ~俺の人生を変えてくれたのはキノコでした~」をお読みいただけると理解が深まるかと思われます。別に読まなくても問題ない展開ではあります




