芝生に昇る出会いの予感
ある小雨降る日の昼休み、まだ開始早々にも関わらず満席状態の学生食堂で、透陽はカレーライスをかきこんでいた。キャンパス内にいくつかある学食だが、この体育館横食堂のカレーが一番うまい。
そして今日は一人ではない。左隣で大盛りのカツ丼をがっついている男は一応、友人だ。少なくとも透陽はそう思っている。こいつは通称花野郎、本名は……確か朝霧ナントカだ。出会った時から花野郎だった。下の名前なんて、聞いたことが無いような気がする。
「え? 結局お前部活もサークルも入ってないの?」
花野郎が目を丸くして横を見た。口はもごもごと動かしたままだ。
透陽は黙って頷く。優柔不断に決めかねて、そのまま四月も終わりに近づいてしまった。そうなればサークル勧誘も下火になるし、逆にこちらから飛び込むのもやりづらい。
そもそもサークル棟に近づきがたかったのもあるが。ただでさえ喧噪の止まない建物周辺は、アミガサタケのモリーユ・コニカのテリトリーでもある。春の頭に言ったことを彼女は気にかけているらしく、透陽が少しでも近づけば、どこからともなく現れて、迫りくるのだ。
「ほら、私の唄を聞いてよ! すっごく練習したんだから!」
そう言って歌いだす。後ろの建物から鳴り響くがちゃがちゃとした楽器の音に、調子の外れたヘンテコな歌。騒音と言っても差支えない。
もちろんそんなことを言っても花野郎には通じない。透陽は辟易したような顔だけを見せた。
ふーん、と、彼は前を向いて、またカツ丼をかきこんでいる。どうやら米ばかり残っているらしい。ペース配分が下手すぎやしないか? と思いながら、透陽は一対一の完璧な比率で食べ進めているカレーライスをすくった。
花野郎はごくりと喉を動かしたあと、水を飲み、喋る。
「まあ、俺は園芸部入ったんだ」
そう、こやつは花が好き。だから花野郎なのだ。特に好きなのは山野草らしいが、花なら何でもオッケーらしい。何だそれはと思ったが、透陽自身キノコならなんでもウェルカムなので人の事は言えない。
それで、今は一体何を育てているんだ。そんな当たり障りのない質問を飛ばす。すると、花野郎は参ったとばかりに
「いやー、今は土の入れ替えやってんのよ。デュモンティニア根腐れ病出たとかで。それが終わったらだな」
「デュ……デュモ?」
「デュモンティニア。山で採って来た株についてたらしくてなあ。花壇丸ごとダメにしたんだよ。ありゃ菌核が残るからなあ。まあアネモネじゃないもん植えればいいって話も出たが、それじゃ根本的に解決できないって――」
「へ、へぇー……」
花野郎は火が付いたように、花と病害とその他園芸センスを語る。その勢いは止まらない。演説でもしているように。
透陽は無関心に黙って食事を終えた。目の前には米粒一つ残らない完璧な皿。満足気に水を飲みながら思った。俺はああならないように、キノコを語る時には気を付けよう。と。
休み時間はまだ余っている。花野郎とは次の講義も一緒のはずだったが、「部室に置いていきたいものがあるから」と行ってしまった。きっと先ほどのスポーツの講義で着たもの一式のことだ。
透陽は一人で西から東へキャンパスを突っ切る。途中にある芝生広場の辺りにはベンチもあり、晴天ならここで昼食をとる学生が多数見受けられるが、今日はあいにくの天気。周辺には誰も居ない。
いや、そんなこともなかった。
「あ」
思わず透陽は立ち止る。傘から雨だれが落ちる視界の向こう、芝生の片隅に、誰かが座っている。傘も差さずに。
ああ、知っている人だ。いや、『人』ではないのだが。とにかく、彼女の狐耳には見覚えがある。
背を向けている彼女に、透陽は静かに近づいた。まるでトゲのついた球体から上体を突き出したように座っているその娘は、この雨の中、お茶を飲んでいるではないか。雨が彼女の頭に当たるたびに、ぽふぽふと煙が上がる。
しかしどうやら透陽の接近には気づいていないらしく、全く変わった素振りを見せない。よほど茶に夢中なのだろうか。
「えーっと……挨原さん? 茶狐さん?」
「ふにゃっ!?」
突然の大声に、茶狐がびくりと跳ね上がった。耳がぴんとたち、ついでに頭のホコリの塊がどさりと崩れた。腰回りの九枚の布が逆立つようにめくれ上がり、まるで尻尾を逆立てた様だ。大事な湯呑の中で緑茶が大きく波打ったが、入れ物本体はがっちりつかんで離さない。
あわあわと片手を忙しなく動かしながら、ぺこぺこと頭を下げている。ただ、その方向に透陽はいないのだが。
「あややや……芝生が駄目ならばすぐどきますゆえ、殺菌だけはお許しを」
「あ、いや。全然かまわないんだけど」
「ああ、どうかどうか。他所へいきますので……」
まるで話がかみ合わない。と言うか透陽の言葉が聞こえていない。
そう言えばそうだった。と彼は手を叩いた。茶狐は少々耳が聞こえづらいらしい、と本人から聞いていたではないか。
透陽は彼女の正面に回り込み、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
もう一度名前を呼んでやれば、茶狐の動きがピタリと止まった。
「ん? おお何だ。お主はいつぞやの青年か」
ぽんと彼女は自分の膝……があるだろう場所を叩いた。少しへこんだスカートは、すぐに元の形に跳ね返る。
にゃははと笑いながら、茶狐は照れくさそうに頭を掻いた。もうもうとホコリが舞う。雨が降っているからか、いつもより調子がよさそうに。
「いやー芝生で一服しておると怒られてしまうので」
「どうして?」
「芝が枯れてしまうからですかのう。あ、いや、ワザとではないのじゃが。我々も生きていくにはエネルギーが必要なものでして」
ちらりと茶狐は背後に視線を流した。なるほど、そのあたりを中心に、白くて丸いキノコが円を書くように点在していた。大小様々、中には頭頂部に穴が空いて居るものもある。そして茶狐もその円周上に座っているのだと気づいた。
どこか幻想的な環の上で、茶狐は微笑んでいた。だが耳は申し訳なさそうに折れている。
「手入れされた芝というものは、なかなか居心地がよくてのう。迷惑だとわかっておるのじゃが、たまには、こうして――」
茶狐は湯呑を傾けた。ごくりごくりと喉がなる。
そして、ぷはっと太陽のような笑顔で息を吐く。
「ああ、今日も煎茶がうまい!」
いい表情だ。見ているこっちも嬉しくなる。透陽は気づかぬうちににやけていた。
「時に青年よ。学校生活は楽しいか?」
「まあね。ただ、もう少しキノコのこと喋れる人が居ればなあ」
透陽は肩をすくめてみせた。
茶狐はぴくんと耳を立てて、にたりと笑った。
「おほほほ……キノコ自体と喋れるのに、さらに人とも話したいとは。贅沢な悩みよのう」
「それとこれとは違うんだ。ほら、君たちだって、仲間と喋るのと俺と喋るのとは違うだろう?」
「うむうむ。人の子相手では、少々勝手が違うからのう。紀伊殿は我々のことをよく理解してくれておるが――」
「ちょ、ちょっと。俺は透陽だ! 奥羽透陽!」
キイって誰だ! かすってすら居ないぞ。衝撃のあまり傘を落としそうになった。まるで老人のような口調でしゃべるが、もしや人の顔がわからぬくらい耄碌もしているのか。
ところが、そんな様子ではない。茶狐はしばし無言で透陽を見つめた後、意味深に口角を上げた。
「若人よ、まさか我々の姿を見られるのは自分だけだと自惚れてはおるまいな?」
「そんなこと知ってるよ。俺以外にも、君たちの姿が見られる人が居るんだろう? 君たちの女王……クイーン・シルキーに聞いたことがある」
「おお、女王陛下にもお会いしておったか! よきことかな。そう言えばあたしゃ何年もあっておらん……久々に拝謁にいくかの」
何故急にそんな話をしたのかわからなかったが、透陽は素直に自分の知ることを答えた。
キノコたちが女王と呼ぶ相手は、キヌガサタケのクイーン・シルキー。透陽は去年の秋、それこそ彼女たちの姿が見えるようになった早々に、その理由を尋ねに会いに行ったことがある。なるほど、女王と呼ぶのにふさわしい雰囲気であったとは記憶に焼き付いていた。
透陽の知りたかった問いに対する答えは、はっきりとは得られなかった。だが彼は、代わりに良き情報を得た。
それが、彼以外にもキノコの娘たちの存在が見える人間は存在すると言う事実だ。
シルキーは不思議とその者については詳しく語ろうとしなかった。何でもひどい辱めをうけたらしい。美しく穏やかな女王陛下の後ろに滲んだ真っ黒のオーラは、吹雪のように寒々しいものだった。
そんな中、透陽が知りえる情報は二つ。その人物は、自分の郷里より西の地に居ること。そしてどこぞの大学が所有する山林でキノコの姿を求めていると言うこと。
そうだ。アミガサ三人娘に翻弄されたり、キャンパスライフに夢見ているうちに忘れていたが、そもそもこの大学を選んできたのは、自分と同じく「見える人」が居るかもしれないと思ったからではないか。
「まさかその人、やっぱりこの大学に居るんじゃ……。ねえ、茶狐さ……ん?」
いつの間にか茶狐は、透陽の傘の向こう辺りの空間に視線をずらしていた。そしてそのまま、へなり、と彼女の耳が下に曲がった。
「およよ残念無念、姐さんに見つかったか。……はてさて機嫌を損ねぬうちに退散しようかのう。これにて御免じゃ、奥羽殿」
ぼふんという音と共に、茶狐の姿は煙となって散った。
立ち込める胞子の霧に咳き込みながら、透陽は所在なく突き出していた手をがっくしと下におろす。
(キノコたちって……気まますぎる……)
溜息を吐きながら、芝生の上にあったホコリタケをつつく。まるで茶狐のスカートみたいなそれは、透陽の指に合わせて煙を吐き出した。
それにしても、何を見ていたんだろう。
透陽は最後に茶狐が方角に振り返る。自分の後ろ、斜め上空くらいだ。
傘に隠れていたその先には、並ぶ窓、窓、窓。どれを見ていたのかはわからない。そもそも一体何があったのかも煙の中だ。
はっきりとはわからないが、何となく、新しい出会いの予感がする。
透陽はおもむろに立ち上がった。
早く雨が上がらないかな。そんなことを内心でぼやきながら、彼は講義棟へと向かっていったのだった。
その背中に熱視線が注がれていた事実には、終始気づくことが無かった。




