三人娘の仲直り
汗だくで帰還した透陽をにこやかに迎え入れた女性。身体を覆うのはバスタオル一枚。ふくよかな胸元が愛らしい。
いや、そんなことは些末なことだ。
透陽の家にいたのは、粗野で眼力に溢れる、シャグマ・エスクレンタであったはずだ。
それなのに、目の前には見覚えのない女がいる。しっとりと濡れた赤褐色のロングヘアは艶やかで、上気した顔できらきらと輝く丸い目は、シャグマの引きつった鋭い眼光とは相反するものだ。
「あの……誰?」
「え? あたしだよ? シャグマ・エスクレンタ」
目の前の女はきょとんとした顔で小首を傾げる。
透陽はあんぐりとしていた。確かに頭の上には不自然な熊耳が鎮座していて、露わな鎖骨の間にある肉球柄の刺青にも見覚えはある。が、しかし。
「何か……別人みたいだ」
「あはは、よく言われる。変かな?」
「いやいやいや! すごく可愛いよ」
「うわい、トウヒったらお上手!」
湯上りなのも手伝って、顔を赤らめながら笑うシャグマ。
「かわいい」と言ったのはお世辞でも何でもない。本心からであった。
透陽は心の中で咆哮を上げる。
(いつもこれなら……! いつもこれならいいのに! ちきしょう、惜しい!)
タオルにくるまれた体はナイスバディ、隠されていてもそのラインはくっきり浮かんでいる。
そして毒気のないにこやかな笑顔。凶暴さはなりをひそめ、ただの元気娘ではないか。
ああ、つくづくもったいない。
そんな地団太を踏むような思いを抱きながら、透陽は靴を脱ぎかけた。その時だった。まるで彼の心中を代弁するかのような声が背後から響いたのは。
「オウ、いつもこれならモテるでしょうに」
「ほらー。シャグマはかわいいんだよう」
その声と共に、背中に重さを感じた。首を捻ってみれば、モリーユとコニカが、透陽自身の背中に張り付く様に出現していたのだ。
「モ、モリーユ? コニカ!? なんでここに……」
菌糸が無ければそもそも土も無い。ここに居るはずが無かった、己の友茸たちの顔を見て、シャグマは明らかな動揺を見せる。
勢いでタオルがずり落ちそうになったため、透陽は咄嗟に目を逸らした。なお、タオルはすんでのところでガードされたが。
シャグマは胸元を抑えながら、謎が解けたように絶叫した。
「お、お前! ハメたなぁ! チクショウ! やりやがって!」
「いやいやいや。全部俺なりの謝罪だってば、シャグマさんに熱湯ぶっかけたりしたさあ。俺は、みんなに仲良くやってもらいたいし」
潤んだ目で掴みかかってくるシャグマに、苦笑しながら弁明する。
彼女のすらりとした手で胸倉をつかまれ、頭がガンガンする程に揺さぶられてはいるものの、やはり、数刻前のような命に関わる危機感は無い。
読み通り、すっかり毒の抜けた彼女となら、どうにかまともに話ができそうだ。
「三人ともさ、落ち着いてちゃんと話合ってみなよ。春が終わったらまた長い間夢の中で暮らすんだろ? 今のうちに仲直りしておかないと。ね?」
「やだい、やだい! あたしはもう二人とは絶交なんだ!」
ぷいとシャグマがそっぽを向いて、玄関から遠ざかるように歩き出す。と言っても、学生向けの賃貸住宅。対して広いわけではなく、開け放たれた戸の向こうには、透陽の生活空間一室あるのみだ。
透陽は苦笑した。本当に逃げるつもりなら、彼女たちキノコの娘は自由に姿を消すことができるはず。それをしないということは、きっと。
「モリーユさん、コニカさん。とりあえず、奥でゆっくり話しませんか?」
「いいけど、なるべくさっさと終わらせますヨ」
「コニカに同じー。春は短いもの、問題は早く片付けないと」
まるで俺が悪いみたいだが、そもそも喧嘩の原因すら俺は知らないぞ。本音が喉から出かかったが、すんでのことで飲み下し、少し気だるそうなアミガサ娘たちを、自室に招き入れた。
小さなテーブルを四人でかこう。人間の生活空間にキノコの娘が並ぶ図は、なかなかシュールな雰囲気もした。
そして座ってみたがいいものの、アミガサ三人娘の間には険悪なオーラが流れている。
「ほら、ちゃんと話をしてくださいよ」
「でも……元はと言えばシャグマがー」
「だからあたしは!」
シャグマが勢いよくテーブルを両手で叩いて身を乗り出した。
透陽はそんな彼女の髪が自然乾燥しつつあるのを見て取った。それ以前に、身体に透明感が出てきている気がする。
湯冷めして毒が復活するのかはわからないが、何はともあれ、残された時間は少ない。
透陽は不慣れな仲裁役に挑む。
「落ち着いてって。シャグマさん、一体何をそんなに怒ってるんですか」
「あたしは二人とは違うんだよ! 見た目も違うし、近い親戚ってわけでもないし。なのに、それなのに『春のアミガサ三人娘』だなんて……。あたしに対するあてつけみたいなもんじゃないか! 大体あたしなんか編んでもないってのに!」
シャグマは唇を噛みしめ、肩を震わせている。
そう、コンプレックス。同じ『アミガサタケ』と冠されたのに、己だけが異質であることへの、勝手な劣等感。それに彼女は支配されていたのだ。
モリーユとコニカが顔を見合わせる。そろって目を丸くして。
シャグマの本心の吐露は、堰が切られたかのように止まらない。目の端から雫が一滴こぼれ、細い線を頬に描く。
「結局そういうことだろ? 二人ともほんとはあたしのことハブにしたいんだろ!? ほら、今だって二人だけでやってるじゃないか! 何も困ってない、モリーユとコニカで完結するんだよ! あたしは要らないんだ!」
「そんなことだったの……それは違うよ」
「ノン、シャグマ。それは被害妄想ヨ」
「うるさい、うるさい! いいよな、二人は美人だし、人間にも好かれてるし。あたしはどうせ厄介者だよ! 人間どころか、キノコ連中にも目の敵にされる嫌われ者なんだ!」
声を荒げたシャグマは机にふせて、肩を震わせていた。
透陽は思わず、彼女の背中に手を伸ばす。筋肉の引き締まった身体は、今は強く叩けば折れてしまいそうだ。それを優しくさする。
強そうに見えて、本当は不安で仕方が無かったのだろう。アミガサ三人娘に身の置き場所が無い、それだけでなく、自分の居場所は果たして残されているのだろうか。
勝手に想像して、勝手に思いつめ、自ら作り出した袋小路に落ちてしまった。それが、今のシャグマの心情だ。
それならば、出口を案内してやればいい。暗い行き止まりに、光を指してやればいい。
かつて透陽自身も憂鬱な闇の中を彷徨ったことがある。思い悩み惑い、途方に暮れていた時に手を差し伸べてくれたのは、一人のキノコの娘であった。
彼女は、アマニタ・ヴィロサは、透陽に言葉をくれた。思考の迷宮から抜け出し、人生を光へ軌道修正するためのヒントを。
(何か、何か、シャグマさんが二人と一緒に居て大丈夫だっていう理由を……)
上辺だけの言葉ではいけない。論破されてしまえば状況は悪化するから。
透陽はきっかけを考える。何でもいい、それらしい理由があれば――。
「あ」
透陽の目についたのは、左右非対称のワンピースを着ているモリーユとコニカが並ぶ姿。
シャグマはどうだったか。
そうだ、やはり、簡素なワンピースを纏っていた。そして、形状は、二人の纏うアシメントリーのそれではなく、きちんと対照的にデザインされたもの。
――ひらめいた。
「シャグマさん。服を着て、モリーユさんとコニカさんの間に入ってみてくれませんか?」
「はあ? なんで?」
「いいから、とりあえずやってみてください」
少しきつさが戻って来たシャグマの泣き顔を見て見ぬふりをし、強引に立たせた。
そのまま二人で首を傾げているモリーユ、コニカの横を過ぎ、無理やりに脱衣所に押し込めて、自分は部屋に戻った。
そして、残されていた二人に、己の考えを耳打ちしたのだった。
しばらくして、シャグマは戻って来た。山で見た時の格好そのままだ。少し風邪を引いたときのようにぼおっとしているのは、力が消耗されているからだろうか。
彼女はのしのしと歩いて、ふと立ち止まる。
それを見計らって、モリーユとコニカが、彼女を挟むように立った。
さて、出番だ。透陽は自信気に語る。
「わかります? シャグマさん、真ん中なんですよ。シャグマさんを挟んで、モリーユさんとコニカさんが対照的になるんです。あなたは鏡みたいなものですよ」
「……は?」
「いいですか? 鏡を覗きこんで自分の姿が映るのは、鏡面が光を反射しているからなんです。つまり、鏡が無ければ、そもそも鏡の向こうの自分は存在できないんですよ。ほら、モリーユさんとコニカさんも同じです。お二人の間にあなたがいなければ成り立たない。あなたの存在は『アミガサ三人娘』には不可欠なんです」
「お前……小難しいこというなよ。わけわからん」
シャグマが腕を組んで思考を放棄するかのように仁王立ちした。
が、その腕は両脇からとられる。右腕はコニカに、左腕はモリーユに。
たじろいだ表情で、シャグマは左右を交互に振り向く。
「シャグマ。あなたが居ないと、物足りないもの。迷惑? 厄介? そんなことない! 平和すぎる日常じゃ、退屈しちゃうもの」
「そうよ。戻って来なさい、シャグマ。大体、真ん中は要。一番大事ネ」
「……でも、リーダーはモリーユだし」
「そんなこと言ったって、実際私たちを仕切ってるのはコニカじゃない。関係無い無い。センターはあげるから」
「仕切るのにはモリーユはのんびり過ぎますからネ」
優しく少し天然なモリーユ、しゃっきりしてお姉さん気質のコニカ、そして、わんぱくで元気溢れるシャグマ。個性ある三人が揃っているからこそ、角が立たずに上手くいく。そういうものだ。
「ほら。『アミガサ三人娘』は誰が欠けても駄目なんですよ。だから、仲良くやってください」
透陽は笑顔で見せた。少々論の立て方は強引だったかと反省していたが、それ以上に、モリーユとコニカ自身がうまくコミュニケーションを取りに行った。
シャグマは目を潤ませ、肩を震わせている。
肩口で瞼をごしごしこすると、顔を隠すかのように天井を仰ぎ見て、そして叫んだ。
「あーもう! わかったわかった! クソ馬鹿真面目なトウヒに免じて、許す! 今日からまた、あたしもアミガサ三人娘だ!」
その宣言を待っていた。部屋に歓喜の声が溢れた。透陽のバンザイが、コニカのハグが、モリーユの拍手が、目でたき場を彩った。
これにて、春のアミガサ騒動も一件落着だ。
透陽はやれやれと息を吐いた。もちろん、嬉しそうだが。
だが一番この結末を喜んでいるのはモリーユだろうか。まるで花でも咲かせられそうな幸せオーラが、彼女の笑顔から溢れている。
嬉しそうに手を叩きながら、桜色の目を輝かせて、彼女は叫んだ。
「よかったあ。これでアイドルデビューの道、諦めなくてすむよ!」
「……は?」
「モリーユ、それ、ストップ!」
コニカが慌てて静止するも時すでに遅し。水を打ったように辺りが静まり返っていた。
(今、何て? アイドル? デビューって?)
事情を知らぬ透陽の頭には疑問符が浮かんでいた。
が、それが地雷だったのか、シャグマはまた咆哮する。
「ほら、それだよ! あたし浮くじゃん! アイドルとか! 絶対お前わざとだよな!? もう三人娘辞めてやる!」
「何でよー。絶対楽しいじゃん! 春限定のユニットだよ? 仲良くやろうよ」
「嫌だね。あたしが歌って踊る? んなガラじゃないだろ! あーもう! そう言う風になるから嫌なんだって! チクショウ、嫌いだお前なんか!」
「シャグマ、モリーユには悪気ないからネ」
「わかってるよ! わかってても、ムカつくもんはムカつく!」
コニカが必死に宥める。実は、これがそもそもの原因であった。
キノコの娘たちの夢の世界。その精神空間でばったりと顔を合わせた三人。その時にモリーユが言った。
『今度の春は、アイドルになるんだよ、私たち』
自分だけが異質なユニット。シャグマは想像してしまった。モリーユがちやほやされ、コニカがほめたたえられる中、自分だけが仲間外れにされる未来を。ユニット内格差の生まれる妄想を。
そして、今に至る。
隣でシャグマとコニカが派手な舌戦を繰り広げる中、すっかり上機嫌のモリーユは、今後のプランを発表していた。
「まずは人間さんの歌をカバーしてー。そうだなあ、目指せ、フリゴちゃんのお気に入り曲! ってところかな」
「オウ、意外と堅実な夢ネ……」
「コニカ! 聞いてるのかよ!」
実に賑やかだ。うるさいくらいに。よかった、この声が聞こえるのが俺だけで。
事態についていけずにそんなことを考えていた透陽。
でも、アイドルユニットとしては意外と悪くないんじゃないか。と思ったが。一つ、ある事実を思い出した。
「あ、あの」
遠慮がちに声を上げる透陽。三人の目が、一斉に集まった。
「いやその……モリーユさんの唄じゃ……ちょっと厳しいのでは? フリゴさん? がどなたか知らないですけど、人に気に入られるには少々……何というか、キツイものが」
「えっ、えっ?」
モリーユは目を白黒させている。余程ショックだったのか、挙動不審だ。
だが、初対面の時、子どものような調子っぱずれの唄を歌っていたのは悲しくとも事実だ。
そして、残りの二人も、彼と同じことを思っていたらしい。コニカは神妙な顔をしているし、シャグマに至っては形勢逆転の笑みを浮かべている。
「トーヒ……あなた、意外とはっきりいくのネ」
「そーだそーだ。もっと言ってやれ!」
「そ、そんなことないもん! 私、歌、大好きだよ?」
「でも好きと上手は違うって言いますし……」
「やってみないとわかんないじゃん! ほら、歌うから聞いててよ!」
「ええ!?」
「モリーユ、トーヒが困ってるヨ。ストップ」
「ひどい、コニカまで! いいもん、歌うもん!」
周りの抑止を振り切り、モリーユの唄が鳴り始めた。
ひどい調子で、しかも涙声。アイドルユニットでボーカルを務めるレベルに達するには、まだ何度も何度も春を重ねないとダメそうだ。
春の嵐は一しきり透陽の家で暴れた後、揃って毒が抜けたかのように、最後は楽しそうに去って行った。
静かになった部屋で、透陽はぐったりとしていた。
目的は果たせたが、疲労感が半端ではない。熱気がされば、なおさら強く感じられる。
「あー……疲れた。俺もシャワー浴びよ」
思えば体は汗だくだったのだ。一度気にし出すと、べたつきが不愉快である。
透陽はゆらりと立ち上がり、風呂場に向かった。
浴室の扉はご丁寧に閉じられていた。脱衣所周りも荒らされた形跡はない。見かけに似合わず、意外とシャグマは几帳面なのだろうか。
(次に会えるのは、また来年か……今のうちにもう一回くらい顔合わせとこう)
そんなことを考えながら、彼はおもむろに風呂場の扉を開いた。
密室に穴があけられ、シャグマが湯あみをした後籠っていた湯気が、一斉に透陽の体に襲い来る。
「うっ……!?」
くらりとめまいがした。脳が危険信号を点灯させる。だが、既に言い様のない不快感と脱力感が、哀れな青年の身体を襲っていた。
ふらふらになりながら、慌てて廊下に退避した。そして、そこで倒れ込む。
素っ裸のままぜえぜえと息を荒げる。
熱い湯を浴びてシャグマの毒は抜けた。だが分解されたわけではない。身体から抜けた毒素は、一体どこにいったのか。答えは、蒸気の中。
「だ、誰か……窓……」
必死で這いずりながら、思わず助けを求めて呟く。全裸で。
その時だった。玄関がノックされる。賑やかな声も聞こえた。間違いない、訪問者はアミガサ娘たちだ。
だがそれを確かめる元気も無い。
ところが、彼女たちは瞬間移動したかのように玄関先に姿を現した。
「トーヒ、忘れ……オウ! どうしたの!」
「あ、そうか。あたし換気してなかったや」
「わーっ! 早く、外の空気深呼吸して! 早く! 透陽クン、死んじゃう!」
春の嵐は透陽宅に再び吹く。
(なんか……この先もこんな感じなのかな……)
キノコの娘と過ごす素敵なキャンパスライフの夢。それは決して穏やかなものではなさそうだ、と、透陽は四月も早々、既に悟ったのだった。




