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新天地は人の隣に

 いわく「友だちの友だちは友だち」らしい。キツネの少女たちは急に馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。


「そういえば、自己紹介がまだだったよ。槍はウツギで――」

「椀はマリだよ!」

「……二人は姉妹なの?」

「違うよ。親戚」

「へえ。それにしてもそっくりだ」

「えへへ。だってなかよしさんだもん!」 


 ね、と二人は笑顔を交わした。二人合わせて、狐野《コノ》コンビ。大体いつも一緒に行動している。好物も、生活リズムも大体同じだからだ。


 椀が座ったまま胸を張る。


「椀たちはねえ、むかしっからここに住んでるのよ。だから、椀の方が、お兄ちゃんよりずーっとせんぱいなんだからね」


 実際、彼女の言う通りだ。一つの種としての菌類は、連綿とした歴史を生きて来た。たった十九年生きただけの透陽では、足元にも及ばない。見た目も言動も幼くとも、彼女たちの精神はもっとずっと深いものだ。



 ふと、槍が数歩あゆみ出て、あらぬ方角を向く。木間に見えるのは農場の畑だ。

 彼女は持っていたヤリで、先日透陽たちがマルチングした圃場のあたりを撫でるように指し示した。


「前はあっちの方までクワの木があったんですよねえ。懐かしいなあ」

「そういえば、前は養蚕の実習もやってたって言ってた。農場の先生が」


 それは一回目の実習日にあった講習でのことだった。農業のあらゆる現場を実地で学ぶべく設立されたこの附属農場では、もちろん養蚕も行っていた。カイコを育てる、そのためのクワの栽培や観察も含めて、だ。

 だが養蚕農家の減少に伴い、それを学ぼうとする学生たちも居なくなる。世の流れに合わせるように、農場のクワ畑も潰された。


 今、雑木林に存在するクワの木はその頃の名残だ。鳥たちに運ばれた実生のクワ、あるいは古い学生たちの悪戯により植えられたクワが、自然の中に息をひそめるように生き残っている。


 槍の悲しげな言葉が耳に痛い。


「だけど、どこの畑も無くなっちゃった」


 どこも同じ。それが、時代の流れだからだ。人間の社会に必要が無くなったものたちは、容赦なく切り捨てられる。人間社会がこの世界の頂点だから。わかっていたことだが、事実をこうして目の前で突きつけられると、胸が苦しくなる。


 気の利いた言葉はみつからない。見つかったとして言える立場でもない。透陽とて、人間だ。数分前まで、あれほどに彼女たちに恐れられていた、人間という種の一人だ。


「大変、だよね……」

「そーなの。ほんとにもう、世の中やきにくてーしょくっていうの?」

「それを言うなら弱肉強食、かな」

「へぇ、お兄ちゃん、ものしりなのね!」


 椀は尊敬するようなまなざしを向けて来る。やめてくれ、と透陽は思った。あどけない表情は眩しすぎる。見ていて逆に辛いのだ。

 なぜ、住処が消滅の危機にあるのに、それほどまでに笑っていられるのか。その元凶たる人間を、そんな目で見られるのか。奥羽透陽という人間の若く青い心は、感傷に浸り揺れ動く。迷い悩むは人の性だ。

 

 槍が椀の方を振り向き、切なげな笑顔を見せた。


「いつかまた広い畑で走り回りたいなあ。ね、椀」

「おべんとう持って、いっちばん大きな木のしたで食べるのよね」


 ずらりと並んだクワの木立。ちょうど人が通りやすいその間を、二匹のキツネがかけて行く。二人の娘の体は菌糸と胞子で出来ていて、その軽さは風の如し。

 やがて子供たちは大きなクワの木の下で、二人仲良く肩を寄せ、大好物のクワの実を食べるのだ。遠目で自分たちと似た様な格好をした人間の大人達が、せっせと仕事をしている風景を眺めながら。

 その古き時代の情景は、透陽の硬い頭でも容易に浮かぶものであった。


 かつては山を切り開き、土を耕し農地を作った。その時にも住み慣れた土地を奪われた生き物たちはたくさんいたのだろう。

 そうして築いた農地すら、必要なくなったからと平気で捨てていく。自分たちに寄り添って生きている、人ならざる存在はたくさんいることなど考えずに。

 その結果は見えている。世界の裏舞台に追いやられた生き物たちは、やがて寄る辺を失って、消えていくに違いない。


 透陽の思考は巡る。頭の回転が良いのがたたって、連想は延々と続いていく。

 ああ、そうだ。こんな林の中の小さなスペースにこの子たちを追いやったのは、自分たちじゃないか。あれだけ人を恐れる原因を作ったのは、自分たち人間じゃないか。それなのに、だのにどうしてこの二人は、俺に笑いかけられるんだ!


 そして、感極まった透陽は、目から雫を一つこぼす。


「ごめんな。人間のせいで住処を追われて……こんなところに……。ごめん、ごめんな……!」


 頬を伝う涙はとめどなく流れ、小雨のように地面を濡らす。


 槍と椀がぎょっとして透陽を見た。


「ちょっと、お兄ちゃん、どうして泣いてるの!?」

「だって、可哀想だろ。住むとこも、食べるものも無くなって、辛い思いをしてるんだろ……」


 むせぶその声に、狐野コンビは泡を食ったような顔をした。何を言ってるんだろう、この人は。まるでそんな風であったのだが、一人感情の渦に呑まれている透陽には、それを見ている余裕は無い。


 はらはらと静かに泣く透陽に、先に声をかけたのは槍であった。

 

「そんなあ。槍たち別にかわいそうじゃないよ。そんなに困ってないもん」

「そうよそうよ。お兄ちゃんってば、ちょっとひがいもーそーじゃない?」

「はあっ!?」


 透陽は口をあんぐりと開けて、二人の顔を交互に見た。嘘をついている様ではない。むしろ、年甲斐もなくべそべそしている人間の男を見て、小ばかにしている様である。


「ど、どういうこと!? だって、畑が無いって、さっき言ってたじゃん!」

「いやでも……ねえ」

「畑じゃなくたって、クワの木はあるもん! ここだって畑じゃないし。お兄ちゃん、ちょっとあたまわるいんじゃない?」


 無邪気な言葉が心に刺さった。

 それにしてもその態度はなんだ、泣いてたのが馬鹿みたいじゃないか。透陽は慌てて涙の跡を袖で拭った。


 槍はにこやかに笑いながら、最近の事情を話してくれた。


「最近はね、人の家の庭を回るんだよ。畑よりはずっと狭いし、採れる量も少ないけど、これはこれで旅行みたいで楽しいんだ」

「昔っからのクワとはちょっとちがったりするけど、おいしいからいいの」

「は、はあ……」


 農学部のくせに植物事情に疎い透陽は知らない。最近ではマルベリーという名の果樹として、クワ類が一般でも栽培されていることを。葉を利用するためではなく甘酸っぱい果実を食べることを楽しみに、庭や植木鉢に植えられていることを。


 狐野コンビはクワの実さえあればどこにでも現れる。花が咲いて実がなってくれさえすれば、木の大きさも庭の環境も関係ない。

 そう、透陽が心配したような、キツネノワンとキツネノヤリタケの完全絶滅は起こらないだろう。人間が、完全にクワを駆逐しようとしない限りは。



 テンションが上がって来たのか、椀が早口で槍にまくしたてた。


「よっし! さっ、槍! こんどは『ムラサキおばあさん』の家に行くよ!」

「えっ。もうちょっとこの辺でゆっくりしたいんだけど」

「だめよ、春はみじかいの! もたもたしてると終わっちゃうわ」

「わかったよ。……お兄ちゃんも一緒に来る?」

「あ、いや、俺は君たちみたいにワープできないし」

「そうなの? 人間ってけっこー不便なのね。強そうなふうにしてるのに!」


 馬鹿にするように椀が笑った。だが、違いは無い。「そうだね」と透陽も笑い返した。古い自然や環境を壊して自分たちに都合よく変えていくのは、そうでもしないと不便で仕方がないからだ。彼女たちの、菌類の少女たちのように、自然の中であるがまま強く生きていく術を持たないからだ。



「じゃあね、お兄ちゃん!」

「またどこかでねー!」


 そう言い残して、狐野槍と狐野椀は新天地へと旅立っていった。透陽は安心して見送ることができた。

 胞子に乗った心は、今頃どこかの素敵な庭に飛んで、優雅なティータイムでも楽しんでいるだろうか。



 足下の地面を見る。キツネノワンとキツネノヤリタケ。人の畑に生きて来た小さき民たちは、今もまだ、人の隣に寄り添って暮らしているようだ。


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