自称「助教授」の特別講義
奥羽透陽は頭を抱えたかった。が、それもできなかった。両手がふさがっているのだ。
(こんな姿見られるのもヤダなあ……)
キャンパス内を縦横無尽に闊歩する彼が抱えているのは、エノキタケの栽培ビン。紀伊教授の部屋にあった、榎ゆきの依代である。これを持ち歩いていれば、ゆきが隣に居られるらしい。
乗り気ではない透陽に対して、ゆきは絶好調と言った風だ。背筋を伸ばし、透陽をリードするように歩く。スタイルの良さが相まって、まるで白肌のモデルがキャンパス内の男の目を集めるべく歩いているような風だが、生憎、彼女の姿は透陽ぐらいにしか見えていない。
すなわち、エノキタケを持って一人でキャンパスをうろうろする男。時々、独り言をいっているというおまけつきだ。どっからどうみても変人であろう。
芝生広場や校門近く、運動場に続く小道や、フェンス向こうの斜面。ゆきが案内する先には、知らないキノコの娘が居たりいなかったりした。
例えば、講義棟裏の土手の近くを通りかかった時に、ゆきは説明してくれた。
「この辺りにはヒトヨタケの黒肥地一夜がいる事もあるが、雨上がりにしか出てこないのだよ」
へぇ、と歩みを進めながら相槌を打つ。目線の先にあるのは草むらだ。あまり手入れはされていない場所である。
一夜はよく肥えた土を好むらしい。そして、雨上がりに姿を現したと思えば、ほんの一晩かそこらで溶けたように消えてしまうのだという。
話には聞くが、見たことないな。一度、雨上がりにはりついてみようか、と透陽は思った。
一人と一キノコの珍道中は、やがてサークル棟の近くにたどり着いた。モリーユ・エスクレンタの居る空き地はちょうど見えない角度だ。
前方に見えるのは花壇。と、その周りに群がる人間たち。花野郎を筆頭に、知っている同窓生の顔が数人見える。どうやら園芸部だ。
園芸部員たちは、どこからか土を持った猫車を引いてきては、花壇投入している。そう言えば土の入れ替えをしていると言っていたな。
隣から、そういえば、というゆきの呟きが聞こえた。
「あそこの花壇に少々珍しい奴がいたらしいんだ。だが、あの様子じゃもう出てこられないだろう。キミには少々、残念だったかな」
「まさか、そのキノコのために土の入れ替えやっているわけじゃないですよね」
「いや、そのまさかなのだよ。居つかれてしまうと、花が枯れるからねえ」
ゆきが腕を組んで、しみじみと語る。
いわく、ある種類の花に対する病原菌で、放っておけば毎年発生してくるらしい。菌核という、植物で言えば種子のような器官を土の中に形成するため、根本的には土を殺菌消毒しなければ解決しないのだとか。
透陽も真似して腕を組んでみた。なんだか、花野郎がそんなような話をしていた気もする。名前は――。
「何だっけ、デュマノタ? あれ、デュモンティ?」
「わたしも名前は知らないな。紀伊教授から少し聞いただけなのだ」
「ええっ!? キノコ同士なのに、知らないんですか」
透陽が率直に感想を述べると、ゆきは少しむっとした表情になった。
はた、と足を止めて、透陽に正面から向き直りつつ、腰に手を当てる。
そのまま、驚いている青年に顔を近づけた。息がかかるような距離に、透陽はたじろいだ。
「奥羽クンよ、わたしが全ての同族のことを知っているのだと思ったら、大間違いだ。むしろわたしが顔を合わせる相手など、限られているのだよ。各々好みの季節や環境がある。空間的、時間的生活範囲が重ならなければ、一生会うことはないのさ」
「わ、わかりました……」
キノコの娘たちの交友関係と言うものは、思った以上にシビアなのかもしれない。精神世界で云々というのだから、てっきりフリーダムなものなのだと思っていたが。
ゆきは、ふうっと一息吐くと、打って変わって少女のような笑顔を見せた。
「まあ、わたしの場合は人間の力も大いに活用しているから、多少は顔が広いのだけどね」
そして、後ろ手を組みながら前に向き直る。その折、散策を続けようと、目で促した。
前を歩く榎ゆき。鼻歌混じりで、ご機嫌なようだ。腰のベルトにつけられたエノキタケのアクセサリーが楽しそうに弾んでいる。
透陽も楽しくないわけではなかった。色々と参考になることが多い。腐っても、大学教授の側近だ、ということだろうか。
まったく、栽培ビンさえ持たされていなければ、何も憂うことは無いのに。透陽はふうと嘆息する。
今はちょうどキャンパスの角に近づいていた。講義棟に併設された新しい建物があり、その道向かいの坂を下れば温室がある、そんなエリアだった。
ゆきが左手の建物を見上げ、透陽に問いかける。
「そうだ。ここは食品科の研究棟なのは知っているかい」
「一応」
「この一室にきのこ栽培室があるんだ。きーちゃんの部屋にあるわたしの本体は、ここから株分けしたものなのだよ」
「へえ」
言い換えるならゆきの生まれ故郷。そんなところだろうか。最も、キノコがあればどこにでも現れられる彼女たちに、故郷というのもおかしな気もする。
ふと、透陽は疑問を投げかけた。
「というか、栽培きのこでも依代にできるんですね。今までスーパーとかで見たことないですよ」
「きのこはキノコだからできるんだけどね。皆やりたがらないだけだ」
「そうなんですか」
「天然ものを信仰は人間だけのものではないということさ」
「やっぱり何か違うんですか? こう、エネルギー的なものとか……」
「純粋に出てきてもつまらないということもあるし、キミの言う通り、ぬくぬくした人工の環境じゃ、なかなか本当の自分をさらけ出せないってのもあるし。色々あるんだ」
ゆきは意味深なウインクを見せた。
本性か。透陽は思わず、手元の栽培ビンに目線を向けた。教授の手で育てられたエノキタケは、真っ白で、すらりと柄が伸びている。自然の中なら、もっと立派に育てると言うのだろうか。
そして歩みは、右手方向に向いた。坂を下れば温室がある。狭いながらも実験圃場や、研究作物の栽培が盛んにされているエリアだ。既に道沿いに植木鉢だの、水槽だのが並べられている光景が目に入った。
草木がたくさんある所なら、キノコも居るのだろうか。
透陽が期待感に満ちた目を行く手に向けていると、ゆきが突然足を止めた。
何やら、難しい顔をして、坂の下を睨んでいる。
「んー……あー……やめとこう。奥羽クン、今日の講義はここまでだ。きーちゃ……教授の部屋に戻ろう」
「どうしてですか? この先って、温室とか圃場とか色々あるんですよね。キノコもあるのでは?」
「キノコというか……。まあ、まだ時期が早いから問題ないだろうけど、ちょっと厄介な奴がいるんだよねえ。だから、さ、帰ろう! 奥羽クンも他にやることあるだろうし」
ゆきは回れ右して透陽の背中を押した。やや強引に散策を打ち切られた形だ。
透陽は後ろを振り返った。逃した魚は大きい。もともと乗り気ではなかった散策だったのに、こうなってしまっては心残りだ。
あのエリアには何が居るのだろうか。この図太く博識な榎ゆきに「厄介」と言わしめるものは、一体何者なんだ。
帰る道中、未知なる存在について透陽が尋ねても、ゆきは言葉を濁すばかりであった。
また、彼女の顔には少し疲れの色が出ていた。いくら依代ごと移動していると言っても、人工物の間を広く歩き続けるのは大変らしい。
そんなこんなで紀伊研究室に戻って来た瞬間、ゆきは来客用のソファに倒れ込んだ。
「疲れたあ……」
「おかえり、二人とも。キャンパスツアーは楽しかったかい?」
紀伊教授はコーヒーカップ片手に立ち上がって、透陽に歩み寄って来た。
透陽は栽培ビンを元のケースの中に戻しつつ、笑顔で答える。
「それなりには」
「そっか。よかった。ゆき姉……寝てるし」
仰向けになっていたゆきの目は伏せられている。白い前髪がはらりとこぼれた。屈託のない微笑みを浮かべた寝顔だ。
やがて、彼女の体が透き通って消えていく。どうやら夢の世界に飛び込んでいったらしい。
やれやれ、と紀伊教授は笑った。
「奥羽君。今日はありがとう。君に出会えてよかったよ」
「いえ、こちらこそ。いろいろ勉強になりましたし、これからもお世話になります」
「ああ、もちろんだ。何かあったらいつでもおいで」
そう言って教授は右手を突き出した。透陽は慌ててズボンで手のひらの汗をぬぐう。
そして、二人は固い握手を交わした。同じキノコを、キノコの娘たちを愛する同志として。
鞄を担いで帰り際。ふと、透陽はあの立ち入れなかったエリアのことを思い出した。
「あ、そうだ。ゆきさんが温室の方に厄介な奴がいるって言ってたんですが」
「厄介? 温室の方と言えば……ああ、あの子か。でも、まだちょっと早いかなあ」
教授は苦笑いしてみせた。
「君、いつもは正門から来てるのかい? 今日は東門の坂に行ってみなよ。カイヅカイブキがたくさんあって――」
「す、すいません。俺、植物とかまだ全然わかんなくて……」
「坂に沿って並んでいる、細い枝みたいな葉の植木だよ。それを、よーく気を付けて見てごらん。もしかしたら会えるかもしれないし、会えないかもしれない」
「わかりました」
言われた通り、東門から坂を下る。もちろん、並んでいる植木に注意を払いながら。
キノコに出会えるかどうかは運によるところも大きい。それは透陽も良く分かっていた。
そしてどうやら今日は運が向いていなかったらしい。何も見つけられずに、坂を下りきってしまった。一般道に出て、イブキの植木はもう無い。
仕方ないね。透陽は肩をすくめて、帰路についたのだった。
だが、彼は一つミスを犯した。キノコは枯木や土から生える。その固定観念が、探す視線を地際に固定してしまっていた。
しかし生木から発生するキノコがないわけでもない。それに、そもそも探すべき対象が、俗に言うキノコではないとしたらどうなるだろうか。
そう、透陽は完全に見逃していた。オレンジ色の目が、カイヅカイブキの繁みの中から見ていたことを。緑色のコートで身を包み、葉と同化するように植木に潜んでいる彼女の存在を。
その娘は人気が無くなったと見るやいなや、一つ、大きな伸びをした。
春の風が心地よく吹く。そろそろコートも暑くなってきたし、いい頃合いだ。
「イブキちゃんのお引越し、はじめよっと」
その風に乗って、彼女、赤星イブキは、カイヅカイブキの住処を旅立っていった。
菌類目録
ビャクシンさび病菌/赤星イブキ
秋から春にかけてビャクシン類に感染する植物病原菌。
春には枝先にオレンジ色の「冬胞子堆」と呼ばれる器官を形成し、そこから胞子を飛ばす。
この冬胞子堆はキクラゲの仲間のように、水分を含むと膨張してぷるぷるになる。
こうして春に飛んだ胞子は、別の植物に感染する。
ビャクシン類に感染している内はさほど大きな病害を引き起こすわけではない。




