梅雨にて再会す
梅雨。降り続く雨に憂鬱感を感じる人は少なくないだろう。薄暗い空、まとわりつくような湿り気、こもる熱気とにおい、乾かない洗濯物。
だが生き物全体を見渡せば、梅雨を喜ぶものは少なくない。カエルにカタツムリ、草木にシダやコケの類、それにカビやキノコの菌類。彼らにとって雨は恵みだ。
そして彼らに負けず劣らず、雨を喜ぶ奇特な人間は居た。それが、奥羽透陽青年である。
「この前行って来たんですけど、梅雨、すごいですね」
「でしょ? 一年で一番キノコが多い時期だからねぇ」
「多いどころじゃないですよ! 歩けば何かしら居るっていうか、誰かしら居るっていうか!」
鼻息荒く、透陽は自身のキノコの先達、紀伊教授、それと彼のパートナー、エノキタケの榎ゆきに訴えかける。
雨の潤いを受け、菌類たちは一斉に奮起した。いまや、山に行けばそこかしこに姿を見かけるし、少し自然の有る所なら、果てにはキャンパス内でさえ、ひそやかにキノコが育っている。
そんな訳で透陽に必要なキノコ養分はおおよそ補充できた。
だが、彼には一種、どうしても会いたい相手が居るのだ。
「それで、教授。ヴィロサ――ドクツルタケは研究林にも出るんですか?」
彼女の名はアマニタ・ヴィロサ。透陽の恩人でもあり、女神のようなものでもあり、いずれ再会を誓った懇意の相手でもある。出会うキノコ多々あれど、未だその幽玄なる天使を再見するには至っていない。
透陽の熱視線を浴びて、紀伊教授はうろたえるように目線を外した。
「あぁー、うん。まあ、その……出るよ、一応」
「なんでそんなに曖昧な感じなんです!?」
「いやー……色々難しいんだよねぇ。あの娘に限った事じゃないけどさあ」
難しいとは何だろうか。生えている場所が厄介なのだろうか、それとも、猛毒キノコであるという彼女の性質を差しているのだろうか。
答えにくいと言うオーラを放つ教授は置いておき、透陽はゆきに顔を向けた。ところが、彼女もお手上げだと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「夏の連中に関しては、さっぱりだよ」
いたしかたない。人工栽培をしているから、いまゆきはここに居られるだけで、彼女は本来、冬の住人だ。天変地異でも起こらない限り、夏を好むキノコたちとは顔を合わせるはずがない。友だちの友人の、その親類の、といった縁を伝って、噂だけ耳にするのが関の山だろう。
頼りになる二人がその調子では仕方ない。自分の足で確かめに行くのみだ。雨に霞む外の世界を見ながら、透陽は意気込んだ。
数日降り続いた雨が止んだのは、幸運にも金曜日の夜であった。翌朝、晴とまではいかないが、雲間には青空がのぞいている。下手に太陽が照り付けるような日よりも、キノコ狩りには好適日だろう。
透陽は意気揚々と出かけた。少し汚れて来た山靴を履いて、長袖長ズボンの完全防備。背中に背負ったリュックサックには、大きな水筒や非常食、それと雨具もきっちり詰め込んで。いつ空が機嫌を損ねるかはわからない。雨の山を濡れネズミになって駆け下りるのは、少々辛いものがある。
訪れたのは大学所有の研究調査林だ。学生という立場上、かなり自由に踏み入れられるし、現に透陽は数度足を運んでいた。
ただし今日は腰の入れ方が違う。何としてでも念願の相手に再会したいという思いは、少し深いところまで踏み込もうという決断をさせた。ルートもしっかり調べてあるし、地図もプリントアウトして持っている。
まあ、万が一道に迷ったとしても、大学の管理地だ。目印等は道沿い随所にあるし、入林に際して届出がしてあるのだから、最悪の場合は助けが望める。比較的安心して散策が出来る環境だ。
さて、お馴染みの林道沿いに透陽は山を登りゆく。わき目を忙しなく振りながら、時に駆けて、時に奇声を上げ、時に斜面をずり落ちながら。
そして今日も色々居た。人口爆発ならぬ、茸口爆発といったところだろうか。そして来るたびに見かけない顔を見るから面白い。
ただ、難点もある。出会う数が多すぎるのだ。一々話しかけたり観察をしていたりしては、全く前に進めないまま日が暮れてしまうだろう。
だから苦汁を飲んで、ある程度進むまでは、軽く会釈をするくらいで済ますことにした。とにかく今日は本命狙いだ。
されど、遠目で見ながら歩く分にも面白い。例えば遠くの木の下で、足を投げ出して音楽を聞いている少女が居た。自然の中では、彼女の大きなヘッドホンがよく目立つ。有機質と無機質、相反するようで印象に残る光景だった。
逆に目をそらしてしまったのは、藪の中でケタケタ笑い声が聞こえて来た時だ。目を凝らせば人影があるが、延々と呪詛のような独り言を言っている。何となく身の危険を感じた透陽は、気づかれる前にその場を離れたのだ。
キノコの気配は多々あれど、人間の気配はない。雨の恐れがある時に、散歩がてら山に入る人間はそう多くないだろうから当然だ。
そんな森から声が聞こえる。透陽は足を止めた。人語を話す存在は、人を除けば、キノコの娘に決まっている。
二人が罵り合っているような声だ。怒号にも近い。そして、なおかつそれは近づいてくる。
その時。透陽の右手の低い崖上から、黒ずくめの人が飛び降りて来た。
風景に似つかわしくないタキシード姿のその者は、しかし軽々とした足取りで透陽の前を横切って、斜面の下へと駆け下りていった。クールな身のこなしの反面、表情は必至感で溢れていたが。
なんだなんだ。透陽が突っ立っていると、後に続く様にまた誰かの気配がする。
と思うや否や、全く同じように右手から白い人影が飛び降りて来た。わき目もふらずに先に行った相手を追っていく。
「ウフフフフ……逃がさないわよぉ!? 銀河の果てまで追ってみせるわぁ」
彼女のにたりと歪んだ表情に、透陽は身の毛のよだつ思いを感じた。きっとストーカーに狙われるとはあのような風ではないだろうか。同時に狙いが自分でなくて良かったと、胸を撫で下ろす。
その奇妙な追いかけっこがどうなったのか、気にはなるが、彼女たちの姿はすっかり木間に隠れてしまって見えない。透陽はただ、斜面の下を覗きこむだけだった。
「あっ!?」
斜面の下方に見つけた、それは思いもよらぬ発見だった。
落ち葉と土の茶色に、明らかに浮いているのは白い色。見るなと言われても、不思議と目を吸い寄せられる。それだけ際立つ美しい輝きを放っていた。
そしてその形。中央が高くて、端のほうは平らになって。あれはまるで貴婦人が被る帽子のようではないか。
なおかつ、そういう姿のキノコを、透陽はよく知っていた。
「ヴィ……ヴィロサ!?」
本人の姿は見えない。だが、あの形状は間違いない。夢にまで見た、愛しの彼女の愛用する帽子だ。
はやる気持ちを抑えて、透陽は斜面を下りる。いくら山靴で滑りづらいと言えど、先ほどの鬼ごっこのように全力で駆けるのは危険だ。うっかり足を怪我でもしたら悲惨極まりない。
そして目標に近づくにつれ、膨らんでいた期待は徐々に徐々にしぼんでいった。
遠目で見ても何となくわかった。あれは、ヴィロサじゃない。彼女の姿は脳のスクリーンにはっきりと焼き付いているから、間違えようも無い。
そして間近にしゃがみこんで確信した。アマニタ・ヴィロサことドクツルタケより小さいし、露見させた柄も、彼女のそれよりつるっとしてる。もっと毛羽立つ感じだ、まるでスカートの裾がひらつくように。
胸につかえた息と共に、籠っていた熱を吐き出す。わずかに冷えた頭は、新たなる思考を導いた。
このキノコの正体、一つ心当たりがある。ヴィロサそっくりで、少し小さい。並んでいたら、まるで妹分のキノコ。そんな相手に、透陽は出会ったことがあった。もやもやと彼女の姿を思い浮かべながら、誰にともなく呟く。
「これって、もしかして……ヴェルナ」
「うん。よくわかったね」
「うわぁっ!?」
突然耳元で響いた囁き声。幽霊にでも触れられたかのように、透陽は跳び上がった。
しどろもどろになりながら背後を振り返る。勢いで尻餅をついた。
そこに居たのは、自分を無表情で見つめる白コートの少女。そして、彼女の頭より大きい奇妙な帽子が、割けた口より胞子の煙を吐き出し、げらげらと下品な笑い声を上げていた。
「よう、ヘタレ野郎! ヴェルナんことジロジロ見て、また死にたい気分にでもなったか?」
赤い口に牙をむき出しにしながら、帽子がにまりと口角を上げた。小柄で小さな少女とは相いれない、おどろおどろしい笑顔だった。
彼女の名はアマニタ・ヴェルナ。シロタマゴテングタケ、という小型のキノコだ。ドクツルタケそっくりで、負けず劣らずの猛毒キノコである。
そう、小さいからと決して侮るなかれ。その本性は、数多の人間を葬ってきた殺人キノコなのだから。
キノコ目録
シロタマゴテングタケ/アマニタ・ヴェルナ
小型のドクツルタケのような外見を持つ。柄がささくれない、KOHで呈色しないなどで区別可能
ドクツルタケ、タマゴテングタケと並んで猛毒御三家と讃えられるほどに死亡事故が起こっている
そのくせ、比較的人家近くの林にも生えていたりする
真っ白で姿も良いため観賞には向くだろうが、間違っても食べようなどと思わないように




