ときに菌は苦悩の種
「――というわけで、あの子たちも健気にやっているみたいなんですよ」
「ふーん、あっそ」
透陽の家には、再び榎ゆきの姿があった。農場からの帰りがてら、エノキタケを買ってきて、召喚した次第である。ただ、本当に出てきてくれるとは思わなかったが。
ただし、ゆきはいささか機嫌が悪いのか、透陽のいう事にも適当な相槌しか打たない。それどころか、ベッドに陣取って寝っ転がっている始末だ。
「もう少し興味持ってくださいよ。言われた通り、勉強してきたんですし」
「だって、この部屋暑いんだもーん。やんなっちゃう。クーラー入れてよ」
「まだ春ですよ!?」
「わたしは冬の女なの。こんな気温じゃやってらんないよ」
大の字になって伸びるゆき。実際、つらそうだ。
エアコンはある。が、そもそも人間としては室温は今が快適くらいだ。設定温度28℃では、スイッチをつける意味がないほどだ。あと、無駄にお金をかけたくない。
「我慢してください」
「うぅ、ひどい……キノコ殺しで訴えてやる……。熱中症は怖いんだぞ」
ゆきの低調な恨み節が刺さるが、無視だ。なんだか、妙に人間臭いことを言うキノコだと思いこそすれ。
「ところでさ、奥羽クン。わざわざわたしを呼び出してまで述べる、キツネノ姉妹を見ての感想は、それだけ?」
「はい」
「ほんとに!?」
「はい」
途端に始まる一人っきりのブーイング。更にゆきは悔しげにベッドを叩いた。
「ほんとにもう、肝心な処を見てないって言うかなんて言うか……。きーちゃんもだけど、キミたちはキノコ寄りすぎじゃないかね」
「へ?」
「あの子たちが健気にやるのは結構だが、それで困る人間もいるってことさね」
ごろんとゆきが首を向けた。すでに疲れ切った表情だ。
はて、困ること。透陽は必死に頭を働かせた。
だが、何も思いつかない。あんな小さなキノコが生えて、一体何の損があるのだろう。邪魔にもならないし、そもそも目立たない。それでも見る人によっては「気持ち悪い」とでも思うのだろうか。
少し目線を下げて無言のまま一点を見据える透陽が、見当違いな思案をしていることに察しがついたらしい。
しびれを切らせたゆきが、ため息交じりに声を張り上げた。
「病気! クワが病気になるの!」
「ああ! 実が落ちるから……」
「大雑把に言えばそう。だから、育ててる人はあの子たちを嫌う訳。オッケー?」
キツネノワンとキツネノヤリタケの胞子は宙を舞い、まだ未熟な果実に感染する。そして菌糸を伸ばし、実を食べてしまう。健全に育ったクワの実は、収穫期になれば赤く色づくが、菌に制された果実は、白く腫れ上がったグロテスクな見かけとなり、地面に落ちるのみ。人は「クワ実菌核病」という名で呼ぶ。
最も、病気扱いするのは人間の都合で、キノコたちは普通に生きているだけなのだが。
ゆきは腕を組んでうつぶせながら、絞り出すような声で言った。
「わたしたちのこと、好いてくれるのはいいんだけど、もう少し多面的にものを考えないと、人とキノコの共生社会は実現しないよ」
それだけ残して、ゆきは空気に溶けるように消えた。どうやら、限界を迎えたらしい。
ゆきの依代になっていた市販のエノキタケをベッドの上から回収しつつ、透陽は首を捻った。言うほど難しいことだろうか、人とキノコがお互いを理解すると言うことは、と。
そしてこの日、透陽は植物病害論の講義を受けていた。今まではそれ程関心を持たなかったが、先日のクワのキノコの件があってから、少し病害について学んでみようと思ったのだ。
しかもおあつらえ向きに、今日は果樹病害の話だ。実際の写真がスライドショーになって流れる。ブドウの葉に現れたうどんこ病、カンキツ類のそうか病――色々流れたが、あいにく、クワの病害は紹介されなかった。
だが、それ以上に強烈な印象を受けるものが一つ。
「で、絶対に押さえておいて欲しいのが、ナシの赤星病」
老年の教授がそう言って、スライドを切り替える。その途端、透陽だけでなく、教室全部がざわついた。
それは、あまりにもグロテスクな写真であった。
植物の葉の一部が赤や黄色に染まり盛り上がっている。さらにその異様な腫れ部分から、数多の毛、とげ、いや、触手のようなものが生えている。まるでエイリアンが体を破って突き出ているような印象すら覚えた。
その斑は一つではない。一枚の葉の上に、無数の赤い小山が育っている。
「菌による病気ですのでね。ここから胞子を飛ばして増殖するんですよ。まあ、まず見た目もちょっと気持ち悪いですよねえ」
全くだ、と透陽は思った。大好きなキノコたちのあの愛らしさとは雲泥の差だ。同じ病原体とはいえ、キツネノワンやキツネノヤリタケなど、かわいいものじゃないか。
こんなものが葉に大量発生したら、農家さんは困るに決まっている。見た目も悪いし、葉がやられてしまえば光合成できなくなるじゃないか。その結果植物が育たないとは、さすがの透陽も理解していた。
「まあ、見たい人は温室の方に行ってみてください。ちょうど今出てますからね。それで、見た目以上に厄介なのがその繁殖方法で――」
スライドが切り替わる。だが、透陽の心は違うところに飛んで行ってしまっていた。
温室の方に出てる、と教授は語った。温室、厄介――透陽の記憶がたぐりよせられる。
そうだ、ゆきと一緒にキャンパス内を巡った時、彼女は温室方面に行こうとしなかった。いわく「厄介な奴がいる」と。
もしかしたら、それがこの奇怪な赤星病なのか? だが、これはキノコではない。透陽は疑問符を浮かべていた。
何はともあれ、百聞は一見にしかず。実際に見てみるのが手っ取り早い。座学より実学。それが、透陽の基本的な行動パターンだ。
温室へ向かう坂を下る。その先にあるのは、ガラスハウスが二つと、昔ながらのビニルの温室が一つ。それから、小さな畑。研究用の圃場エリアだ。
だが坂道にも、あちこちの研究室が植木鉢を並べている。この一角は、非常に日当りが良いのだ。
透陽は勝手にナシの大木が温室ないし畑にあると思い込んでいた。だが、どうやら違ったらしい。坂を下りきるよりさきに、並べられた植木の葉に赤色の斑点が出ているのに気づいた。
おそるおそる裏側を覗きこむ。
「……うわぁ」
写真で見たのと寸分たがわぬ光景がそこにあった。心構えはしていたとはいえ、実物のインパクトはやはり凄絶だ。異形の物体は、今にも蠢きだしそうな心地さえする。
しかも全部で十鉢ほど、透陽の身長より頭一つか二つ分低い木々の、いたるところにエイリアンが存在するのだ。完全に侵略されている。
「……気持ち悪いなあ、さすがに」
少し見に来たことを後悔して、閉口した。
と、その時だった。突然、キンキン声の叫びが響いた。
「そんなことない! イブキちゃんかわいいもん!」
どうじに、眼前に人の顔が降って来た。しかも、さかさまの。つるべ落としという妖怪がいるが、まさにそんな雰囲気だ。
透陽はすっとんきょうな悲鳴を上げて、尻餅をついた。
「ばーかばーか!」
逆さ顔の女の子が、透陽を指さして侮蔑の眼差しで笑った。歪められた唇は、なぜかギザギザだ。それだけで、小心な男の中に怯えの色が出る。
が、彼女の正体など明らかだ。透陽に見える、人ならざる女性たち。それはキノコに宿る心の象徴、ゆえに、目の前の彼女は、目の前の赤星病の精神体だろう。
ただ、気になるのは。
「な、何でキノコじゃないのに出て来るの!?」
「ひっどい! イブキちゃんもおんなじ菌類の仲間なんだよ? なのになのに、扱い悪くない? ひどくない!?」
イブキと名乗った娘は、手近にあったナシの葉っぱをむしり取ると、バリバリと音を立てて貪った。小さく悲鳴を上げて後ずさる透陽の様子にはお構いなしだ。
態度も怖いが、それ以上に彼女の纏う異様な雰囲気に気圧されていた。しいて言うなら、何もかもが奇天烈だ。
まず、イブキの顔がさかさまだ。それは逆立ちしているからだった。まだそれほど大きくないナシの枝に器用につかまり、頭に血が上る姿勢を維持している。体重がかかったら木が折れそうなものだが、精神体には関係ないのだろうか。
また、逆さで居る彼女に、重力は全く仕事をしていない。細く編まれたドレッドヘアーも、黄から橙、そして裾では緑に切り替わる鮮やかなワンピースも、下から上へ流れているのだ。特にスカートは、イブキが動く割に、全然ずり落ちてこない。
他にも目が怖いだの、性格がきついだの、言いたいことは色々ある。が、それ以上に、関わりたくないという思いも降ってわいた。
さて、イブキは食いちぎった葉を噛みしめながら、透陽に向かって吠えつづけていた。
「っていうかさ、ほんと、人間どもは勝手なんだよ。キノコばっかりもてはやして。あんなの、ちょっと顔がでかいだけのカビじゃん! しかも、挙句の果てには厄介者扱いだもん! イブキちゃん怒るよ!?」
ふん、と鼻息を鳴らす。心地、茶色の胞子が空に舞った気がした。
「厄介な奴」とゆきが疎んじた理由がわかった気がする。間違いなく、こいつは超弩級のくせ者だ。と、透陽は冷や汗を流していた。




