わずかに残るは狐の聖地
日曜日の圃場。人間の姿はない。風の音と鳥の声が響く。
しかし暑い。透陽は恨めし気に空を仰いだ。まだ四月だとは思えない陽気だ。これほど太陽が暑ければ、キノコなんて乾いてしまう。
そういえば、干からびたキノコを彼女たちは代に出来るのだろうか。いや、でも乾しシイタケにシイタケのキノコ娘が出たことはない。それに、透陽の自宅にはドクツルタケの乾燥標本がある。こっちは顔見知りなのだから、出てこられるのなら出てきてくれるはずだ。むしろ来てくれよ、ヴィロサ。
そんな空虚な願いを思いつつ、かつ、まだ見ぬキツネのキノコが無事であることを祈りつつ、透陽は先日の藪へと向かった。
林に入ると一転、空気がひんやりとして心地よい。生い茂った葉が日光を吸収し、ほどよく暗い地表を描いて見せる。乾きの心配は杞憂だったらしい。枯れ葉や枯れ枝、コケ類、草で覆われた大地は湿り気を残している。
透陽はふと頭上を見上げた。空を背景に青葉が繁る。一体どれがクワの木なのだろうか。あの実が付いている木だろうか、それとも白い花が付いているものか?
植物はさっぱりわからない、みんな同じに見える。少しくらい調べてこればよかったな。
そう思って前を向いた時だった。視界の右手から、人影が飛び出して来た。人間ではない、キツネの尻尾がある。
この前の。透陽は言いかけたが、飲みこんだ。よく見れば先日のキツネノワンの娘とは別だ。黒い和服を着て白い前掛けを付けた、キツネ耳の少女という点は同じだし、顔つきもよく似ている。だが髪型が違う。それに、ヤリを持っている。
ヤリ、きっとヤリタケだ。透陽は確信した。
ヤリタケの娘は透陽の存在など無視して、辺りをきょろきょろ見渡している。何かを探しているのか、はたまた何かを警戒しているのか。少なくとも己以外だ。
だから、思い切って先に声をかけてみた。努めて笑顔を、それも特別爽やかなものをつくる。
「こんにちは」
「こん!?」
大げさなほどに驚いて跳び上がったヤリの娘。細い目で透陽を舐めるように観察する。
「はわわわ……クワバラクワバラ」
そう呟いて、彼女は林の奥へ猛ダッシュして言った。
透陽はしばらく笑顔のまま固まっていた。が、がくんと魂が抜けた人形のようにうなだれた。そんなに怖いだろうか、俺の顔は。
だがそれが正解だった。ちょうど下を向いた目線の左端のあたりで、地表に違和感を捕えた。
細かい枯れ葉がまばらに積もる地面、褐色の中に小さな雑草の緑が混ざる。さらにその堆積物の隙間から、細かくて細い物体が、天を衝く様に伸びている。ちらほらと見受けられるそれは、形状からしてあの娘の本体だろう。
透陽はしゃがみこんだ。地面に同化するかのような、淡い褐色の物体だ。高さも二センチ程度しかないし、おまけに細い。我ながら良く気づいたと思わん存在感だ。
しかい小さいながら、頭が下がる見事な造形だ。針金のように細い柄がすっと伸び、その先端には紡錘形の頭が付いている。透明感のある頭部は、小さいながらもシャグマアミガサタケのように明らかな皺を寄せている、そして近くに他の子実体もちらほらあるが、それら全て形状が違うのだ。中には、平面が組み合わさったような外見のものがあり、一層ヤリらしい。
早速の出会いにほおが緩む。それも、ここにあるとわかっていたキツネノワンではなく、キツネノヤリタケの方であったから喜びも一塩だ。
となればワンにも期待できる。透陽はひとまず先ほど逃げ出した少女が向かった方へと足を進めた。きっと彼女の行く先に、クワの木があるだろうから。
獣道を進み雑木林の奥へ。遠くにキツネ娘の姿が見え隠れする。透陽は見失わないように急ぎ足でそれを追った。歩幅が圧倒的に大きいのだから、追いつくのは簡単だ。どんどん距離が詰まる。
やがて、前方から声が聞こえて来た。
「椀、椀、どうしよう、どうしよう。人間がいたよお……!」
「人間!? そういえばこのまえも! まずいよ、槍。その人、見えるみたい!」
「ひょええ! じゃあ、よけーに怒られちゃうってこと!?」
「そうだよ。でもきっときょうは大丈夫! 槍のヤリを見せれば、きっと人間もびっくりしてにげてくよ!」
透陽はまず遠くから様子を伺う。先ほどのヤリの少女の向こうに、地べたに座った娘が一人。間違いない、先日のキツネノワンの娘だ。
どうやって人間をやっつけるか。そんな他愛も無い妄想をきゃあきゃあと話し合う二人の声は森の中に良く響く。まるで小学生の女の子たちが遊んでいる風だ。
透陽はそっと彼女たちに近づく。なるべく驚かせないように、と思ったのだが、足元の大きな枝を踏んでしまい、その乾いた音が空気を割った。
キツネの娘たちは大きく身を震わせて、同時に叫んだ。
「出たあ!」
二人は身を寄せ合うように小さくなる。もともと垂れ気味の耳をさらにぺったんこにして、すっかり委縮してしまっているではないか。
立ちっている方のヤリタケの娘――こちらが槍らしい――はヤリを両手で持ったまま、ぺこぺこと頭を下げる。
「ごめんなさあい、クワの実はお返ししますからあ!」
「えっ!? 待ってよ、槍ぃ。このクワの実はジャムにするの! だからほら、けーかくどーりにやるの!」
「えっ、えええ!? えっとえっと……や、やい人間! このヤリでグサグサされたくなかったら、槍たちのことは見逃してお帰りになりやがってください、お願いしまぁす!」
悲壮感溢れる叫びを上げながら、槍は持っていたヤリを透陽に向かって突き出した。ヤリ自体はそこそこ鋭く光っているのだが、使う本人の腰は引けているし、足は震えているしで、全く怖くない。
後ろでキツネノワンの少女、椀が、熱の籠った声援を上げている。が、あくまでも応援のみで、自ら立ち上がろうとはしないらしい。
透陽は生温かい目で、幼子たちのおふざけを見守っていた。間の抜けた音のカラスの歓声が空から降って来た。
とりあえず、話をしに来たのだ。ああもパニック状態ではそれも出来ない。
透陽は両手を上げて、ゆっくりと二人に近寄る。もちろん、言葉もつけて。
「怖がらなくて大丈夫です。俺、二人の味方なんで。その、ちょっと様子を見に来ただけですから」
「み、みかた?」
「うそよっ。そう言って、クワのみぜーんぶとってちゃうつもりでしょ!」
「そ、そうだよ! 『消毒』とかいって、槍たちを追い出すんだ!」
「いや、そんなつもりないですって。俺、キノコにしか興味ないですもん」
「ほらほら! やっぱり椀たちがねらいじゃん! へんたい!」
二人は毛を逆立てて、透陽を拒絶する。尻尾は二倍にも膨らんでいた。
困った。話もできやしない。もう対話は諦めて、キツネノワンの捜索に移ろうかとも思うが、それはそれで変態呼ばわりされそうで気が引ける。
透陽は二人に負けずに目を細めて考える。その時、伝家の宝刀があることを思いだした。
「……紀伊教授」
「なによ」
「そう、俺、紀伊教授の、えーと……知り合いで。頼まれてここに来たんです。様子を見てきてくれって」
紀伊教授。その名前を出すと、二人は顔を見合わせて、何かを話し合っている。おそらく内緒話のつもりなのだろうか、声の大きさはそのままなので丸聞こえだ。
「きいきょうじゅって、あのおじさんかなあ」
「前にここに来てた人だよね。そういや、あの時もすっごく見られてたよ」
「そうそう。土の上にはいつくばって、椀たちのことながめながら、デレデレ笑ってたへんなおじさん」
教授、何やってるんですか。思わぬ暴露に透陽は何とも言えない気持ちになる。が、確かにあの人ならやりかねない。
「あー、うん、たぶんそれです。はい」
「そうなのね」
「……あのおじさんのお知り合いなら大丈夫、かなあ、椀?」
「そうじゃない? 椀と槍のことかんさつしたら満足して帰ってくれるよ!」
「そっか、じゃあ、お兄さん、どうぞどうぞ」
槍がヤリを引いて、手で迎え入れてくれる。とりあえず平和的に話が進んでよかった。教授のプライバシーを垣間見てしまったことは忘れよう。
許可を得た透陽は、遠慮なくクワの木の下へと進んだ。
「おぉ……」
思わず感嘆の声を漏らしたのは、そこが彼女たちの聖地のようになっていたから。
苔の混じる地面の上、キツネノヤリタケが頭を伸ばして立っている。それも先ほどの場所に比べれば数は多いのだが、むしろ別の種類のほうが際立っている。
キツネノワン。何と言われなくても一目でわかった。ヤリタケと同じ色合いで、こちらは柄のついた茶碗のような形だ。それが地面のあちこちに密生している。大きささまざまな口が、上を向いて胞子を吐き出しているのだ。
それにしても小さい。ヤリタケは存知の通りで、キツネノワンも直径一センチ程度しかない。なるほど、寝そべって眼前で眺めたくなる気持ちもわかる。
「モクレンのもこんなやつだったなあ。ツバキも」
透陽は春の初めの出会いを思い出していた。あの二つも茶碗型のキノコだった。ツバキに発生する方はツバキキンカクチャワンタケ、なるほど、ワンだ。
そして、椿と木蓮。その二つの名前が出た瞬間、槍と椀の纏う空気が一転した。
「え、なになに、お兄ちゃん、椿と木蓮も知ってるの?」
「うん。今年の春に会ったよ」
「なんだあ。だったらそう言ってくれればいいのに」
「へ?」
「そうよそうよ! 椿も木蓮も、椀たちのだいしんゆうなんだからっ!」
そう言って彼女たちは細い目をさらに細くして顔を見合わせた。
キノコ目録
キツネノワン/狐野椀
キボリアキンカクキン属の小型キノコ。褐色で茶碗型、春に地中に埋まった前年のクワ果実から柄を伸ばして発生する。
「クワ実菌核病」の原因菌。実った桑の果実に感染し、白く肥大させた後、落果させる。その後桑の実組織を糧に生長、菌核を形成し冬を越す。
なので実がなる雌株のクワの樹下にしか発生しない。探すときはご注意を。
キツネノヤリタケ/狐野槍
基本的な生態はキツネノワンとほぼ等しい。ただし、こちらはキツネノヤリタケ属に属する。
細長い柄に、隆起のある紡錘状の頭部が付いた形態が特徴的。
生態が同じなため、ワンと同時に発生することもある。




